№2 社長夫人、来訪
やがて、とんとんと事務所のドアをノックする音が響いた。こんな地獄みたいな事務所において、ノックをするという礼儀作法が身についている人物の来訪は珍しいことだ。
「失礼します。こちら、安土探偵事務所で間違いないですか?」
どこかおっとりとした若い女性がドアを開けて入ってきた。あまり世間擦れしていない、やさしい雰囲気の女性だ。
「はい、合ってます。例の失踪した社長の奥様ですか?」
「ええ、はい……あら、刑事さんもいらしてたんですね。ご紹介、ありがとうございます」
ぺこり、と八坂さんに会釈する姿は、マイペースというかなんというか。
「とにかく、おかけになってください」
「ありがとうございます」
古びたソファをすすめると、社長夫人はアンティークでも見るような物珍しげな眼差しで応接セットを見つめ、それからおそるおそる腰を下ろした。
小鳥くんがお盆に湯呑みをのせてやってくると、その宇宙服姿にも目を丸くする。
「ああ、気にしないでください。うちの職員です」
「……こんにちは、職員です……」
「あら、どうも」
固い口調で挨拶をする小鳥くんに対して、社長夫人はおおらかな微笑みを浮かべて返した。
ネイルアートなどをしていない、しかし清潔感のある手が湯呑みを持ち上げ、口へと運ぶ。
「……ふう、おいしい」
……ここでひと息つかれても困るんだけどな。
なかなか話が始まらず、僕はソファの対面に座って少し社長夫人に話の先をうながした。
「それで、今回はどういったご要件で?」
「もちろん、主人を探しに来たんです」
まあ、そりゃそうだ。八坂さんだってそう言っていた。むしろ、それ以外の目的で来られても迷惑だ。
僕は一拍置いてから、本題に切り込んだ。
「失礼ですが、この探偵事務所は『死体専門』です。ご主人はすでに死んでいるという前提で話を進めますが、いいですか?」
その問いかけに、社長夫人は湯呑みを置いて笑顔でうなずいた。
「はい。構いませんよ」
……なんだか、調子が狂うな……
育ちがいい女性とは、こういうものなのか。普段、無花果さんばっかり見ているから、こういう女性を相手にするとペースについていけなくなる。
さらにもう一押ししようと、僕は身を乗り出して言った。
「この事務所のシステムはご存知ですか?」
「ええ。代金は取らない代わりに、どんな人間でも見つけ出して、それでこちらはその死体を提供すればよろしいんですよね?」
「そこまでわかっているなら話は早いです。お代は一切いただきません。その代わり、見つけ出したご主人の死体を現代アートの素材にさせていただきます」
「結構です」
そこまで知っていてこの事務所に来たということは、本格的にカリスマ社長は死んでいる可能性が高い。社長夫人もそう考えて、あえて『捜索願』は出さなかった。
だから、八坂さんは渋々この事務所を紹介したのだ。もう死んでいるであろう人物の死体を探すだなんて、警察の仕事ではない。生きているならともかくとして、相手はもう死んでいるのだ。そこに割く労力はない。
……差し向けるとしたら、八坂さんのような窓際刑事くらいだ。
「……坊主、今俺様のこと『窓際刑事』とか考えたか? おおん??」
心中をずばりと指し当てられて、つい目が泳いでしまう。
「そんなこと、考えてませんよ」
「刑事相手にウソつき通せると思うなやゴルァ!」
「…………すいません、ちょっとだけ考えてました」
「だれが『窓際刑事』やねんボケェ! そこは否定せえや!」
……ツッコミ待ちだったのか。関西人のノリはイマイチよくわからない。というか、八坂さんのボケはわかりにくいのだ。真に受けてしまった。
そんなやり取りを眺めながら、社長夫人はのほほんとお茶を飲んでいる。
「刑事さんと仲良しなんですね、ここの事務所の方は」
「仲良しやない。俺様はこいつらの『監視者』や。奥さん、あんたに紹介したんも、その業務の一環やで」
「監視にせよなんにせよ、こんな変わった依頼を受けてくださる探偵事務所はここくらいしかありませんもの。ご紹介、本当にありがとうございます」
つんけんしていた八坂さんも、丁寧にお礼を言われると苦虫を噛み潰したような顔になってしまう。八坂さんもまた、無花果さん慣れしているのでこういう女性には弱いらしい。
「ともかく。ご主人は死んでいる、これに間違いはありませんね?」
「死体は必ず提供します。なので、ぜひとも探し出してください。お願いします」
深々と頭を下げて頼み込んでくる奥さんに、僕はふとした違和感を覚えた。
……なんだろう、これ。
社長夫人は夫の『死』を確信して、ここに来た。どこで死んでいるのか知りたいと。そして、その死体を素材として提供すると確約した。
なにもおかしなことはない。
この事務所の日常だ。
なのに、どうして妙な胸騒ぎがするんだろう?
「そこまで理解していただけるなら、大丈夫です。今から契約書を作成しますので、そこにサインをお願いします」
「ありがとうございます」
すぐに三笠木さんが契約書を出力してくれたので、その紙切れとボールペンをテーブルの上に置く。法的にはなんの効力もないくせに、今回も小難しい言葉が散りばめられた契約書だ。
けど、そこは問題じゃない。
この悪魔との契約書にサインをする、そういう『儀式』が必要なのだ。
たましいを、『死』を売り渡すという契約。
すべての探偵行は、そして無花果さんの『創作活動』は、ここから始まる。
社長夫人はボールペンを手に取ると、さらりと文言を流し読みしてからさらさらと実名をサインした。まだ若いのにきれいな字なのは、やっぱり育ちがいいからなのだろうか。
その契約書を受け取って、念の為不備がないか確認してから三笠木さんに渡す。
これで、契約は成立した。
「それでは、詳しい話を……」
「ちょい待て」
いつもの口上を遮って、八坂さんが割り込んできた。僕の隣にどっかりと腰を下ろすと、腕を組んでサングラスの奥の眉間にシワを寄せ、
「俺様も、改めて話聞かせてもらう。もしかしたら、新しい事実が出てくるかもしれんからな」
「お話したことがすべてですよ?」
「構わん。奥さんはこの坊主に話して、そこの『魔女』からの質問に答えるだけでええ。そっから先は俺様が判断する」
「……はあ……」
八坂さんは何度も話を聞いてきただろう。それでも、もしかしたら新しい視点で事件が切り開けるのではないかと、同席を申し出た。
「小生もきちんと聞いてるからね! さあさあ奥さん、張り切って事情を話したまえよ!」
無花果さんも、別のソファに座って話を聞いている。八坂さんと、無花果さん。ふたりとも、僕がこれから聞き出す話に興味津々だ。
……こういうの、呉越同舟って言うのかな。
使い方が間違っている気がしたけど、とにかくライバルであるふたりが同じ話を聞いて、同じ判断をするはずがない。それは、以前の事件からもわかっている。
またも、『探偵』と『刑事』の推理対決が繰り広げられるわけだ。
今回は、どちらが真実をつかむのか?
八坂さんも言っていた通り、これで積年の因縁にも決着をつける気だ。ふたりとも、もちろん本気で事件を追うことになるだろう。
だとしたら、僕もこころして話を聞かなければならない。
またもお茶をすすってのほほんとする社長夫人を前に、僕はずいっと身を乗り出して、やや緊張した面持ちで告げた。
「それでは、詳しい話を聞かせてください」
「わかりました。ご説明いたします」
湯呑みを置いた社長夫人は、しばしカリスマ社長の失踪について、妻としての見解を述べ始めるのだった。




