18 修復士と竜族の話②
『――え、』
ヴィゼの問いに、セーラは固まった。
『こっ、ここここここここ』
鶏のような声がヴィゼの頭に響く。
「黒竜。いるんだよね?」
『こっ、こっ、こっ、こここ、って、ヴィ、ヴィゼさん、本当は知ってるんですか?』
「本当は、って?」
『あ、い、いえ、その……、どうして、黒竜様のことを?』
セーラは黒竜の存在については一言も漏らしていない。
彼女のあまりの鶏ぶりを奇妙に思いながら、ヴィゼは「ちょっとね」と言った。
「やっぱりいるんだよね。さっきは話に出てこなかったけど、何か理由があるの?」
『それは……、あの……』
セーラは言葉を詰まらせる。
『黒竜様については……、あまり良いお話を聞かないんです……』
気の進まない様子で、セーラはそう語った。
『私が知っているのは、あくまで噂なんですけど、それでよければ、お話できます……』
今までになく慎重な切り出しに、ヴィゼは目を瞬かせた。
「――うん。聞かせて」
その返答を聞き、セーラは深く息を吸うと、静かに語り出す。
『……黒竜様は白竜様と同じで、滅多にお生まれにならないようです。持って生まれる魔力が他の竜の方と比べて少なく、そのせいか竜族の中で最も下位の存在だと思われているとか……。私たちのような小さいモノからすれば、どの御方も畏れ多い存在ではあるのですが――』
うん、と真剣な面持ちでヴィゼは相槌を打った。
『ともかくそれで、竜族の方々は黒竜様のことを見下していて……、その上、ずっと前におられた黒竜様が、とても卑劣なやり方で他の皆様を、殺した、らしくて、竜族の中で黒竜様の存在はタブーになったと……』
「――!」
ヴィゼは眉を顰め、息を呑んだ。
「それじゃあ……、新たな黒竜が生まれたとしたら、竜族は、」
その可能性のことを、つい口にしてしまう。
咄嗟にそこまでのことを考えてしまったヴィゼに、セーラはこの時、疑問を抱かなかった。
『私には……、分かりません』
沈んだような声で、セーラは続ける。
『ただ、緑竜様が仰っていたことを、覚えてます。最近――人にとっては、もう何年も前のことになると思います――黒竜様がお生まれになったと。けれど、すぐにいなくなってくれて、ほっとしたって……。私その時、初めて黒竜様のお話を聞いて……、その時はそんなこともあるんだなぁ、くらいにしか思わなかったんですけど……』
セーラの声は、少しだけ涙を帯びるようだった。
『でも、考えてみたら、それってとても、つらいことですよね……。昔の黒竜様は悪いことをしたんでしょうけど……、生まれたばかりの黒竜様は何もしていないのに……、魔力が少ないからって侮られて、一方で仲間殺しだって憎まれて……、いなくなって、安心されるなんて……』
いたく黒竜に感情移入してしまったらしいセーラは、とうとう本当に泣き出してしまった。
ヴィゼは迷ったが、そっとセーラを抱き上げて、撫でてやる。
「セーラ……、君は、優しいね」
『そんなこと、ないですよぅ……』
セーラの背中はさらさらとして、温かかった。
ヴィゼも何だか泣きたいような気持ちになってしまって、困る。
「……その黒竜は、どこに行ってしまったと思う?」
あの時以来、セーラに黒竜の話が聞こえてきたことはない。
けれどセーラは、希望を込めて、返した。
『きっと、ご自分で居場所を見つけられたと、思います。仲間のいる、温かい場所……、竜族の方が、見つけられないわけないですもん……』
そうだね、とヴィゼは温かな毛並みを撫でながら、心の中で相槌を打った。
――けれど、それなら、僕のしようとしていることは。
きっととても、ひどいことだ。
――僕の、してしまったことは……。
ヴィゼは目を伏せる。
深く思考の底に沈みそうになったところで、それを止めるように、三人が帰宅した気配を感じた。
