13 修復士と廃城攻略③
やがて<黒水晶>は綻びを目前にする。
マンティコアのおかげと言っても良いだろう、ここまで他の魔物には出会わず辿り着くことができていた。
綻びは、明らかにそうと分かるものである。
城の中、何もない空間に大きな穴があって、その向こうに全く異なる景色が続いているのだ。
「こりゃでかいな」
エイバの漏らした感想に、他のメンバーも同意した。
綻びは何度も目にしている彼らだが、あのマンティコアが通れるほどの大きさのそれは、そうそう出会うものではない。
大抵の綻びはここまで大きくなる前に発見され、修復されるのが普通だった。
ヴィゼは怯む様子も見せず、世界の境界の前に佇んだ。
声をかけずとも、<黒水晶>の面々はヴィゼを中心に周囲を警戒する。
ヴィゼは綻びの向こうに広がる草原の景色を見つめながら、まず結界を張った。
向こうからこちらに近付く幻獣を遮るための結界だ。
後はこの綻びを修復するだけである。
ヴィゼは気負いなく、無式魔術で宙に魔術式を描いた。
輝く光の魔術式だ。
その式は十字ほどの短いものである。
それが掻き消えてすぐ、ヴィゼの杖からするすると古文字が流れるように現れる。
今度の魔術式は、長い。何百かの古文字が連なっている。
それこそが、修復魔術の魔術式。
最初に描いた魔術式は、修復術式を呼び出すものだったのだ。
ヴィゼは呼び出した修復術式に範囲を指定する言葉を追加し、魔術式が終わることを示す文字を描く。
その瞬間。
綻びの縁を、瞬くような儚い光がきらきらと彩った。
綻びがみるみるうちに塞がっていく。
それは、幻想的な光景だった。
ヴィゼは小さくなっていく綻びから、じっとナーエを見つめた。
使用者が限られる修復魔術を修めた者は、魔術士の中でも特に修復士と呼ばれる。
ヴィゼは修復士で在れることを幸いに感じていて、それは、こうして綻びから、向こうの世界を見つめることができるからだった。
“あの子”は、とヴィゼは景色の向こうに目を凝らす。
“あの子”は、おそらく、この景色のどこかに――。
だが、ヴィゼが向こうを見ていられたのは、そう長い時間ではなかった。
程なくしてヴィゼの目の前で綻びは完全に閉じ、そこに残るのはただ、変哲もない城の中の一室となる。
ふう、とヴィゼは大きく息を吐き、脱力感を堪えた。
「綻びはこれで問題ない。少し休憩しよう」
仲間たちを振り返りヴィゼが告げれば、メンバーたちはほっと肩の力を抜く。
扉が壊されているせいで見通しの良いこの場所であれば魔物が近付いてくればすぐ分かるため、少し気を緩めて<黒水晶>の面々は冷たい床に腰を落ち着けた。
まだマンティコアの気配が残っているはずで、魔物がのこのこと近付いてくることがないだろうとも分かっていた。
五人はそれぞれ水分を補給し、ゼエン手製の軽食をとって体力回復に努める。
「クロやんのおかげで、かなり順調やね」
「こんなに楽をさせてもらえると、それはそれで申し訳ないような気がしますなぁ」
レヴァーレとゼエンに言われ、クロウは困ったような顔になった。
「俺は出番を取られた気がするぜ。つうか思ってたんだけどよ、クロ、お前の剣、なんか斬れ味すごすぎじゃねえか?」
「まあ……」
一転して、エイバに対してはぶっきらぼうになるクロウ。
「さっきもマンティコアの尾を簡単に斬り落としちまうし……。あれ、蠍の尾、っつっても、すげえ固いって話だろ? もしかして剣が魔術具なのか? それとも材質が特別なのか?」
「材質の方だ。これで斬れないものはそうない」
「良かったら見せてくれよ」
「手汗をつけないならいいぞ」
「手汗ってお前な……」
エイバは顔を引き攣らせたが、服でぞんざいに手を拭う仕草を見せた。
クロウは腰に帯びた剣をエイバに渡してやる。
他のメンバーも、興味深げにその剣を覗きこんだ。
「思った以上に軽いな……」
エイバは呟き、黒い鞘から剣をすらりと抜く。
その剣を厳密に分類するならば、短剣というべきなのかもしれない。剣と呼ぶには少し短い、というくらいの長さである。細身ではなく、ある程度の幅があって、その剣身は黒々と輝いていた。
装飾は全くなくシンプルな剣であるのに、その黒い刃には思わず人の目を引きつけるものがある。
「……これ、なんでできてるんだ? 魔物の牙かなんかか?」
「まあ、そんなところだ」
「もったいぶるなー」
「聞けば驚く。分かったら教えてやる」
「分かった後に教えてもらっても意味ねえ!」
エイバはわめいたが、一応感謝をして、クロウに剣を返した。
「でも、ええなぁ。キレイな剣やん」
「ありがとう」
剣を腰に戻し、照れくさそうにクロウは笑った。
「もしかして……、」
ヴィゼは確信が持てない様子で、そんなクロウに問う。
「それ、クロウがつけてるブレスレットと同じ素材じゃない? それが何かまでは分からないけど」
ヴィゼの言葉に、クロウは驚いたように目を瞬かせた。
「すごいな、あるじ。その通りだ」
「え、マジかよ」
メンバーの驚き顔が、クロウの手首に集中した。
「こちらは純白で、あちらは漆黒。一体何なのですかなぁ」
「その白いブレスレットが魔術具ちゅうことは、魔力と親和性の高い素材やろ? けど、んー、思いつかへんわ」
「つうか、よく気付いたな、ヴィゼ」
「何となく、同じような光沢をしてる気がして……」
それだけクロウをよく見ているのだな、という結論に至って、当事者を除いた三者は生温い気持ちになった。
気まずさを覚え、ヴィゼは立ち上がる。
「……じゃあ、そろそろ行こうか」
「せやね。掃討掃討」
「ちっと暴れたりねーし、骨のあるヤツが残ってるといいけどなー」
「そこまでの気配は感じませんが、あまりお疲れではないのなら、マンティコアの解体は是非お任せしたいですな」
「うげ、それがあったな……」
各々、荷物をさっとまとめてリーダーに続く。
ヴィゼは己の目的である魔術資料が近付いてきたことに高揚を覚えながら、一方でクロウの剣に関して考え続けていた。
――どこかで見たことがあるような気がするんだよなぁ……。
それは白いブレスレットを見た時には感じなかったことで、ヴィゼは頭を捻ってしまうのだった。
――黒い剣……。これも黒、か……。もしかして僕は、見たことがあるだけじゃなく、触れたことも――
「……あるじ?」
ほんのわずかの間ぼんやりしてしまったヴィゼは、クロウに声を掛けられてはっと我に返った。
どこか気遣わしげなクロウに、大丈夫だと笑って、改めてヴィゼはメンバーを促す。
「――依頼を終わらせよう」
気を引き締め直して、仲間たちは頷いた。




