02 修復士と貴族の娘①
クラン<抗世>とヴィゼたちによる魔物討伐と修復は順調に終わり、夕方にはキトルスに戻ることができた。
<抗世>と仕事をした後には大抵そうなるのだが、このまま飲みに行こうと誘われ、ヴィゼとクロウは<抗世>のメンバーたちとぞろぞろ連れ立って歩く。
日は沈んだが、大通りを行けば道はとても明るい。
ヴィゼたちのように仕事を終えた戦士たちが酒場や料理店へ向かっていて、そこには朝とも昼とも違う賑やかさがあった。
だが、そんな人の流れに乗って店に入る前に、報告と馬の返却のため協会へ寄らなければならない。
彼らは一杯の楽しみを胸に、他愛のない話をしながらまずは協会へと向かった。
その途中で、一台の馬車に追い越される。
高級感のあるランドー型の馬車。
それには、アイリスの紋章が掲げられていた。
――メトルシア家……、まさか――
ヴィゼは目でその馬車を追う。
ふと表情を変えたヴィゼをクロウは見上げた。
そんな二人の行く手で、馬車がゆっくりと止まる。
その馬車の窓から、若く美しい女性が顔を出した。
そして。
「ヴィゼさま!」
鈴のような声が、そう呼んだのである。
その場にいた<抗世>の面々は騒然となり、クロウは目を瞬かせながら己の主と馬車上の女性を交互に見つめた。
ヴィゼは困ったように頭の後ろを撫でる。
よりにもよってこの場で、と彼の表情は語っていた。
呼ばれてしまった以上無視はできない。
ヴィゼはとりあえず馬車に近付き、女性とやりとりを交わした。
<抗世>メンバーはそれを興味津々で見守る。
すぐに話を終えたヴィゼは振り返り、にやにやと笑うか目を丸くするかする面々に、顔を顰めずにはいられなかった。
「……彼女はうちに依頼があるようなので、飲みはまた次の機会に。今日はお疲れ様でした」
ヴィゼはそう、詮索を拒むように早口で告げる。
「クロウ、行こう」
「う、うん」
戸惑うような眼差しを向けてくるクロウを、ヴィゼは促した。
その背に、ブーイングの声が上がる。
「クロウちゃんまで連れていくのかよー!」
「すまない、わたしはあるじをお守りするのが役目故」
クロウ本人から申し訳なさそうに言われれば、声を上げた者たちも引き下がらざるを得ない。
しかし、非難の視線は轟々とヴィゼに向けられた。
タイミングがタイミングなので致し方ないではないかと思いつつ、ヴィゼは<抗世>たちの方を見ることができなかった。
――次にこのメンバーに会う時、どうなるやら……。
文句を言われるのと根掘り葉掘り聞かれるのは決定事項だろうなと、ヴィゼは内心溜め息を零した。
「それじゃ、クロウちゃん、またな」
「クロウちゃん、また来てね」
「うん」
ヴィゼとクロウは<抗世>のメンバーたちに別れを告げる。
ヴィゼには冷たい眼差しが、クロウには名残を惜しむ言葉が返ってきたが、いずれも親しさの表れである、とヴィゼは努力して前向きに考えた。
馬車に再び歩み寄りながら、ヴィゼは後ろをついてきてくれるクロウに安心を覚える。
クロウには、あのまま<抗世>と行く選択肢もあった。
依頼という話は本当のことであるし、<黒水晶>として依頼を受けるのならばクロウもいた方が良いが、それは絶対というわけではない。話ならば後でもできるし、ひとまずは<影>に聞いておいてもらうことも可能だからだ。
それなのに選択肢を示さなかったのは、ヴィゼのエゴだった。
クロウと再会して、一月と少し。
ヴィゼはクロウのいる日々に幸福を噛みしめていたが、一方でクロウが側にいないとすぐに不安になった。
本拠地にいてくれれば存在を確かめられるから離れていても平気であるし、ヴィゼと離れても<黒水晶>のメンバーと一緒ならある程度落ちついていられるのだが、それ以外だとどうにも駄目だ。
クロウがそれに不満を覚えていないようだからまだ良いが、束縛しすぎれば嫌われてしまうだろうし彼女を不快にさせたくない。
それなのに、離れては駄目だとばかり、共にいることが当然とばかり、振る舞ってしまう。
