22 修復士と白竜の子孫
戸惑い顔のクロウを連れ、ヴィゼは屋上へ向かった。
本拠地の屋上は、ちょっとした庭園になっている。
造り上げたのは、ゼエンとレヴァーレだ。
ゼエンは野菜を、レヴァーレは薬草を育てているのだが、それだけでは少し寂しいと花を植え、こまめに手入れをしているので、なかなか見事なものとなっている。
ラーフリールのためにブランコをとりつけたり、休憩用にベンチを置いたりしたので、公園のようでもある。
一階の中庭は先ほどクロウが体を動かしていたようにほとんど鍛錬場になっており、何かを植えてもうっかり踏みつぶされてしまいそうなので、代わりに屋上が採用され、こうなった。
ヴィゼはクロウを促し、並んでベンチに腰かける。
そこからは屋上庭園が見渡せ、白のゼラニウムや、ピンクのエリカ、それに様々な色のコスモスなど、美しい季節の花々が風に揺れていた。
菜園にも緑が溢れ、イモの葉を見つけたヴィゼは、去年ゼエンが作ってくれたスイートポテトのほっこりとした美味しさを思い出す。
「ここはいつ来ても綺麗にしてあるなぁ」
「先日も、御大とレヴァが色々植え替えをしたりしていた」
「あ、もしかして手伝ってくれた? ありがとう」
「いや……」
感謝の言葉に、クロウは照れたように頬を染めた。
しかしすぐに、そうではない、とヴィゼを見上げる。
優しい眼差しを向けてくれる、彼女の主を。
「あの、あるじ、その……」
「――クロウ、謝らなくていいから」
謝罪が繰り返される気配を感じて、ヴィゼは先手を打った。
クロウはそれに、ふるふると首を振る。
「だが、巻き込むことになってしまって、それに、わたしは師のことも、黙っていた……!」
「それは――びっくりしたけどさ。なかなか、言えないことだと思うよ。普通なら信じられないようなことだし」
「信じてもらえないと、思ったわけではないのだ……。わたしは、保身のために、黙っていたのだ……」
保身、とヴィゼは口の中だけで呟いた。
「あるじが古の魔術を研究していると言ってくれた時も、そうだ。わたしは師から受け継いだものをあるじに渡すこともできた。それがあるじの求めるものかどうかはともかくとして、そうできたのに――今だって、そうできるのに……」
「クロウ、いいんだ」
ヴィゼは少し強く言った。
「自分の力で手に入れないと意味のないものだから。きっと、クロウが打ち明けてくれていても、断っていたと思う。……喉から手が出そうなのは、否定しないけど」
最後だけ少しおどけて見せれば、あるじ、とクロウは泣きそうな顔で笑った。
「問題は、」
これ以上続けて最終的にクロウを泣かせることはしたくなかったので、ヴィゼは話をそらす。
「あの白蛇男が全然諦めなさそうってことだ。今度は実力行使で来るだろうね」
「しろへびおとこ……」
笑わせようと思ったわけではないが、ヴィゼの形容がツボに入ったらしく、クロウは笑いを零した。
「それは、ぴったりすぎる形容だな」
「自分で言っててそう思うけど――実際のところ、あのインウィディアの実力ってどんなところかな? それからあの――ロートって男。結局、一言もしゃべらずに帰ったけど……、」
そう口にして、ヴィゼはそんな話を昨日したばかりのような気がした。
あの赤い男が、話さなかった、のではなく、話せなかった、としたら。
先ほどクロウが、インウィディアに向けた言葉の、意味は。
いや、その結論に飛び付くのはいくらなんでも安易にすぎるか――。
ヴィゼは考え込むように言葉を切り、まさか、と囁くように漏らした。
それに、クロウはヴィゼの考えが分かって、それを肯定する。
「……あるじの考え通りだと思う」
「クロウ、」
ヴィゼは軽く目を見張って、
「あの男は、魔物、なのか――いや、この場合は、幻獣、召喚獣と呼んだ方がいいのか……。魔物たちを喰い荒らしたのも、」
「タイミングがよすぎる。間違いないだろう」
境界を越えてきた魔物たちを喰い荒らし、姿を消してしまった強力な幻獣。
