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黒水晶の竜  作者: 隠居 彼方
第1部 修復士と黒竜

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20 修復士と突然の来訪者①



 その、翌日。


 久々にとてもよく眠れた、と思いながら目覚めたヴィゼが窓の外を見ると、太陽は思う以上に高い位置まで昇っていた。


「う、そ……!?」


 慌てて身支度を整え、朝食を残してくれているだろうかと、食堂へ足を向ける。

 特に予定が入っているわけではなかったが、ここまで寝坊するつもりはなかったので、時間を損してしまったような気分だ。


 いつもならゼエンが起こしてくれるのに、と甘えたことを思っていると、窓の外、クロウが建物に囲まれた中庭――鍛錬場となっているそこで、一人剣を手に体を動かしているのを見つけた。

 クロウもヴィゼに気付いていたのだろう、ヴィゼが立ち止まるとすぐに駆け寄ってきて、窓越しに向かい合う。


「おはよう、クロウ」


 窓をからりと開けてヴィゼが言えば、おかしそうにクロウは笑った。


「あるじ、もうすぐ昼食でもおかしくない時間だ」

「そうだよね……、寝過ぎちゃった」

「うむ、顔色が良くなっていて、安心した」

「……もしかして、わざと起こさずにいてくれた?」

「皆ずっと、あるじの隈を気にしていたのだ」

「……おかげで、すこぶる快調だよ」

「それは何より」


 申し訳ないような、照れくさいような気持ちで、ヴィゼはクロウと微笑みあった。


「御大が食事を用意していってくれている。わたしもそろそろ昼食にしようと思っていたのだが、一緒でも構わないだろうか」

「もちろん」


 二人はそうして、食堂で合流した。

 クロウがスープを温めてくれるというので、ヴィゼはそわそわと待つ。

 クロウとまともに二人きりになるのは、あの洒落たカフェで軽食をとった時以来ではないだろうか。

 彼女には、聞きたいことや話したいことがたくさんあるように思う。

 だが、実際にこうして二人になってみると、改めて切り出すのは何とも難しかった。


「あるじ、待たせた」


 クロウがその手に運んできたのは、白い器に入ったクリームスープ。

 既にテーブルには、ゼエン手製のサンドイッチとサラダが並んでいる。

 ヴィゼとクロウだけでも簡単に食事がとれるようにと用意していってくれたのだ。

 他の席も空いているのだが、いつもと同じようにクロウはヴィゼの隣に座って、二人は食事を開始した。


「皆は、予定通り協会に?」


 冷めないうちにとスープを口にすれば、その熱がじんわりと体にしみていくような感覚がする。

 それを快く思いながらヴィゼが聞けば、クロウはサンドイッチを頬張りながら頷いた。


 昨晩、<黒水晶>の他の三人は協会へ仕事を探しに行くと話をしていた。

 ラーフリールも友人たちと共に出掛けるからと留守にしている。


 昨日こそ協会からの依頼を引き受けたものの、リーダーであるヴィゼが一番仕事らしい仕事をしておらず、まずいような気がした。

 そろそろ<黒水晶>としてきちんと依頼を引き受けなければと思ってはいるのだが、今は研究に集中したい気持ちの方が強く、なかなか腰が上がらないのだ。


「クロウは皆と一緒に行かなくても良かったの?」

「わたしはあるじをお守りするのが本分ゆえ」

「そ、そう……?」


 こんなやりとりも何度目か。

 護衛とか、従者とか、そういうのではなくて、とヴィゼは思っているのに。

 クロウがひたむきにヴィゼを見つめてくれているのがありありと分かる返事が返ってくると、どうにもむずがゆいような気持ちになって、否定の言葉を言えなくなるのだった。


「……もう少し研究を進めたいから、したいこととかあったら我慢しないでね」


「わたしはここにいられるだけで満足だ」


 さらりとクロウは言ってのけて、


「それより、あるじの体の方が心配だ。研究はいいが、ちゃんと休息もとらなければ」


「気をつける、ね……」


 スープのせいではなく、顔が熱い。

 ヴィゼはそれを冷ますように、サラダの野菜を次々に口へと運んだ。


 二人とも多弁な方ではないので、ぽつりぽつりと会話しながら、そうして食事を終える。


 それから二人は、共に洗い場に立って食器を洗った。

 最初はクロウが「わたしがやる」と言い張ったのだが、やってもらってばかりでは悪いとヴィゼも言い、二人で皿を取りあった結果、そういうことになった。




