№8 手負いの獣の総力戦
そうしているうちに、もう敵はいなくなってしまった。あれだけ騒がしかった日本家屋には、もうなんの音もしなくなっている。ただ、三笠木さんが進むたびに、ずち、ずち、とコンバットブーツが血で鳴る濡れた音だけが響いた。
奥へ奥へと突き進んでいるうちに、やがて目の前には竹林に囲まれた茶室が見えてきた。
そこへ至る小道の途中に、ひとりの和装の男が立っている。
……今までの傭兵たちとは異質な存在であることは、僕にも理解できた。肌で感じられた。
くつろいでいるように見えて、まったく隙がない身のこなし。しかし、無駄なちからは一切入っていない。一瞬で攻にも守にも移ることができる立ち姿。
腰には、一本の日本刀が差してある。武器はそれだけのように見えた。
男は血まみれの三笠木さんの姿を認めると、黙ってすらりと刀を抜いた。研ぎ澄まされた鈍色のやいばが、灯篭の灯りを反射して光る。
もちろん、三笠木さんがここで引くわけがない。
ただ、今まで出しっぱなしにしていた黒いネクタイを胸ポケットに突っ込んで、ふう!と大きく息を吐く。
……開幕のベルは、鳴らなかった。
剣客が一歩踏み出した。
と思ったら、もう三笠木さんの眼前に迫っていた。
神速の斬撃を、三笠木さんはかろうじてこぶしの背で軌道をそらしてしのいだ。そしてさらに間合いを詰めると、敵の腹に掌底を叩き込む。
しかし、剣客も見事な足さばきでそれをかわし、手のひらは肋骨をかすめるだけに留まった。ただしダメージは与えられたのか、わずかに脇腹を抱えるような仕草が見える。
なおも追いすがるように距離を縮め、三笠木さんが脚をはね上げる。軸足を踏ん張るにしても、あちこちに空いた穴から血が吹き出して、攻撃の衝撃自体がなけなしの体力を奪う。
コンバットブーツの蹴りを頭蓋骨の側頭部で受けるよりも先に、男はまた焦らず一歩引いてその一撃を回避する。
そして、改めて刀を構えると、がら空きになった三笠木さんの肩めがけてやいばを一閃させる。
ぶし、と噴水のような血が吹き上がった。袈裟懸けにばっさりやられた三笠木さんは、とうとう膝をついてあごを上げる。すでにひび割れだらけになっていたメガネが地面に落ちて、粉々に砕け散った。
……ダメだ、もう我慢できない。
たとえ『記録者』失格であってもいい。
ただ、僕は三笠木さんの『共犯者』でいたいんだ。
「三笠木さん!!」
がくがく痙攣する三笠木さんに向かって、届いているのかいないのかわからない言葉を投げかける。
「無花果さんを残していくつもりですか!? 僕ひとりじゃ、あんなの面倒見きれませんよ!?!? だから……!!」
「…………わがっで、いばず…………もんだい、ありばぜん…………」
もう吐血と鼻血で発声器官が塞がっているのだろう、なんとも無様な返答があった。
それでも、返事は返事だ。
よかった、三笠木さんは、まだ死ぬ気はない。
まだ、生き残るつもりでいる。
ぶん、と頭を振ると、三笠木さんはその場に手をついてなんとか立ち上がった。まだからだは痙攣しているし、あとからあとから出てきた血でもう足元は血の池だ。
しかし、三笠木さんは止まらない。
どうにか二本の足で地面に立つと、ファイティングポーズを取って剣客と対峙する。相手が目を見張るのが、はっきりと見て取れた。これほどの敵に遭遇したことがなかったのだろう。なにせ、これは前代未聞の『モンスター』だ。
これが最後の交錯になるだろう。
男もそれを知ってか、刀を正眼に構えて呼吸を整える。次の一撃で仕留めに来るはずだ。
ぎりぎりの総力戦。
手負いの獣にできるありったけを、この一撃にかける。
……す、と血なまぐさい風が小道に流れた。
先に動いたのは相手の方だった。一足飛びに間合いを詰め、首元を狙う。