人の姿をとって幻獣であることを隠しているのかもしれないと、セーラは憶測を告げた。
ロートが召喚獣であるならば、見つけることの叶わなかったそれと同一であると考えるのは、タイミングからしても不自然なことではない。
「用心棒と言っていたけど、クロウから白竜の遺品を奪うために召喚したのか……。いや、でも、魔物たちを喰い荒らしたのが本当にさっきのロートなら、早い段階で召喚自体はしていたはず。昨日の内に強硬手段に出ても良かったはずだけど……」
「それは、出会いが偶発的なものだったからだと思う。わたしを探してはいたのだろうが、まさかこんな街中で出会うとは考えていなかったのだろう」
「そう、なの?」
「わたしは居場所を明らかにしていない。それで、まずは師の複数ある隠れ家をあたることを考えたのではないだろうか。その途中、たまたまここで会ったわけだな」
「居場所を明らかにしてないって……、それ、いいの?」
白竜の血縁者たちは、クロウを探し回っているのではないか。
彼女を引き止めたヴィゼが心配するのはそれはそれで憎々しく思われそうだが、そうだとしたら気の毒なことではないかとついつい同情してしまう。
「師はむしろその方が良いと言った。本来なら簡単に譲渡などできないものだ。それを欲するのなら、大地から一粒の砂を見つけるほどのこと、してみせなければならぬ、と。……とはいえ、彼らにすればわたしを見つけるほどのこと、そう大したことではなかろうとも思う。ここは交通の要所であるし……」
相槌を打ちながら、ヴィゼは昨日のクロウが漏らした「ただでくれてやるのも癪だから」という発言を思い出していた。
クロウを探す間に何か得るものがあろう、という考えもあったのだろうが、伝説の白竜というのは結構イイ性格をしていたのではないか、と想像してしまう。
「ともかく、白蛇殿は市場でわたしとばったり出会った」
白蛇、という形容が気に入ったらしく、それに敬称をつけてみせるクロウ。
「人目のあるところだったから召喚獣は喚び出さずひとまず遺品を貰い受け……、それが彼を満足させるものであったならもしかすると何も言わず去ったかもしれないが、彼は満足せず、遺品の管理権を寄こせと言ってきたわけだな。しかしわたしが拒絶したので、あるじに話を持ってきた。無理矢理にでも奪うつもりはあっただろうが、説得で手に入れられるなら、その方が後始末をせずに済むと考えたのではないだろうか」
「なるほどね……」
ヴィゼは顎を撫でる仕草を見せた。
「さっき、召喚魔術を許さないっていう話をしていたけど、白竜の他の子孫は彼をこのままにしておくつもりかな……。そもそも、召喚魔術が使われたことに気付いているのか……。これは僕が言うのも変な話だけど」
「気付いては、おらぬのではないかな……。それに、白蛇殿が大きな騒ぎを起こしたり、綻びを生み出したりしない限りは、気付いていても静観すると思う。皆それぞれに忙しくしているし、皇帝アサルトが召喚魔術を消そうとした理由は、綻びのこともあるが、万が一にも自分たちが連れ戻されないようにとの考えからだった。師も亡くなってしまったから、彼らが召喚魔術を禁忌扱いする理由は弱くなったのだ」
自分の扱いもそれに準じるのだろうな、とヴィゼは頭に留めておくことにする。
「つまり、動いてくれるとしても襲撃後か……」
「だが、白蛇殿がわたしから遺品を奪えば、確実に皆彼の敵に回る。彼に同調するような人物は、おそらくいない。召喚魔術を使ったのはむしろ、遺品を己のものとした後で一族の者と対立する時のための準備だと思う」
他の身内のことをヴィゼが口にした時の、インウィディアの瞳を、彼は思い出す。
「身内が全員敵に、か……。どうして、そこまでして……」
「これはわたしの想像だが……、」
クロウは瞳を暗く沈ませて、前置きした。
「誰を敵に回したとしても、彼は力が欲しいのだと思う」
「でも、宮廷魔術士ってことは既に相当な力の持ち主なんじゃ?」
