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黒水晶の竜  作者: 隠居 彼方
第2部 修復士と復讐の女戦士

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15 黒竜と兄弟子①



 ――ここも、雨なのか……。

 わたしが連れて来てしまったみたいだ。


 クロウはそう、ぼんやりと思った。


 彼女が影の中を通ってやって来たのは、もうひとつの彼女の家。

 師である白竜の隠家の一つであり、ヴィゼと再会するまで白竜と暮らしてきた場所だ。


 <黒水晶>の本拠地ほどではないが結構な広さがある家には、ダイニングキッチン、師の寝室、クロウの寝室、客室、書庫、魔術研究兼実験室、といった部屋が揃い、浴室なども当然きちんとしつらえてあった。

 外には小さいが庭もあり、それとは別に剣の稽古も行えるようになっている。

 白竜はこれらを全て結界で覆って、決められた者以外には家の存在を気付かれないようにしていた。


 それもあって、ここはある意味では本拠地以上にクロウにとって落ち着ける場所である。

 ここならば、黒竜という存在が誰かの迷惑になることはないからだ。


 それに、クロウが様々なことを学び、修行をしてきたのはここだった。

 この場所で過ごしてきた年月が、クロウにここも居場所なのだと思わせてくれる。

 白竜が受け入れてくれた、その記憶がここも家なのだと告げる。


 けれど白竜が亡くなって、クロウはひとりになってしまった。

 この家はひとりで暮らすには広すぎる。

 だからクロウはここを出て、それからずっとヴィゼの影の中にいた。

 <影>に任せるのではなく、自分自身がヴィゼの側にいたいという思いも強かった。


 そうして彼女は、もう一つ、ずっと望んできた家を手に入れたのだ。

 ヴィゼの隣という居場所。


 それを失わないために、クロウはこの場所に戻ってきた。

 ここでクロウは生きていく力を手に入れた。

 ここならば、クロウの求める強さを手にする、そのヒントだけでもくれるのではないか……。

 そう考えたのだ。


 クロウは窓の外の雨の風景から目をそらし、部屋の中をぐるりと見渡した。


 彼女がいるのは自身の寝室である。

 <影>が定期的に掃除をしてくれているから、埃も積もっておらず綺麗なものだ。

 ベッドも整えられており、その枕元にはぬいぐるみがずらりと並んでいる。

 可愛らしいぬいぐるみたちは、白竜が作ってクロウに贈ってくれたものだ。


 クロウが師とする白竜はクロウを溺愛し、こうしてぬいぐるみや何やらを自作しては贈ってくれた。

 このベッドとてクロウが眠った回数は多くなく、白竜の生前は、一緒に寝ようと毎日のように白竜の寝室に引きずられていったものだ。

 白竜はそうやって、クロウにずっと与えられてこなかった愛情を注いでくれた。

 そんな懐かしい日々を思い出し、クロウは目を細める。


「会いたい、な……。ディーア……」


 ふと漏らしてしまい、クロウは溜め息を吐いた。

 ふるふると首を振って、寂しさを胸にしまいこむ。


「――あ」


 そんな彼女の目に留まったものがあり、クロウはぬいぐるみの方へ手を伸ばした。

 正確に言うと、ぬいぐるみの間に隠すように置かれたものへと。

 彼女の手が持ち上げたそれは、竜の彫刻がされた小さな木箱。

 ケルセン領の廃城で、ケルベロスから託された品である。


「すっかり忘れていた……」


 呟いて、クロウはその箱を開けようと力を込める――が、蓋はぴくりとも動かない。

 そう、竜のクロウがどんなに力を入れても、箱は開かなかったのだ。

 いっそのこと、と剣を持ち出してみたが、全く刃を受け付けなかった。

 鍵穴がないので鍵が必要というわけではないだろうが、どうやら魔術で封印されているようで、決められた手順を踏まなければ開かないようだ。

 クロウはあまりそうしたものは得意ではなく、あれこれ頭を捻って試してみたが、結局開けられないまま現在に至る。

 開けるのは急がずとも良いのだからととりあえず後回しにし、今もこの箱のことに集中するには、クロウに余裕はなかった。


 クロウは再度溜め息を吐き、箱をぬいぐるみの間に置き直す。

 自分の情けないところがさらに認識されたようで、余計に落ち込んできた。

 このまま自室にいても感傷や寂寥にまた立ち上がれなくなりそうで、静かに部屋を出る。


 クロウはそのまま、書庫に行こうか研究室に行ってみようかと歩きながら悩んだが、すぐにぴたりと足を止めた。

 結界のわずかな揺らぎを感じたのだ。

 次いで、彼女のよく知る気配が近付いてくる。


「……くっそ、ぐちゃぐちゃだぜ!」


 悪態を吐く低い声が聞こえ、やってきた人物を見ずとも雨にひどく濡れたのだろうということが分かり、クロウは一瞬口元に笑みを見せた。


 踵を返し、居間から玄関へと足を向ける。


 二十代後半くらいの、大きな男がそこにいた。

 鎧を脱ごうとしていたその男はクロウに気付いて顔を上げ、眉を顰める。


「なんだお前、戻ってたのかよ」

「ああ。――久しぶりだな、シュベルト」

「おう」


 ぶっきらぼうに頷き、クロウにシュベルトと呼ばれた男は堪えきれずくしゃみをした。






