21 修復士と突然の来訪者②
「それで、話とは?」
ヴィゼは前置きなく問いかけた。
相手も無駄話をするつもりはないらしく、単刀直入に切り出してくる。
「私の血縁であり、そちらの彼女の師が亡くなったという話は聞かれていますか」
「ええ。クロウがその遺品を預かっていて、あなたはそれを引き取りに来られたそうですね」
客人はカップに触れようともせず、ヴィゼも手を伸ばさなかった。
茶を出したのはそれがマナーだからで、突然の来訪者をもてなす意図は実のところなく、気にはならない。
クロウには申し訳なかったが、おそらく彼女も気にしていないだろう。
「そこまでご存知なら話が早い。率直に申しましょう、私はそれに納得していないのです」
「それ――と言いますと?」
「私が受け取った遺産と、彼女が遺産を管理しているということに」
ヴィゼは目を細めた。
昨日のクロウが困ったような顔でいたのを、思い出す。
「……その話をなぜあるじにする。あるじには関係ないだろう」
「関係なら大いにあります。当事者であるあなたの主人だ」
怒気を含んだクロウの言葉に、インウィディアは温度のない声で返した。
「ヴィゼ殿、どうか彼女に命じていただけませんか。遺産の管理は血縁者が行うべきだと。確かに彼女は十年程あの方の側にあったようですが、それだけの他人です。共に暮らしていたわけではなくとも、気遣いあってきた血縁者がいるというのに、そこにでしゃばってくるのはいかがなものか」
「しかし、クロウが管理を任されたのは故人の意思なのでしょう」
「何の捏造もなければ、そのようですね」
「わたしは師の言葉を偽ってなどいない……!」
クロウは大声こそ上げなかったが、その言葉からは激高をありありと感じられるようだった。
「大体、あの師の遺品で、遺言だ。偽り、掠め取るようなこと、できるはずもない! あなたの発言は、師を侮り見下すものだぞ……!」
「あの方を見下せる者などこの世界にはいないでしょう。しかし、あの方ですら死は避けようもなかった。死に瀕したあの方にならば、いくらでも付け入ることができたのでは?」
「なんたる無礼……!」
クロウは己が疑われていることにではなく、失われた師が侮辱されたと感じ、憤っているようである。
今にも剣を抜きそうな殺気を感じて、ヴィゼはクロウを止めるようにすっと片手を上げた。
ヴィゼもインウィディアの言いようには腹が立ったが、さすがに剣を抜くのはまずい。
何よりそれをすれば、後ろの赤い男が動く。
それは避けなければなるまい、と、ヴィゼは先ほどのクロウの警戒を思い出し、口を挟む。
「申し訳ありませんが、あなたの発言は言いがかりにしか聞こえない。クランの仲間として庇っていると思われるでしょうが、クロウは遺品を騙して奪うような卑怯な性根の持ち主ではありません。それに、こちらとしては少々腑に落ちない」
「……何がです」
「あなたは宮廷魔術士だという。若くして実力があり、地位もあれば財産もあることでしょう。そしてクロウは、故人の意思に従いあなたに遺品を渡した。既に多くのものを手にしているはずです。遺産に拘る必要がありますか?」
ふ、とインウィディアは冷笑を浮かべた。
「……なるほど、やはり肝心なことをお聞きではない」
ヴィゼは一瞬眉を顰め、クロウを仰いだ。
クロウは顔色をなくしている。
「確かに軽々しく口にすべきことではない。しかし……」
インウィディアはそうひとりごちたが、話した方がヴィゼの賛同を得られると考えたのだろう。
「ヴィゼ殿、これから話すことは内密に願いたいのですが……、」
そして、ヴィゼの返事を待たずに、インウィディアは続けた。
「――白竜の遺産、なのですよ。私たちが問題としているのは」
聞き間違いか、とヴィゼは己の耳を疑った。
「伝説の白竜のことは、もちろん知らぬはずもないでしょう。私は皇帝アサルトと白竜の子孫なのです。信じられないことかもしれませんが、数ヶ月前まで、かの白竜はご存命だったのですよ――」
気が狂っているのではないか、とヴィゼはインウィディアを疑ったが、クロウは否定の言葉を発しない。
ヴィゼはクロウを見、インウィディアを見た。
「……本当に?」
それは、双方に問いかけたものである。
クロウはぎこちなく、小さいものであったが、確かに首肯した。
「信じずとも構いませんが、私たちはそういうつもりで話をしています。……私は心配しているのですよ。白竜の遺産の管理など、彼女には荷が勝ちすぎていると。金額に変えれば莫大なものになるというのはともかくとしても、希少な魔術具や魔術資料も多い。それを適切に管理できますか。守り抜くことが、できるのですか」
「――クロウならば、やれるでしょう」
いまだ告げられた事実に混乱していたが、ヴィゼははっきりと告げた。
共にこなした依頼は数少なくとも、並大抵の敵ではクロウをどうこうするのは不可能だと、彼は確信している。並以上の敵でも、そうだろう。
「だからこそ故人もクロウの管理を望んだのだと考えます。そしてクロウがその意思を受け取り遺品を守ることを望むのなら、その意に反した命令をすることはできません。申し訳ありませんが、お引き取り下さい」
「あるじ……」
きっぱりと言い渡したヴィゼに、クロウは目を見開いた。
「あなたの仲間も危険に晒される可能性がある。それでも?」