「……クロウ、ごめんね」
「? なぜ、謝るのだ?」
「いや、皆と行きたかったかなって」
「わたしはあるじといっしょの方がいい」
クロウは、ヴィゼを、甘やかしすぎだった。
「それに、依頼なのだろう?」
「うん……」
ヴィゼとクロウが近付いていくと、御者が扉を開けてくれていた。
礼を言って、ヴィゼたちは馬車に乗り込む。
「失礼します」
馬車の後ろ側の座席には、二人の若い女性が座っていた。どちらもヴィゼにとっては顔見知りである。
軽く会釈して、ヴィゼたちは二人の向かい側、進行方向逆向きの席に腰を落ち着けた。
「申し訳ありません、何だかお邪魔してしまったようで……」
ヴィゼを呼び止めた女性が、恐縮した様子で謝る。
彼女が頭を下げれば、その輝く白金の髪が胸元に零れ落ちた。
顔を上げれば海からすくったような青の瞳がヴィゼとクロウを見つめて、その澄んだ色合いに女性のクロウでさえ見惚れてしまいそうだった。
淡い藤色のドレスに包まれた肢体は華奢で、庇護欲をそそるようである。
きれいな娘だ、とクロウは素直に感嘆した。
この時クロウは十五、六歳頃かと推測していたのだが、実際のところ彼女は二十。童顔の持ち主なのであった。
「構いませんよ。依頼なのでしょう」
図らずも、ヴィゼのそれは先ほどのクロウと同じような台詞になる。
そう言葉を交わしている内に、馬車が動き出した。
揺れも少なく、かなり乗り心地の良い馬車だ。
「彼女とは初めてでしたよね」
走り出した車内で、ヴィゼはクロウを示し、切り出す。
「紹介します、うちの新メンバーのクロウです」
意識せず、ヴィゼは必要以上ににこやかに告げた。
言うまでもなく、「うちの」という響きに無意識で反応しているのである。
クロウは黙って礼をした。
「クロウ、こちらはエテレイン・メトルシアさん。レヴァの従妹で、時々レヴァやラフに会いに来られるんだ。隣の方はエテレインさんの侍女で、サステナさん」
「ご紹介に預かりました、エテレインと申します。どうぞレインとお呼びください、クロウさま」
エテレイン・メトルシアは青い目を嬉しげに細め、クロウを丁寧に呼んだ。
その隣で侍女サステナも「よろしくお願いします」と頭を下げる。
サステナはエテレインの隣にあって平平凡凡に見えたが、背筋はすっと伸び、美しい姿勢でいて、その眼差しはひどく落ち着いていた。
年はヴィゼより少し上、くらいの若さなのだろうが、そのしっかりとした雰囲気から実際の年齢より上に見えてしまう。本人には不本意なことかもしれないが、それは頼りがいのある印象を周囲に与えるもので、決してマイナス方向のものではなかった。
そんな主従に礼儀正しく挨拶され、クロウは困惑する。
姓を持ち、品格のある振る舞い。侍女もいるということは、エテレインは貴族に間違いない。
それなのにこんなに低姿勢で良いのか、と。
様付けは正直なところ落ち着かないが、セーラに呼び方を変えてもらった時と同じようには振る舞えなかった。
エテレインには丁寧な物言いが似合っていたし、レヴァの従妹で依頼人であるならば、ひとまず余計なことは言わずにおこう、と黙っておくことにする。
――それにしても、レヴァは、それでは……?
疑問符を浮かべてクロウはヴィゼを見上げる。
ヴィゼはクロウの言いたいことが分かって、「後でね」と唇を動かした。
「実は、レヴァお姉さまからお手紙をいただいて。クロウさまにお会いしたかったんです。本当に、綺麗で、可愛らしい方ですね」
エテレインの言葉に嫌味はなく、ただただ称賛の色があった。
クロウは狼狽えてしまい、ヴィゼの服の裾をさりげなく、しかしぎゅっと握る。
「れ、レイン殿の方が女らしくて美しいと思うぞ……」
「ありがとうございます……」
平然と微笑むかと思いきや、エテレインは照れたように頬を染めた。
クロウとエテレインで二人して頬を染めあっていて、ヴィゼはサステナと苦笑を交わす。
和やかな空気のまま、やがて馬車は<黒水晶>の本拠地へと到着した。




