14 修復士と廃城攻略④
<黒水晶>は城の中を抜かりなく探索した。
マンティコアを倒してしまえば残るはゴブリン等雑魚ばかり、それも数が大分減ったので、掃討に時間はかからなかった。
そうして城の中をくまなく探して、ヴィゼの目的のものに辿り着く。
ヴィゼの求める資料が眠っているであろう部屋。
その部屋は城の最上階、城の入口から最も遠い位置にあった。
他の部屋はほとんど空で、残されたものがあっても、時の経過や魔物によってボロボロになっていた。
ただ最上階のその部屋だけが、厳重な結界によって人と魔物の侵入を拒んでいる。
おそらく時による劣化も防いでいるはずだ、とヴィゼは考えた。
「問題は、どうやって入るのかだけど……」
城門と同じ開け方をしてみるが、開かない。
もちろん全員で体当たりしてみても開かない。
クロウの剣も跳ね返し、試しに魔術を使ってみると同じ魔術が返ってきて、危うく大怪我をしそうになった。
「う~ん」
渋面になったヴィゼだが、そこでクロウがひとつ提案した。
「わたしが影に潜んで扉の下から中に入り、内側から扉を開けるのはどうだろう」
「……お願いしてもいい?」
「無論」
ヴィゼは躊躇ったが、ここまできて諦めたくなかった。
クロウに甘えっぱなしであることが申し訳なくなるが、彼女は頼もしく頷いてくれる。
「では、少し待っていてくれ」
「うん……。クロウ、気を付けて、駄目そうなら、すぐに戻ってきていいから」
先ほど魔術をカウンターで返されたような危険があるかもしれない。
それを心配するヴィゼの言葉にクロウは首肯し、扉の間近に立った。
彼女の影が、扉の下まで伸びている。
クロウはそれに視線を落として、影の中に消えていく。
仲間たちはそんな彼女の姿を見送り、扉の開かれる時を待った。
「入れた……」
クロウは部屋の床に足をしっかりとつけ、思わず呟いた。
結界に弾かれる可能性は低くなかったが杞憂だったようである。
後は扉を開けられれば、と思うが、クロウはそちらを振り返ることができなかった。
それは。
クロウが呟くのと同時、彼女の目の前に一体の幻獣が現れたからである。
「ケルベロス――」
犬のような狼のような頭が三つに、逞しい立派な四肢。
黒々とした毛皮は光沢があって美しく、ひどく柔らかそうで、こんな場面でもなければ触れたくなりそうなほどである。
その巨体が広い部屋をみっしりと埋めているが、おそらくそれでもサイズをこの部屋に合わせ縮めたのだ、とクロウには分かった。
『……ここの、守り手殿か』
相手から敵意は感じない。
三つの頭が興味深そうに覗き込んでくるのへ、クロウは落ち着いた声で問いかけた。
『――是。久方ぶりに何者か現れたかと思えば、思いもよらぬ来訪者だ。白き御方の、縁者だな』
クロウの言葉を肯定した、黒い獣の守り手――ケルベロスは、その視線をちらと彼女の手首に向ける。
クロウは目を丸くしたが、相手がそうと分かって当然であったとすぐに気付いた。
『わたしは弟子だ』
『ほう。では、あの御方のご用命でここへ?』
『いや……、その、』
クロウは言葉を濁したが、すぐ誤魔化さずに告げることを決める。
『師とは関係のないことなのだ。わたしにはあるじがいる。あるじがここの資料を求めておられる故、ここへ参った。あるじとその仲間がここに立ち入ることを許してもらえまいか』
『ふむ……』
その返答如何で戦闘になる。
クロウは緊張感を高めた。
しかし。
『よかろう』
と、相手の反応はあっさりしたものだった。
『い、いいのか?』
『我が主や白き御方の懸念していた事態にならなければ良いのだ。そしてお主は白き御方の意に背くことはせぬ。そうであろう』
『それはもちろんだ』
クロウは即答した。
もしそれが起こるようなことになったら危うくなるのはヴィゼたちだ。そして、クロウの命はそこで終わることになる。
