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黒水晶の竜  作者: 隠居 彼方
第1部 修復士と黒竜

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35 修復士と捕縛



 さすが宮廷魔術士だよ、とヴィゼは嫌な汗を流していた。


 ヴィゼを狙って放たれるインウィディアの魔術は正確で、速い。

 少しでも対応に迷って魔術の発動が遅れてしまえば命取りになるので気が抜けず、消耗させられる。

 先ほどなどはヴィゼ一人に対して大規模魔術を連発してきて、危ういところだった。用意してきた魔術具がなければ、森ごと吹っ飛ばされていたところだ。


 そんな相対の中、ヴィゼが冷や冷やしながらも一方的な不利に追い込まれずにいられたのは、インウィディアの攻撃が単調だからだった。繰り出される攻撃魔術の種類だけはとにかく多いが、真っ直ぐにヴィゼだけを狙ってきて、フェイントや不意打ちといったものが全くないのだ。


 表面上は冷静に見えるが、頭を使えていない、頭に血が上っているのだ、とヴィゼは察していた。

 それを狙って最初から挑発したのだが――狙いなどなくとも嫌味くらいいくらでも並べたててやりたかったので実行したのだが――、まんまと乗ってくれたようである。


 召喚魔術をあれ以降使ってこないのも、幸いだった。

 幻獣を召喚してくるとしてもそこまで多勢ではないだろうとクロウとも話し合っていたのだが、彼の手駒はあれで終わりだろう。

 もしも他にも召喚できる契約獣がいるならば、この状況下で喚び出してこないわけがないからだ。

 ヴィゼと一対一の争いをせずとも召喚した幻獣に相手をさせ、ヴィゼの隙を狙えばすぐにでも勝負はついてしまう。


 ――契約獣がいたとしても、魔力の残量を気にして出せない可能性もあるけど、いずれにせよこっちの有利だ。今のところは読み通りに進んでる。このまま行ければ……!


 ヴィゼは見えてきた勝ちに高揚するが油断はせず、攻撃の合間に魔術具で魔力を回復させた。

 インウィディアの魔力保有量は、その気配を偽っていなければヴィゼとあまり変わらない。

 白竜の子孫と並ぶ魔力量というのは、ヴィゼのそれも並々でないということではある。

 だがヴィゼは、己のそれを過信してはいなかった。


 相手は宮廷魔術士であり、白竜の子孫であり、何より強さを追い求めてきた人物。

 先に力尽きるのはヴィゼである可能性の方が高く、回復は必須だ。

 だからこの対決のために、ヴィゼは十分すぎるほどの魔術具を用意してきていた。

 魔力補充の魔術具に関して、普段は最終手段として使わないことを前提としているヴィゼだが、今回はそんなことなど言っていられない。

 何としてでも、ヴィゼは勝たなければならないのだ。


 インウィディアがクロウの敵であるというのはもちろんだが、ヴィゼがここで負ければ、強力な契約獣たちと戦っているエイバ・ゼエン・レヴァーレの援護に戻ることもできなくなる。


 赤竜との戦いが終わったクロウが戻ってくれば、ヴィゼが力尽きても後を託せるだろうが、クロウへの負担が大きすぎる。


 何よりクロウとインウィディアの直接的な対決は、できるならばさせたくなかった。

 クロウ自身に相手に対する特別な情はなくとも、インウィディアは白竜の血縁。

 彼を倒すことで、白竜を悲しませることをしてしまったと、クロウを落ち込ませたくない。

 ヴィゼは彼女にとって主で、<黒水晶>の仲間だから、クロウのそんな思いをゼロにすることはきっとできないのだろうけれど、少なくすることはできるはずだから。


 ヴィゼは仲間たちのことを思いながら、インウィディアを追い詰める。

 戦闘を開始した地点からは随分離れて、ヴィゼたちは森の奥深くまで入りこんでいた。

 当然仲間たちの姿は見えず、戦いの様子は分からない。

 時折魔術による音が響くが、それがゼエンによるものか、クロウによるものか、それとも敵の手から発されたものなのか、それも分からない。


 ――でもきっと、皆大丈夫……!