「それも常人と比べれば、の話なのだ」
ヴィゼは少し眉を顰めた。
「それは……、もしかしなくても、他の子孫はその比でないくらいに強い?」
「うむ。白蛇殿は、もちろん強いのだ。魔力の保有量も多いし、宮廷では彼が生成魔術で実現できない攻撃魔術はない、などと褒めそやされていると聞いたことがある。だが、それ以上に凄まじい者たちがいてな」
それは、とヴィゼは少しばかりインウィディアが気の毒になった。
プライドも高そうだったから、周囲がそれではさぞかしきつかろう。
「僕も知ってる人とかいそう……」
「有名な者は多いな。だからといって、弱い者を見下すということはない。人の血がかなり入ってきているから、全く力のない者とているのだ。当然のことだ。しかし、白蛇殿は己の力が周囲に及ばないのに耐えられないらしい」
「白竜の遺産があれば、彼は強くなれる?」
「いや――」
眉を寄せ、クロウは首を横に振った。
「白蛇殿が、白蛇殿の求めるレベルの、師の遺した古式魔術を再現するのは……ほとんど不可能だ。師の使用していた魔術具も扱いきれまい。道具の方が強すぎて、潰される。師のそれは……、巷にあるような万人向けの魔術具とは、一線を画しているのだ」
「白蛇男は、それを知らない?」
「知らないと言うか……信じてくれないのだ」
心底困り果てたように、クロウは零す。
「師の生前から、彼はああで……。師も困っていた。それでも強くなりたいと言う彼の思いに答えたいと、力になろうとして……。だが、どうにもならないことはある。それで彼は半ば手当たり次第に師の魔術具を試そうとし、師に厳しく止められた。それは彼の死を招くことだったからだ。だが、すると彼は、弱い自分を侮っているのだろうと怒って……」
「うわぁ……」
なんて面倒臭い、とヴィゼは思った。
しかし、これからその相手をしなくてはならないのだ。
「白蛇男を諦めさせるには、圧倒的な形で勝たなきゃ無理そうだね……」
「正直なところ、白蛇殿だけなら対処できると思う。しかし、あの召喚獣は……」
「やばい、か」
「うむ、やばい」
「人化していて、あれだけ魔力を感じられたくらいだからね」
「白蛇殿も察知されにくくする魔術をかけていたはずだ。その上であれだ」
「……クロウ、ずばり聞くけど」
「うむ」
「あの召喚獣、どんな幻獣とかって、分かる?」
ヴィゼの質問に、クロウは押し黙った。
その沈黙の重さに、想定以上に相当な相手なのだと分かる。
ヴィゼは無意識に、唾を呑みこんでいた。
「――竜だ」
やがて、クロウは深く息を吸い、はっきりと告げた。
「あの男は、赤竜だ」
次に黙るのは、ヴィゼの番だった。
「……それは、やばいね」
「うむ、やばい」
「というか、竜を喚び出せるのに、子孫の中では弱いんだ」
「師と比べれば、大人と生まれたばかりの赤子だな」
「一般人は胎児レベルか……」
二人して、遠い目になる。
ふぅ、と小さく嘆息して、クロウは改まった。
「……あるじ、考えたのだが、わたしは一時どこかに身を隠しておこうかと思う」
「えっ、いや、それは駄目だよ」
思わず言ってしまってから、はっとヴィゼは片手で口を塞ぐ。
クロウの師が白竜であったと聞いた時より動揺したのを自覚した。
彼は何とか取り繕い、努めて落ち着いた声で言う。
「……身を潜めていても、諦めてくれるわけじゃない。それならさっさと対処した方がいいと思うんだ」
「しかし、竜が相手では危険が大きすぎる。身内の誰かに応援を頼むことはできるが、竜に対抗できる人物となると一握りだし、多忙故に、到着までどれほどかかるか……。その間に襲撃されてしまっては……」
「白蛇男よりずっと強い人たちがいて、その人たちより竜は強いのか……」
「だからこそ、白蛇殿が赤竜を召喚したのだとも言える」
淡々とクロウは言って、うーん、とヴィゼは唸った。
――やはり、わたしが離れるのが一番良い方法だ。
そう思って、クロウはヴィゼを見上げる。