自分のことはともかく、ヴィゼや仲間たちに危険が及ぶことになるならば、クロウはそれを止めるだろう。
制止の相手が、そのヴィゼであっても。
そんなクロウの返答に、ケルベロスは満足そうに三つの首を揺らした。
『……実は、我が主より預かったものがある。それをお主に託そう』
『え?』
『お主のようなものと、もし出会うようなことがあれば渡すようにとの命だ。時はまだ来ておらぬのだろうが、今を逃せばもう会えぬかもしれんからな』
『どういう……』
クロウは詳しく尋ねようとしたが、その目の前に突如として小さな箱が現れて、そちらに気を取られた。
手のひらにそれを受け取る間に、三つ首の目が閉じる。
『では、我はまた眠ろう。さらば』
『え……、』
守り手の黒い獣は、あっさりと姿を消してしまった。
クロウはしばらく目をぱちくりとさせて、手のひらに残された箱と、巨体の消え去った空間の間で視線を往復させる。
彼女は知る由もないが、彼の三つ首の幻獣は睡眠というものをこよなく愛していて、基本眠っていても許される仕事であるというので、この部屋の守りを引き受けたのだった。
だが仕事はちゃんとしていて、クロウは肩透かしをくらったが、ずっと昔にやってきた侵入者などは半生半死の憂き目にあって城を追い出されている。
……とにかく、入室は許可された。
争いにもならずに良かった、と納得して、クロウはようやく扉の方を向くことができた。
託された箱は、腰にあるポーチの中に大事にしまう。
クロウの片方の手のひらに収まってしまう箱は、無理なく隙間に入れることができた。
木製のそれには緻密な彫刻がされていて、モチーフは明らかに竜。
――かの人が残したもの、か……。
一体何が収められているのか。
後で確かめよう、と思いながら、クロウは主のために扉を開いた。
クロウがなかなか、出てこない。
扉の前で落ち着かない様子を隠さないヴィゼを最初は笑って見ていた他の三人だったが、彼らも次第に心配になってくる。
クロウほどの強さがあれば大抵のことはなんとかできてしまえそうだが、予期せぬ罠に不意を打たれたり、何か苦境に陥っているかもしれない――と。
だが、そんな心配の眼差しの前、ようやくゆっくりと扉が開かれた。
「すまない、待たせた」
謝罪するクロウはいたって変わらない。
ヴィゼは部屋の扉が開いたことよりも、その無事な姿にほっとした。
「クロウ、良かった……! 部屋に罠でもあって出られなくなっているかと……」
「罠、というか何というか……。でも、大丈夫だった」
「大丈夫じゃなかったら、ヴィゼが大変なことになってたぜ」
「せやなぁ。クロやんが無事に戻ってきてくれてほんま良かった」
「全くですなぁ」
胸を撫で下ろしたのはヴィゼだけではなく、心配をかけてしまったことをクロウは申し訳なく感じた。
「で、早速だが中はどうなってんだ?」
彼女がもう一度謝罪を口にするより先に、エイバが部屋の中を覗き込む。
再び扉を閉めてしまった時結界がどう作用するか分からなかったので、面々は扉が閉まらないようにして部屋に入った。
この部屋も城の他の部屋と同じく広いが、壁際に隙間なく本棚が置かれ、そこにぎっしりと本や紙の束が詰められているため、非常に圧迫感がある。
しかもそれらは床にも積み上げられ山となっており、ひとつ設置されたテーブルの上には実験器具のようなものとやはり紙、紙、紙。
それらがほとんど劣化せずにあって、ヴィゼは瞳を輝かせた。
「すごい……。さすがにここまで膨大なものがあるとは、予想してなかったよ……」
ヴィゼはすぐさま片っ端から手を付けたくなるのを堪え、クロウに微笑む。
廃城の攻略も、目の前の資料に手を伸ばすことも、彼女がいなければこうも易々とはいかなかった。
感謝の思いは溢れるばかりで、ありがとうという言葉では全く足りない。
けれど口にして伝えられるのは、その言葉くらいだった。
「クロウ、本当にありがとう」
