05 <黒水晶>と侯爵家①
「眠たそうやな、レイン」
「へ、いえ、大丈夫ですよ」
「別にそんな無理せんでええんやで。部屋に案内するわ。今夜はゆっくりしぃね」
依頼に関する話を終えほっとして、エテレインたちは疲労を思い出したようだった。
普段からあまり外に出ないエテレインは特に、朝早くから動き出し、日中は休みなく馬車に揺られ、疲労を蓄積させていたようだ。
うとうとし始めそうな従妹の雰囲気にレヴァーレは苦笑し、客人たちを客室に案内しようと席を立った。
「エイ、荷物運ぶん、手伝ってくれるか?」
「おう、お安い御用だぜ」
「申し訳ありません、ありがとうございます」
「ええんよ、サステナさんもゆっくりしてな」
レヴァーレは微笑んで、客人たちの背を押す。
「ヴィゼやん、明日からの打ち合わせするやろ? ちょっと待っとって」
「うん、急がなくていいから」
ヴィゼたちはそのまま二人が戻ってくるのを待った。
明日からの打ち合わせ、とレヴァーレは言ったが、おそらく事情を説明してくれるのだろう、とクロウは察する。
――でも、無理をして話をしてくれなくてもいい……。
知りたくないわけではない。
けれど、知っても知らなくても何が変わるわけではない、とクロウは思う。
仲間たちは、クロウが竜であっても変わらなかった。
そんな仲間たちに対する信頼が揺らぐようなことは、そうそうあるものではないのだから。
そんな風に待つ間に、ゼエンが茶を淹れ直してくれた。
テーブルに淹れたてのそれが置かれて少しして、レヴァーレたちが戻ってくる。
「お待たせー。ヴィゼやん、結界張るな」
「うん、よろしく」
レヴァーレはすぐに結界を張った。
万が一にも客人たちに話を聞かれないようにするための結界だ。
それが食堂に設置された、直後。
「クロやん、ホンマごめんな、堪忍やで!」
レヴァーレから謝罪されて、クロウは目を瞬かせた。
他のメンバーはこうなるだろうと予想していたので、思った通りの展開に苦笑する。
「? ど、どうして謝るんだ?」
「レインが正直に申告してくれたんはええけど、びっくりしたやろ? 見極めるとか調べるとか……、もう、どうしようもないんや、あのクソジジイは」
クロウへの気遣いが怒りに変わって、レヴァーレの目は据わっていた。
クソジジイというのはエテレインとレヴァーレの祖父のことだろうか、とクロウが返答に困っていると、穏やかな声が鎮静効果をもって割り込んでくれる。
「まあまあ、レヴァ殿。ひとまず座ってはどうですかな。クロウ殿も驚いていますからなぁ」
「あー、ごめんな、クロやん」
ゼエンの言葉に少し落ち着いて、レヴァーレは再度謝罪した。
クロウはそれに、気にしなくていいと首を振る。
「お茶も淹れ直しましたので、どうぞ」
「おおきにな、御大」
レヴァーレはゼエンに礼を言って、イスに腰掛けた。
エイバもその隣に腰を下ろす。
「あんな、クロやん、予想はついとるやろうけど、なんちゅうか……うちんとこ、色々あってな。他のうちかて色々あるんやろうけど……、うん。ちょっと話長うなると思うけど、クロやん、聞いてほしいんや。皆も付きおうてな」
「わたしが聞いて大丈夫なのか?」
「なーんも問題あらへん。これまで言うタイミング逃しとったけど、あのクソジジイまたなんや企むかもしれんからな、知っといてもらった方がええ」
再び怒りを目に宿すレヴァーレ。
エテレインの手前、先ほどまではなるべく表に出さないようにしていたのだろう。
レヴァーレと祖父の間には確執があるらしいが、一体何があったのだろう、と内心首を傾げつつ、クロウはレヴァーレの望み通り聞く姿勢になった。
レヴァーレも茶を飲んで、冷静さを取り戻そうとしつつ話し始める。
「……とにかく順番に話すわ。クロやん、よう分からんこととかあったら、その都度質問してな」
クロウはこくりと頷く。
「まず……、メトルシア家について、なんやけど、メトルシアはな、王都の東に領地を持つ侯爵家なんや」
「侯爵、というと、モンスベルクでは公爵に次ぐ……」
ということは、エテレインは大貴族の令嬢。
クロウは腑に落ちるような、落ちないような、不思議な感想を持った。
「せや。代々その領地を任されててな。クソジジイ――もとい、うちとレインの祖父はその前当主。その息子でレインの父親が現当主。で、うちの父親がその兄」
「兄……?」
スルーしそうになったが、思い出すことがあってクロウは首を傾げた。
