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黒水晶の竜  作者: 隠居 彼方
第1部 修復士と黒竜

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33 黒の少女と再戦



 ――第一段階はクリア、といったところか。


 クロウは、追ってくる赤竜を気にしつつ、心の中でひとりごちた。

 彼女は<影>をあちらに残していて、向こうも作戦通りに事が運んでいるようで安心する。

 皆ならきっと大丈夫だと、<影>に見守らせつつも、クロウは己の戦闘に集中した。


 後ろに向かって魔力の弾を放てば、相手はそれを剣で叩き落とし、同じ攻撃を返してくる。


 ――そろそろ……。


 クロウは不審に思われない程度にスピードを緩めた。

 追いついてきたロートが真隣から攻撃してくるのを、障壁で防ぐ。


『スピードが落ちてるぜ? 疲れたか?』


 それには答えず剣を振るえば、相手も剣で応じてきた。

 先日と同じ体勢になって、赤い剣がぐにゃりと歪む。

 それは、再びクロウを貫いて。


『おいおい、本気を出すんじゃなかったのかよ?』

『ああ、出し惜しみはしない』

『……!?』


 赤竜は息を呑んだ。

 後ろに、気配。

 咄嗟に避けるが、腕から血が滲んだ。

 振り返れば、クロウが黒い剣についた血を払っている。

 先ほど彼女がいた場所には、なんの影形もない。


『アビリティ、か……?』


 クロウは薄らと笑い、それを肯定する。


 赤竜が貫いたのは、彼女の<影>だった。

 クロウの<影>の内、四体は実体を持たない(・・・・・・・)。だから傷つけることも叶わない。

 そしてクロウは、<影>と己の場所を交換することができる。


 敵の攻撃を見極めて直撃の直前に<影>と換わり、思いも寄らなかった方向から攻撃する。

 それが、クロウの使った戦法だった。


 ――あまり、使いたくはないのだがな。


 クロウは<影>が傷つくのを見たくなかった。

 それは己が痛みを感じるから、という理由ではない。

 もちろん、<影>と全く同じ傷を得るわけではないが、<影>のダメージはクロウにも伝わる。

 けれど、そうではなく。


 ――彼女たち(・・・・)をこれ以上傷つけたくない。


 <影>たちが、彼女たちが、一体己にとってなんであるのか。

 よく理解しているクロウは、<影>をこういう風には使いたくなかった。

 だが、この負けるわけにはいかない戦いで、クロウはこの手段をとることを決めた。

 <影>たちも同意してくれた。


 だからこそ、ますます、負けるわけにはいかない。


 クロウは強い意思でもって、赤竜に攻撃をぶつけた。


「ちぃっ」


 ロートは魔力の弾丸を無造作に薙ぎ払い、クロウへの距離を再び詰めようとして、


 ――いない……!?


 背後から、また気配。

 かわしきれずに、背中に攻撃魔術を受けた。


「ぐ……っ」


 さすがに赤竜は呻く。

 だが、怪我をした時ほど、血を流した時ほど、赤竜のアビリティは威力を発揮する。

 彼はそのまま、背中から流れ出した血液を武器にした。

 相手がどこにいようが関係ないと、全方位へ向けて血の弾丸を走らせる。


『これはどうだよ……!』

『悪いが、効かない』


 そうして赤竜は、目撃した。

 クロウの目の前に、黒い盾。

 それは影のようにも見え、赤竜の放った攻撃を全て吸収しているのだった。


『なんだ、それ……! んなもんあんなら、前回出しとけよ!』

『これを使うと、あちらの世界が寄ってくるからな』


 影の盾は相手の攻撃を吸収するという優れものだが、エーデに影響を与えすぎる。

 だからクロウは、前回の戦いでそれを使えなかった。

 しかし今回、ヴィゼから魔力はいくらでも使ってよいと言われている。

 綻びはヴィゼが修復するから、全力で行けと。

 ヴィゼのその言葉があるから、クロウは綻びを生み出すことを考えずに戦える。


『つっまんねえ理由だぜ、全く。だが、今のオマエを殺すのはさぞ愉しいだろうなぁ……!』


 ニィ、と赤竜は笑い、クロウは顔を顰めた。

 ロートは剣を大きく振りかぶり、下ろす。

 風圧が周囲の木々を薙ぎ倒したが、彼の獲物の姿はない。

 また後ろだろう、と彼は背中の血を武器にするが、全て空を切った。


『――残念、外れだ』


 はっと赤竜は上を見上げる。

 黒い影が、落ちてくる。

 それに向かって攻撃を放ったが、しかしそれは囮。

 上に注意を向けすぎた赤竜の死角となった下方に、クロウはいた。


『どうした、赤竜。余裕がなくなっているんじゃないか』


 クロウは遠慮なく、拳に魔力をこめて、ロートの腹を殴りつけた。

 赤竜は吹っ飛んで、自らが倒した木々の上に落ちる。

 呻きながら起き上がった彼は、平然と立っているクロウを見、薄らと笑った。


『黒竜が弱っちいとか、まったくバカな話だったな。けど、むかーしむかしの黒竜の同族殺しが忌まれたのはちいと分かる気がするぜ。分かるが……負け犬の遠吠えだな! オレは勝つぜ!』


