36 修復士と白竜の遺産
「私は……、負けない……」
低く、絞り出すような声が、インウィディアの喉から漏れた。
「誰にも……、負けない……! どんな手を使ってでも……!」
ぎらぎらとした目がヴィゼたちを射抜き、三人はぎくりとする。
「何を――」
重力がかかっていることに変わりはないはずなのに、ぐぐぐとインウィディアは立ち上がった。
背中も膝も曲がっているが、確かに彼は立ち上がった。
「私を縛り続けてみろ! だが、お前の仲間の子どもも死ぬぞ……!」
「……っ」
「まずい!」
クロウとセーラが息を呑む。
ヴィゼはその人影を見て、すぐに魔術を解除した。
インウィディアが狂ったように笑う、その腕の中に、気を失ったラーフリールの姿があったから。
「何故……、ラフは、協会に……!」
呻くようにクロウが口にすれば、血走った目でインウィディアは嗤う。
「協会など、私の敵ではない。保険にと考えていたが、まさか本当に使うことになるとは、見くびりすぎていたようだ」
追い詰められたインウィディアの口調は乱暴なものに変貌している。
その腕の中、ぐったりと力を失ったラーフリールの姿に、ヴィゼたちも顔面蒼白だった。
「さあ、この娘と引き換えに、白竜の遺産を寄こせ」
「ラフ!」「ラフさん!」
インウィディアが要求を口にした時だった。
契約獣らを倒したエイバたちが駆けつけて、ここにいるはずのない少女の姿に悲鳴のような声を上げる。
クロウの<影>が彼らを加勢した後、案内役を務めてエイバたちをここまで導いたのだ。合流を見届けた<影>は、すぐに姿を消してしまう。
三人はさすがにぼろぼろだが、大怪我はないようだった。
だが、いくら余力があっても、この局面では誰も迂闊に動けない。
相手の要求に、クロウに視線が集まった。
クロウは苦しげに眉を寄せ、問いかける。
「そんな小さな子どもを人質にとって……、情けないとは思わないのか」
「最初は力で圧倒してやろうと思っていたがな。手段などもう、どうでもいい。私は勝つ。強さを手に入れ、お前らを、あいつらを、倒す。私を馬鹿にした者どもを……、殺し尽くす!」
「……強くなって、気に入らない者たちを皆殺しにして、お前は本当に満足なのか?」
「ああそうだ! だからこうしているのだろう」
「では、満足したその後は?」
悲しげな眼差しで、クロウは続けた。
「殺して、殺して、その後お前はどうするのだ?」
インウィディアは束の間、虚を突かれたように押し黙る。
やがて、言った。
「……そんなことを聞いてどうする? お前には遺産を渡す選択肢しかない。その後は私に殺される。その後のことを気にしたところで意味はなかろう」
その返答に、クロウは憂い顔で目を伏せた。
――<影>を使えばラフを取り戻せるかもしれないが、失敗すれば……。
クロウはぎゅっと拳を強く握る。
逡巡は短く、彼女の心はすぐに定まっていた。
「……皆、すまない……」
「クロウ――」
クロウは振り返って仲間たちに詫び、ヴィゼを見上げた。
「ここまでやってくれたのに……」
クロウの謝罪はもちろん、ラーフリールを見捨てることに対してのものではなく、ここまで戦った仲間たちの苦労を無為にすることへのものだった。
ヴィゼは唇を噛み、そっとクロウの肩に触れる。
その温度に励まされて、クロウはインウィディアの方へ向き直った。
「――お前に遺品を渡そう」
告げて、クロウは一歩、前へ踏み出す。
「お前が望むものをやる。力をもたらすもの、それを集めて封じた魔術具だ。それ以外の遺産は、お前の求めるものではないか、師の手によって所有が決められていて、渡しても使うことができない」
「本当だろうな?」
「渡す前に確かめてもらって構わない。だが、引き渡しは同時だ」
「そんな要求――」
「白竜の遺産を手に入れてお前は誰よりも強くなるのだろう? その後に人質が必要なのか?」
クロウは凄絶な笑みを浮かべた。
「引き渡しは同時だ。それを認めないのなら、遺品は破壊する。自分だけが一方的にアドバンテージを持っていると思うな」
「人質がどうなっても構わないというのか?」
「お前は、欲しいものを手に入れられない上、竜を相手にするつもりなのか?」
インウィディアはクロウの気迫に気圧され、後ずさりかけたが、何とか踏みとどまる。
「ふん……、強がりを。だがまあ、いいだろう。まずはそれを見せてもらおうか」
クロウはゆっくりとインウィディアに近付き、その手に握ったものを前に掲げた。
インウィディアはじっくりとそれを見つめる。
以前、白竜の元で見たことのあるものだった。
卵のような形をした、白い宝玉。
その中に複数の魔術具が眠っていることを知っていて、インウィディアは喜色を浮かべる。
「……確かに、私の求める品のようだな」
「では、同時でいいな」
クロウが念を押し、インウィディアは首肯する。
「三つ数えるぞ」
仲間たちが見守る、その視線の先で、クロウは落ち着いた声を響かせた。
「……サン、ニ、イチ」
イチ、の合図でクロウは投げつけられたラーフリールの体をしっかりと受け止め、インウィディアはずっと求めてきた品を手にしていた。
手のひらで包み込めるそれに、インウィディアはぎらぎらとした視線を注ぎ、高笑いする。
「手に入れたぞ……! ようやく、手に入れた……!」
ははははは、と笑いながら、インウィディアは手にした宝玉をうっとりと見つめた。
この宝玉の中から白竜がいくつかの魔術具を取り出していたのを、昔の彼は羨ましく見つめていたものだった。
それが今、己の手の中にある。
インウィディアは心躍るまま、記憶の中の白竜に倣うように、宝玉の中にそっと指を差し込んだ。
固く見える白い珠だが、抵抗なく彼の指を呑み込む。
すると指先に触れる物があって、それを掴むように指を抜いていけば、宝玉からは古文字がびっしりと刻み込まれた白い杖が姿を現したのだった。
――ずっと望んでいた、白竜の杖……!