 <黒水晶>の本拠地に招かざる客がやって来たのは、その片付けが終わって、二人が一息吐いた時である。


「あるじ」


 不意に、鋭くクロウが呼んだ。


「――来た」


 それは、本拠地への出入りを感じ取れるヴィゼよりも早かった。

 え、と声を上げそうになって、すぐにヴィゼも気付く。


 ここへと近付いてくる気配――強い魔力の、気配。

 次いで、扉のノッカーを叩く音。


「わたしが行く」


 毛を逆立てた猫のように、警戒心も露わにクロウが言う。


「――いや、」


 来訪者を追い返しそうな様子を内心怪訝に思いながら、ヴィゼは歩き出した。


「僕が行くよ」


 警戒を隠さず、クロウはヴィゼについてくる。

 廃城での魔物討伐の時でさえこんなにもピリピリしていなかったのに、とヴィゼも緊張を覚えながら、玄関ホールの扉を開けた。


 その向こうには、二人の若い男。


 一人は痩身で、目を引く白銀の髪を全て後ろに撫でつけており、端正だがどこか神経質さを感じさせる容貌をしている。白いローブと、同じく白い杖から、魔術士だとすぐに分かった。


「あるじ、師の、」


 後ろからクロウが囁いて、昨日の、とヴィゼはすぐに思い当たった。


 そしてもう一人は、派手な赤を身に纏っている。野性味のある顔立ちをしていて、一方の白い魔術士よりも優に頭ひとつ分は身長が高い。非常に引き締まった体躯をしているのが見てとれ、エイバと比べて体の厚みはないように見えるものの、背に負った大剣を振り回せば簡単に魔物を吹き飛ばしてしまえそうだった。

 その光景を想像したから、というわけではないのだが、ヴィゼはこの赤い男にゾッとするようなものを感じる。


「突然の訪問、申し訳ありません」


 慇懃に、白い魔術士は告げる。

 謝罪の言葉だが、その気持ちは欠片も感じなかった。


「クラン<黒水晶>のリーダーであるヴィゼ殿とそちらの……、クロウ殿にお話があって参りました。ヴィゼ殿はおられますか」

「僕です」


 その返答に、白い魔術士は意外そうな表情になった。

 クランのリーダーというので、もっと年上の人物を想定していたのかもしれない。


「そうでしたか。私はインウィディアと申します。このモンスベルクで、宮廷魔術士を務めています。この男は……用心棒で、ロートと」

「宮廷魔術士――」


 おそらく、この白い魔術士――インウィディアはヴィゼよりも若い。

 それで宮廷魔術士とは、ゼエンが言った通りかなりの実力者なのだろう。


「お時間をいただけるでしょうか」

「……ええ」


 断る正当な理由もないし、断ると面倒なことになる予感もする。

 ヴィゼは二人を中へ通し、クロウに飲み物を頼んだ。

 異論はあるのだろうがクロウも断れないことは分かっていて、再び食堂へ向かう。


 ヴィゼはその背をちらりと見送って、突然の来訪者を応接室へと案内した。

 <黒水晶>の本拠地に部屋は有り余っていて、何もない部屋の方が多いが、応接室とメンバーが呼ぶそこには、ちゃんと来客のためのソファが置かれている。

 といっても、向かい合うソファと、その間に小さなローテーブルがあるだけなのではあるが。


 ヴィゼは二人にそのソファを勧め、向かいに座った。

 腰掛けたのはインウィディアだけで、ロートと呼ばれた男はその後ろに立つ。


 クロウが警戒するのはこちらの赤い男なのだろうなと、ヴィゼはその様子を窺った。

 昨日クロウが話す様子に、つい先ほど示したほどの警戒は欠片もなかった。

 話にも出てこなかったということは、昨日顔を合わせた際には、赤い男の方はいなかったのだろう。

 用心棒と紹介されたが、一体何者であろうか。

 どこか禍々しい魔力を感じさせる、この男は……。

 彼はヴィゼが探るような目をしているのに気付いているのかいないのか、不敵な表情である。


 やがてクロウが茶を淹れてやってきた。

 カップの数は二つで、クロウはそれを、ヴィゼとインウィディアの前にだけ置く。

 赤い男には出すつもりがなく、クロウ自身もまた飲まずにいるようだ。

 気分を害すかとヴィゼは正面の二人に視線を向けたが、どちらにも気にした様子はない。

 クロウはそのまま、ヴィゼの隣には座らず後ろに控えた。


 こうして、インウィディアとの会談は始まったのである。




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