研究室だけでなく本拠地全体にも彼が綿密につくり上げた結界があり、ヴィゼはメンバーの出入りを把握することができるのだ。
結界には他にも様々な機能を組み込んであって、<黒水晶>のメンバーとラーフリールがいなければ、何人であっても出入りできないようになっていた。
メンバーを介さず入り込むのは至難の技で、たとえ侵入を果たせても、メンバーと建物に危害を加えるようなことがあれば何倍ものしっぺ返しを食らうことになる。
それらの機能を挙げていけば切りがないほどだが、ヴィゼがそこまでするのは、彼の研究内容と、研究の目的のためだった。
「……セーラ、皆が帰ってきたみたいだよ。今から御大が昼食を作ってくれると思うけど、見に行く?」
随分と湿っぽくなってしまったので、気分を入れ替えるようにヴィゼは提案した。
セーラはぱちぱちと瞬き、気遣うような視線をくれるヴィゼに、涙をどこかへやって微笑む。
『――はい。見てみたいです!』
明るくなった声にヴィゼはほっとして、セーラを抱き上げたまま、研究室を出る。
「でも……、変だな」
食堂へ向かいながら、ヴィゼはひとりごちた。
「クロウが、いない? レヴァも、えらく早いな……」
セーラもヴィゼの手のひらの上で首を傾ける。
食堂に行くと、レヴァーレがラーフリールから水の入ったグラスを受け取るところだった。
お帰り、と迎えれば、母子の明るい帰宅の声が重なる。
「レヴァ、随分早かったね」
「そうなんよー。それがな、行ってみたら魔物の死骸がごろごろしとって、どうも強いのが食い荒らしてったみたいなんよ。おかげで出番がなかったわ」
「それって……、もしかして強力な魔物がまだどこかに?」
懸念するヴィゼに、レヴァーレも苦々しく頷いた。
「綻びから戻った可能性もあるけどな。少なくとも近くに気配がなかったもんやから、ひとまず解散になったんや。もしかしたら、午後協会から近辺の捜索要請があるかもしれん」
「了解」
レヴァーレが仕事に向かった先は、この街からそう離れた場所ではない。
他人事ではないし、特に受け持っている依頼があるわけでもないヴィゼは頷いてみせた。
それから、もう一つ気になっていたことを尋ねる。
「――クロウは? まだ帰ってないよね?」
「クロウ殿なら、帰る時に知り合いらしい男の方に声をかけられましてな」
答えたのは、奥で買ってきた食材をしまっていたらしいゼエンだ。
ヴィゼの声を聞いて、わざわざ出てきてくれたらしい。
「御大もお帰り。――知り合いに、会ったって?」
「けん、みたいな男の人でした」
ラーフリールは心配そうに言う。
「剣?」
「銀髪の若い男性でしたな。痩せていて鋭い雰囲気でしたので、ラフさんはそう思われたのでしょう。かなりの実力の魔術士と見受けましたな」
「そう……」
心配と、不安のような焦りのようなものが、ヴィゼの胸の内に湧いた。
しかし、
「すぐにわたしも帰るから、って言ってましたよ」
ラーフリールの言葉に、励まされたような気持ちになる。
――帰る、か……。
「昼食が出来上がるまでには帰って来られるでしょう。美味しいものを作っておかなければなりませんな。ラフさん、お手伝いをお願いしてもよいですかな?」
「はい!」
「あ、御大、セーラに見学させてやってくれる?」
奥のキッチンへまた向かおうとしたゼエンをヴィゼが呼びとめて、不思議そうに首を傾げたのはラーフリールである。
「セーラ、って……、そのマリモさんですか?」
『ま、マリモ……!?』
ショックを受けたようなセーラの声が響く。
そう言えばラーフリールにはまだ紹介していなかったと、ヴィゼはセーラのことを話しておくことにした。
召喚魔術のことは伏せつつ、簡単にセーラのことを紹介する。
これから協力してもらう仲間だと言えば、賢いラーフリールは口止めの約束にも頷いて、ヴィゼの手からセーラを受け取った。
「うわぁ~、もふもふさんですね~」