それはインウィディアの望みに応えるように、光り輝いて彼の手のひらの中に納まる。
杖に刻まれた文字を全て読むことは彼には叶わないが、ところどころ読み取れる古文字に、インウィディアの興奮は高まるばかりだった。
何よりそれから感じられる魔力は、桁違いのものだったから。
「とてつもない力を感じる……! まずはお前たちでこの力を試してやろう! そうだな、そこの娘だけは助けてやるぞ、安心して逝くがいい……!」
ヴィゼたちは強張った顔で、インウィディアをただ見つめる。
それをインウィディアは、恐れをなしているのだと受け取った。
人質がいなくなり、ヴィゼがすぐにでも結界を再作動できるのにしない理由を、考えもしなかった。
長年欲してきたものを手に入れた喜びから、笑いを止められないまま、インウィディアは手の中の杖に己の魔力を注ぐ。
それに刻まれた魔術式を全て読みこなせなくとも、使い方はおおよそ理解できていた。
彼は、逃れようのない、骨まで焼きつくす劫火の炎で、<黒水晶>の面々を跡形もなく消そうとして。
「――え」
そう、声を漏らしていた。
その後は、絶叫になる。
それは、彼の全身こそが、炎に包まれていたからだ。
「何故、何故だ、くそ、謀ったな……!!」
「謀ってなどいない」
冷たく、けれど悲しげな眼差しで、クロウは告げた。
「それは大変な力を持った魔術具だ。制御できる力のない者が使えば……、その身を滅ぼすほどにな」
「何故だ……、私は……、ただ、もっと、強く……!」
目を見開いたインウィディアが、炎の中で嘆きの声を上げる。
その姿が塵になり、炎が消え失せるまで、あまりにもあっという間のことだった。
ヴィゼたちは、その一部始終を目をそらすことなく見届ける。
白竜の遺産を、インウィディアでは扱いきれない。
彼らはそれをクロウに聞いて知っていたから、その顔に驚きはなかった。
ただ、何も言えず、哀れみを持って、見送った。
彼がいなくなった後には何も残らず、宝玉と杖だけが土の上に転がって、そこを静かに風が吹き抜けて行く。
「師は……、持って生まれた力などなくても、彼を認めていたのに……。それでは満足できなかったのか……」
無念そうに呟いて、クロウは仲間たちの方を向いた。
心配そうなレヴァーレの腕に、小さなラーフリールの体を託す。
「眠っているだけだと思うが……、診てやってくれ」
「うん……、ありがとうな、クロやん」
すやすやと眠るラーフリールを抱き、ほっとした顔のレヴァーレに礼を言われて、クロウはきょとんとし、真面目な顔になった。
「礼を言うのはこちらの方だ。皆……ありがとう」
クロウは深く頭を下げた。
いつもながら本当に律儀だと、ヴィゼは苦笑してその肩を軽く叩く。
「いーってことよ」
「どういたしまして、ですなぁ」
『少しでもお役に立てたなら良かったです!』
クロウが顔を上げると、インウィディアの最期に複雑な表情だった仲間たちが、笑顔になっていた。
それがクロウにはとても眩しくて、目を細める。
その隣で、ヴィゼはメンバーたちの顔を見渡した。
「……なにはともあれ、皆無事で終わって、良かった」
後味の悪さはある。
だが、彼の死は、自業自得というものだった。
ヴィゼは冷静にそう断じる。
仕掛けてきたのは向こうの方で、ヴィゼたちは自分たちを守るために戦いを避けることはできなかった。
――その代わり、殺すつもりはなかったとも言わない。
ヴィゼはクロウを侮辱し傷つけたインウィディアが許せなかったし、誰に非情と責められようとも、インウィディアが死んでせいせいしていた。
――僕に同情されるなんて、あんたも真っ平だろう?
それだけ胸の内で呟いて、ヴィゼはその面影を振り払う。
「――帰ろう」
<黒水晶>が仲間を失うことなく戦いを終えられたことが、何よりも大事なことだった。
皆が自分の足で帰れることが、どんなに幸福なことか――。
その思いで皆、ヴィゼの言葉に頷いた。
そうして、仲間たちは、森の出口へと向かって歩き出す。
クロウは宝玉と杖を回収するとその後に続いて、仲間たちの背中をじっと見つめた。
――わたし、いっしょに、帰っていいんだ……。
噛みしめるように歩いていると、そのゆっくりとした歩調に気付いたヴィゼが振り返る。
「クロウ? 大丈夫?」
「まさかまた大怪我でもしてねえだろうな?」
「えっ、そうなん? 治療いるか?」
「クロウ殿、無理は禁物ですからな」
ヴィゼにつられて振り返った皆に声をかけられ、クロウはふるふると首を横に振った。
むしろエイバたちの方が軽いものとはいえ傷だらけなのに、クロウの心配をしてくれる。
そのことが、何だか申し訳なくて、とても、とても嬉しかった。
「だ、大丈夫だ」
急いでヴィゼの隣に追いついて、クロウは思い切って言う。
「帰ろう――みんなの家に」
足を止めていた仲間たちは微笑み、再び歩き出す。
ヴィゼの隣に並んだクロウは俯いて、遅れないように進んだ。
帰ろう、と言えたことに、胸がいっぱいで、顔が上げられなかった。
それが当然のように受け入れられたことが、ただただ、幸せだった。




