33 修復士と箱の中
「あ、れ……?」
「あるじ、大丈夫か?」
「大丈夫……、クロウも?」
こくり、とクロウは頷いた。
光に包まれた直後――意識の断絶を覚えたが、次に目を開ければ、二人はただただ白い空間にいた。
どこまでも白が続いているように見え、途方もなく広い場所のように思えるが、ただの錯覚なのかもしれない。
「ここは一体……」
「――多分、箱の中、じゃないかなぁ」
ぐるりと周囲を見渡すクロウに、ヴィゼは気まずそうに答える。
「原因はあの箱、だと思う……」
「箱?」
「クロウから借りていた箱だよ。テントの中に置いておいて何かあったら嫌だったから、持ち歩いてたんだ」
クロウはぱちぱちと瞬いた。
「あの箱……、だが、何故急にこんな?」
「あー、クロウの血に反応したんだと思う。タオルについた、竜の血に」
先ほど見たばかりの光景が、クロウの脳裏に浮かぶ。
クロウの手から血を拭い去ったタオルを、ヴィゼはポーチの中に戻していた。
箱の入ったポーチの中に。
「それは、つまり……、あの箱の鍵は、血だったのか?」
「多分、竜限定のね。僕の血じゃ、開かなかったから」
「試したのか?」
問う声は、わずかに咎めるようなものになった。
「一応ね。駄目だったけど、竜の血なら、とは思ってた」
「……そう言えば、少し前に我儘とか、ふんぎりが、とか……」
「うん、嫌だったんだよね」
ヴィゼは苦笑を浮かべた。
「クロウが、傷を負わないといけないのがさ」
クロウは言葉を失い、ヴィゼを見上げた。
顔が熱くなる。
たった今、自分も同じように思ったから余計に、熱かった。
「あるじ――」
言いかけた、その時。
「あー、お二人さん、邪魔していいか?」
そんな二人の目の前から、声がかけられる。
今まで全く姿形も気配もなかった場所に、一人の男が立っていた。
クロウははっと身を翻し、ヴィゼを庇うようにして剣の柄に手をかける。
ヴィゼも身構えてから、目の前の人物の顔を認めて、瞠目した。
「シュベルト殿……!?」
「違う、あるじ。あいつじゃない」
まさかの人物の名を口にしたヴィゼに、クロウは首を横に振る。
そして、心当たりのある名を、彼女は口にした。
「……アサルト、だな?」
「ご明察」
シュベルトそっくりの精悍な顔立ちに、無邪気とも言えるような笑みを浮かべ、男は肯定した。
「ようこそ、客人。歓迎するぜ」
「脈はあるし呼吸もしてる、が……、全然目を覚まさねえな」
エイバは困惑の面持ちで、通路に横たわるヴィゼとクロウを見下ろした。
「遺跡のせい、なのか?」
「分かりませんな……」
ゼエンは深刻な顔で首を振る。
その手には、念のため外したヴィゼの眼鏡が握られていた。
「こういうのはヴィゼの専門だっつうのになぁ。本人がオネムなんじゃお手上げだ。御大、どうするよ。……二人を連れて皆と合流するか?」
「レヴァ殿にみていただきたいですからなぁ。しかし、お二人を動かして良いのかどうか……」
「背負っていくにしても、合流するまで全員の腕が埋まっちまうしな」
ヴィゼとクロウと、研究者と。
意識のない三人を三人が背負って行くと、何かあった時すぐに動ける者がいなくなってしまう。そこに拘束しているとはいえアフィエーミがいて、どんな行動を起こしてもおかしくないのだ。今全員で移動するのは下策であった。
「助けを呼びに行くしかないか」
「戦力を分散させるのは、気が進みませんが……」
「とはいえ、このまま待ってるだけじゃな」
「それならば、私が行きましょう」
すぐさま立候補したのはリーセンである。
「魔力保有量を考慮すれば妥当かと。あちらにはコレール殿もいますし、うちの副長も問題なく動いているかとは思いますが、皆の様子も見てきたいので」
「一人で行く気ですか?」
「それが一番いいでしょう。ここに戦える人間を多く残しておく方がいい。何かあった場合、お二方を守らなければなりませんから。できればこの二人は連れて行きたいところですが……、申し訳ありません、置いていかせてください」
自分の身だけなら何とかなるが、罪人を連れた状態では有事に対応できない。
リーセンは頭を下げた。
ゼエンとエイバは視線を交わし、リーセンの申し出に甘えることにする。
「俺が行ければ良かったんだが……、頼んます」
「すみませんが、よろしくお願いします」
「いえいえ、面倒をおかけしているのはこちらの方なので」
リーセンは転がる自国の研究者とアフィエーミにちらりと視線を向け、苦笑を浮かべた。
この場を離れる前に、と倒れる男の手足に拘束具――魔術具らしい――を取りつけて、敬礼する。
「それでは行ってきます」
「気をつけて」