「面白いものがあるかどうか分かりませんがなぁ、どうぞ」
レヴァーレと同じ目に合わされるかもとびくびくしながらも、ゼエンと連れ立つラーフリールの手の中、セーラはキッチンへと入って行く。
それを苦笑して見送るヴィゼの隣で、ごくごくとグラスの中の水を飲み干したレヴァーレが、空になったそれをテーブルに置いた。
「……あのな、ヴィゼやん。クロやんのことなんやけど、」
声を潜めて切り出してくるレヴァーレに、続きは容易に察せられて、ヴィゼは唇を引き結んだ。
「……うん」
「こんなん、おせっかいやと思うけどな、ちゃんと話しいよ?」
「うん……」
煮え切らない様子のヴィゼに、レヴァーレはさらに言う。
「これな、クロやんに聞いたわけやないから、確かなことやないけど。クロやんは、ヴィゼやんに仕えとる、って感覚でおるやろ。そこに突然、新しい従者が登場したわけや。セーラやんはええ子みたいやし、あの子が悪いわけやない。けど、複雑なんやないかな、クロやんは」
「そう……なのかな」
ヴィゼは目を伏せた。
「僕は……、失望されたのかもしれないって、思った。だから――何だか、」
「それて、召喚魔術を使ったからか? ないない! クロやんがヴィゼやんに失望するとか、ありえへんのやないかなぁ……」
「そんなの、分からないよ」
「いやいや、分かるて。半月弱しかいっしょにおらんでも、分かる。せやなぁ、失望した言うんなら、クロやんはもしかしたら自分に失望しとるかもしれんな」
「なんで、そんな――」
「やって、仰いどるヴィゼやんのしたことを、受け入れられんわけやろ。それもクロやんが、召喚魔術のこと自体を悪いこととは思ってへんかったら、余計や。それに、召喚魔術云々のことを言うなら、ちゃんとそう言ったはずや。クロやんは盲目的やけど、ちゃんと諌めることもできる子やと思うで」
ヴィゼは、絶句した。
レヴァーレの言うことは、ひどく正しいことに思えたのだ。
「……ま、その辺、本人からちゃんと聞いてみな、な」
「……うん」
神妙に、ヴィゼは首肯する。
しょうがない、というような、姉のような笑みで、レヴァーレはそんなヴィゼを見つめた。
そうして言葉を交わす内に、いつの間にか時間が経っていたらしい。
本拠地にクロウが戻って来たのが分かって、ヴィゼは顔を上げた。
「……レヴァ、ちょっと行ってくる」
「行ってらっしゃいー」
ひらひらと手を振ったレヴァーレに見送られ、ヴィゼは早足に玄関ホールへと向かった。
帰って来たばかりのクロウはゼエンたちの手伝いをと考え食堂へ向かおうとしていたが、急ぐ様子のヴィゼに目を丸くする。
「あるじ、どうしたんだ?」
「え、や、どうもしてない、よ。――お帰り、クロウ」
「うん」
クロウはヴィゼの迎えの言葉が嬉しかったらしく、口元が緩んでいる。
その瞳は昨晩とは異なり真っ直ぐにヴィゼを見つめてくれて、胸を掴まれるような気持ちになった。
「あるじ」
「ん?」
さてどう切り出そうかとヴィゼが口を開くよりも先に、クロウの方が決然と告げた。
「わたしはもっと、あるじにふさわしいものであるように努力する」
「え……、え?」
「だから、もっとわたしを頼ってくれれば嬉しい」
あれ、とヴィゼは混乱した。
何やらよく分からないが――クロウはクロウできっと色々と考え……、自分で決着をつけてしまったようではないか?
「えっと……、クロウ、」
「駄目か?」
「いやいや、駄目なんて! 気持ち、嬉しいよ。でもあのさ……」
クロウはもう十分活躍してくれている、等々、言いたいことはたくさんあった。
謝罪の言葉も、慰めの言葉も、感謝の言葉も、全部全部、伝えられることは伝えようと思っていた。
だが、ヴィゼが嬉しいと告げた瞬間に、綻ぶようにクロウは笑って。
「うん、がんばる」
それに、ヴィゼは何も言えなくなった。
ただ、その笑顔に見蕩れていた。




