№9 視線の『暴力』
台風はすっかり過ぎ去って、電波が回復しても所長は配信を再開せず、僕たちはただソファに並んで座ってぼうっとアホ面をしていた。
そういえば、所長とふたりきりでこうやって過ごすのは初めてだ。そもそも、所長が配信の外にいること自体が異例のことだった。
けど、不思議なことに、僕はとてもほっとしていた。落ち着く、というか、居心地がいい、というか。台風一過の空気感がそうさせるのだろうか。
本性を暴いてみれば、所長というニンゲンはこんなものだった。根本から、魔女の『庭』の庇護者。僕たち『モンスター』の父親のような『悪魔』。
けど、子供みたいに世界のことをこわがっている。世界から自分が消えてしまうんじゃないかと、泣いていた。たすけて、とも言えずに、震えていた。
『父親』と、『こわがりな子供』。そのふたつが、所長の本性だった。
どこか照れくさいような懐かしさを感じながら、僕はぼやっと宙を眺める。
「それにしてもさー」
いつもの調子で所長が語りかけてきた。返事をするでもなく、僕はその声を聞く。
「君のカメラって、まるで神様の目みたいだよねー」
「そんな大層なものじゃないですよ」
「いやいやー、だってさー、存在を確定させちゃうんだよー? そんなの、それこそ神様じゃなきゃできないはずのことなのにさー、君ってば、しらーっとやっちゃうんだもーん。これってけっこうな偉業だよー?」
「ニンゲンとして、やっちゃいけないことだったんですかね?」
「かもねー。教授だってそれで壊れたんだしさー。こわいことだよー、とっても。けどさー、僕はたしかにその神様の目で救われたんだよねー」
「所長が完全に壊れる前でよかったです」
「あははー、ほんとにねー。きっと今ごろ、ネットは大騒ぎだよー。ホントに僕が消えちゃったって思ってるひともいるかもねー」
「神出鬼没くらいが所長らしいです」
「しれっと鬼没させないでよー。他でもない君の目で存在してるんだからさー」
「少しでも八坂さんの心労を肩代わりしてあげたいですからね」
「あー、大樹くんー? まあ腐れ縁だしねー、なにを今さらだよー。この前さー、ちょっと謝ってみたら、すごい勢いで怒ってくんのー。なんで怒られてるのかさっぱりだったよー」
「それは所長が悪いです」
「えー、なんでー。僕が悪いのー?」
「本当に八坂さん、大変なんですね……」
「あははー、大樹くんいなかったら、たぶん僕、今ごろ生きてないだろうしねー」
「あんまり依存しちゃダメですよ」
「わかってるよー。それに僕たちは共依存関係だしー?」
「つくづく『呪われて』ますね」
「これでも、魔女の『庭』の『ヌシ』だからねー。『呪い』のひとつも抱えてないと、やってけないよー」
「懲りないですね」
……ふっと、今まで続いていた会話のラリーが止まった。
黙り込んだ所長の横顔を盗み見ようとすると、ちょうど目が合った。しまった、とばかりにイタズラがバレた子供の顔で笑う所長は、
「やっぱさー。僕が君を迎え入れた理由って、『観測』してもらうためだったのかもしれないねー。当初はぜんっぜん意識してなかったけどさー」
そう言って、大きくあくびをした。けど、その頬にはまだ涙のあとが残っている。
「なーんか、ぴんと来たんだよねー。『この子だ』ってさー。直感でビビっと来たんだよー。君、自分のことカメラで撮ったことあるー?」
「……そういえば、自撮りはしたことないですね」
「でしょー。カメラマンって、案外自分の写真だけは撮らないひと、多いからー」
「自撮りなんてしても、つまらないですから」
「そうでもないかもよー?」
意味深なトーンでそう口にすると、所長はにやりと笑って見せた。『悪魔』の笑みだ。
「君、自分の目、もうちょっと意識した方がいいよー。だって、なんだかこわいもーん。見透かしてる……とは違うなー、澄みすぎてる……わけでもないしー」
「単なるカメラの付属品ですよ?」
「そういうスタンスでいるのは危険だって言ってるのー。とにかく、『ちから』があるんだよー、視線にねー。明確に『見てるぞ』って訴えかけてくんのー。それって、カメラよりも『暴力』になり得る武器かもよー?」
僕の視線が『暴力』……?
初めて言われた言葉に、ついきょとんとしてしまう。
自分の目を鏡で見ることはあっても、それはだれかを見つめる目とはまったくの別物だ。
僕は、一体どんな目をして他者を見ているのだろうか?
所長は、それが『暴力』になり得ると言う。
それだけの『ちから』がある視線だと。
今まで、ただカメラのファインダーをのぞくためのものだと思っていたのに。
……そんなこと言われたら、ひとを見つめるのがこわくなってしまう。
知らず所長から視線を外していると、所長はけらりと笑った。
「あははー、あくまでも僕の個人的な感想だと思ってねー。ともかく、君はもうちょっと自分自身のことをかえりみないといけないね、って話だよー」
「……肝に銘じておきます」
「よーしよし、いい子だ」
さっきまで子供みたいに泣いていたくせに、所長は『父親』の顔をして僕の頭をなでた。
「その視線が僕のこころに引っかかったおかげで、君を迎え入れられたんだよ。君をこの『庭』に招いて、本当によかった。神様のカメラなんて、そうそう現れる逸材じゃないから」
「……褒めすぎです。あと、ちょっと鬱陶しいので頭なでるのやめてもらっていいですか?」
「えー、傷つくー。オッサンのなでなではイヤなのかなー?」
「普通にイヤです」
……またも、ぷっつりと会話が途切れる。けど、それは決して気まずい沈黙ではなかった。むしろ、言葉を交わさない空間の方がしっくりくるような気がした。
「ねえ」
「なんですか?」
恥じらう乙女のような呼び掛けに応じる。ただのもじもじするオッサン、と切り捨てることは、どうにもできなかった。
所長は息を吸い込んで、吐いて、それから決意をかためたような口調で、
「……もっと、撮ってよ。僕のこと」
「いいんですか?」
「うん。もっと『観測』して、存在を確定させてよ。しっかりと、世界に刻み込んで」
「わかりました」
カメラを手に取ると、僕はレンズを所長に向ける。
ぱしゃり。
ゆったりとソファでリラックスしている所長を撮影する。
ぱしゃり。
にっこりとピースする笑顔を撮影する。
ぱしゃり。
わざと難しい顔をしているところを撮影する。
何枚も何枚も、フィルムに所長の姿を焼き付けた。
そのたびに、所長の顔色が良くなっていく。
……まるで、患者に精神安定剤を投与している医師のような気分になった。
けど、それで所長のこころがラクになるなら、何枚でもいい、撮ろう。
それが、僕の『庭』における役割なのだから。
『魔女』のための『庭』。
そして、『悪魔』のための『庭』。
……なんとも、地獄のような職場だな。
いろんな意味でブラックバイトだ。
それでも、そんな地獄に自分の居場所を見出した僕もまた、『モンスター』のひとりであり『共犯者』なんだけど。
ぱしゃり。
またシャッターを切る。レンズ越しなら僕の視線の『暴力』もこわくないのか、所長はちゃんとカメラに向いてくれていた。
ぱしゃり。
カメラの向こうの所長はうれしそうにしている。おめかしをして写真館に連れてこられた子供のように。
澄ましたり、笑ったり、大げさな困り顔をしたり、忙しい。
そうやってフィルムが尽きるまで、初めて所長という被写体を撮影して、僕たちは嵐が過ぎ去った静けさの中に鼓動のようなシャッター音を刻んでいくのだった。




