10 黒竜と動揺①
翌日、アディーユ捜索二日目である。
さすがに二日続けて寝坊するという醜態を晒すことはなく、エテレインは<黒水晶>のメンバーと朝食をとった。
本拠地を出るのも全員同時で、それぞれ昨日と同じ担当区域へ向かう。
協会での用を済ませたレヴァーレだけは別で、セーラと共に街の外へ赴くこととなった。
「今日もがんばりましょう!」
「はい、ラフちゃん!」
ラーフリール、エテレインは意気揚々と道を行く。
エテレインは筋肉痛がつらそうではあったが、アディーユに会うのだ、という思いに揺らぎはないようだ。
そんな彼女を見ていると、やはりクロウは応援したい、という気持ちにさせられるのだった。
――それにしても……。
昨日に引き続き視線が煩わしい、とクロウは思った。
エテレインが道行く人々の注目を集めているのである。
それは彼女が並々ならぬ美貌の持ち主であるからだが、戦士たちの多いこの街をお嬢さま然とした彼女が歩いている、というのが目立つからでもあった。
しかも、同道しているのが負けず劣らずの美少女であるクロウだ。
老若男女問わず足を止めてしまうのは仕方のないことと言えるだろう。
――見てくるだけなら、まだマシだが……。
問題は、彼女たちに不埒な理由で声を掛けようとしてくる者たちだった。
声を掛けたいと思っても気後れする者が大半で、行動に移せる者はかなり少ないのだが、それでも時折不用意に近付いてくる輩がいるので、クロウは神経を尖らせていた。
祭の前でキトルスに人が増えているせいもあるのだろう。クロウたちに近付いてくるのは、十中八九街の外からやってきた者たちだった。
というより、キトルスに住み続けている者は、たとえ不届きな思いを抱いたとしても、クロウたち一行の中にラーフリールを見つけた時点で、迂闊に近寄ることなどできなくなる。
子連れという事実が相手を怯ませるのもあるが、それ以上にラーフリールがレヴァーレの娘であることが彼らを押し留めるのだった。
医療術師であるレヴァーレは戦士だけでなく一般の人々も診察する機会があり、彼女に世話になった者は結構な数に上る。
ラーフリールがレヴァーレの娘であることを知らずとも、その容姿から親類関係にあるのは明らか。そんなラーフリールと共にいる女性たちにちょっかいをかけてレヴァーレの心象を悪くするのはまずい、と浮かれた熱が冷めるのだ。
それだけでなく、<黒水晶>は人数こそ少ないものの、この街において有力なクランの一つ。
ラーフリールは毎日のようにゼエンと街に出ていることもあり、そんな<黒水晶>の被保護者として認められている。
そのラーフリールに下手に近付いて、<黒水晶>だけでなくその周囲を敵に回したくはない、とある程度頭の働く者は自制したのだった。
たとえ誘惑にかられても全員が全員そのように賢明に振る舞うようならばクロウももう少し気を楽にしていられたのだが、残念ながらそうはいかなかった。
キトルスの者であっても、無知であったり恐れを知らぬ強心臓の持ち主であったりして、ふらふらと近付いてきたりする。
クロウはそうした者たちを容赦なく害虫と判断して、しばらくの間行動不能にしてやった。
ほんのわずか竜の殺気を浴びせるだけなのだが、軟派な連中がそれに平然としていられるわけがない。
普段から戦いに赴いている戦士たちでさえ、相当のプレッシャーを感じるものなのだ。
それを同行者には覚られないように、クロウはやってのける。
つまらないことで一生懸命なエテレインたちを煩わせたくはなかった。
そのようにクロウとラーフリールの存在に守られながら、エテレインたちは聞き込みを進めていった。
途中、住宅街の中につくられたガレットの店に立ち寄り、昼食をとる。
それもエテレインには初めてのことで、店の中を見、注文をし、とひとつひとつに目を輝かせていた。