「……あるじが喜んでくれるのならば、良かった……」
クロウの目に、ヴィゼの笑顔は輝くように映った。
彼女はさりげなく目をそらして、返す。
それを微笑ましく見守っていたゼエンが、ヴィゼに問いかけた。
「リーダー、それでは我々は素材の回収に向かいましょうかな」
「うん、お願いしてもいい? こっちはその間に必要なものを見つける……というか、必要なものだけに何とか絞るよ。全部持っていければなぁ……」
「<黒魔術師>ヴィゼならずっりぃ手が使えるんじゃないか?」
ヴィゼの二つ名の一つを持ち出して、エイバが茶々を入れる。
ヴィゼは古式魔術でもって、思いも寄らないことをしてみせ人を驚かせるので、<黒魔術師><ブラックボックス>などと呼ばれているのだった。
だが、後者はともかく<黒魔術師>というのには他にも由来があって、有り難くない二つ名だとヴィゼは思っている。
「……できなくはないけど」
少しばかり剣呑な目付きでエイバを見て、ヴィゼは首を振った。
「研究室に収まりきらないだろうし、空室を使うにしろ結界を張るのが大変だし、さすがに全部持って行ったらバレやすいし、そのバレた時大変だし、何より全く外に出たくなりそうだから、自重しておくよ」
「せやな、リーダーが引きこもりになるんはあかん」
「そこか? つうか、ほんとにできるのか……」
「さすがは<ブラックボックス>と呼ばれるリーダーですな」
「うむ、あるじはすごいのだから、それくらい当然だ。巨木とはスケールが違うのだ。分かったら少しはその巨体を縮めてあるじに敬意を表せ、暑苦しくて邪魔だ」
「そこまで言うのはひどくねえか!?」
ヴィゼとエイバに対するクロウの扱いの差が激しくておかしい。
ゼエンやレヴァーレは肩を震わせていたが、落ち着いたところで話をこの後のことに戻した。
「けど、一人でこの量を今日中に何とかするのも大変やん? 明日また出直してもいいんとちゃう?」
手伝いたいところだが、ヴィゼほど古代魔術に通じていない他のメンバーがどれだけ役に立てるか分からない。
それを気にしたらしいレヴァーレの言葉を有り難く思ったが、ヴィゼは首を横に振った。
「いや、時間があると余計キリがなくなりそうだから。ずるずる通って、止められなくなりそう」
さもりなん、と<黒水晶>古参メンバーは首を縦に振った。
ヴィゼならば何ヶ月でも何年でも通いそうだ、との意見で一致したのだ。
それでは本拠地に引きこもるのとそう変わらない。
ヴィゼは揃った動作に苦笑して、続ける。
「帰るまでに見つからなかったら、そうしないといけないかもしれないけど。これだけ残ってるんだから、きっとあるはずだし……」
感慨深げに、ヴィゼはまた部屋を見渡してしまう。
「うん、とにかく、やるよ」
やる気に満ちた目でリーダーが言うので、メンバーたちは視線を交わして軽く肩を竦めた。
「それじゃ俺たちは、素材を集めにまた城中をうろつきますか」
「頑張ってな、ヴィゼやん」
「無理はされないように」
「うん、皆も気をつけてね」
ヴィゼはメンバーを見送るが、ひとりクロウが残った。
「あるじ……、念のため、<影>を護衛に残していってもいいか?」
「え、大丈夫だと思うけど……、うん、クロウが気になるなら」
ヴィゼに是の返事をもらって、クロウは明るい表情になった。
「では、置いていく。御大も言っていたが、あまり無理をしないでくれ、あるじ」
その台詞に、ヴィゼはくすぐったいような気持ちになる。
他のメンバーを追いかけるように去っていくその背に、ヴィゼは目を細めた。
――クロウが“あの子”なのか、どうか。
はっきりさせられるだろうか……。
はっきりさせてしまって、いいのだろうか?
ヴィゼは本棚に近付き、無造作に入れられたらしい資料を引っ張り出した。
――これはきっと、正しいことなんかじゃない。
それでも。
ヴィゼは、会いたかった。
“あの子”にただ、もう一度、会いたかった。




