37 修復士と黒竜
森を出た<黒水晶>は、協会へ立ち寄ってから本拠地へと帰還した。
その途中、倒した契約獣から素材を取っていくことも忘れていない。
新たな綻びもどうやら運良く発生しなかったようで、修復に足を止められることもなかった――いずれにせよ、この森ではすぐに綻びができてしまうのではあるが。
ラーフリールが目覚めたのは協会へと寄る途中で、起きた彼女は人質にとられたことを認識しておらず、いつものように笑い、メンバーたちを安堵させた。
協会はしかし侵入者を許したことで混乱しており、ヴィゼたちが行くと、職員たちはラーフリールの無事を喜ぶと共に謝罪を重ねた。
本当のことを言えないヴィゼたちは、「<黒水晶>に恨みを持った者たちがラーフリールを人質にして復讐しようとした」ということにした。
森でその賊と接触し、ラーフリールを奪還。しかし犯人一味はとり逃がしてしまった、と。
賊の正体、その恨みの内容については、ヴィゼたちには心当たりはないと白を切り通した。
実際、<黒水晶>に限らず、特に有名なクランでは、勝手な妬みや恨みを買うことは少なくない。
そのため、協会はヴィゼたちの言葉を疑わずにいてくれたようだった。
協会を出し抜いた相手であるから、その賊をとり逃がしてしまったことも不問となる。
全員多少なりとも怪我を負っていたのも、ヴィゼたちに有利に働いたのだろう。
レヴァーレが魔力切れを起こしかけていたこともあり、ヴィゼたちが頼むより先に、協会所属の治療術師からの申し出で手厚く治療してもらえたほどだった。
また、巻き込んでしまったのは<黒水晶>だが、ラーフリールを攫われてしまったのは協会の落ち度だ。よってどちらかが責めを負うということもなく、今後は協会が賊を追って罰を与える、というところで落ち着いた。
犯人は既に故人なのだが、死んでしまいましたとも言えず、協会にはもういない人間を追ってもらうしかない。
協会との話を終わらせ、<黒水晶>たちは日が暮れる頃にようやく本拠地へと帰着した。
すぐに汚れを払い、ベッドに倒れこむ前に全員食堂に集まり、食卓を囲む。
疲労もなんのそのでゼエンが腕によりをかけて作った食事は絶品で、メンバーたちは口と手を休みなく動かすこととなった。
やるせない出来事をふっきるように食卓は賑やかで、ヴィゼはそれを思い出して微笑む。
食事の後、今日はとにかく早く休もうとすぐに全員が各々の部屋へ入って、ヴィゼも今はベッドの中だ。
疲れているはずなのに横たわっても眠りは一向に訪れず、ヴィゼは今日一日のことをつらつらと思い出していた。
戦いのことも、その後のことも。
「明日は、皆で後輩の歓迎会をしないか」
賑やかな食卓の席で、クロウはそう口にした。
『えっ』
「ああ、そういやしてなかったな」
「うっかりしとったね」
「明日また買い出しを頑張りましょうかな」
「そうですね、ゼエンさま!」
『えっえっ、いいんですか? 本当ですか?』
「今日も大活躍だったしね」
満場一致でセーラの歓迎会の話がまとまって、皆の顔から暗さが払拭されたことが喜ばしかった。
何よりもそれをクロウが言い出してくれたという事実が、ヴィゼにとって一層嬉しいことだった。
クロウが以前よりももっと近く、<黒水晶>の仲間としてここにいてくれている、その表れだろうから。
――セーラも合わせて六人の<黒水晶>が、明日からまた始まるんだ……。
感慨深く、ヴィゼが心の内で呟いた時。
ふと、ほんのわずかな空気の揺らぎを感じて、彼は身を起こした。
「クロウ……?」
廊下を進み、階段を上へと上っていくのは、間違いなく彼女の気配だ。
クロウは気配をほとんど絶つようにしているが、ヴィゼには分かった。
クロウも寝つけないのか、と考えて、ヴィゼは眼鏡をかけ、ベッドからおりる。
そっとドアを開き、クロウの後を追った。
疲れているだろう他の仲間たちの眠りを妨げないよう、出来得る限り気配と足音を消して。