「モンスベルクでは、長子相続が普通だと聞いた気がするが……」
「その通りや」
頷いたレヴァーレは、面映ゆそうな顔になる。
「うちの父親な、途中までは次期当主として頑張っとったらしいんよ。けど、母に会って心底惚れてしもうて……、母を口説き落としたんはええけど、母はうちらと同じ平民やからな、当然許されるはずあらへん。それでな、結婚するためにお祖父さんに嘘ついて弟に次期当主を押し付けてな、まあ、いわゆる駆け落ち、みたいな……」
「おお!」
クロウとて女子である。
恋愛小説にありそうな話に、ついつい目を輝かせてしまった。
「父上殿、格好良いではないか」
「や、まあなぁ。娘としてもええ父親なんやけど、己の責任をほっぽり出したちゅうことには変わりないからな」
クロウが褒めるのに、レヴァーレは照れたように笑った。
確かにそうかもしれないが、その行動がなければクロウはレヴァーレに出会えていなかったのだ。
クロウの中で、レヴァーレの父親は格好良い人、とインプットされた。
一方で、疑問も出てくる。
「……だが、嘘をついたといって、そうそう簡単に侯爵家から逃げられるものなのか?」
「そっ……、そこは、つっこまないであげてほしかったな……」
クロウが思ったままを漏らせば、隣のヴィゼが噎せた。
レヴァーレの身内の話であるからと、大人しく聞き役に徹していたエイバとゼエンも何とも言えない表情だ。
普段ならこういう話には真っ先に食らいつくエイバなのだが、義父に関する話なので、ネタにできないのである。
そんな反応を見てしまえば、まずいことを聞いてしまった、というのは分かりすぎるほどに分かってしまう。
クロウは焦った。
そんなクロウと、他の三人の気まずそうな顔に、レヴァーレは苦笑する。
「す、すまない、悪いことを聞いてしまったようだ」
「謝らんといて。聞けば当然の疑問やし、皆は知っとるしな。クロやんにも話しとく。ちゅうても、あんま上品な話やなくてな。真面目にそれで悩んどる人らもおるやろうから、褒められた話でもなくってな……」
そんな前置きをして、レヴァーレはズバリと言った。
「うちの父親はな、種無しやから、ちゅう嘘をついたんよ」
「……」
クロウは頬を赤らめた。
黒竜であるクロウだが、人の姿の時は肌が白いので、赤くなるとすぐ分かってしまうのだ。
「お、クロ、お前単語知ってたのか」
「巨木うるさい。初めて聞いたが、概念送受で意味は分かった」
初めて聞いたのか、とむしろヴィゼが何だか後ろめたい気持ちになる。
彼女の師である白竜に謝りたいような気持ちになったが、そんな主の思いをクロウが知る由もない。
コホン、とクロウは一つ咳払いをして、真面目な顔になった。
「ええと、つまり、後継ぎができないから次期当主は弟に、という話にもっていったのだな」
「せや。お祖父さん、聞いた時相当ショックやったみたいやで。うちの父親、それまで真面目に励んどったし、結構優秀やったみたいやから、弟の子を後継ぎにすればいいとか、かなり引き止めたらしいんよ。けど、父親は父親で笑いものにされるとか対抗してな、衝撃冷めやらぬお祖父さんを圧倒して家を出た、っちゅうわけや」
それほどまでにレヴァーレの父は彼女の母を恋い慕ったのか、とクロウは嘘の内容はともかくとして、顔も知らない人物への評価をさらに上げる。
「その後協会に勤め始めたのも良かったんやと思う。協会はどの国とも対等に渡り合える力を持っとるし、その協会に身内がおる、ちゅうのは悪いことやないからな。ま、父親がそこに勤めたんは、母親がおったからなんやけど」
「そうなのか。では、二人とも協会の職員を?」
「今もバリバリ現役やで。実はそこで働いとる」
レヴァーレが指差すのは、モンスベルク王国協会支部本部の建物がある方向である。
「そうだったのか……」
「しかも、お母君は本部長でいらっしゃるのですなぁ。医療術師で、<女神の御手>の二つ名で有名で……。お父君は、その補佐をしてらっしゃいますなぁ」
「そうなのか……!」
クロウは丸くした目をさらに見開いた。
身内がトップに立つ人間である、というのは自慢にも聞こえそうで堂々と言いづらい。
代わりに口にしてくれたゼエンに、レヴァーレは照れたような感謝の眼差しを送った。
「そうなんよ。忙しい人たちやからなかなかタイミングが合わんのやけど、その内紹介するな」
「う、うん……」
レヴァーレの言葉に、今から緊張の面持ちになるクロウであった。




