16 黒竜と兄弟子②
「全く、頭が鳥の巣だ……」
ぶつくさ言いながら、クロウはすぐに髪を整える。
だが、シュベルトにもう一つ話さなければならないことを思い出し、表情を引き締めた。
「あのな、シュベルト。もうひとつ――一族の末の息子のことなのだが、聞いているか?」
「んん? あのガキのことか? あいつのことだ、いの一番に遺品を受け取りに行ったんじゃねえのか?」
「そう、なのだが――」
クロウが口にするのは、インウィディアのことである。
どうやらシュベルトは、彼の死を知らないらしい。
クロウは嘆息し、インウィディアの野望とその終わりについて、簡潔に男に報告した。
インウィディアの召喚獣だった赤竜に殺されかけたことなどは、話さない。クロウとて一人の戦士であるから、己の敗北をわざわざ語りたくはないのである。
隣の男が少しくらい心を痛めてしまうかもしれない、という配慮も、なくはなかった。
「……命までは、奪いたくなかったが……」
「死んだのはあいつの自業自得だろ。そんな顔する必要はねえ。全く、死ぬまでアホは治らなかったか」
インウィディアは身内の一人であったが、接点は多くなく、事情を聞いてしまえば悼む気持ちもそうそう起こらない。
シュベルトはただその愚かさに頭が痛くなりそうで、低く唸る。
「アルクス殿には書簡で報告してある。ご両親にも伝えてくれただろう」
「だな。諸々の後始末はあいつがやっただろ」
「……お前も一族の頂点の片割れなのだから、もう少し一族のために働いたらどうだ」
「めんどくせえ。……だが、あいつの暴走を放置しちまったのは、悪かった。そこまでバカやるとは、さすがに思ってなかったからな」
「お前にバカと言われるのは、彼もいささか心外なのではないか?」
「どういう意味だこら」
シュベルトは軽くクロウを睨んだ。
一般人なら怯んでしまいそうな眼光だが、クロウはむしろ気の置けないもの同士のやりとりを懐かしく感じて、束の間笑みを漏らす。
シュベルトはそれに毒気を抜かれたように睨むのを止め、クロウは気にした風もなく「そういえば、」とわずかに首を傾けた。
「色々と報告できたのは良かったが、今日はどうしてここに? 何か用だったのか?」
「いや、」
シュベルトはさりげなく視線をそらせた。
「気まぐれに立ち寄っただけだ」
「そうなのか?」
白竜のいないここにわざわざやってくるような男ではなかったように思ったが、この男でも感傷に浸るようなことがあるのかもしれない、とクロウは追究しなかった。
「それではわたしはちょっと奥に行く。その前に形見を渡しておこうと思うが……」
「今はいい」
シュベルトは遮るように言った。
「手紙じゃお前を見つけて受け取るように、っつってたか。ここでもらっちまうのは反則だろ」
「それも、そうか。ここに入れるのはごく一部だからな」
「ちゃんと外でお前を見つけるさ。形見はそん時でいい」
「分かった」
クロウは納得して頷いた。
「それでは、」
「まあ待て」
立ち上がり、居間から去りかけたクロウを、男は止める。
「奥って、お前の方こそ今日はなんでここに来たんだ」
「――改めて実験室や書庫を見返そうと思い立っただけだ」
「見返して、どうすんだよ」
「別に――なんでもいいだろう」
男の鋭い眼差しから逃れるように、クロウは俯いた。
その声には、苛立ちと戸惑い、そしてわずかな恐れがある。
「……相変わらずだな、お前」
男のそれは呆れを含みつつ、どこか優しい。
シュベルトはクロウの手を掴むと、もう一度彼女を座らせた。
「いつも通りにしようとしてるみてえだが、お前、今度は何をうじうじ思いつめてる」
「わたしは、別に……」
「しらばっくれんな。俺に大人しく捕まってる時点で、全然本調子じゃねえってのを晒してんだよ」
ぐっと唇を噛み、クロウは男の手を振り払う。
「うるさい! わたしは……わたしはただ、自分の思い上がりを正したいだけだ!」
「思い上がりだあ?」
それはクロウに似つかわしくない形容の一つであろう。男は眉根を寄せた。
「そうだ。望むべきでないものを望もうとしている。そんな浅ましい自分を律して、わたしはもっと強く……っ」
クロウは膝の上でぎゅっと両の手の拳を握る。
思い詰めた様子の彼女に、男は内心で溜め息を吐いた。
――何となく、分かったな。分かりたくなかった気がするが……。
クロウは何かあるとすぐに自分を責める。
誰にも何も言わず、自分の中で自分が悪いと決着をつけてしまう。
それは、生まれ落ちてからずっと忌まれ続けてきた彼女が培ってしまった悪い癖。
元々そうだった上に、黒竜の悲劇を知ってしまったから余計に、負の感情をひたすらに自分の内へと抱えるようになってしまった。
シュベルトはそんな彼女を知っている。
特にあるじ絡みでそれが顕著であることも。
