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黒水晶の竜  作者: 隠居 彼方
第1部 修復士と黒竜

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15 修復士と召喚①



 ヴィゼは何とか夜までに持ち帰る資料を選び終えた。

 その後の彼は頭の中がほとんど古式魔術のことで占められており、夢現のような状態であったが、何とか仲間たちと無事キトルスまで帰り着き、依頼完遂となる。



 しかし、報酬も受け取り、厄介な依頼は終わったのに、それ以来クロウは心配を抱えていた。

 魔術研究に熱中するヴィゼが、研究室にずっと閉じこもっているのだ。

 かれこれもう、一週間にもなる。


 古参のメンバーは慣れもあって、いつもよりちょっとひどい閉じこもり具合、程度の認識なのだが、クロウはどうにも落ち着かない。

 ずっと影の中に潜んでいたとはいえ、ヴィゼのプライベートを覗き見るようなことは極力避けていたから、クロウはヴィゼのそんな一面を知らずにいたのだ。

 特にヴィゼが研究室にいる間のことを、クロウは見ないようにしていた。


 <黒水晶>の本拠地はメンバーの人数に対して広すぎるほどだが、その建物の離れに、ヴィゼの研究室はある。

 小さなその建物は、元々あった物置を改築したものだ。

 うっかり魔術実験が失敗しても被害がそれ一つで済むからと、研究室として使用されることとなったのである。

 そこにヴィゼは、彼以外の者が入れないよう、強力な結界を張り巡らせていた。

 それほどまでにヴィゼが警戒をしているならば、それを暴くわけにはいかない、とクロウは一層目を背けていたのである。


 だが先日、失われた古式魔術の研究をしている、とヴィゼはクロウにその秘密を教えてくれた。

 それが他に知られれば、異端視されることは確実だ。

 ヴィゼが己の研究室に対し用心深くなるのも当然だと、クロウは腑に落ちる思いだった。

 それを(ヴィゼにとっては)出会ったばかりのクロウに告げてくれたことが、嬉しかった。


 だけど、と一方で、クロウは気持ちを沈ませる。


 ――あるじが、古き魔術に熱心なのは……。


 彼女が気にするのは、ヴィゼの研究の目的だった。

 失われた魔術の研究のその先に、ヴィゼが何を求めているのか――。


 そのことを考えると、クロウは胸苦しさを感じずにはいられない。


「いけないな……」


 クロウは首を振って、その端正な顔に浮かんだ憂いをその心のうちに何とかしまい込んだ。

 寝食を忘れて研究に没頭する主の体調の方が、余程案ずべきことである、と。



 そうして、夜へと移り変わろうとする時間帯、クロウはヴィゼの部屋の前、裏口を使って外に出た。

 そこから出ると、ヴィゼの研究室はすぐそこなのだ。

 夕食の用意がすっかり整ってもヴィゼがやって来ないので、呼びに来たのである。


 夜の帳が下りるのが遅い季節だ。

 建物の外へ一歩踏み出したクロウが空を見上げれば、赤から藍へのグラデーションが美しく広がっており、つい見惚れてしまった。


 その束の間のことである。


「――!」


 膨大な魔力を感じた。

 それは間違えようもなく、すぐそこにあるヴィゼの研究室からである。


 これほどまでに魔力を使う魔術の行使。


 ヴィゼに何事か起きたのでは、という不安と恐怖がクロウを支配した。

 彼女は蒼褪めて、そのドアへ駆け寄る。


「あるじ、あるじ!」


 何度もドアを叩くが、中から声は聞こえてこず、ドアが開かれることもなかった。


「あるじ、無事なのか!?」


 答えはやはり、ない。

 それにクロウは茫然とする。

 一体中で何が起きているのか。


 ――こんなことが起きるなら、<影>を一時でも離したりなんかすべきじゃなかった……!