 信じて、ヴィゼはヴィゼのやるべきことをする。

 インウィディアを、あそこ(・・・)まで誘導するのだ。

 そのために、ヴィゼはヴィゼで、相手に合わせた単調な攻撃を繰り返していた。

 インウィディアは余裕をなくしているようだが、ヴィゼの頭は冴えている。

 攻撃の最中も敵を追い詰める策はヴィゼの頭をいくつもよぎったが、とにかくヴィゼはインウィディアを森の奥へ後退させ、魔力を消耗させることを優先させた。

 インウィディアを、屈服させるために。


『――ヴィゼさん!』

「ああ!」


 そして、攻防の最中、インウィディアが見せた隙を、ヴィゼは見逃さなかった。


 攻撃を放ち、バランスを崩したインウィディアをさらに強風で煽る。

 その先に四つの魔術具があることを、当然ヴィゼは承知していた。

 彼がセーラに頼んで、設置してもらったものだったから。


 仕掛けられたそれに気付かず、インウィディアはその四つの魔術具が囲む範囲へよろめく。

 ヴィゼはすかさず魔術具に封じていた魔術を発動させ、その効果にインウィディアは膝をついた。


『ヴィゼさん!』


 セーラのそれは、歓喜の声だ。

 彼女はここまで、樹々たちの力を借り、葉や枝で進路を邪魔するなどして、違和を感じられないように自然にここまでインウィディアを誘導した。

 作戦が成功して、喜びも一入だろう。


「……お疲れ様、セーラ。ありがとう」


 囁くように礼を言って、ヴィゼはゆっくりとインウィディアの方へ歩み寄る――。




 ――問題なく機能している。


 ヴィゼは動悸を落ち着けながら、インウィディアの少し前で足を止めた。

 インウィディアは信じられないという顔で、近付いてくるヴィゼを見上げてくる。


「なんだ……これは……」


 愕然とした表情でインウィディアは言った。

 上から圧力をかけられるようで、手足をわずかに動かすこともままならない。

 口を動かすのも一大事で、それだけを言うのに、ひどく力を使わされた。


「結界、ですよ」


 這いつくばるインウィディアに、淡々とヴィゼは説明してやった。


「設置した四つの魔術具を直線で結んだ四角形の中は、術者である僕の領域。僕が思ったように変化する。今は重力を約三倍程度にしているので、指一本動かすのも辛いでしょう」

「……っ、最初、から……!」

「ええ。正攻法では勝てないだろうと、用意させていただきました」


 話の合間に、ヴィゼは眼鏡のフレームに手を伸ばす。


「ちなみにここに設置したのは、呼び出した場所から近いとあなた方に気付かれる恐れがあったからです。それに、魔力量が僕を上回る相手だと縛り付けておくのが難しいんですよ。ここに来るまで散々消費してくれて助かりました」


 策に嵌ってしまったことに怒り心頭、という様子のインウィディアに、ヴィゼはマグマのような視線で睨まれた。


「今のあなたの魔力量では、破れないでしょう」

「く……そ!」


 インウィディアは何とか陣から抜けだそうともがくが、どうにもできないようである。


「ロ、ト……ロート、来い!」


 ついには、赤竜の名を呼んだ。

 だが――何も、起こらない。

 何者も、現れない。

 魔力を封じられたわけではないのに――。


「……何故……」


 絶望にか、失意にか、インウィディアの瞳が光をなくす。


「来ませんよ」


 と、ヴィゼは冷然と告げた。


「契約は、こちらで勝手に破棄させてもらいました」


 はっとした顔になるインウィディアの視線の先、ヴィゼの影からクロウが姿を現す。

 つい先ほど戻って来たのだ。


「すまないあるじ、遅くなった」

「いや、良いタイミングだったよ」


 無傷のクロウに、インウィディアは歯噛みする。


「契約、の……破棄、など、できる、ものか……!」

「それが、できるんですよ」


 ヴィゼは殊更淡々として言った。


「あなたは白竜の子孫であるが故に最初から召喚魔術も契約魔術も使うことができたので、何の疑問も持たずに使用していたのでしょうが……、僕は違いますからね。召喚魔術も契約魔術も、やれるところまで研究しました。あなたより僕の方がそれらについて知っている。だからこそ、契約破棄もできた」


 黒竜と再び巡り会うために、そして黒竜との別れを繰り返さないために、ヴィゼはずっと研究してきた。

 たとえ白竜の子孫であろうとも、それに関しては絶対に目の前の相手には負けないという自負がある。


「あなたは動けない。赤竜は来ない。今の魔力量では新たな竜を喚ぶこともできないし、他の契約獣を喚んだところでクロウの敵ではありません。負けを認めて下さい」


 赤竜との契約破棄が、インウィディアにとってかなりの痛手であることに間違いない。

 赤竜との死闘を避けるため、同時にこのダメージを与えるために、ヴィゼは綻びのできやすいこの森を選んだ。

 赤竜を追い返すために綻びを見つけ、結界を張り人からも幻獣からも隠した。

 そして、クロウに魔術具を託したのである。契約破棄の魔術と、修復魔術が込められた二つの銀の腕輪を。

 クロウはそれを使い、赤竜をエーデから追い出した。

 ヴィゼはインウィディアを彼の作った空間に閉じ込めた。

 インウィディアに、もう打てる手はない――。


「遺産を諦めて下さらない限り、僕はここにあなたを縛り続けます。そしてその間、僕はいかようにもあなたをいたぶることができる。例えばさらに重力をかけることもできますし、空気をなくすこともできます。チェックメイトです」


 ヴィゼの宣言に、インウィディアは俯いた。

 彼の降参を、ヴィゼたちはじっと待つ。

 インウィディアが返答するまでの静寂は、ひどく長いものに感じられた。


 そして――。




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