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黒水晶の竜  作者: 隠居 彼方
第2部 修復士と復讐の女戦士

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01 修復士と応援



 秋を感じさせる、肌寒い朝だった。

 ブルーアワーと呼ばれる時間帯、空は深い青を宿している。

 その美しさに呼吸を奪われたかのように、街はひっそりと静まり返っていた。


 その中を、クラン<黒水晶>のヴィゼとクロウは、協会に向かって歩いている。


 二人の行く石畳の大通りには様々な店が並び、今は全ての扉が閉ざされているが、太陽が高く昇る頃には買い物客で賑わうのが常だった。

 一週間後に迫る収穫祭のため、道にも店にも色とりどりの飾り付けがしてあり、昼間の様子が余計に想像できるようである。


 収穫祭といえば、作物の無事の収穫を祝い祈るものだ。

 この街においては、この周辺を守ってくれている戦士たちへ感謝を捧げるものでもあった。


 キトルスの収穫祭がどんなものか仲間たちから口々に教えてもらったクロウは、初めて参加できることが嬉しく、道を行くだけで心が浮き立つようだ。薄暗闇の中でも、視線を右に左に揺らしてしまう。


 彼女の進みと首の動きに、その一つにまとめられた黒髪がひょこひょこと動くのが微笑ましくて、ヴィゼはつい笑みを漏らした。


 のんびりと朝の散歩をしているようだが、協会に向かっていることから分かるように、二人はこれから仕事である。

 ヴィゼは修復士として他クランの応援に、クロウはその護衛としてついてきていた。

 他のメンバーも、今日はそれぞれ別々の仕事の予定がある。

 <黒水晶>では珍しいことではない。


 専門性の高い治療魔術は術師が少なく、それに輪をかけて修復士の数は限られている。修復士であるヴィゼはあちこちから引っ張りだこなのだった。

 同様に、優秀な治療術師であるレヴァーレもよく駆り出されている。

 エイバとゼエンも、協会から剣士・魔術士育成のための助力を頼まれていた。

 クロウが加入してからも、それらは特に変わっていない。


 とはいえ、全く変化がないわけはなく、ほくほく顔になっている人物がいる――ラーフリールである。

 これまで、修復士としてのヴィゼの護衛役は主にゼエンだった。

 しかしクロウが来てからは彼女が護衛役となり、ゼエンは空いた時間をより家事や協会への手伝いに使うようになっている。

 家事を手伝い、協会で留守番することも多いラーフリールにとってそれはとても喜ばしい事態で、クロウへのラーフリールの好意は鰻上り。

 クロウを引き入れたヴィゼへの好感度も少しくらいは上がったかもしれない、と何となく感じなくはないヴィゼだった。






「おう、ヴィゼ。今回もサンキュな」

「こちらこそ、呼んでもらってありがとうございます」


 協会の建物が近付く。

 その厩舎の前でヴィゼとクロウを待っていた男が、気さくに片手を上げた。

 クラン<抗世>の副リーダー、ヘセベルだ。

 中背でがっしりとした体つきの男は、鎧を纏い、腰に一本の剣を帯びている。

 ヴィゼよりも一回りは年上だろうが、重たそうな装備を身につけているとは思えない軽快な動作だ。

 笑っても強面で、相手が子どもであれば泣かせてしまいそうであったが、ヴィゼもクロウももちろんたじろいだりはしなかった。


 クラン<抗世>は、ヴィゼにとってお得意様、と言っていい相手である。

 メンバー五十人ほどの、昔からここキトルスを中心に活躍している中堅クラン。

 飛び抜けた実力があるわけではないが、着実に依頼をこなし、厚い信頼を受けている。

 ただ、戦闘専門クランである<抗世>は修復士をメンバーに持たない。そのため、ヴィゼはよく呼ばれるのであった。

 <抗世>には気の良い者が多く、ヴィゼも基本依頼を断らないことにしている。


 <抗世>のように、修復士のいないクランは多い。

 前述したように、修復士の数自体が少ないからだ。

 だから修復士を持たないクランは、必要時に他クランか協会の修復士を応援に呼ぶのだった。


 そもそも応援という仕組みが出来上がったのは、修復士や治療術師が少ないからだという。

 何百年も前から、その状況は変わっていない。

 修復魔術を使える者と使えない者がいる、その理由が判明していないために。


 ――実際のところ、理由を分かっている人はそれなりにいるんじゃないかと思うけど……。


 ヴィゼは、そう思う。

 実のところ彼は、その答えを出していた。