 一瞬で、距離を詰められた。

 目の前に唐突に現れたように見える赤竜に、クロウは瞠目する。

 その刃が、今度こそ彼女を真っ二つに――は、しなかった。

 赤竜の目の前で、クロウの姿がかき消える。

 その剣がぎりぎり届かない先に、彼女はいた。


 呵呵とロートは笑う。

 愉しかった。とても――愉しかった。


 何度でもクロウに斬りつけて、斬ったと思うのに実際には傷一つつけることができていない。

 彼女を本当に斬るにはどうすべきか、彼は考える。

 これはアビリティなのか。どういうアビリティなのか。どうすれば攻略できるのか。


 集中する。考えながら、動く。殺すために、剣を振るう。


 本来の姿に戻れば勝てるかもしれないとも思う。

 けれど今の段階ではまだそうするなと召喚主からの命令であるし、竜体になればきっと協会が出てくる。邪魔を、されてしまう。

 それではつまらない。


 赤竜は剣を振るうと同時に、地に零れ落ちた血で、下からクロウを狙った。

 けれどそれを見越していたらしいクロウは、先ほどの影の盾を足下に展開する。

 剣を避けつつの防御。

 少しではあるがバランスを崩したクロウに、ロートは笑みを深くする。


 右手にあった剣を振りおろすと同時、左手に集まった血液が刃となり、挟み込むようにクロウの体を傷つけようと鋭く動く。

 手応えを感じたように思い、けれど、次の瞬間、後ろから背中を強く押された。


『な……っ』

『愉しんでいるところ悪いが、これで終いだ』


 赤竜は目を見張った。

 彼の周囲の風景が、まるきり変わってしまっていたからだ。

 穏やかな風が吹き抜ける、草原の大地に、彼は立っていた。

 彼の生まれた世界、ナーエだ。


 しかし、クロウはエーデに立っている。

 森の中から、赤竜を見ている。


『まさか、綻び……!?』


 唖然とする赤竜の目の前で、クロウは結界を張る。

 それは、赤竜がエーデに戻らないようにするための結界だ。

 そもそもこうする予定で、ヴィゼがここにあった綻びを隠していたのだった。

 そしてクロウがここまで赤竜を誘導し、向こう側に帰す。

 それが、ヴィゼの立てた作戦だった。


『おいテメエ、なにやってんだこのヤロ! 決着つけろや!』

『これ以上黒竜の評判を落とさないようにしようとあるじは仰ってくれてな。同族殺しはしない』

『はあ、何言ってんだオマエ!?』

『それに、エーデでお前を殺すと死体から魔力が拡散して大変なことになる』

『させるかよ! 大体アイツが呼べばすぐに……』

『お前はもう、契約獣ではなくなる』


 クロウは告げて、銀に光る金属をかざした。

 それは今日、彼女の右手首を飾っていた腕輪の一つで、ヴィゼの用意した魔術具である。

 それに込められた魔術を、クロウは発動させた。


 抗う術もなく、赤竜は茫然とクロウを見つめる。

 魔術具に込められた術は赤竜を傷つけるものではなかったが、大きな衝撃を彼に与えた。


『……テメエ、何した、今……』

『契約を解除した。正確に言うと、お前の仮の名を消した』


 契約の解除、そんなことができるのかと、赤竜は立ち尽くした。

 ただ、彼が仮の名を失ったことは確かだった。

 インウィディアに呼ばれるだけではエーデに行けないことは、確かだった。


『お前はもう一度召喚されるか、お前が通れる綻びを見つけない限り、こちらに戻ってくることはできない』


 クロウが初めてエーデに降り立った時のような魔術を赤竜が使えばまた話は別だが、わざわざ懇切丁寧に教えてやる義理はない。

 だからクロウはそれを口にせず、どこか憐れむように赤竜を見やった。


 ――この男が再戦を望んでも、わたしたちの元に戻ることは難しい……。


 たとえ竜であっても、世界を繋ぐ魔術の知識(・・・・・・・・・・)に辿り着くことは容易ではない――。

 クロウはそのことを知っていた(・・・・・・・・・・)から、この赤竜ともう一度会う可能性は低いと、そのことに安堵していた。


 ――あるじも目くらましを仕掛けておくと言っていたしな。


 頼もしい主の姿を思い浮かべ、さすがだとクロウは内心賞賛する。

 そんなヴィゼに恥じないように、確実に仕上げをしなければと、クロウはもう一つ、右手首に着けていた腕輪を掲げた。


『ではな、赤竜』

『待て……!』


 もう一つの腕輪ももちろん魔術具で、それに込められた魔術は、修復魔術。

 それは目の前の綻びを、みるみる内に塞いでいく。


『くっそ、最後まで戦えや、卑怯者! やっぱ評判通りじゃねえか黒竜は! 今すぐ戦いの続きを始めねえと、やっぱ黒竜は卑怯者だって吹聴するぞ!』


 結界を壊そうとしながら、子どものように叫んだ赤竜に、クロウは淡々と返した。


『構わないが、それはお前が負けたと吹聴することにならないか? 負け犬の遠吠えと思われてもいいなら、止めはしない』

『正論ムカツク! くっそ、絶対またテメエと戦って今度こそちゃんと殺してやるからな……!』


 わたしは二度と会いたくない、と心の中で告げたクロウの目の前で、綻びは閉じた。


 戦いが長引くようならまずかった、とクロウは魔力残量を確かめ、ほっと胸を撫で下ろす。

 クロウの力では一撃で頑丈な同族を仕留めるのは難しいし、傷を負わせても竜の治癒力は半端なものではない。

 赤竜を殺さなければならなかったなら、力尽きてまたやられていたかもしれない。

 幸いにも怪我らしい怪我はしなかったが、紙一重な場面の方が多かった。

 先日の一戦で死にかけたとはいえ、相手の手の内を知ることができていて良かった、と思う。

 あれがなければ、あの変則的に動く血という武器に対応できなかったかもしれない。


 ――とにかく、赤竜への対処は終わった。あとは、白蛇だ。


 ふ、とクロウは息を吐き、気合いを入れ直した。

 まだ戦いは終わっていないと、黒の瞳が再度戦意を宿し、クロウは急ぎ、戻る。

 彼女の主の元へ。




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