 パニックに陥りそうになりながら、クロウは後悔した。

 本拠地内にヴィゼもクロウもいる間ならば何かあってもすぐ分かるからと、ヴィゼへの配慮もあって<影>をヴィゼにつけていなかったのだ。


 その内に魔力の気配は消え、やがてクロウは気付く。

 今の魔術の余波で、ヴィゼの結界が壊れかけていた。

 それを幸いと、クロウは研究室のドアに飛びつく。

 ドアには鍵が掛けられていたが、クロウはその細腕に似合わぬ力で、無理矢理ドアをこじ開けてしまった。


「あるじ……!」

「クロウ……!? どうして、」


 乱暴にドアを開けた先は、紙、紙、紙、そして書籍の山だった。

 さらに、壁にも床にもびっしりと古文字が書き込まれており、まるで踏み込むことを躊躇わせるようである。

 その異様とも言える部屋に、ひどい隈をつくったヴィゼが立っていた。


 顔色は悪いものの、それ以外に怪我も見当たらないヴィゼの様子に、クロウはほっとする。

 だがすぐに、はっと息を呑み込んだ。


 部屋の真ん中に、小さな生き物がいる。


 それは――幻獣だった。


「あるじ……、召喚、したのか……」


 クロウの漏らした言葉に、ヴィゼは誤魔化しようもなく、顔を強張らせる。


「クロウ、」


 言いかけて、ヴィゼは口を噤んだ。

 言葉を探すヴィゼと、言葉を失うクロウの間に、張り詰めた空気が漂う。

 その中で、ヴィゼは心配そうに駆けつけてくる仲間たちの姿をクロウの後ろに見た。

 ああ、とヴィゼは小さく呻く。

 恐れていた事態が起きてしまったのだ、と。






「ええと、ごめん、騒がせちゃって……」


 結局、<黒水晶>全員が集まって、研究室は大層狭苦しいことになっていた。

 ヴィゼは気まずく、仲間たちに謝罪する。


「結界で防げると思ったんだけど……」


 彼が秘密を守るために作った結界は、外からの侵入は決して許さない強力なものだったが、内側から強い力をかけられては保たなかったのだ。


 だが、リーダーのそんな言い訳よりも、メンバーの注意は彼の手のひらに向いていた。

 そこには、幻獣がちょこんと落ち着いている。

 ヴィゼの手のひらにちょうど乗るサイズのそれは、耳も尻尾も見られないが、犬のような猫のような、ふわふわとした可愛らしい動物のように見えた。その毛並みは若葉の色をしていて、マリモのようでもある。

 大きな魔力も感じられないのであまり警戒せず、面々はそれをまじまじと観察した。


「で、これは?」

「しょ、召喚しました……」


 何故か敬語になるヴィゼ。

 その言葉通り、彼は禁忌とされている召喚魔術で、その生き物を喚び出したのだった。


 ヴィゼが研究してきたのは、アサルトが失わせた古い魔術。

 実のところ、その中でも彼が最も情熱を傾けていたのは、何よりも人々から忌避される、召喚魔術。その再現、だった。


 古き魔術であるということは打ち明けていた。

 けれど、召喚魔術の再現がその中心だということは隠していた。

 やってはいけないことと分かっていてその研究を続けてきたヴィゼは、緊張した面持ちで仲間の反応を待つ。


 しかし。


「とうとうやったんやねー」

「リーダーならやってしまえると思ってはいましたがなぁ」

「……へ?」


 返ってくるのが朗らかなまでの笑み、というのは想定から外れすぎていて、ヴィゼは間抜けな声を上げる。

 召喚魔術を再現したとなれば、非難は必至。

 もし知られてしまった時仲間たちに見限られる覚悟はしていたのにと、ヴィゼは肩透かしをくらった気分だった。

 ヴィゼの覚悟を他所に、彼らは既に知っていて、共にいてくれたようである。

 一体どうして、いつから、皆は知っていたのだろうか。

 ずっと、何も言わず、ただ見守ってくれていたのか――。


「いやだってお前、危険とかないなら、言うだろ?」

「言わん、ちゅうことは逆に言えば、危ない橋渡るつもりでおるかもってことで」

「そう考えると、筆頭は召喚魔術ですからなぁ」


 三者の言葉に、ヴィゼは頭を抱えたくなった。

 先ほどとは、別の意味で。


「……ごめん、黙ってて。それなのに、結局巻き込むようなことに……」


 ヴィゼはずっと隠し通すつもりだった。

 仲間たちにも、それ以外の誰かにも。

 それでも、いつかは知られてしまうかもしれない。

 そうなれば、ヴィゼだけではなく<黒水晶>のメンバーも糾弾を受けるだろう。

 その時咎めはヴィゼだけで済むように。メンバーたちには、責めが及ばないように。

 ヴィゼは一番危険なことは自分の中だけにしまっていた。


 だが、ヴィゼの思いなどお見通しとばかり、からりと仲間たちは笑う。


「それはリーダーが仲間を守ろうとしてのことでしょう」

「ま、ずっと水臭いとは思とったんやけどな」

「要はばれなけりゃーいいんだって」

「あと、ホンマに世界の危機、みたいにならんならな」

「その辺り、リーダーなら上手くやるでしょうからなぁ」



 いつか最悪のことが起きた時、彼らがヴィゼを見捨ててくれればいいと思うのに、きっとこの仲間たちはそんなこと、してはくれないのだろう。

 それは想像するだけでつらく、けれどそれ以上に嬉しいと思ってしまうことだった。

 ヴィゼは込み上げてくるものをぐっと堪える。

 うん、としか言えず、ヴィゼはただ、掠れた声を誤魔化すように眼鏡の位置を直したのだった。




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