「その時は皆で立ち向かうだけのことです。それに、白竜が存命だったという事実を知るのは、そのお身内だけでは? つまり、遺産を狙うような輩がいるとしたら、あなた方だということになる。お身内が故人の意思を軽んじることなくいてくだされば、我々に危険など訪れようがありません」
「我々があの方の遺産を管理するのは当然のこと。それを盗人のように言われるのはいかがなものか」
氷のような声で言って、インウィディアは立ち上がった。
「白竜の遺産をしがない戦士風情が独占するなど、思いあがりも甚だしいとは思わないのですか」
あからさまに本音を見せてきたな、と眼鏡の奥からヴィゼはインウィディアを見上げる。
「独占ではなく管理です。遺言に従い、然るべき人物にお渡しする。あなたにもそうしたはずだ」
「ええ……、ええ、その遺言が正しくあの方のものなのであれば、私もわざわざこんな場所に足を運ぶことはなかったでしょう」
「偽りなど入る余地などない、あの文には、遺言には、師の魔力が込められていたはずだ!」
「それに対する疑念は先ほど述べました。あなたが潔白であることを、どうか証明していただきたい」
そんな、とクロウは言葉を失った。
「できないと言うのであれば、私も引けない」
そもそも引くつもりなど最初からないだろうと、ヴィゼは苦々しく思う。
彼はクロウが白竜の遺産を横取りしようとしていると、決めつけてしまっている。
たとえクロウが実直に遺言を守ると分かっていたとしても、譲らないだろう。
それは、彼自身が遺産を独占したいと考えているが故に。
「……インウィディア殿、あなたの主張は分かりましたが、やはり言いがかりにしか聞こえません。それに、あなたがここに来られたのはどうやら一族の総意というわけではないようだ。他の一族の方は、クロウが管理者でいることに納得しているのではないのですか?」
「私は知らせを受け取ってすぐに出立しました。他の身内には会っていないので明確な答えはいたしかねます。ですが、身内が一人でも異を唱えているのです。血縁者でないクロウ殿は、潔く身を引くべきでしょう」
ヴィゼはわざとらしく、深く溜め息を吐いた。
「平行線ですね。このまま話を続けても時間を浪費するだけのようです。どうか、お引き取りを」
「……仕方がありませんね。今はお暇することにしましょう」
交渉は決裂。
ヴィゼは立ち上がり、一つ付け加えた。
「もし他の一族の方々も同様のことを主張されるようでしたら、話し合いの場を設ける心づもりはありますので、その時はご一報を」
クロウは物言いたげにヴィゼを見上げたが、何も言わなかった。
インウィディアは一瞬、怒りのような憎悪のような色を瞳に過らせたが、静かに返す。
「……ひとまず、暇を告げることとしましょう」
インウィディアはロートに目配せし、退室のそぶりを見せる。
クロウがドアを開け、ヴィゼが先導して、再び玄関ホールへ。
「二つ、忠告しておきます」
ヴィゼが扉を開けたところで、インウィディアが冷たい眼差しを寄こしてきた。
「白竜の遺産には軽々しく触れぬことです。あなたには、扱えない」
「……その権利を持たないことは当然承知しているつもりです」
インウィディアと自分は違う、というニュアンスを含ませる。
インウィディアにそれが分かったのか分かっていないのか、冷たい瞳はそのままだ。
「もう一つ」
続けられた言葉に、ヴィゼはぎくりと身を強張らせる。
「召喚魔術は、これ以上用いぬ方が良い」
「……何、を?」
「皇帝と白竜の子孫は、召喚魔術の再現を基本的に許しません。先日呼び出されたほどの小物であれば静観しますが、あなたが乱用するようであれば、我々は黙っていないでしょう」
「召喚魔術が禁忌ということはもちろん存じています。そして、失われたはずのものでしょう」
「……君子のお答えだ」
白を切ろうとしたヴィゼに、インウィディアは口元を歪めた。
クロウはそんな彼に、眉を寄せて忠告を返す。
「危険な橋を渡っているのは、あなたの方だろう」
「何のことです?」
「そんなものを喚び出して、どういうつもりだ。わたしを脅すつもりだったのか」
「おや、やはり気付いておられた。その上でその振る舞い、大したものだ」
感心するように言うが、皮肉の色が濃い。
「必要なことだと考えた。それだけのことです」
「だが、一族の反感は必至だ」
「構いませんとも」
今さらだ、とインウィディアは鼻で嗤う。そもそも認められていないのだから、という彼の心が分かるようで、クロウは眉を顰めた。
「師は一族の不和など望んでいない。それに師はあなたのことを思ったから、あの品々を遺したのだ。どうしてその思いを理解せず、こんな行動をとる」
「はっ、私のことを思うのならば、私の望みを叶えるものを遺して下さったはずですよ」
吐き捨てるような台詞。
クロウはぎゅっと拳を握り、インウィディアは冷静な顔に戻った。
「……それでは、失礼します」
全く失礼だった、と思ったがヴィゼは口には出さない。
客の退出を見送り、扉を閉めた。
気配が遠ざかるのを確認してヴィゼが振り返れば、クロウは俯いて拳を震わせている。
「クロウ……」
「すまない、あるじ……、迷惑を」
顔を上げられず、クロウは振り絞るような声を出した。
「いいんだよ」
ヴィゼは労わるようにそっとクロウの肩に触れる。
そして優しく誘った。
「――クロウ、ちょっと外の空気でも吸いに行こうか」