けれど、けれど……。
「……竜は竜でも、契約に縛られた召喚獣で、息の根を止めるところまでいかなくていいなら、僕たちでも対処できるかも」
「え、」
ヴィゼは眼鏡のフレームを押し上げた。
予期せぬ言葉に、クロウは目を丸くする。
「でも、それにはクロウの力が必要だ。……だからクロウ、ここにいてよ」
「あるじ、しかし……」
「準備を終えるまでは確かに危険もあるだろうけど、本拠地にいれば、ここの結界はかなり手強いから大丈夫だと思う」
それはヴィゼの自惚れでもなんでもなく、彼の作り上げた結界は、仲間を守るという点においてほぼ無敵の機能を備えている。
だからそれを察したインウィディアも、交渉決裂となってすぐに攻撃を仕掛けてこず、一旦引き上げたのだろう。
「準備が整ったら、こっちから打って出よう」
「あるじ……」
「皆もね、クロウが一人で隠れるのには賛成しないと思うんだ。あとで皆にも話して、協力してもらおう」
「だが……、だが!」
「もっと頼ってよ」
ヴィゼは笑った。
「守られるだけじゃなくて、守りたいんだよ。仲間だから、一緒に戦いたいんだ。クロウ、だからここにいてよ」
「……っ」
強く強く、ヴィゼの言葉はクロウの心に響いて。
込み上げてくる感情は、声にならなかった。
――駄目なのに。
優しく笑いかけてくれる皆を、巻き込んでしまうなんて、駄目なのに。
クロウはぎゅっと、奥歯を噛みしめる。
「あるじ……、わたしは……、」
――首を、振らなくちゃ。
だけど、だけど……。
膝の上で強く手を握るクロウの姿に、その葛藤をヴィゼは読みとる。
クロウにはつらいことだろうが、迷ってくれることが、ヴィゼは嬉しかった。
もちろんクロウに心を痛めてほしいわけではない。
だがその逡巡は、クロウがヴィゼを、仲間たちを思ってくれてのことだから。
「クロウ、前に御大が言ってたこと覚えてる? シンプルに考えればいいんだよ。ここにいたいか、いたくないか」
「あるじ……、その二択は、ずるい……!」
そう声を上げたクロウは、おそらく気付いていないのだろうなと、ヴィゼは推測する。
最初にゼエンが示した二択も、よくよく考えればトリッキーなものだった。
二択は二択でも、全く異なる選択肢だったら、クロウは<黒水晶>の仲間になってくれなかったかもしれない。
例えば、あの時のクロウに示されたのが「ヴィゼを守る護衛でのみあり続けるか、続けないか(=ヴィゼたちの仲間になるか)」という二択であったら、どうなっていただろう。
迷惑をかけるかもしれないと怯えていたクロウは、前者を重んじて、ヴィゼを守るため影の中に居続けることを選んだかもしれない。
だから、ゼエンがあの問いかけをしてくれたことを、ヴィゼは大層感謝している。
――クロウ、性質の悪いリーダーでごめんね。
心の中で謝りながら、ヴィゼはさらに続ける。
「――クロウがここから出ていきたくないって思ってくれていて、迷っているんだったら、僕は命令だってする」
「あるじ……?」
「ここにいるんだ、クロウ」
「――!」
再会して初めての命令が、それだなんて。
クロウは息を呑んで、己の主君を仰ぎ見る。
「僕たちの仲間として、ここに」
きっぱりと言ったヴィゼに、クロウはふっと肩の力が抜けるのを感じた。
「……あるじは、本当に、お変わりなく、お優しい……」
意識せず、唇が微笑みの形になるのが分かる。
そう言われてしまっては、頷くより他にクロウにできることはない。
それが、嬉しい。
喜んでしまってはいけないことなのに――。
「……わたしはここに、いる。<黒水晶>として、戦う」
泣きそうにも見える笑みに、ヴィゼはどきりとした。
けれどそれは、何かを懐かしむようでもあって、とても優しいもので。
うん、とただヴィゼは頷く。
目の端に揺れる花々が緑が映り、彼の気を引こうとするが、彼の意識は全てクロウに向かっていて、ヴィゼはもう一度「うん」と言うと、柔らかに目を細めた。




