28 黒の少女と事情
「時系列で話すと、こんな感じかな」
話が一段落して、ヴィゼはすっかり冷めてしまったコーヒーを口に含んだ。
目の前の三人は、沈黙している。
重たい沈黙を破って一番に口を開いたのは、エイバだ。
「……ヴィゼ、正直言っていいか」
「うん……」
「思ってた以上に重い。特にクロへの想いが重すぎる」
それは自覚しているので、ヴィゼはただ曖昧に微笑んだ。
「クロウ殿もずっとそのリーダーの影にいたわけですな……」
「びっくり似た者カップル……」
ぼそり、とゼエンとレヴァーレも呟いた。
「ってそうだ、あいつはずっとお前の影にいたんだろうが。なんであいつはお前が呼んでも出てこなかったんだ? まさか、全く別物の黒竜ってわけはないよな」
訝しげに、エイバは質問をぶつける。
「それに、あいつならどんだけの雑兵に囲まれたって、お前を連れて逃げられたんじゃねえのか?」
「言葉のことも、変ですな。竜ならば概念送受が使えたのでは?」
うん、とヴィゼは眉を下げた。
「順番に答えようか。まず、僕が探していたのはクロウで間違いない。黒い竜は、滅多に生まれないそうなんだ。セーラに確認した話では、黒竜は現時点でクロウだけのはず」
そういうこともあるのか、とメンバーは相槌を打った。
伝説の白竜の話は有名であるが、竜自体についての詳しい情報はエーデにはない。
小さな情報にも感心しつつ、彼らは続きを促した。
「それならどうしてクロウが応えなかったのかは推測になるんだけど……、多分間違っていないと思う」
ヴィゼは嘆息交じりに、答えを口にする。
「名前を呼んでも、クロウにはその声が届いていなかったんだ。当時は分かっていなかったから、さっきは言わなかったんだけど、あの廃墟でクロウと出会った時、僕は召喚魔術も契約魔術も使っていなかったから」
「へ? 召喚魔術やないなら、クロやんが現れた理由は説明できへんやろ?」
「それがね、できるんだよ」
「……まさか、綻びですかな?」
「そっちの方が近いかもね」
ゼエンが半信半疑で口にした問いに、ヴィゼは頷く。
「……廃墟にあった魔術式は、ナーエとエーデを繋ぐものだったんだ」
ちなみに一昨日重体のクロウを本拠地まで転移させた魔術式は、その応用である。
「えええ、なら……、クロやんは自分の意思で世界の境界を越えたんか!」
「うっかりこっちの世界に落っこちた可能性もなくはないけど、多分そう。そうやって目の前に現れた彼女に、僕は無意識に魔力を使って、名前をつけてしまったんだと思う。それが契約みたいなことにはなった。だけど、正式な手順を踏んだわけじゃなかったから、あの時クロウが飛んで行ってしまった時かな、それが無効化された。同時に、僕がつけた名も、失われた」
「ああ、やから最初、『クロウと呼ばれている』て……」
クロウはヴィゼにもらった名を、名乗りたくても名乗れなかったのだろう。
だから、白竜か誰かが呼び名につけた「クロウ」という名を口にしたのだ。
「その上、あれ以降、誰かに知られて二の舞にならないようにって、名前を呼ぶ時厳重な結界を張るようにしてたから、そもそも僕が呼んでいたなんて、クロウは知らなかったんだ。影の中にいても僕のプライベートを見ないようにって、ひどく気を遣ってくれていたみたいだから」
「……お前ら、何やってんだよ……」
呆れ返ったエイバの眼差しに、ははは、とヴィゼは乾いた笑いを零した。
一昨日から、それについても己を責めているヴィゼである。
それがなくとも、彼はずっと考えていたのだ。
あの時のヴィゼに、せめてもう少し魔術の知識があったなら。
そうすれば、ずっとルキスと共にいられたかもしれないのに、と。
「それで、何でクロウが概念送受を使わなかったとか、そのことだけど……」
ヴィゼは言い淀んだ。
