08 黒竜と捜索任務①
「お嬢様……、エテレイン様、そろそろ起きられませんか?」
「んー、サステナ、もうちょっと……」
「そうなりますと確実にお昼は過ぎてしまいますが、よろしいですか?」
「おひる? ……お昼? うそっ!?」
落ち着きの中に呆れを含ませたサステナの声に、エテレインは飛び起きた。
サステナの顔を見、窓の外を見る。
確かに太陽は高い位置にあった。
衝撃を受けたようなエテレインとは対照的な様子で、サステナは侍女として主の身支度を進める。
「疲れていたのでしょうね」
と、侍女は一言だけフォローした。
「み、皆さまは……」
「もうとっくにお出かけになられました。クロウ様とラフ様はいらっしゃいますよ。お二人の昼食と、お嬢様は朝食をご一緒することになりますね」
やってしまった、とエテレインは頭を抱える。
確かに疲れてはいたが、いくらなんでも寝坊しすぎだった。
せめて見送るくらいはしたかったというのに……。
しょんぼりしながら、身支度を整えたエテレインはサステナを伴い一階へ下りた。
エテレインたちが<黒水晶>を訪ねる際は、いつも二階の食堂真上の部屋を使わせてもらっているのだ。
本拠地の二階は、エイバたち家族が使う部屋以外、客室ということになっている。
とはいえ、客人にそれらの部屋を使ってもらう機会はほとんどなく、食堂真上の部屋はエテレインたちの専用と言って過言ではなかった。
最初に今の部屋を案内された際、エテレインはその小ささに仰天したものだったが、今ではメトルシア家の己のベッドよりいくらか質の落ちるベッドでもぐっすり眠れるようになっている。
今朝はそれが、彼女にとっては仇になったようだった。
「お、おはようございます?」
エテレインはそろそろと食堂の入口から中を覗く。
スープの良い匂いが廊下まで流れてきていて予想はしていたが、食堂ではクロウとラーフリールが食事の用意をしていた。
テーブルのセッティングはほぼ終わっていて、食事に間に合うようにサステナがエテレインを起こしに来てくれたことが窺える。
「あ、レインお姉さん、おそようですよー」
「おはよう。よく眠れたようだな」
「は、はい……。その、すみません、わたくしだけゆっくりしてしまって……」
「構わない」
疲れていたというのもあるだろうが、ひとまず<黒水晶>に依頼を受けてもらえてほっとしたのだろう、とクロウは思っていたし、それは他のメンバーも同じだった。
だから彼らが出かける際、サステナがエテレインを起こそうとしたのを、全員で止めたのである。
「レインお姉さん、すわってくださいー。ちょうどじゅんびできましたから、みんなで食べましょう」
「ありがとう、ラフちゃん」
女性四人で食卓を囲んだ。
ラーフリールが嬉々として話をしてくれ、気まずい食卓にはならない。
彼女が機嫌よく話をするのは、午前中勉強したことについてである。
メンバーが依頼のために出かけてから、クロウとラーフリールは家事を済ませ、勉強会をしていたのだ。
もちろんクロウが教師で、ラーフリールが生徒の勉強会である。
ゼエンがいない時、他のメンバーが代わりに教師役をすることはままあって、クロウも今回が初めてではなかった。
「だいいへん、っていうのを教えてもらったんですよ。その時に人間はぜんぶいなくなりそうになったけど、がんばって今みたいになったんですよね。いったいなにがあったのかなぁとか、ずっとずっと昔はどんなふうだったのかなぁとか、話してたのです」
「ラフちゃんは、何があったと思います?」
「んーとですね、だれかがまじゅつをしっぱいしちゃったのかもしれないのです。昔はもっといろんなまじゅつがあったって、ゼエンさまもヴィゼさんも言ってました」
「そう……」
もっと子どもらしい夢のある(?)回答が返ってくるかと思って問いかけたエテレインは、学説の一つを挙げられて目をぱちくりとさせた。
五千年程前起こったとされる大異変。
世界が消滅するほどのことがあった、と大層に伝えられているが、実際のところ具体的に何が起きたのかは分かっていない。
記録らしい記録が残っていないのだ。
大陸の一部が消滅し、人類は滅亡しかけたというから、それも当然なのかもしれない。
その際に古文字もかなりの数が失われ、古式魔術を用いた復興が困難となり、人類が繁栄を取り戻すのに相当の年月が必要になった、という。
ヴィゼとヘセベルが話していたように、エーデとナーエの境界がなくなるようなことになれば大異変の再来と呼ばれることとなるかもしれないが、今の時点でそんな可能性があると知るはずもなく、ラーフリールは無邪気に首を傾げた。
「レインお姉さんは、なにがおきたと思いますか?」
「わたくしはやっぱり、あちらの世界がぶつかってきた、というのが有力だと思いますけれど……」
