26 黒の少女と正体②
「……まぶしい」
もごもごと呟いて、ヴィゼははっと目を開けた。
視界に入るのは見慣れた部屋であるのに、一瞬、自分がどこにいるのか掴みかねる。
なんで、と目元に手をかざし、窓から入ってくる陽光から庇いながら、ヴィゼは記憶を辿った。
昨晩はクロウについていたはずだった。部屋に戻った記憶はない。
そうだ。
「クロウ……!」
寝起きの混乱した頭で、ろくにものが考えられないまま、ヴィゼは布団をはねのけた。
ベッドをおり、格好も気にせず廊下に出ると、すぐ隣の部屋のドアを開く。
全て夢だったのではないか、とそのわずかの内にヴィゼの胸は不安で溢れていた。
クロウと出会ったことすら、自分の願望が見せた夢だったのではないか……。
ノックもせずにドアを開けたヴィゼを、イスに腰かけていたエイバが驚いた顔で振り返る。
その横のベッドに眠るのは間違いなくクロウで、ヴィゼは安堵と共に、その白く美しい寝顔を茫然と見つめた。
「おう、起きたのか、ヴィゼ」
声を抑え、エイバは軽く笑うと、静かにヴィゼに歩み寄った。
「驚いたぜ。寝ぼけたのか?」
「いや、うん、ごめん……。部屋に戻った覚えがなかったから……」
「そりゃそうだ。寝落ちてたから、部屋に運んだんだよ」
「あー、ごめん……」
ばつが悪く、ヴィゼは後頭部をかきまわした。
クロウが大怪我を負ってから、三日が経過している。
ヴィゼはそれこそ寝ずにずっと彼女の側についていて、昨晩はさすがに肉体に限界がきたのだろう。
心配したメンバーが食事だけはとらせていたが、睡眠はそうもいかない。
クロウの側を梃でも離れようとしなかったヴィゼがようやく意識を手放して、メンバーたちはほっとしたくらいだった。
「ま、いいってことよ。逆にクロは容態もマシになったみてえでちょっとだが意識が戻ってな。朦朧としてたみたいだから起きても覚えてねえと思うが、レヴァが言って人の方になってもらった。ずっとあそこじゃあな」
「そっか……」
わずかでも意識が戻ったと聞いてヴィゼは胸を撫で下ろす。
「じゃあ、それからは皆がクロウのこと看ててくれたんだ?」
「おう。大丈夫そうだが、念の為な」
「そっか……ありがとう。おかげさまで頭もすっきりしたし、替わるよ」
「お前なあ……」
いかにも寝起き、という姿で言われて、エイバは呆れ顔を隠さなかった。
「もう少しでラフが来てくれっから、お前はそうしたら俺と朝食だ。看病はその後」
「でも――」
「反論は受け付けないぜ。ちゃんと食事はとらねえと、痩せ細ったお前見たらクロが逆に心配するだろ。それに、その爆発した頭のままで看病すんのか?」
正論に、ヴィゼは返す言葉がない。
昨晩まではもっと切羽詰まった様子で、メンバーたちの言葉に耳を貸す余裕もなかったから、大分落ち着いたようで何よりだとエイバはその様子を見て思う。
「お父さん、朝ごはんどうぞー」
そこへ、ちょうどラーフリールがやってきた。
「あ、ヴィゼさん、おはようございます」
「おはよう……」
気まずげに、ヴィゼは髪の毛を手のひらで撫でつけた。
「なにかあったらよびますから、ヴィゼさんも朝ごはん、食べてきてください」
「……ありがとう、ラフ」
しっかり者の少女に脱帽して、ヴィゼはぽんぽんとラーフリールの頭に触れた。
できればこのまま残りたかったが、彼女の言を無視してまでクロウの側に張りついてはいられない。
ヴィゼはもう一度クロウの顔色と、彼女にかけられた毛布が確かに上下に動いているのを確かめてから、エイバと食堂へ向かった。
食堂では朝食を済ませたゼエンとレヴァーレが片付けをしていて、現れたヴィゼの顔色がまともになっているのに微笑む。
「おはようさん、ヴィゼやん」
「おはようございます、リーダー。こちらをどうぞ」
「ありがと……」
朝食の乗ったプレートが、ヴィゼのものとエイバのものと、テーブルに並べられる。
寝込んでいるクロウよりも気遣われている気がして、ヴィゼは何だか恥ずかしくなった。
思い返してみれば昨晩までの自分は本当に余裕がなかった、と反省する。
――また失ってしまうんじゃないかと、気が気じゃなかったんだ、よな……。
あの、後。
クロウが竜体に戻れば、竜という体の特別性ゆえか、レヴァーレの治療魔法と相まって、その傷口はみるみる内に塞がっていった。
それを見て、ヴィゼには分かった。
彼の手を振り払ったクロウ。
彼女は、ヴィゼの、レヴァーレの、その負担を減らすために、竜体になったのだと。
――クロウの「言えないこと」はきっとこれだったんだ。それなのに……。
クロウが一命を取り留めて、なおヴィゼが茫然としていると、そろそろとセーラが近付いてきた。
『ヴィゼさん、驚いてます、よね……?』
「いや、」
それは半分は嘘で、半分は本当だった。
ヴィゼはずっと疑っていた。けれど、確信が持てなくて、ここまで来てしまった。
クロウを、泣かせてしまった。
自惚れなどではなく、自分のせいだ、とヴィゼは思っていた。
「セーラは……、いつから知ってた?」
最初から、と小さな声でセーラは答えた。
『ヴィゼさんに召喚されてすぐ、先輩がやってきて……、言わないでくれ、って頼まれたんです……』
竜の絡んでくる話で時折セーラが挙動不審だったのは、それがあったからか、とヴィゼは得心した。
