10 黒の少女と特性
「あの廃城の攻略であれば……、わたしの特性が活かせると思う」
「特性?」
首を傾げたのはヴィゼだけではなく、他のメンバーも不思議そうな顔だ。
うむ、とクロウは頷き、
「それを使えば、応援を呼ばずにこのメンバーだけで依頼を果たせるはずだ。その代わり、討伐数は減るだろうが……、応援を呼ぶよりは、その方が儲かるのか……、その辺りわたしには分かりかねるので、断言はできないが」
「どういうことだよ?」
怪訝な思いを隠さないまま、エイバは問う。
クロウはこう、前置きした。
「これは、ここだけの話にしておいてほしいのだが……」
そして、彼女は訥々と告白する。
「昨晩、アビリティの話をしたが……、実を言えばわたしには戦士に向かぬ特性がある」
「戦士に向かない、特性?」
「わたしの気配――魔力を、多くの魔物たちは畏れる。わたしの存在を感知した魔物たちは、逃げていってしまうのだ」
「……は?」
クロウの告げた内容は、理解し難いものだった。
「え、と、どういうことや?」
「……クロウ殿のアビリティの元になった幻獣が、余程強いものだった、ということではないですかな?」
困惑したレヴァーレの台詞に、ゼエンが推測を述べる。
「そうか、幻獣の世界じゃ強いものの気配をいち早く覚るのが生き残る術、ってことか。クロチビの中の強力な幻獣の気配を感じ取れば、力のない魔物はいち早く逃げてくってことなんだな?」
ヴィゼは、昨日の廃城での出来事を思い出した。
何かを畏れるように見えた魔物たちの姿を――。
その横で、クロウがゆらりと立ち上がる。
彼女が殺気を隠さないので、ぎょっとヴィゼはクロウの横顔を見上げた。
クロウの瞳には怒りの色がある。
それが向く先は、エイバだった。
「なんだその、クロチビというのは……」
「だって黒くてちんまいから」
低い声で凄んだクロウにエイバはあっけらかんと返し、フォークを投げつけられた。
「あぶねっ」
危うくかわしたエイバを、さらにナイフが襲う。
「ラフさん、あれを真似してはいけませんからな」
「はい、ゼエンさま!」
脇でほんわかと和やかな会話が交わされるのを余所に、クロウはとうとう己の剣を手にする。
「貴様は、もう少し目上の者に対する礼儀を学ぶべきではないか?」
「は? 誰が目上?」
「この流れで、わたし以外に誰がいる」
「目上?」
どこかきょとんと問いかけるエイバに、クロウはさらに目を鋭くした。
「わたしは貴様より余程長く生きている」
ぽかんと口を開けて間抜け面を晒したのはエイバだけではなく、ヴィゼもレヴァーレも同じような表情になっていた。
クロウは恨めしげに、その茫然とした顔を睨む。
「……いやお前、どう見たって年上には見えねえぞ。昨日だって酒飲まなかったじゃねえか」
「酔ってしまってはいざという時あるじをお守りできないかもしれんだろうが」
「歪みねえな……」
クロウの年齢より、彼女の忠誠心に感心を通り越して呆れ、エイバは呟く。
それから懲りずに言った。
「……じゃあ今度からは、若づくりって呼ぶか」
「あるじ、こいつちょっと一回刺してもいいか?」
「だ、だめだよ! 今のは完全にエイバが悪いけど」
「せや、せめてラフがいない時にしてや! 依頼にも響くしな」
「ヴィゼ、レヴァ、それ庇ってねえぞ」
「皆さん仲が良いですなぁ」
「そうですねぇ」
話が脱線したが、折を見て最年長者が若者たちを本筋に引き戻した。
「それで、クロウ殿の特性についてですが――、それが本当ならば、今まで我々の仕事に何の影響もなかったというのは不思議ですな。クロウ殿はこれまでリーダーの影の中におられた、という――。影の中にいれば、魔物たちに気配を覚られることはない、ということですかな」
「その通りだ、御大」
クロウは頷き、付け加える。
「それに、私にはこれがある」
クロウが示したのは、左手首のブレスレット。
「魔術具だ。これをつけていれば、魔物にわたしの気配を察知されることは基本的にはない。昨日は少し、小物どもを怯えさせてはやったが……。それに、魔力を制御できなかったのは何年も前の話だ。今ならこれがなくとも、魔力を覚られないよう制御できる」
魔術具、と呼ばれるものがある。
名の通り、魔術を封じこめた道具のことで、魔術士でなくとも魔術を発動できるという特徴がある。
しかし、魔術を封じるに足る素材が少ないため普及はしておらず、魔術具には法外な高値がついていた。
「逆に言えば、これを外し、気配を隠さず城に入れば、特に小物は向こうに逃げていくだろう」
「なるほどなぁ……」
メンバーは頷き、判断を委ねるように視線をヴィゼに集めた。
「うん……、応援を頼まなくて良くなるなら、助かる」
「そもそも集まるかどうかも怪しいしなぁ」
レヴァーレが零し、依頼主の顔と報酬を思い浮かべ、面々は今にも溜め息を吐きたくなる。
だが、クロウの言葉が真実ならば、吝嗇家の依頼主に嫌な顔をするのも、残りわずかの時間となるだろう。