「そうですね。私もその説が最も説得力があるように感じます」
エーデの世界にナーエの世界が接触した。
それが大異変である、というのが現在の定説なのだ。
それを口にしたエテレインに、サステナも同意した。
「クロウさまはどう思われますか?」
「……そうだな、わたしは、ラフの意見が正解に近いと思う」
「何らかの、複雑な、もしくは大規模な古式魔術の失敗によるもの、ということですか?」
「失敗とは限らないのではないか?」
「誰かが狙ってしたことだと?」
「消失した大陸の北の大地はほぼ平行に切り取られているからな」
この世界の真ん中に位置すると考えられているこの大陸。
誰も果てを知らないという海に浮かんだその形は、元々は菱形であったという。
しかし大異変が起き、北の大地が消滅した。
そのため現在の大陸は五角形なのだが、クロウの言う通り、北の大地が海と接する境界線は、五千年の時を経てもはっきりと分かるほど真っ直ぐなのである。
それ故に、クロウの言うような説を唱える者も、多数派ではないがいるのだった。
「もしそうだとすると、その誰かは何故そんなことをしたのでしょうね」
それが、その説のネックとなる部分であり、学者たちの想像をかきたてる点でもある。
難しい単語がちらちらと出てきてむむむと顔を顰めたラーフリールだが、そんなエテレインの問いを理解して、こう力説した。
「だれかを助けようとしたのかもしれないですよ! おひめさまがさらわれて、助けにいったおうじさまがばーんと!」
「それは……」
真面目な話が、今度は急におとぎ話になる。
王子様、仮の話でもそれは迷惑すぎる、とエテレインは笑みを引きつらせた。
「ラフの王子様にも、今日勉強したことを伝えておかなくてはな」
「えへへへ、はい」
赤くなって笑うラーフリールはとても可愛く、王子様ばーんのことはすぐに忘れて、エテレインは従姪の頭を撫でたのだった。
「この後の予定なのだが」
食事を終えて、クロウはエテレインを相手にそう切り出した。
キッチンではラーフリールとサステナが皿洗いをしてくれている。
二人にはもう話をしてあったので片付けを任せ、エテレインにそのことを相談することにしたのだった。
「わたしはレイン殿の探し人の顔を知らない。それで、特徴などを聞かせてもらいながらいっしょに探してはもらえないだろうか。あるじも、レイン殿が協力してくれるならそう頼みたいと言っていた」
「えっ、あっ、はい!」
それはエテレインにとって願ってもない提案だった。
ここでじっとしているだけなのは辛いが、かといって手伝うにも足手まといになってしまうと考えていたのである。
「できることならなんでもします。ですが、わたくしがいっしょではクロウさまの迷惑になってしまうのでは?」
「魔物討伐に行くならその通りだが、今回は人探しだからな。さっきも言ったが、わたしは探し人を知らない。それで、よく知っているレイン殿や侍女殿に話を聞きたいんだ。ラフもいっしょだが、道案内を頑張ってもらいたくて」
クロウはまだこのキトルスの街を完全には把握していない。
ラーフリールが行くと言ってくれたので、生まれた時からこの街で暮らす彼女に案内を頼んだのだった。
「では、この四人で出かけるのですね! 頑張ります!」
「うん……、だが、無理はしないでくれ。共に来てくれると助かるが、レイン殿や侍女殿の体調や気持ちの方が優先だから」
アディーユ探しをするならば、エテレインたちが同行してくれると助かるというのは本当だ。
アディーユその人を実際に知らないという不安要素はそれなりに大きい。
けれど、クロウは影に潜んでどこにでも行けるし、己の写し身を使うこともできるから、アディーユの特徴をしっかりと聞いておきさえすれば、一人の方が効率が良いといえば良いのだった。
何より、クロウがヴィゼに任されたのはアディーユのことより、エテレインたちを守ることだった。
護衛をつけていない彼女たちに何かあれば、メトルシア家と<黒水晶>との間にさらなる確執が生まれてしまうことになりかねない。
ヴィゼはそれを防ぎたいのだろう、とクロウは推察していた。
――あるじはいつも、色々な可能性を考えているからな……。
昨晩のヴィゼは「信頼関係を築くために」と告げたが、その他にも様々なことを勘案していたのだろう。
どこか曖昧に微笑んでいたヴィゼの顔を、クロウは脳裏に描く。
――全部汲み取れて、全部わたしが力になれればいいのに……。
そうもいかないので、一つずつでもやり遂げようと、クロウは目の前のエテレインを必ず守ることを胸に誓う。
そんな、無表情の下にあるクロウの決意を知らず、エテレインはにこりと微笑んだ。
「分かりました。クロウさま、よろしくお願いします」
「こちらこそ」
そういうわけで、四人でチームを組みアディーユを探すこととなったのである。