概念送受は相手を限定できるから、他の時にもヴィゼたちの知らぬうちに二人で言葉を交わすことがあったのかもしれない。
『ヴィゼさんが黒竜様のことを口にした時はだから、びっくりして……。先輩が、そうだって、知ってたんですね……?』
それにはヴィゼは、何とも答えられない。
『先輩、ずっと、ここにいられますよね?』
クロウは黒竜だ。セーラとは違い、エーデに与える影響が大きすぎる。
だから、知られてしまったらここにいられないと考え、隠していたのではと、セーラは推測していた。
それに、黒竜がこれまでどのような扱いを受けてきたのかと考えれば……、自分であればやはり打ち明けることはできない、とセーラは思うのだ。
けれど、ヴィゼをはじめとした<黒水晶>の仲間たちならきっと、クロウを見限ったりしない。
そう信じて、セーラはクロウに元の姿に戻るように訴えたのである。
それでもわずかばかり不安はあって、じっとヴィゼを見上げた。
ヴィゼはひたむきに黒竜を見つめている。
「僕は……、ずっとクロウといたいと、思ってるよ」
その横顔に、セーラはほっとした。
そうして、ヴィゼはそれから、ずっとクロウの側を離れなかった。
日が沈んで、空気が冷たくなっても、その傍らにあった。
黒竜の姿となったクロウはさすがに建物の中には運びこめないから、ヴィゼは毛布を体に巻きつけて外で一夜を明かした。
意識は戻らないものの、クロウの鼓動はしっかりしていて、メンバーはベッドで眠るようにヴィゼを説得しようとしたが、その時の彼は取りつく島もなかったのである。
夜が明け、太陽が高く昇っても、ヴィゼはがんとしてその場を動かず――再び日が落ちて気を失ったのだった。
全く、今朝の醜態も含めれば、どれだけ余裕がなかったのかと、頭を抱えてしまう。
セーラも、ヴィゼが眠らずにクロウについているのを見、ヴィゼの負担にならぬようにとナーエに戻ったようであるし、非常に情けなくなってヴィゼは溜め息を吐いた。
仲間たちに見捨てられておかしくないのは自分の方だと考えながら、ヴィゼは有り難く朝食を完食する。
「……で、」
ヴィゼが人心地ついていると、エイバにスプーンを向けられた。
「そろそろ俺らとしては、話をしてほしいところなんだが、リーダー?」
「話、」
「せやで~、いい加減、お姉さんたちに聞かせてえな」
にこやかなレヴァーレが、ゼエンと共にコーヒーを持ってやってくる。
四人分のコーヒーがテーブルに並んで、ヴィゼは古参メンバー三人の視線を一身に受けた。
「えっと……、うん」
後で色々と話をしなければならない、とヴィゼも思っていた。
けれど話さなければならないことがありすぎて、一体何から口にしたものだろうか。
「でも、どこから話したものかな……」
ひとりごちるような台詞に、レヴァーレが拳を握って言う。
「お姉さんとしてはな、一番に聞きたいのはやっぱ、クロやんとヴィゼやんの馴れ初めやね!」
「馴れ初め、って……、語弊がありすぎるよ……」
そのヴィゼの言葉に、他の三人は共に異を唱えたい気持ちになった。
「クロウが竜だったこととか……、気になることは他にもあると思うんだけど」
「それは見たまんまで分かったからいいんだけどよ」
二晩経って驚きも冷め、それはすっかり事実として受け入れられてしまっていて、メンバーに動揺の色はない。
「それよりも、リーダーが探していたのはやはりクロウ殿だったのですかな?」
ズバリ聞いてきたゼエンの言葉に、ヴィゼはこのままコーヒーを口にすると大惨事になりそうだと思い、持ち上げていたカップを下ろした。
「御大……」
「もーう、あれやろ、廃城でのクロやんとの出会いは運命の再会やったんやろ!?」
レヴァーレの脳内で、一体どんなロマンチックな妄想が繰り広げられているのか。
恐ろしくて聞けないが、その言葉は間違ってはいないとヴィゼにも思われ、反論できない。
「ずっと召喚魔術研究してて、クロのことやたら気にしてると思ったら、そのクロが竜だったとか、分かりやすかったよな。要はお前は、黒竜を召喚しようとしてたってわけだ」
脳筋だと思われがちだが、エイバは実のところ聡い男である。
それにしても見透かされている、とヴィゼは絶句した。
「その辺のところを、詳しく聞きてえんだよ。話したくないのを無理にとは言わねえが、気になるのはホントだし、聞かなきゃこっちだって、お前らがうじうじしてんのに、助言とかそういうの、したくてもできねえだろうが」
スプーンを振りながら、エイバはそう主張した。
怒っているようにも聞こえるが、ヴィゼやクロウを大事な仲間と思うからこその言葉だ。
ヴィゼが禁忌に触れても、クロウが竜だとしても、仲間だと。
「……うん、ありがとう……」
ヴィゼはカップを両手で包み、頭を下げて謝意を示す。
「何しろ、召喚魔術で、竜だから、なかなか言えなくて……。でも、もう今さらになっちゃったからね。……だけど、何かあったら、皆は無関係を主張してほしい」
「却下」「却下やね」「却下ですなぁ」
声が揃い、ヴィゼは一瞬目を丸くして、苦笑を浮かべた。
――本当に、仲間に恵まれたよなぁ……。
幼い頃は、こんな仲間を持てるなんて、思ってもみなかったというのに。
目を細め、ヴィゼは手元のコーヒーに視線を落とす。
「……あの子と出会ったのは、十二歳の時だったよ」
コーヒーの黒々とした水面に映る、大人になったヴィゼの顔が、そう唇を動かした。




