№6 『ヒトコワ』
その日から、僕は自宅アパートに缶詰することになった。
ここは差出人にも知られていない場所だ。事務所よりは安全だろう。
なにか買い物に行くときには、今もドアの外に待機している三笠木さんについてきてもらうことになっている。まさに二十四時間体制の鉄壁防御だ。
とはいえ、食料の買い出しに行く以外に外に出ることはない。さすがの僕も、そこまでのんきなことはできない。
篭城生活も、今日で三日目となった。
他の事務所メンバーも、だんだんと差出人に迫っているかもしれない。八坂さんからなんらかの情報がもたらされているかもしれない。
そもそも、これは全部おふざけで、杞憂でしかないのかもしれない。
……なんてことは、ないだろうけど。
夜の零時を回ってそろそろ寝ようとした僕は、寝る前に扉の向こうにいる三笠木さんに差し入れを持って行った。
コンビニのおにぎりとあったかいお茶の入った袋を持ってドアを開けると、そこには直立不動でドア脇に立っている三笠木さんがいる。
「お疲れ様です」
ビニール袋を差し出すと、それを受け取った三笠木さんは相変わらず事務的な口調で言った。
「ありがとうございます。今のところ、異変はありません。問題ないです」
一日に何回か、こうして差し入れを持って行って、状況確認をするのがルーティンになっている。この『問題ないです』を聞くたびに、たまらなくほっとしてしまう。
といっても、毎回この調子なのでセコムに話しかけているような気がしてこないでもない。
そんなわけで、僕は三笠木さんと少し話をすることにした。
僕もあたたかかい缶コーヒーを持ってきて飲みながら、三笠木さんの隣にしゃがんで、
「……本当に、あのふたりのどちらかなんでしょうか?」
ずっと『不安』に思っていたことを口にする。
三笠木さんはおにぎりを頬張ってから、米粒を嚥下して答えてくれた。
「状況はその可能性を指し示しています。あのふたりが襲撃してくる可能性は非常に高いです」
「……けど、そうでない可能性もゼロじゃない」
「あなたはとても慎重ですね」
おにぎりを食べ終えた三笠木さんは、指先から米粒を丁寧に取り除きながら続けた。
「あなたは他に恨みを買いましたか?」
「……正直、こころ当たりはないです。ないんですけど、なんだかまだイヤな予感がして」
僕たちは、ニンゲンの悪意をまだ甘く見ている気がした。もっと複雑な、あるいはもっと単純な気がしてならないのだ。
三笠木さんは不自由な左手できれいに米粒を取ってしまうと、メガネの位置を直した。
僕は続ける。
「『恨みを買う』って、そんなにわかりやすいことなんですかね? 軽々と予想がつくような。よく、刑事ドラマで『怨恨の線を洗え』って言ってますけど、それにしたって結末は意外なところにあるじゃないですか」
だんだんと早口になっていく僕をなだめるように、三笠木さんは極めて冷静な言葉で反応してくれた。
「それはあなたの言う通りです。世の中には、理屈に合わない感情を抱くニンゲンが多数存在します。私は戦場で数多くのそういったニンゲンを見てきました」
……ああ、そうか。
三笠木さんだって、僕なんかよりずっと恨みを買ってきたひとだった。
なにせ、生かすか殺すかの世界にいたのだ、いのちのやり取りで恨みつらみが発生しないわけがない。そんな場所にいたのだから、買ってきた恨みの数なんて数え切れないだろう。
三笠木さんは、それさえ覚悟の上で戦場で生きていたのだ。
ひとを、殺してきたのだ。
さいわいなことに、僕はまだひとを殺した経験はない。
けど、ひとのこころを殺したかもしれないのだ。
今こうして殺害予告に怯えている状態にあるのは、それが原因なのかもしれない。
僕自身、意図してひとを傷つけたことなんて一度もない。
けど、自分が知らないところで傷ついたひとだっているかもしれないのだ。そんなつもりじゃなかった、と釈明することもできない。
言葉や『表現』は、ときとして曲解されることがある。無花果さんの『作品』だって、間違った理解をされたこともあった。
ましてや、僕の言葉や『表現』なんて、思った通りに伝わるかどうかなんてわかりはしない。ひとによってとらえ方は様々だし、そうあるべきなのだから。
感受性なんてそれぞれだし、言葉ひとつ取っても切り取り方が違えば伝わる意味だって違ってくる。そのときの感情によっても、シチュエーションによっても、文脈によっても、コミュニケーションの形によっても違う。
思ったように伝わらないのが、言葉や『表現』だということを肝に銘じておかないと、今回みたいな痛い目を見るのだ。
無花果さんの言う通り、怒ることや恨むことにはかなりのエネルギーを使う。とても能動的な感情だからだ。
それだけのエネルギーを使ってでも、僕に訴えかけたいことがある。今回は殺害という形を取っているけど、罵倒や殴打という形だってある。
気持ちの伝え方。
怒りの伝え方。
無限にある方法が掛け算されてしまえば、もう未知数だ。そう簡単に解釈できるものではないはず。
……だから、ニンゲンは面白いし、ニンゲンはおそろしい。
見えない悪意に晒されて、僕は強くそう感じた。
たしかに、おばけなんかよりも、『モンスター』なんかよりも、ずっとずっとニンゲンの方がこわいじゃないか。なまじっか同じニンゲンだからこそ、理解した気になってしまうからこそ、余計にそう思う。
「……三笠木さんは、ニンゲンがこわくないんですか?」
つい隣に立っている『共犯者』に尋ねると、三笠木さんは直立不動のまま返した。
「私はニンゲンがおそろしいです。なぜなら、ナイフや銃器はただの道具ですが、実際にひとを殺害するのはニンゲンの殺意だからです」
そうだ、僕を殺しにやってくるのは、刃物でも鈍器でもない。
たしかに僕に向けられた、ニンゲンの悪意だ。
そういう感情を向けられていると意識すると、自然と背筋が震え上がった。
いのちを奪う覚悟で、僕に恨みを伝えようとしている。差出人の手紙からは、そんな感情がにじみ出していた。執念、と言い換えてもいいかもしれない。
「安心してください。なに来ようとも、私は必ずあなたを守ります」
『モンスター』の言葉を、こんなにこころ強く思ったことはない。
同じ『庭』の『共犯者』として、『最終兵器』はその役割を果たそうとしている。
そして、『共犯者』関係にある僕を失うことをおそれてくれている。無花果さんだって、所長だって、小鳥くんだってそうだ。『庭』の住人が欠けることは、そのままパラダイス・ロストに直結しかねないことなのだ。
……それも、いつか来る未来なんだろうけど。
「よろしくお願いします、三笠木さん」
「それは私の仕事です。あなたは早く眠るべきです」
「三笠木さんも、無理しないでくださいね」
「私は十日ほど眠らずに過ごしたことがあります。水分さえ充分ならば、警戒の任務は非常に快適です」
「じゃあ、これからも差し入れしますね……話、聞いてくれてありがとうございました。おやすみなさい」
「おやすみなさい、日下部さん」
そう言って立ち上がると、僕は再びドアの向こう側へと戻って行った。
ばたん、と扉を閉じて鍵とチェーンロックをかける。
……ダメだ、やっぱり胸騒ぎが消えてくれない。
今夜もなかなか寝付けないだろう。
相手の見えない悪意というものは、それくらいストレスとなった。
それでも、僕は眠らなくてはいけない。
いずれ、差出人と対決する日が来るだろうから。
その日のために、少しでも体力をつけておかないと。
僕は寝る前にホットミルクを飲んで、神経が休まらないままベッドに潜り込むのだった。