三笠木さんはそれを読んでいたらしい。もうロクに見えていないであろう目で、気配だけで剣筋をとらえると、勢い良く両手を合わせた。
ぎちっ!と音がして、三笠木さんのメカニカルグローブが日本刀のやいばを受け止めた。
……真剣白刃取りなんて、初めて見る。
剣客が驚愕の表情を浮かべるのと、三笠木さんが渾身のちからで刀身をへし折るのはほぼ同時だった。
ばっきりと折れた日本刀の先端の方を握りしめると、三笠木さんはその切っ先を、たたらを踏む男の喉に深々と突き立てた。
喉笛を、頚椎を貫かれ、血を吹き上げた男は悲鳴を上げることもなく即死した。
……やりきった。
殺しきったのだ。
この『モンスター』は。
100人もいる難敵を、全員殺戮しおおせた。
全身の血を流しきって、武器もなにもなくなって、牙と爪しか残されていない、ただの一匹の獣として。
……ぱしゃり。
気がついたら、僕のフィルムももう尽きていた。最後の一枚は、今にも死にそうな満身創痍の三笠木さんと、地面に転がった剣客の死体だった。
それを待っていたかのように、三笠木さんがその場にばったりと倒れてしまう。
「三笠木さん!」
もう僕は、この現場では『記録者』ではなくなっている。つまり、制約も足枷も守るべき一線もなくなっているとうことだ。
物語に干渉すべく、僕は三笠木さんに駆け寄った。
抱き起こした顔色は、コピー用紙の白と同じ色をしていた。顔面に飛び散った血の赤とのコントラストが目に痛いくらいだ。
「三笠木さん!……三笠木、さん!!」
「……、…………」
もう、なにを言っているのかも聞き取れない。その目からは光が失われつつある。
ああ、これが『死』か。
僕も、三笠木さんも、そう思っていた。
……けど、そんなことはあってはならない。
こんなのは、ただの『終わり』だ。
生きて帰って、『庭』でニンゲンとして、死ね。
そういう『命令』がある限り、三笠木さんはやすやすと死んだりはできない。
「……まだ、最後のひとりが残ってますよ」
わざと煽るように言うと、その瞳に光の揺らめきが戻ってくる。たとえそれがロウソクの最後の輝きであってもいい。ただ、いのちを繋いでほしかった。
ずる、と僕の腕の中から這い出た三笠木さんは、剣客を殺した刃の切っ先を手に、からだを引きずりながら進んでいく。
……やっぱり、止まらないんだな。この『モンスター』は。
フィルムが尽きているのが残念でならない。
それでも、『記録者』でなくなっても、僕にはできることがある。
見届けて、生かす。死なせないこと。
無花果さんたちが待っているあの場所に、この獣を連れて帰ること。
ここに来るときに、『頼んだよ』と言われたじゃないか。
だったら、最後まで付き合おう。
「……肩、貸しましょうか」
そっとちぎれかけた耳元にそう囁きかけると、三笠木さんはかろうじて首を横に振った。助けは要らないとのことだ。あくまでも、殺すのは自分の『役割』だと言っている。
ならば、僕の出る幕はない。
がぶ、と大量に吐いた血で、三笠木さんの足元が真っ赤になる。その量の出血だって、もうどうでもよくなるくらいの満身創痍だ。
ずる、ずる。
真っ赤な足跡の尾を引きながら、三笠木さんは茶室へと向かう。おそらくは、そこで敵の大将が待っているのだろう。
そいつを仕留めたら、ミッションコンプリートだ。
三笠木さんは、やっと止まれる。
……僕が『死なせは』しないけど。
今までの快進撃がウソのような遅々とした足取りで、しかし着実に敵の総大将をめがけて進み続ける三笠木さん。
手を貸すでもなくその後に続きながら、僕は改めて、フィルムをもっと持ってくればよかったな、と今さらながら後悔するのだった。




