07 <黒水晶>と侯爵家③
「……すごいな、ラフは」
今よりまだ幼かったラーフリールが自力で脱出しようとしたとは、恐れ入る。
当時のラーフリールの状況を想像し、己の想いから目をそらしたクロウは心の底から言った。
だが、過去にラーフリールがそのような事になっていたというのなら、インウィディアがしでかしたことは、とクロウの胸中は暗澹とする。
強力な力を欲したあの男は、ラーフリールを人質にした。
あの時彼女は傷つかなかったし、記憶もないようだが、過去を追体験させるようなことに巻き込んでしまった、とクロウは自責の念にかられる。
何か自分にできることがあれば、とクロウは今後その機会があれば逃さないと決めた。
クロウがゼエンとの時間を増やしてくれたと、ラーフリールは既に大満足しているのだが、クロウにその自覚はない。
「ホンマになぁ……」
レヴァーレはクロウの一言に目を細める。
「それに、レインもな、箱入り娘なのによう頑張ってくれたわ。力づくでラフを取り返すこともできたけど、それをしとったらメトルシアと全面戦争みたいになっとったかもしれん。そうならんかったんは、レインがクソジジイを止めてくれたからや。ラフをうちんとこに帰さんと自分も帰らん、また同じことを繰り返したら家を出る言うてな」
「では、それ以来メトルシア家は大人しくしているのだな」
「一応な。けど、油断は禁物や。あのクソジジイのことやから、またなんやあくどいこと仕掛けてくるかもしれん」
そうなのだろうか。
レヴァーレは祖父を悪い方に捉えすぎているように感じて、クロウは首を傾けた。
もちろん子どもの拉致という手段は許し難いものであるが、細かい事情がクロウには分からないし、他のメンバーの態度がクロウに疑問を生じさせた。
「……エテレインさんが抑えになってくれてる限り、基本的に彼女にばれてまずいことはしないと思うけどね」
ヴィゼはそんなクロウの思いを読み取ったように、中立的な視線で述べる。
「それに、やっぱりラフの拉致はやりすぎだった。ラフは協会支部本部部長の孫でもあるからね。あの時も、本部長が私情で協会を動かすようなことはなかったけど、メトルシア家は敵対する気かって、事情を知って警戒を露わにした職員は少なくなかった。逆に<黒水晶>に同情的な人、味方をするって人は多くて有り難かったよ。今じゃラフを可愛がってくれる人はあの時より多いし、<黒水晶>に対する信頼も大きなものになってる、と思う。今度喧嘩を売ってきたら協会を完全に敵に回すことになるって、それはあの人も十分承知しているはずだよ」
「それに、ラフが『おじいちゃんきらい』って言って地味にダメージ受けてたしな。エテレインさんから軽蔑の視線を向けられて、ラフに泣かれて、もう何かするような気力は残ってねえんじゃねえかな」
「……本当に孫と曾孫に弱いのだな」
「そりゃあもう」
その台詞は、見事に四人の声が重なった。
「そういうところがあからさまやったから、うちも一応和解に頷いたんや。あんま溺愛甚だしいと、それはそれで何かあった時妙な暴走しそうやけどな」
「そうだな……」
「そうですなぁ……」
この時エイバとゼエンがちらりとヴィゼとクロウに視線を向けたが、二人は気付かなかった。
「ま、とにかく、うちとメトルシアの関係はそんなとこやね。狸ジジイの目が光っとる、いうのをクロやんに知っといてもらいたかったわけやけど、ホンマ長い話になってもうたなぁ」
「おかげで把握した」
クロウは生真面目な顔で頷いて、それから少しばかり不安そうな色を瞳に乗せた。
「……その、わたしのことは、」
「それはな、全然問題ナッシングやから! な、ヴィゼやん!」
美少女の憂いを帯びた眼差しに、レヴァーレは慌ててヴィゼに同意を求める。
ヴィゼも先ほどできなかったフォローをと、すぐに口を開いた。
「うん、大丈夫だよ。メトルシアが知っているのは、クロウといっしょに仕事をした他クランの人たちと同じようなことだけだから。これからも、万が一にも気付かれるようなことはないと思う。クロウの人化は完璧だし、ここの結界も十全に機能しているから。安心して」
「……うん」
「クロウがここにいられなくなるようなことは、絶対に許さないから」
とどめのように、ヴィゼは言い切った。
クロウは茹蛸のように赤くなって俯く。
「クロウ、大丈夫?」
心の負担を軽くしようとして、余計に重く思わせてしまっただろうか、とヴィゼは見当違いな心配をした。
そんなヴィゼを、呆れきった眼差しで他の三人は見やる。
余りの鈍さに、内心の溜め息が重なるようだった。
クロウは何とか持ち直してこくこくと頷き、平静を装う。
「……ありがとう、あるじ。わたしはいつも通りに過ごしていれば良いのだな」
「うん」
いつも通りのクロウにヴィゼは微笑むが、すぐに付け足した。
「ただ……サステナさんの前では、ちょっと気をつけておいた方がいいかもしれない」