具体的に何があったかはさすがに分からないが、今回もおそらく、彼女が主と慕う人間とのことで、自分を責め続けているのだろう。
「思い上がりだって、誰が言ったんだよ。望むべきじゃねえって、言ったヤツがいんのか?」
「そんなこと……!」
「それなら止めとけ。聞く限りじゃ、お前の仲間はなかなか見どころのある連中みたいじゃねえか。そんなヤツらが、お前がお前の感情を殺そうとしてるのを喜ぶとは思えねえな」
「でも、こんな想い、あっても、ただ迷惑なだけ――」
「バカヤロウ」
シュベルトは遠慮なくクロウにデコピンを喰らわせる。
それは一般的な婦女子に行うと虐待、暴力と呼べるものだったが、クロウは瞠目し、ソファの背もたれに軽く凭れかかっただけだった。
「その自己完結癖、いい加減直せよ。仲間ができたっつうんならな。俺に仲間がいたとして、勝手に自死しようとしたヤツがいたら絶対に許さねえ」
「わたしは、死のうとしてなど……」
「同じようなもんだろ。お前の望み、気持ちを切り捨てるのは、自分らしさをなくすってことじゃねえのか。そこに残るのはただ動く肉の塊だ。お前の仲間はその方が良いって言うか?」
クロウは血の気の引いた顔で言葉を失い、茫然とシュベルトを見つめる。
「お前の言う通り、お前の望みがあるべきものじゃねえ、ってこともあるかもしれねえ。一族の末のバカみたいなのだったら止められてしかるべきだ。だが、それをお前ひとりで決めつけちまうのはもうやめろ。仲間に相談なりなんなりしてみろよ。もしお前の仲間がお前と同じ意見なら、その時こそ協力してどうにでもすればいい。今のお前は、一人で突っ走りすぎだ」
しかもどこまでも、奈落の方へ。
だからシュベルトは、手を伸ばす。
もう一度クロウの頭をかき回したが、今度は手をはねのけられることはなかった。
「……お前も、」
「あん?」
「お前も、そんな真面目な台詞を長々と言うことが、あるのだな……」
「なんだその感想。喧嘩売ってんのか。やる気か、コラ」
クロウがぽつりと呟いた一言に、シュベルトは不機嫌な顔になる。
「お前はその方が嬉しいんじゃないか?」
「――まあ、な」
肯定した男に、クロウは笑ったようだった。
俯いたまま、男のとても大きな手のひらの下で、クロウは囁くように言う。
「お前の……言ってくれたことは、分かった。ありがとう」
「……」
素直なクロウの言葉に、シュベルトは気まずげに手を引く。
「だけど……」
「あんだよ?」
「わたしは――一体、誰に相談すればいいんだ?」
「んなの知るかよ!」
男の返しは当然のものだった。
しかしクロウは藁にも縋る思いで今度は男の手を引き止め返す。
落ち着いたかに見えたクロウだが、一層狼狽えた様子を見せていた。
「だって、こんな、こんなこと、誰に言える? ディーアはもういないし、まさか、まさか、あ、あ、あ、ああああるじに言うわけにいかないし、巨木は論外だし、後輩とラフに頼るのはさすがにこう、わたしにもプライドというものが……、御大は、御大はすごく頼りがいがあるが姑……じゃない舅だ、舅に言えるか、言えるわけないだろう! レヴァは、きっと話を聞いてくれるけど……困らせてしまわないか?」
「分かるか」
しばらくクロウは新たなる葛藤に悩まされた。
その間ぎゅうぎゅうとシュベルトの手は握ったままだ。
シュベルトはクロウの力が結構なものであるのに、それをそのままにしておく。
「……全く、俺も、相変わらずだぜ……」
そんな男の呟きを、クロウは聞いていなかった。
「誰がいいと思うって?」
「だから、知らん! めんどくせえ、そんなに悩むなら賭けでもするか?」
「賭け?」
「今から俺とお前がやりあう。俺が勝ったらその頼りがいのあるヤツに言え。お前が勝ったら……なんつった? レ、レ、」
「レヴァだ」
「そう、そいつに言ってみればいい」
シュベルトの出した二択を、クロウは妥当なものだと思った。
「……しかし、お前、ただ自分が剣を振るいたいだけではないのか」
「最近全然手ごたえのあるヤツに出会わなくてな。それに、うじうじ悩むよりそっちの方が早いだろ」
「まあ――確かにな。その賭け、乗ろう」
に、と笑った男に、クロウも屈託をなくして笑みを返す。
その胸中にいまだ鬱屈はあれど、今この男の力強さに、彼女の心は力を分け与えられたようだった。
「わたしも、しばらく本気を出せていなかったからな」
「おいおい、なまらせてんなよ? 俺がつまんねえからな」
「お前のことは知らないが――どんな強敵であろうとあるじをお守りする。そのために、錆びつかせはしない」
クロウはどこからともなく己の愛剣を取り出してきて、告げた。
男も防具をつけないものの、立ち上がり己の剣に手を伸ばす。
得物を手にした二人は外へ出、空を見上げる。
雨は、随分弱くなっていた。




