17 修復士と竜族の話①
「はぁ……」
深い溜め息を吐いて、それからクロウはしまった、と口を塞いだ。
朝から何度、溜め息を繰り返しているだろう。
いけない、と思うのに、気付けばこうなのだ。
こんな調子だから、まだ幼いラーフリールにも気を遣わせてしまっている――。
ヴィゼが召喚魔術を成功させた翌日のこと。
クロウは、ゼエンとラーフリールが買い出しへ行くのに同行していた。
ラーフリールが、「いっしょに買いものに行きましょう!」と誘ってくれたのだ。
ヴィゼは召喚した樹妖精――セーラにこちらの世界について教える約束をしたというので、彼女と居り、別行動中である。
<影>を護衛につけているものの、なるべくセーラには近付かない方がいいだろうと、クロウは自身がヴィゼの側についていたいのを我慢した。
エイバは協会からの仕事で剣を教えに、レヴァーレは治療術師として他クランの応援に行ったので、今日の予定が何もないのはクロウだけ。
ひとまず本拠地を案内するというヴィゼの背を途方に暮れたように見つめていたクロウに、ラーフリールは母親によく似た太陽のような笑顔を向けてくれたのだった。
――昨日は、涙まで見られてしまったし……。
それを他のメンバーには知られたくなくて、ずっと俯いていた。
涙を知っていたラーフリールは、そんなクロウを昨晩からずっと心配してくれている。
情けなくて、恥ずかしくて、クロウはまた溜め息を吐きたくなった。
賑やかな市場の一角に設けられた休憩所で、今はひとり。
ゼエンとラーフリールは荷物番をクロウに任せて、クレープを買いに行ってくれているところだ。
二人がいない間なら溜め息の一つや二つ許されるだろうとも思うのだが、やはり溜め息が多すぎるのは良くなかろう、と生真面目にクロウは唇を引き結ぶのだった。
けれど、溜め息を堪えながら、クロウはまた、ヴィゼが召喚魔術を行った、ということを考えてしまう。
悲しみが、胸に押し寄せてくる。
ヴィゼは、あの時のクロウがあまりにも弱くて、情けなかったから。
だから、召喚魔術についての研究をしているのだろうか。
あの時のことを失敗だと感じているから。
だから、今度こそ成功させようとしているのだろうか。
――わたしは、あるじを守れなかったんだ。だから当然だ、あるじが召喚魔術を使うのも、今度こそ成功させようとするのだって……。
それなのに、きっと失望されていたということが、堪らなく悲しくて、辛い。
弱かった過去の自分は嫌われていておかしくないと分かっているのに、ヴィゼが分からないことに乗じて側にいる今の自分が、卑怯で、矮小で、嫌だった。
こんな風にヴィゼの側にいる資格なんて、自分にはない。
それでも毎日、あともう少しだけ、とクロウは思ってしまう。
図々しく、ヴィゼの側にいてしまう。
話しかけてくれるのが、笑いかけてくれるのが、その目にクロウを映してくれるのが、嬉しくて嬉しくて、まるで夢のようで。
覚めないで、と願ってしまうのだ。
――わがままだと、ちゃんと分かっている。あるじの優しさに甘えているのも、自覚している。いつか、報いは受ける。だからそれまで、せめてもう少し、あるじの役に立たせてほしい――
一途な思いを抱え、クロウはぎゅうと両の手のひらを握り合わせた。
そこへ、クレープを持ったゼエンとラーフリールが戻ってくる。
「お待たせしましたなぁ」
「ごめんなさいー、思ったよりこんでたのですよ」
「いや。それより、良い匂いだな」
設置された丸テーブルを囲むように、ゼエンとラーフリールはクロウの向かいに座った。
「はい! このお店の、すごくおいしいんですよ! チョコレートのと、イチゴのと、いろんなくだものが入ったのを買ってきました。どれがいいですか?」
「わたしが選んでいいのか? ラフが好きなのはどれなんだ?」
「わたしが好きなのをぜんぶ買ってきちゃったんです」
「私どもは結構な頻度で食べていますからなぁ。ここは初めて食べるクロウ殿が最初にどうぞ」
「……ありがとう。じゃあ、イチゴのを、もらえるだろうか」
「どうぞー」
ラーフリールはにっこりと、クロウに持っていたクレープを差し出した。
二つ手にしていたゼエンが、「じゃあ、わたしはフルーツいっぱいの、もらっていいですか?」と言われてラーフリールにそれを手渡す。
まずラーフリールが嬉しそうにかじりつき、それを見てクロウも一口、クレープをかじった。
「……おいしい」