 けれどそれを誰にも言わないのは、言ってしまえば、修復士が忌避される、そんな風潮になることも考えられるからだった。

 少なくとも、焦って口にする必要はないのだ。

 世界中が綻びだらけになるようなことがない限り、ヴィゼはこのまま黙っているつもりだった。

 その事実に気付いたのがヴィゼだけとも考え難い。その誰かも口を噤んだのならば、沈黙は正しくなくとも間違ってもいないはずだった。


「今日も嬢ちゃんがいっしょか。皆も喜ぶぜ。よろしくな」


 ヘセベルはヴィゼからクロウへ視線を移す。

 クロウはこくりと頷き、それにヘセベルの笑みが深まった、と見えたのはヴィゼの気のせいではない。

 その美貌と、それからは想像もつかない圧倒的な強さから、クロウは他の戦士たちからアイドルのような扱いを受けている――<抗世>に限らず、である。

 クロウが敬遠されるよりずっと良いのだが、ヴィゼはそれに関して複雑な思いを持っていた。

 クロウが認められていることは嬉しい。一方で、クロウは<黒水晶>のメンバーだ、と強く主張したくなるのだ。


「馬はもう借りてある。本隊は先に向かってるから、悪いがさっさと追っかけるぜ」

「はい」


 ヴィゼは心のもやもやを振り払い、手綱を受け取った。

 ヘセベルを先頭に、ヴィゼ、クロウ、と街道を北上する。


「どうも、かなりでかい綻びがあるみてーなんだ」


 馬を走らせながら、ヘセベルは大声で言った。


「そういうのを聞くと、やっぱ悪化(・・)してんのかって思っちまうわけなんだが、ヴィゼ、お前どう思うよ」


 彼が聞くのは、とある噂についてである。

 戦士たちの間でまことしやかに囁かれているその内容は、綻びの現れる頻度が増えているのではないか、ということ。

 綻びが増えるに従い協会の見落としも増え、巨大化する綻びも出てきてしまう。

 その原因はナーエがだんだんと近付いているからで、いずれ二つの世界は一つに重なるのではないか、と恐れを込めて囁く人もいた。


「協会が情報を開示してくれればいいんですが」


 そんな風に返して、ヴィゼは己の考えを隠した。

 彼自身は、噂が真実だと知っている。

 ヴィゼは一般には開示されていない協会や国の情報も掴んでいた。

 この数百年国々の間で戦乱が激減したのは、綻びと共に増加する魔物の出現に対処するためだというのは、知る人ぞ知る事実だ。


 ただ――。


「まあ、きっと僕たちが生きている間は大丈夫ですよ」


 それは、余程のことがない限り揺るがない事実だった。


 綻びの増加自体は噂程度であれ何百年も前から言われていることであり、今に至る。

 ただ、緩やかな変化であるため、ヴィゼがあと五十年生きられたとしても、その程度で二つの世界のあり様が変わるとは考え難かった。


 そうしたことをヴィゼが口にすれば、ヘセベルは納得したように頷く。


「そうだな。死んだ後大変なことになっても生きてる連中が頑張るか。幸いオレには妻子がいねえから子孫の心配をする必要もねえし。だが、<抗世>にはずっと続いてほしいもんだな」


 子孫の心配は今のところヴィゼもする必要がない。

 しかし、いずれ世界に大きな変化が起きる時が来るとして、クロウはその場に居合わせるかもしれなかった。

 彼女はヴィゼよりずっと長く生きられるから。

 それを考えると、ヴィゼは苦しくなる。

 クロウがいつか大変な苦境に陥っても、その時ヴィゼには何もできないのだ。


 ヴィゼは深刻な顔になりかけて、すぐに表情を取り繕った。

 懸念を振り払うように、あえて揶揄の言葉を選択する。


「幸い、なんですか」

「うっせ。お前こそどうなんだよ、あのご令嬢と――」


 些細なからかいが予期せぬ言葉でやり返されて、ヴィゼは眉根を寄せた。

 しかも意味深に、「あのご令嬢」という部分は口の動きだけで伝えられる。


「……よく覚えてますね、あんな昔のことを……」

「忘れられるか、あの美貌だぜ? つうかお前、クロウの嬢ちゃんと言い、あのご令嬢と言い、面食いの上にロリ――」

「やめてください、違います」


 ヴィゼは冷たい目ではっきりと告げた。

 ちらりと後ろを振り返ってクロウの反応を窺う。

 クロウは二人の少し後ろを走っていた。

 なにやらひどく真面目な顔で、ヴィゼたちの会話は聞こえていなかったようだ。

 ヴィゼはほっとし、クロウはヴィゼが気にしてくれているのに気付いて速度を上げる。

 そのまま、三人は任務地まで道を急いだ。




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