 男はいかにも重そうな鎧を一式、玄関の床に無造作に置いていく。

 彼――シュベルトは、エイバよりも身長があり、非常にがっしりとした体躯の持ち主で、鎧もその彼にぴったりのものだ。

 立てかけられた剣も長く、相当な幅がある――いわゆるグレートソードと呼ばれるものである。

 相変わらず大きすぎて斬りづらそうな剣だ、とクロウは思うのだが、この男はこの大剣を片手で器用に振り回すのだから恐ろしい。

 だがそんな凄まじいまでの剣士も、今はただの濡れ鼠である。


「障壁を張って来れば良かっただろう」


 寒そうにしているシュベルトに呆れたように言いつつ、クロウはタオルと着替えを出してやった。


「雨くれえで障壁使えるか」

「……相変わらず、戦闘時以外では細かい制御が苦手なのだな」

「うっせ」


 唇を尖らせた男の髪から、ぽたぽたと水滴が落ちた。

 顔に張り付くその髪は黒い鋼のようであるが、その中に幾筋か白銀が混ざっている。

 その前髪の下に見える瞳は黒。どこか獣の獰猛さを秘めた色である。

 その体躯と、瞳と。大層な威圧感があって他人を寄せ付けない雰囲気だが、しかし男の顔の造作は整っていて、精悍だった。

 胸をときめかせる女性もさぞかし多いのだろうが、クロウは特に何とも思わず、男の着替えを観察する趣味もないので、ただくるりと背を向け、男が着替えている間に濡れた床を拭き、キッチンで茶を淹れてやった。


「ほら」

「サンキュ」


 クロウはカップを居間のテーブルに置き、その周りを囲むように置かれた一人掛けのソファに腰掛けた。

 髪をタオルで乱暴に拭きながら、シュベルトもその隣の二人掛けのソファに腰を下ろす。


 ――変わらないな。


 シュベルトが座ると二人掛けソファも小さく見えてしまう。

 そんな男を横目に、クロウは懐かしさと罪悪感を懐いた。


 この男と最後に顔を合わせたのは、もう半年ほど前のことだ。

 だがクロウが気にするのは男と会わなかった時間ではなく、彼と会わない間に白竜が亡くなったということだった。

 白竜を看取ったのはクロウひとり。

 そのために男がクロウへの態度を変えるかもしれない、と彼女は構えていたのだが、どうやら杞憂だったようである。


 この家へ当然のように出入りを許されていることから分かるように、シュベルトも白竜に限りなく近しい人物だ。

 クロウにとっては兄弟子のようなものである。

 だがクロウは白竜の意思に従い、その命が失われつつあった時にそれを誰にも告げなかった。

 だから男がクロウに隔意を抱いても、決しておかしなことではないのだ。

 けれど男は変わらない態度で、そのことがクロウを安堵させた。


「――シュベルト」

「なんだよ」

「メディオディーアのこと、黙っていたこと、謝る」

「そりゃ、お前が謝ることじゃねえだろ」


 頭を拭く手を止め、タオルを首にかけた男は、簡単にそう言って茶をぐびぐびと飲み干してしまった。


「口止めされてたんだろ。むしろ、全部お前に押し付けて悪かったな」


 まさか逆に謝意を示されるとは思わず、クロウは瞬く。


「いや……」

「あの女も、何考えたんだかな。俺ら兄弟にくらい何か言っていきゃあいいのによ」

「そんな呼び方はよせ。彼女がいたら仕置きされているぞ」

「もういねえんだろ」

「……」

「……まだあんま実感できてねえんだけどな」

「シュベルト、」

「あの白竜サマだぜ? 全然くたばりそうになかったからよ。正直、あの手紙をもらった時は冗談だと思ったぜ。けど、ここに来ても誰もいねえから――」


 と、男はカップを置き、顔を上げた。


「お前はどうしてたんだ? 相続がどうこう書かれてたが、あの女に言われてどっかに隠れてたのか?」

「わたしか? わたしは……」


 クロウはもじもじと両手の指先を絡ませた。

 シュベルトはクロウが白竜の元に至るまでの経緯を知っている。

 だからこそ正直に申告するのは気恥ずかしかった。


「その、今、な……。あるじのところにいる」

「いつも通りじゃねえか」

「いや――そうではなく、な」


 クロウが変わらずヴィゼの影の中に潜んでいる、と男は思ったらしい。

 それも全くの間違いではないのだが、クロウが伝えたいのはそういうことではない。


「あるじのクランに、いるんだ」

「……あぁ!?」


 シュベルトはすっとんきょうな声を上げて驚いた。

 その反応も過剰なものではない、とクロウは身を縮めて思う。

 クロウはずっと、「あるじにはきっと疎まれている。顔なんか見せられない。でもずっとお守りする」と言い続けてきたからだ。


「その、実はな……」


 クロウはかいつまんでクランに所属することになった経緯を説明した。

 仲間たちがクロウの正体を知って受け入れてくれたことも含めて。


「そりゃ……良かったな」

「うん……」


 シュベルトはぬっと手を伸ばし、クロウの頭を掻きまわした。

 そのせいで、クロウは男の目に複雑な感情がよぎったのを見逃す。


 クロウは抗議の色を瞳に乗せてシュベルトを睨みつけたが、男はそれに気を良くしたように笑い、その小さな頭から手をどけてやったのだった。




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