皮はもちもちとしていてそれだけでも美味しく食べられそうだ。クリームもイチゴもたっぷり入っているが甘すぎず、皮との比がちょうど良くなっていて、絶妙である。
黙々と食べ進んでいると、なくなりかけたところで、頬にクリームをつけたラーフリールが言った。
「元気がでるおいしさですよね」
「……そうだな」
クロウは泣きそうな気持ちで、微笑する。
小さな少女の、大きな優しさが、温かく、有り難かった。
この出会いをくれたのも、ヴィゼなのだ――。
最後の一口に幸せな甘さを感じながら、クロウは改めて決意を固める。
ヴィゼにも、<黒水晶>にも、ラーフリールにも。
何か少しでも返せるように、自分にできることを頑張ろう――、と。
落ち込んだままでいてもそれが誰かの役に立つことはないのだから、その方がずっと良い。
「ごちそうさま、ありがとう」
クロウが柔らかく口元を緩めれば、ラーフリールはさらに笑みを深めた。
「またいっしょに食べましょうね。こんどはヴィゼさんをさそってあげてもいいです」
「そうだな……。二人のデートの邪魔にならない時に、また声をかけてくれ」
賢い少女は、少ししてから真っ赤になった。
ゼエンは気付かぬふりでいてやり、クロウはまた少し笑った。
一方ヴィゼは、本拠地をセーラに案内した後、彼女と共に研究室にいた。
ヴィゼはコーヒーを片手にイスに座り、セーラはちょこんと机の上に乗っている。
セーラが食するのは水と太陽の光、土の養分だと言い、何を出すべきか迷ったところ遠慮されたので、何となく悪いような気持ちのまま、ヴィゼは一人自分で淹れたコーヒーを啜る。
本拠地を一回りしただけなのだが、セーラの質問は矢継ぎ早で、ヴィゼの口は休む暇もなかったのだ。
ひどく喉が渇いていて、ヴィゼはコーヒーを含み落ち着いた心地になった。
余裕ができて、ヴィゼは昨日からの気がかりである、クロウのことを思い浮かべる。
結局まだ、クロウと話せていないのだ。
夜、クロウはすぐに寝室に行ってしまい、今朝も時間を持てないままだったから。
――いや、それは言い訳だな……。
ヴィゼはただ、怖かったのだ。
クロウに真実を確かめるのが、怖かった。
最早ヴィゼの側にはいられないと言われるのが――嫌だった。
だが、確かめなければヴィゼと目を合わせてくれなかったクロウの理由は分からない。
改善できることであれば改善したいと思う。
だから聞かなければと思う。
しかしそこで、ヴィゼを主としていたのが勘違いだったなどと言われたら。
一体、どうしたらいいのだろう。
――クロウには、ずっと、いてほしい、のに……。
思ってしまって、ヴィゼは慌てた。顔が、熱くなる。
しかし、そう願っていても、もし彼女が離れようとした時、ヴィゼにはクロウを引き止められはしないと、落ち込んだ。
ヴィゼはいまだに、クロウとの過去を思い出せずにいる。
禁忌とされる召喚魔術を使用することに躊躇いを持たない自分は忌避されておかしくないし、ここ一週間は研究室に引きこもるばかりの日々だった。
クロウに何もできていないヴィゼが、彼女に何かを望めはしない――。
ほっと肩の力を抜くどころか、ずんと肩を落とすヴィゼの姿に、セーラは困ったように近付いた。
『ヴィゼさん、大丈夫ですか? 疲れさせてしまいましたか?』
「あ、ごめん……、大丈夫。ちょっと考えごとしてて」
小さな幻獣にまで心配をかけてはなるまいと、ヴィゼは微笑する。
「セーラ、今度は僕の方から色々質問してもいいかな」
『はい、どうぞ!』
ヴィゼは一旦思い煩うのを止めて、張り切って返事をしてくれたセーラと向き合った。
「答えられないことがあったら、遠慮なく首を振ってくれていいから」
前置きして、ヴィゼは眼鏡の位置を直す。
「それじゃあ、話しやすそうなところから聞こうかな。セーラの生まれ育った場所とか、仲間のこと。教えてくれる?」
穏やかに問いかけたヴィゼに、セーラは思いつくままに答えを返してくれた。
メモを取りながら、ヴィゼはふむふむと頷く。
質問を繰り返していると、ナーエについては本当に知らないことが多いと改めて認識する。
あちらの世界を知るためにナーエに足を踏み入れる、そんな危険を冒す者などいないし、召喚魔術が廃れた際、あちらの世界に関する資料もほとんど消えてしまったのだ。
ヴィゼの手元には、こつこつと集めたもの、先日の廃城から持ってきたものが多少あるが、それだけで世界にあるナーエの情報のかなりを占めるのではないか、と彼は考えていた。
つまりはそれだけ、希少な情報なのだ。