クロウは屋上に出、それにヴィゼが続くと、気付いていたのだろう、彼女は振り返って微笑む。
「あるじ」
「クロウ……、眠れないの?」
「うん……、だからその、少し外の空気をと思って……。起こしてしまったか?」
「ううん、僕も寝つけなくて」
ヴィゼはクロウに近付く。
ベッドに入る格好だからだろう、普段は一つにまとめている髪がその背に流れていて、いつもとは違うクロウの姿に、ヴィゼはどきりとした。
「寒くない?」
「あるじこそ、何も羽織らずに……」
クロウの言葉が、呆れるような咎めるような響きを帯びる。
彼女は温かそうなショールを巻いていたが、ヴィゼはシャツ一枚。
何も考えずに出てきてしまったが屋外は確かに寒く、ヴィゼは笑って誤魔化した。
「大丈夫だよ、少しくらい」
「いや、風邪を引いたら大変だ。あるじの方がこれを巻いていた方がいい」
「えっ、いやいやいや、借りられないって」
「わたしは竜だから大丈夫だ。せっかくレヴァにもらったから羽織ってきただけで、別にそんなに寒いわけじゃない」
「そんなに寒くなくてもちょっとは寒いんでしょ? いいからクロウが巻いてなよ」
ヴィゼとクロウはしばらくショールを押し付け合っていたが、どちらが言い出したのか、結局二人で一枚のショールを分け合うことになった。
――どうしてこうなった……。
ベンチに腰掛け、ヴィゼは月を見上げる。
クロウの体温があまりにも近すぎ、心臓がうるさい。
これは絶対聞かれていそうだと思いながら、横目でクロウを窺えば、彼女も月を見上げていた。
上弦の月だ。
その仄かな光に照らされたクロウの面があまりに綺麗に見えて、ヴィゼは息を呑む。
彼はそのまま、クロウから目を離せなかった。
ヴィゼは何も言えず、クロウも何も言わず、夜の静寂が続く。
「……わたしも、もしかしたら彼のようになっていたのかもしれない、と考えていた」
その中、ぽつりとクロウは零した。
彼、と言うのがインウィディアのことであると察するのは容易い。
ヴィゼは息を潜めて、続きの言葉に耳をすませた。
「昔のわたしはとてもちっぽけで、貧相で、どうしようもなく……ひとりだった。だから、強く立派になれれば誰かに認めてもらえるかもしれないと、思ったこともあったんだ。でも、ひとりでは強くなれなくて……、あるじに出会った」
ふ、とクロウは微笑む。
その黒い瞳が映し込んでいた月の姿が、ヴィゼの顔に変わった。
「あるじは、弱いわたしにも優しくしてくれた。わたしはひとりではなくなって、彼のようにならずにいられた。だから……ありがとう、あるじ」
「クロウ――」
「ずっとそうやってあるじのことを考えていたら、眠れなくなってしまった。ありがとうと、言いたくて伝えたくて堪らなくなって……、言えて良かった」
それは――反則がすぎる。
ヴィゼは顔が熱くなるのが分かって、片手で覆って隠した。
「僕は、そんな、言ってもらうほどのことなんか、してないよ」
「そんなことはない。あるじは優しくて強い、素晴らしい人だ」
真顔で力説されるが、ヴィゼは肯定できない。
というより、肯定してしまったらただのナルシストになってしまう、と思う。
「優しい人間だったら、クロウに同じ幻獣を殺させはしないんじゃないかな!」
「何を言う。あるじ、基本的に幻獣の世界は弱肉強食だぞ。それに、あるじはわたしに赤竜を殺させなかった」
「そう言えば……、じゃなくて、えっと、君を守れなかったこともあったし、」
「あの時あるじは幼かったし、巻き込んだのは竜であるわたしの方だ。わたしが……、あるじをお守りしなければならなかったのに……」
「今のなし今のなし! えーっと、僕は私欲のために召喚魔術を使う人間だよ。白竜の一族だって、目の敵にしてくるかも……、あの白蛇はあんなことになっちゃったし……。そうだクロウ、白竜の一族に睨まれたりしない? 僕は別にそうされて当然だけど、君は今までお師匠さんのところで仲良くしてきてたんだよね? 今更かもしれないけど――」