ゼエンたちは、颯爽と去っていくリーセンの後姿を見送った。
「……気を遣わせちまったなぁ」
「ええ……」
リーセンの背中が階段下へ消えていき、二人はヴィゼたちの横にかがみこむ。
「変わりなし、か……」
「レヴァ殿を待つしかありませんなぁ」
「そう、だな」
と、エイバは通路に座り込んだ。
ヴィゼの張った障壁が残ったままの通路だ。
どかりと腰を落としてから、エイバは不安を覚えたらしい。
ヴィゼたちを挟んで向かいに腰を下ろすゼエンに尋ねた。
「……なぁ御大、この通路の障壁って、しばらくは大丈夫なんだよな?」
「おそらく。リーダーの様子を思い返しても、この部屋の探索に時間がかかっても良いようにしたのではないかと……。ご心配なら、重ねておきましょうか」
「いや――、念のため、魔力は温存しとこうぜ」
首を振ったエイバは、そう言って笑った。
「ま、抜かりねえよな、うちのリーダーなら」
「ええ」
そう二人が仲間を見つめる横で――、半ば存在を放置されていたアフィエーミが、ぽつりと零した。
「あなたたちは……、信じているのだな、彼、を」
「この男」呼ばわりをせず、神妙な面持ちで言うアフィエーミに、エイバは怪訝な視線を送る。
昨日の今日で一体どうしたのか、と思ったのだ。
「そうじゃなきゃ、こいつについていってないさ」
彼女への苛立ちは根強いが、ちゃんとした問いかけに答えないほど、エイバは大人げなくはない。
「ゼエン様……、あなたも?」
「ええ」
「それなら――、それなら、先ほどの言葉は、どういう……?」
アフィエーミの問う瞳と、「何を言ったんだ?」と不思議そうなエイバのそれがゼエンを見つめた。
「あなたが憎んでいるというのは――」
その、アフィエーミの言葉の途中である。
「ヴィゼやん、クロやん……!」
戻ったレヴァーレの声が、通路に響いた。
「アサルト……、皇帝、アサルト? 本当に?」
呆然とヴィゼは呟いた。
黒い鋼の髪、精悍な顔立ち、逞しい体躯。
腰に帯びたグレートソード。
目の前に立つ男は、シュベルトにしか見えない。
それくらいそっくりなのだが――、黒い鋼のような髪に白い房が混ざっておらず、腰まで長く伸ばしている。
いくら髪が伸びるといっても、ヴィゼの記憶よりもずっと長い。
さらによくよく見てみれば、魔術士としての装備も多数見受けられた。
また、粗野なようでいてどこか貴族的な、洗練された雰囲気は、シュベルトにはないものだ。
「自分がイイ男だという自覚はあるが、そんなに見つめられるとさすがに照れるな」
それにシュベルトは、ヴィゼ相手に――おそらく他の相手にも――こんな台詞は吐かないだろう。
「そっちのお嬢さんも、そう警戒せんでも危害を加える気はねえよ」
剣の柄に手をかけたままのクロウに、男は――アサルトは肩を竦めた。
「突然見知らぬ場所に飛ばされて警戒するなと?」
「あいつの腕輪をつけてる相手を害しはしねえさ。そのツレもな。それにどうやら、愚息の知り合いのようだしな?」
アサルトはクロウの手首に目をやって、言う。
「ふむ、お嬢さんの方が――竜か」
ハッと二人は厳しい顔になり、アサルトを見返す。
「何故……」
「そりゃあ分かるさ。鍵だしな。それに、俺がどれだけ白竜と共に過ごしたと思ってる? 何よりここは、俺の領域だ」
「領域……、」
白く広大な空間を、ヴィゼは再度見渡した。
ここに似た場所を、彼は知っている。
あれは竜の作った空間だった。
竜の作ったものと同等のものを作れる人間は限られる。
目の前の男は本当に、アサルトなのだろう。
ここに来たのがあの箱のためで、クロウが箱を得た経緯を考えるなら、これ以上疑うのは疑いすぎというものだ。
しかし、目の前の相手が本当にアサルトだとして――。
死んだはずの彼が、何故こうして現れたのか。
ヴィゼとクロウを――箱を開けた者を喚び出して、一体どうするつもりなのか。
危害を加える気はないと言うが、本当なのか。
ヴィゼたちは、戻れるのか。
「まあ、立ち話もなんだ。座ってくれ」
疑問でいっぱいになるヴィゼを面白そうに見やって、アサルトは言った。
言葉と同時、ヴィゼとクロウのすぐ後ろに、座り心地の良さそうなイスが現れる。
アサルトは自分の分も用意して、いち早く座った。
背に凭れ足を組んで座る姿は、実に様になっている。
「……」
ヴィゼとクロウは顔を見合わせた。
素直に従ってよいものか、迷う。
「ほれ、さっさと座れ。話をさせてくれよ。そうじゃねえと、ずっとこのままだぞ?」
そう言われてしまえば、状況をいまだ十全に把握できていない二人に座る以外の選択肢はなく。
ヴィゼとクロウは、疑念と警戒を抱きながら、用意されたイスに腰掛けたのだった。