「でもクロウ、本当に頼っちゃって大丈夫?」
ヴィゼは気遣わしげに問いかけたが、クロウはその理由が分からず、小さく首を傾けた。
「わたしは、役に立てれば嬉しい」
「……ありがとう。じゃあ、お願いしようかな」
彼女の力を助かると思う一方で、ヴィゼは躊躇を覚えていた。
クロウの特質を考えば、これまでに苦労も多かっただろうと、想像することは容易。
それを使わせてしまっていいのか、とヴィゼは思ってしまうのだった。
何より彼女の言う通りの力が他に漏れれば。
最悪の場合――戦争にも、なりえる。
魔物に苦しめられているのは誰でも、どんな国でも、同じ。
その魔物を遠ざける力となれば、欲しがる者は数え切れまい。
クロウがここだけの話に、と前置きしたのは、その懸念もあるからだろう。
なるべくクロウのそれに頼ることのないようにしよう、とヴィゼは固く決意しながら、メンバーの顔を見渡した。
「そういうことだけど……、今の話は絶対に<黒水晶>の外に漏らさないように。ラフも、よろしくね」
ジュースを飲んでいたラーフリールは、突然呼ばれて慌てたようにコップをテーブルに置いた。
こくこく、と何度も頷くが、もしかしたらそもそも話の内容を明確に理解していなかったかもしれない。
他のメンバーも、神妙な顔で頷いた。ヴィゼと同じ懸念を、彼らも抱いていたのだ。
エイバがそのまま真面目な顔で、しかし深刻そうな口ぶりでもなく、提案する。
「それなら、応援を待つのとは逆の意味で余裕ができるわけだよな。本命に挑む前に、五人での連携確認もしてえし、そこの黒いのの特性をもっと把握するのも含めて、簡単な討伐依頼でも受けねえか?」
「ああ……それは僕も考えてた。良さそうな依頼を見繕って来ようかなって……。いいかな」
ヴィゼは首を巡らせて、レヴァーレとゼエン、そしてクロウが首肯したのを確認する。
「じゃあ今日、協会に行って、応援はなしで行くって伝えてこようかな。その時に依頼を一つもらってくるよ。あと、クロウの登録をしちゃいたいから、今日はクロウも一緒に行ってもらっていい?」
こくり、とクロウは頷く。
彼女が<黒水晶>のメンバーの一員と胸を張るには、協会への所属登録が必須だった。その上で、クランメンバーの追加登録もしなければならない。
ちなみに、協会への所属はともかく、メンバー加入の申告は実のところ義務ではない。というのは、試用期間を設けるクランがあったり、一時預かりといった場合があったり、様々な事情があるからだ。
しかし、メンバー登録をしないことによって、何かあった場合に協会の庇護から外れるなどのデメリットが生じることがある。
応援の貸し借りに登録情報が参考にされるということもあって、ほとんどのクランが協会への情報提供には真面目だった。
――協会への所属、か……。問題はない、はずだが……。
ヴィゼの護衛をするだけならば協会への所属は必要ない。だからクロウは昨日になるまで協会に足を踏み入れたこともなかったのだが、これからは協会と関わる機会も増えるだろう。
それを思ってクロウは目を伏せ、他のメンバーには覚られぬところで、緊張の色を見せた。
それに気付いたわけではないが、
「あっ」
と、ヴィゼの台詞に声を上げたのは、レヴァーレだ。
「せや、登録せなあかんかったんや……。今日はクロやんとショッピング行きたかったのに」
「ショッピング?」
「せやよ。ここでこれから暮らしてくのに、色々必要やろ。服もいっぱい見繕うつもりでいたんよ」
分かりやすく唇を尖らせて拗ねて見せるレヴァーレに、ヴィゼは苦笑し、クロウは困惑したようだった。
「協会の用は午前中だけで終わるよ。午後から出掛けたらいいんじゃないかな」
「よっしゃ、言質とったで! ヴィゼやん、討伐は明日以降な。クロやん、午後はショッピングやで! ラフもいっしょに行こうな!」
「はい、たのしみですー」
レヴァーレは太陽のような笑顔になり、ラーフリールもにこにこと笑った。
しかし当事者のクロウは困惑顔だ。
確かに必要なものはあるし、気持ちはありがたいのだが、それに時間を取らせてしまうのは申し訳ない、という思いの方が強い。
それに、服を見繕うつもりでいる、と言ったレヴァーレの目の輝きようには、何だか無性に嫌な予感がした。
「だが……」
「ええやろ? ヴィゼやんの奢りやで。なっ」
それは初耳であったが、仕方がないなとヴィゼはもう一度苦笑して受け入れた。
「いや、しかし、」
「新人は先輩の言うこと聞くもんやで。そんで、リーダーは新人に太っ腹なもんや」
そう言われてしまうと、新人の自覚があるクロウとしてはそれ以上反論できない。
「んじゃ、俺たちは今日一日はオフか。御大、よければ鍛錬に付き合ってくれよ」
「喜んで」
むしろクロウはその鍛錬に参加したかったが、楽しそうなレヴァーレに水を差すことは非常に難しい。
話に集中していて手をつけていなかったトマトにフォークを突き刺し、彼女は諦めたように小さな溜め息を吐いたのだった。