ヴィゼが気にしていたことを思い出して口にすると、クロウはふふっと笑う。
「あるじはやはり優しい。気にしていてくれたのか」
「う」
「大丈夫だ。あるじは綻びを生み出さないよう気をつけてくれているし、彼らはちゃんとわたしの話を聞いてくれると思う」
そこには相手に対する信頼があって、それはそれで、ヴィゼの胸はちくりと痛んだ。
「あるじ」
クロウは続けた。
「あるじは否定しようとするが、あるじはすごいという考えは変わらない。あるじは竜であるわたしの手を取った。とても勇気がいることだ。あるじはわたしに生きる希望をくれた。それは、誰にでもできることではない。魔物に襲われた人を武力で助けることだって、もちろん誰にでもできることではないが……、誰かに希望を与えて生かし続けるということは、それよりももっとずっと難しいと思う。あるじはそれをしてのけたんだ。わたしに命を、吹き込み続けてくれたんだ。だからあるじは優しくて強くて、すごいんだ」
もうヴィゼは、何も返せなかった。
――っていうか今さらだけど、私欲で召喚魔術って言っちゃったし。流されたけど……。
「あるじ、わたしもこれからもっと頑張るぞ。みんなといっしょに」
クロウは思いの丈を口にして上機嫌である。
墓穴を掘ったような気分のヴィゼだったが、その言葉に気分を浮上させた。
それはクロウが、これからもずっと<黒水晶>の仲間でいてくれるということだからだ。
弾む声は、それを喜んでくれているということだからだ。
「うん」
と、ヴィゼは頷く。
<黒水晶>をつくっていて、仲間たちがいてくれて、本当に良かった、と思った。
クラン<黒水晶>はそもそも、いつかルキスの居場所になればと、そんな思いで立ち上げたものだったから。
少なくともヴィゼは、そんな思いでいた。
だから、<黒水晶>と、クランを名付けたのだ。
その<黒水晶>に彼女がいて、微笑んでくれる。
そのことに、ヴィゼは満たされた。
――分かっているのかな。君だって、同じなんだよ。
これまでも、これからも、ヴィゼを生かし続ける存在――。
その彼女が、ふと首を傾げた。
「そう言えば、」
「ん?」
「色々思い出していたのだが、ずっとあるじに聞きたいことがあったのだった」
なんだろう、とヴィゼも首を傾ける。
「あの時……、一番最初に出会った時、あるじは一体何と言ったんだ?」
「え……」
予期せぬ質問に、ヴィゼは目を見開く。
「もう覚えていないかもしれないが……、わたしは思い返す度に知りたいと思って……。あの頃は、言葉も何も分からなかったものだから……、すまない」
「ううん、いいんだ。そっか……、そうだよね、クロウは――ルキスは、分からないのに、側にいてくれたんだ」
少ししゅんとしたクロウの頬に、ヴィゼはついつい手を伸ばして触れた。
「――あのね、ルキス」
ヴィゼはそう、照れくさそうに呼ぶ。
彼しか知らない、彼女の真実の名を。
「僕はあの時、こう言ったんだ。……僕の家族にならないか、って」
「え、」
驚いた顔のクロウが、真っ直ぐにヴィゼを見つめた。
それに嫌悪感がないのに、ヴィゼはほっとしながら続ける。
「実を言うとね……、いつか再会したら、色んなこと謝って、それから、もう一度言いたいって、思ってた」
「あるじ――」
「もうルキスは<黒水晶>の仲間で、家族みたいなものだけど……」
ヴィゼは目を逸らさず、心に決めていたことを、この時ようやく、告げた。
「ルキス、僕たち、家族になろう」
クロウの――ルキスの、唇が震えた。
その手が小さく同じように震えるのに気付いて、ヴィゼは手に手を重ねる。
それが、寒さからくるものでないことは明白で。
けれど温もりを分け与えるように、ヴィゼはぎゅっとその手を握った。
「もう一度、今度こそずっと、家族でいよう」
ルキスの瞳が、ゆらりと揺れて。
「――うん」
その時こそ、本当に、ヴィゼは彼の黒水晶の竜を、その手に取り戻したのだ。
第1部 了