「次は……、そうだな」
いくつかの質問の後、ヴィゼは彼にとっての本題に入ることにした。
「竜について、聞いてみたいんだけど」
途端、セーラの体に動揺が走った。
『え、な、ど、どうして竜族様方のことを、わ、わたしにお聞きなさるのですか!?』
言葉も妙な具合になっている。
「どうして、って……」
あからさまなセーラの動揺に驚く、ヴィゼの瞳もわずかに揺れた。
「――こっちじゃ、召喚された白竜の話が有名なんだよ」
『そう、なんですか……!』
冷静なヴィゼの声に、セーラも何とか動揺を鎮める。
気を落ち着けながら、彼女は返した。
『白竜様のことでしたら、あちらでも有名ですよ』
「んん……、と、それって、召喚されて人と結ばれた白竜? それとはまた別の?」
『いえ、ヴィゼさんの仰る白竜様と、私が言う白竜様は同じ方です』
セーラはそう、断言した。
『竜族の中でも白竜様というのは滅多にお生まれにならないと聞きます。私が知っているのは、召喚されて人と番になったというお方だけです。他にもいらっしゃるのであれば、絶対耳に入ります』
「そうなんだ……」
セーラの言葉には、竜に対する絶大な尊敬と畏怖があった。
「竜っていうのは、こっちでも幻獣の王と呼ばれるけど……、実際に幻獣にとって、すごく特別な存在なんだね? もしかして、その中でも白竜というのはさらに輪をかけて特別?」
こくこくこく、とセーラは、あるようなないような首を激しく動かして肯定する。
そういうことならば、彼女の動揺ぶりにも納得がいった。
「……それなら、竜に関する質問はあんまりしない方がいいかな」
『いえ――、そ、その、多分、大丈夫だと、思います……』
セーラの歯切れは悪い。
ヴィゼは迷ったが、己の目的のため、続けることにした。
「竜っていうのはそもそも、どういう生態をしているのかな。彼らが君たちにとっても特別なのは、やっぱり魔力量がすごくて、他の何者よりも強いから?」
『……そうです。ヴィゼさんの言う通り、竜族はどの幻獣と比べてもけた外れの力をお持ちですから、逆らうモノはほとんどいません。ですがそれだけではなく、竜族というのは……、あちらの世界を創られた方々なんです』
「――なんだって?」
まさか創世という壮大な話が始まるとは思わず、ヴィゼは目を見開いた。
『私たちの……幻獣の世界を創り上げたのは、竜族の中でも白竜様だったということです。もちろん、ずっとずっと前の白竜様ですから、こちらに召喚された白竜様とは別の白竜様ですね』
「はぁ……」
『竜族には他に、赤竜様、青竜様、緑竜様、黄竜様がいらっしゃって、世界が創られた際には白竜様をサポートし、他の種族を導いてくださったといいます』
「竜はナーエの神様、ってわけか……」
エーデの国々は、基本的には多神教である。
自然や物体には意思――神が宿る、という考え方だ。
国や地域によってどの神を中心に信仰するか、という点では異なるが、たくさんの神の存在で世界は形作られている、と捉えられている。
それがナーエでは、たくさんの神ではなく、竜族であるというわけだ。
「白竜とか赤竜とかって、体色で呼び分けてるんだよね? アビリティなんかも違うのかな」
『はい。そう聞きます。ただ、詳しいことは知らなくて……、すみません』
「ううん、いいんだ。そうだ、竜族、っていうくらいだから白竜以外の竜はある程度の数、いるんだよね。どういう生活をしてるのかは、分かる?」
『ええっと、群れをつくって暮らすような方々ではないのは確かですね。あと、アビリティだけではなくて、体色によって性格や嗜好も偏っているとか……』
「具体的には?」
『赤竜様方は争いを好み、強い幻獣に戦いを仕掛けて、勝てばその肉を喰らうとか。青竜様方は水辺に住まわれることが多く、天候を操って遊ばれるのがお好きなようです。緑竜様たちは、私たち樹妖精にとってとても親しい存在ですね。性格も親しみやすく穏やかな方が多くて、私たちのような小さな存在のことも気にかけてくれます。黄竜様方はとても寡黙で……、何だかよく眠ってらっしゃるような……、もしかしたら、白竜様よりも知らないかもしれません』
「へ、へぇ……」
思っていた以上に、竜族というのは個性的なようだ。
聞いている分には面白いが、神として崇めるのは何となく遠慮したいような気もする。
さらさらとセーラの教えてくれた内容を書きつけて、ヴィゼはさりげなく、さらなる質問をした。
「じゃあ、黒竜は?」
――と。