最後に我に返り気を引き締め直す、とくるくる表情を変えるエテレインを、サステナが仕方ない、と言いたげに、けれどどこか安堵したように見つめる。
アディーユがいなくなってから、エテレインはずっと塞ぎこんでいた。
だが、<黒水晶>を訪れて、エテレインは笑うことを思い出したようだ。
それが、サステナには嬉しい。
サステナも、アディーユが何も言わずに行ってしまったことを寂しくも残念にも思い、戻ってきてほしいと願っていた。
だが一方で、アディーユがエテレインのために離れていったことを感じ取っていて、主ほどには捜索に熱心になれない。
エテレインに従うままアディーユを探しているが、これで本当に良いのかどうか、分からないままだ。
だが、<黒水晶>を頼ったことは間違いではなかった、と思った。
日々俯いていたエテレインが顔を上げ、こうして心を見せてくれているのだから。
そんな気持ちを表に出さず、サステナは作りたてのガレットを口に運ぶ。
「これは……美味しいですね」
「チーズが良いな。きのこのものもよく合っている」
「デザートも食べたくなりますね」
「こんどゼエンさまともいっしょに来たいです……」
四人はそれぞれ別のものを頼み、分け合って食べた。
それは誰もが思った以上に楽しい一時となり、四人はままならない捜索のことをこの時だけ忘れた。
一行は腹を満たした後、捜索を再開する。
しかし、やはり易々と目撃情報が入ってくることはない。
午後、昨日と同じ時刻まで粘ってみるが、成果はゼロ。
さすがに二日間歩き回って何もないと、そうなるだろうと分かっていてもがっかりしてしまう。
そんな心情を分かりやすく顔に出しているエテレインとラーフリールに、クロウは言った。
「帰る前に買い物に寄らせてほしい。御大から頼まれたものがあるんだ」
その言葉に、従叔母と従姪はあからさまに張りきった。
ラーフリールが顔を輝かせた理由は言わずもがな、エテレインは少しでも役に立てることが嬉しかったし、何のかはともかく店に立ち寄れることに心が躍ったのである。
ゼエンにはおそらく、肩を落とす二人の姿が予想できていたのだろう。
そうと分かって、クロウとサステナは苦笑を浮かべた。
ゼエンが買い物を頼んだのは、パンだった。
時間がある時は自分で焼いてしまうのだが、さすがにこの一週間は無理そうなので、明日の朝の分まで買ってきてほしい、という。
一行はラーフリールおすすめのパン屋に寄ることにした。
戦士たちが依頼を終えた後で立ち寄ることがあるので、そのパン屋は割と遅い時間まで開いているらしい。
焦らず四人は大通りまで戻り、そのこぢんまりとした店舗を前にする。
ラーフリールは目を輝かせるエテレインの手を取り、そのドアを開けた。
サステナの後ろからクロウもそれに続こうとし、声をかけられる。
「クロウさん、クロウさんじゃないですか!」
名を呼ばれて振り向けば、何度か顔を合わせたことのある少年がいた。
クラン<抗世>に入ったばかりの、駆け出しの剣士。
未熟ではあるが、腕を磨くことに真面目で前向きな性格から、先輩戦士たちに可愛がられている。
ヴィゼに護衛としてついて行った先で言葉を交わしたことはあるが、街でこのように笑顔で話しかけられたことはなく、クロウは戸惑った。
無視するわけにもいかず、言葉を探す。
「……仕事の帰りか?」
「そうなんですよー。で、討伐数が一番少なかったオレがおつかい頼まれちゃって」
少年は無邪気に笑い、そして。
爆弾を、投下してきた。
「でも、ちょうど良かった。すっげえ気になってたことあって。皆で<黒水晶>のこと話してたんですけど、ヴィゼさん結婚するってホントですか?」
あっさりと放たれたその言葉の意味を、一瞬の後、理解して。
クロウの思考は、停止した。