「どういうことや?」
聞き返したのは、エテレインやサステナと最も交流のあるレヴァーレである。
ただ、気分を害したというわけではなく、純粋に不思議がる様子だ。
「考えすぎ、とも思うんだけどね。クロウの情報を集めてこいっていうのは、口実以上のものだと思う。エテレインさんは……多分、大丈夫だけど、サステナさんは仕事をしてくるよ。彼女はエテレインさんの侍女で味方だけど、メトルシア家に雇われている身だから。命令があれば従うのは当たり前だし、彼女にとってもクロウを見定めることは大事なこと、なんじゃないかな。とはいえ、魔術的な知識はほとんどないはずだし、クロウの正体に気付く可能性はゼロだろうけど」
「なるほどな」
「我々も、うっかりすることのないようにしなければなりませんな」
「その……すまない」
「クロやんが謝るならうちかて謝らんといかんわ。謝罪はお互いなしにしよ、な」
「う、うん……」
面々は納得したように呻き、クロウは肩を縮めた。
そんな彼女にもう一度謝罪したくなるのを堪えて、レヴァーレは微笑む。
ここで暗い表情になれば、ますますクロウの眉尻が下がるのは目に見えていた。
「それで、口実だった明日の打ち合わせなんだけど」
サステナをスパイのように扱いたくはないが、用心をするに越したことはない、とメンバーの意見が一致したところで、ヴィゼはそれを持ち出した。
「まず、セーラに来てもらおうと思う。もちろん、エテレインさんたちには内緒で」
「今回の依頼でしたら、彼女が一番向いていますからなぁ」
「うん。アディーユさんが魔物討伐に出てるなら尚のことね。セーラに外の方をお願いして、僕らは街を分担して回ろう」
「うちは協会に確認に行くな。レインたちを避けたいなら登録しとらんやろうけど、念の為調べとった方がええやろ?」
「うん、お願いしようと思ってた。後のメンバーはそれぞれ動くとして……、クロウ」
「うん」
「エテレインさんたちの希望にもよるけど、クロウには二人の護衛をしてもらって、もしラフが行きたいようだったら、ラフもいっしょに、街でアディーユさん探しをしてもらっていいかな」
「……は、」
打ち合わせは打てば響くような会話で進んだが、そのヴィゼの台詞に、他のメンバーの抜けたような声が響いた。
「おいヴィゼ、お前さっきサステナさんに気をつけろとかどうとか言ったばっかだろうが……」
「だから、かな」
驚き呆れたような反応は想定したものである。
ヴィゼは怯まず続けた。
「変に避けると怪しまれる。もちろん、エテレインさんの暴露の後だからものすごく変なことじゃない。けど、同じ時間を過ごして信頼関係を築く方が得策だと思う」
「確かに一理あるか……」
「だが、信頼関係、といっても……」
戸惑うクロウに、ヴィゼはどこか曖昧な笑みを見せる。
「難しく考えなくていいんだよ。クロウは普段通りで。どうしても嫌なら、二人の護衛には御大についてもらう。どうかな」
「嫌、ではないが……、」
上手く振る舞えるかどうか、クロウは不安だった。
元々対人スキルが高くないことは自覚している。
普段通りでとヴィゼは言うが、何か、<黒水晶>に不利なことをしてしまうのではないか……。
はっきりと答えを返せないクロウの不安を宥めるように、ヴィゼは彼女の頭をそっと撫でた。
「……明日の朝まで、考えてみてくれる? 付け加えるなら、依頼を進めていく上で、アディーユさんを知らないクロウが二人と行動して、知っている僕たちが個別で動いた方が良い、とも考えてる。けど、無理強いはしないから」
明日の朝まで、とヴィゼは言う。
けれどクロウは、無理強いはしないというヴィゼの労わるような言葉と、その手のひらの温もりに答えを決めた。
クロウは、ヴィゼをとても大事な主君であると思っている。
そしてヴィゼは<黒水晶>のリーダーである。
そんな彼が、指示してくれたことなのだ。
しかもヴィゼは間違ったことを言っているわけでなく、クロウが躊躇うのは己の性格故のこと。
クロウならばできると思ってくれたから、ヴィゼは頼んでくれたのだ。
それなのに臆病風に吹かれて首を横に振るなんて、とクロウは思いを固めた。
「いや……、大丈夫だ。わたしは、やる。与えられた仕事を全うする」
クロウは硬い面持ちで告げる。
ヴィゼはそれに、胸にちくりと刺すものを感じた。
それは、後ろめたさというものだ。
大丈夫だろうか、と他のメンバーも心配の色を浮かべたが、クロウの決意に満ちた様子に水を差せなかった。
「それじゃあ……それで行こう。細かい分担は明日でいいよね。他に何かある?」
特になく、解散することとなった。
ゼエンを手伝って各々カップを片付け、食堂から出て行こうとするところでクロウは仲間たちに励ましの声をかけられる。
そんな仲間たちの気持ちに応えたい――と、クロウは前向きな気持ちでベッドに入るのだった。




