13 黒竜と雨の朝
みじめだ。
クロウは暗い気持ちで、折れた木剣を眺めた。
いつも通りに振る舞おうと決めた。
今は依頼達成に集中しようと決めた。
それなのに、ヴィゼとエテレインが並んでいる姿に動揺してしまった。
鍛錬の最中だったのに、そのことを忘れた。
何という愚であろう。
その上、エイバにその隙を突かれ、一瞬本気の力を出してしまった。
木剣が折れてしまうのも当然の力を。
あのまま折れた剣が、拳が、エイバにかすりでもしていたら、彼の命を奪っていたかもしれない。
腕を何とか引き寄せられたから良かったものの、間に合っていなかったら、レヴァーレの障壁があっても危うかった。
クロウの本気は、鍛錬で使用する程度の障壁など簡単に破壊してしまえるが故に。
「おい、クロ、大丈夫か?」
「……ああ」
エイバの強張った声に、クロウは顔を上げる。
彼は傷一つなく無事で立っていた。
クロウは表に出さず、ほっと息を吐く。
「すまない、少し気を抜いてしまった」
「おいおい……。お前は気を抜くと剣を折っちまうのかよ」
「そうらしいな」
クロウは肩を竦める。
動揺を隠すように、何でもないふりをした。
ゼエンが手を貸そうとしてくれるが、それを断って立ち上がる。
レヴァーレも心配して怪我はないか尋ねてくれたが、大丈夫だ、と微笑んだ。
そこに、ヴィゼたちも駆け寄ってくる。
「クロウ――」
「あるじ……!?」
クロウが目を見開いたのは、ヴィゼが全く雨を避ける手段を講じていないからだった。
クロウたちがレヴァーレの障壁で雨に濡れていないように、ヴィゼも魔術で濡れずにいられるはずである。
それなのに彼は濡れながら近付いてくる。
「あるじ、雨が、」
「――そんなことより、クロウの方が、」
ヴィゼはクロウの言葉を遮った。
その後ろでレヴァーレが、ヴィゼと続けてやってきたエテレインの頭上に見えない障壁を作り、冷たい雨から彼らを守ってやる。
それで少し視界がマシになって、クロウの顔が先ほどよりよく見えたヴィゼは、頭を冷やした。
クロウはどこか傷ついた様子でヴィゼを見上げている。
言葉がきつすぎたか、と彼は反省した。
「……いや、ごめん。いつもはエイバがのされる方だから、びっくりして」
「おいヴィゼ、もっといい言い方はねえのか」
「ごめん。でもエイバは打たれた方が奮起できるよね」
「その言い方も被虐趣味の汚名を着せられそうなんだが、わざとかリーダー?」
ヴィゼは空とぼけた顔をして、メンバーの表情を和らげた。
いつもの調子で合わせてくれたエイバに、ヴィゼは感謝する。
「ま、でも驚きもするよな。剣はこんなだし、クロがあんな転び方すんのは初めて見たし、オレもびびった」
「……すまない」
エイバの口調は軽いが、心配がその眼差しに表れていた。
クロウの胸がちくりと痛む。
愚かしい失態に、その心配は過分なものだと思った。
だが、クロウを気遣うのはエイバだけではない。
「クロウ、怪我はないんだよね?」
「うん、大丈夫だ、あるじ」
「でも顔色が悪いな……」
「いや、わたしは、」
クロウの顔を覗き込むように、ヴィゼは膝を折った。
間近にヴィゼの顔があって、クロウは息を詰める。
ヴィゼの顔には「心配だ」とありありと書かれていた。
エイバの言う通り、鍛錬や討伐の最中、クロウがこのような姿を見せたことはこれまでにない。ヴィゼがこうして案じるのも致し方ないことだった。
クロウは己の身を顧みないところがあると知っているから、余計に。
それは他の仲間も同じで、ヴィゼの後ろからクロウの顔を覗き込んだゼエンやレヴァーレも気遣わしげにヴィゼに同意する。
「そうですなぁ、確かに」
「うん、なんや具合悪そうやで。今日はちょっと休んどった方がええんやない?」
寝不足の感はあるものの、それ以外は特に体に不調を感じていないクロウはふるふると首を振った。
「わたしは大丈夫だ。それに、依頼がある」
「クロウさん、無理なさらないでください」
エテレインにまで言われてしまい、クロウは閉口する。
先日無理をしないようにと告げたのはクロウだったのに、その立場は今や逆転してしまっていた。
「一昨日も昨日も、わたくしたちを連れて頑張ってくださったのですから、少しくらい……」
五対の眼差しが案じてくれていて、クロウはそれ以上意地を張ることができなくなった。
心配させてしまったことが申し訳なく、気遣いがひどく胸に沁みて。
クロウはただ、こくりとひとつ頷いた。
雨はまだ降り続けている。
それでも少し空が明るくなって、<黒水晶>の仲間たちはアディーユ捜索のため街の外へ出かけて行った。
雨ということもあって留守番となったエテレイン、サステナ、ラーフリールは、家事をこなしたり勉強をしたりして過ごすことを決める。
そしてクロウは、仲間たちの言に従い今日はゆっくりする、と部屋に籠った。
とはいえ実際には体調は悪くないのだ。
ひとり仕事に行かないことを気に病み、クロウは余計に鬱々としていた。
ベッドの上で膝を抱え、彼女は溜め息を吐く。
仲間たちの心配は、とても嬉しいのだ。
ヴィゼと出会う前のクロウには、望むべくもないものだったから。
ずっと欲していたものだったから。
だから、当然のように仲間たちから与えられる優しさには、涙さえ零してしまいそうになる。
だが、その優しさに自分は見合う存在だろうか、とクロウは思ってしまうのだった。
あんなささいなことで心を揺らして。
心配と迷惑をかけて。
ただでさえ、黒竜であるこの身は仲間たちに高いリスクを負わせているというのに。
そんな自分が情けなくて、不甲斐なかった。
師にたくさんのことを教わって、強くなれたはずだった。
そう、クロウは確かに手に入れたのだ。守りたいものを守れるような、強い力を。
けれど、心までは強くなれなかった……。
クロウはその考えに、ぎゅっと体を縮める。
――またひとりになるのが、怖い。
ヴィゼが離れていってしまうことが、怖い。
ヴィゼの側にいられなくなることが……。
怖い、怖いと怯えていて、だからヴィゼの隣に他の女性が立っていて、動揺するのだ。
恐れる未来を見せられるようで。
クロウには決して手に入れられないものを手にする存在が。
クロウから一番大切な存在を奪う相手が。
憎らしく、厭わしく、妬ましい――。
こんな思いを抱える自分は、なんて醜いのだろう。
なんて卑小なのだろう。
できることなら、ずっとずっとこんなちっぽけな自分からは目をそらしていたかった。
けれどもう、それは無理なのだ。
暴かれてしまった。
眼前に突き付けられてしまった。
直視した己の弱さに、醜さに、クロウは対処しなければならない。
ヴィゼに、仲間たちに、見合わない自分でも。
それでもクロウは、ここにいたいと強く願っていたから。
皆と在り続けることを、諦めたくないから。
そのために、クロウは強くならなければならなかった。
だが、どうすれば強くなれるというのだろう――。
「メディオディーア、どうか……」
教えてほしい、と。
ブレスレットの上から左手首を握って、クロウは亡き師に請うた。
答えは返らない。
けれど探すことはできる。
クロウは心を決めて、影の中に体を沈めていった。
そして、無人の部屋に、ただ雨の音だけが響く――。