「クロウにはっきりと聞いたわけじゃないから、実際のところは分からない。本人がいない場所で話していいのかも」
ヴィゼは仲間たちの顔を見る。
様々な困難を乗り越え、これ以上ないほどに信頼し合える絆を築いてきた、仲間の顔を。
「でも……、皆になら許してくれると思うから」
ヴィゼはテーブルの上でぎゅっと両手を握った。
「――これはセーラに聞いたことなんだけど……、黒竜はナーエじゃ、あまり印象の良い存在じゃないみたいなんだ」
そうしてヴィゼは、セーラに聞いた黒竜の話をする。
「……そっか、やからクロやん、エーデの方に来たんか……」
黒竜が忌まれているという事情を聞いて、レヴァーレはしんみりと口にした。
「だから、白竜に教えられるまで、クロウは本当に何も知らなかったんじゃないかな。概念送受のやり方も、戦い方も、何もかも」
そんな、恐ろしいまでの孤独の中にいたのか。
それを想像してしまって、四人は何も言えなくなった。
「……リーダーの責任は、重大ですな」
やがて穏やかに、ゼエンが告げる。
「せやな。幸せにせなあかんで。あんなええ子」
「それは……、もちろん、そう思うけど」
言いつつも、ヴィゼは表情を曇らせた。
「――でも、僕でいいんだろうかって、そうも思うんだ」
そう、ヴィゼは自分の弱さを晒す。
「僕があの時二つの世界を繋いだから、契約のようなことをしてしまったから、クロウはずっと義理立てしてくれているのかもしれない。でも言いかえれば、僕はそんな風にして、ずっとクロウを縛りつけてしまったんだ」
それなのに、その上、クロウがこのままヴィゼに縛られていてくれればと願っている。
歪んだ執着心を自覚するからこそ、ヴィゼは躊躇を覚えていた。
離せないと分かっているくせに、だからこそクロウの心を抑えつけてしまうだろうことが、恐ろしい――。
しかし、そんなヴィゼの弱気は一蹴される。
「……お前は、アホか」
先ほどから呆れっぱなしのエイバが、自嘲の表情を浮かべるヴィゼにずけずけと言った。
「確かにあいつは真面目で義理堅いヤツだが、ホントに嫌ならわざわざ戻って来ねえだろ。別れ際に人間に攻撃されたってんなら尚更だ。でもあいつは白竜に何でもかんでも習って、今のクロになった。人の中にいてもおかしくない存在にな。義理立てだけでそこまでするか? 恩返しだけなら、言葉を覚えるとこまでしなくてもいいんだ。概念送受が使えりゃいい。それだけで満足しなかったのは、あいつ自身がずっとお前の側にいたいと思ったからだろ。一時のこと、契約している間だけのことじゃなく、ずっとって思ったから、必死になって覚えたんだろ。誰にも何も言わせずにお前といるには必要だって、分かってたんだ」
「……!」
エイバの指摘に、ヴィゼは息を呑む。
「妙な気遣いばっかしてっと、逆に傷つけちまうぜ。幸せになってほしいと思うんなら、他でもないお前自身の手で幸せにしてやれよ」
「……そうだね。肝に銘じる」
エイバの言葉はヴィゼの心に突き刺さった。
ヴィゼは神妙に頷く。
簡単に切り換えられるわけはなく、心は揺れた。
臆病なのだと、ヴィゼは思う。
期待して裏切られるのが怖いから、予防線を張っている。
けれどエイバの言う通り、自分の弱さでクロウを傷つけることはしたくない。
守りたいのは、守るべきは、自分の心ではなく、クロウなのだ。
クロウが目覚めた時、何と言うべきか。
よく、考えておかなくてはならない……。
「……いつもクロウ殿に張り倒されそうになっているだけあって、エイバ殿の台詞には説得力がありますな」
ヴィゼが難しい顔になったところへ、ゼエンがそんな風に言って、場が一気に緩んだ。
ヴィゼとレヴァーレは思わず噴き出し、エイバは情けない顔になる。
「御大~、せっかく決めたのによ……」
「それはすみませんでしたなぁ」
全く悪びれない口調のゼエンだった。




