わたしの弟
家の中に入ると、おばあちゃんが玄関に立っていたのだ。
彼女はわたしと目が合うと、唇をそっと噛んだ。
「あの人の息子が来ているけれど追い返す?」
「息子って真一さんのこと?」
おばあちゃんは頷いた。
とっさにそう思ったのは、三島さんとわたしのお父さんについての話をしていたからだろう。
彼がわたしの家を知っていてもおかしくはないが、ただ驚きだった。なぜ、このタイミングでわたしの家を訪ねてきたのだろう。
「いいよ。何か用事があるんだと思う」
「分かった」
おばあちゃんは心配そうに客間に真一がいると言い残し、家の奥に戻っていった。
わたしは玄関の目と鼻の先にある客間に入った。真一がソファにうなだれていた。いつもの太陽のような彼の姿は微塵もなかった。
「どうしたの?」
真一は唇を噛み締めた。
「今日、森に居た。正確にはあの森は僕の祖父のものであそこに小屋があって、よく遊び場にしていたんだ。それで話し声が聞こえるからって行ってみたらほのかたちがいた」
「話を聞いたの?」
わたしの心拍は自然に速くなっていき、息苦しさを感じていた。わたしはあのような場所で浅はかに会話をしていたことを悔やんだ。
「あれって本当の話?」
わたしは問い詰められ、困っていた。本当のことを話すべきか、それともごまかすべきか。
だが、真一には嘘を吐きたくなかった。
わたしは頷いた。
真一を見ると、真一は驚いたように目を見開いていた。彼は相当のショックを受けただろう。まさか自分の父親も自覚がないとはいえ子供がいたのだ。それも自分たちよりも年上の子供だ。
もう彼と今までのように話をすることは出来ないのだろうか。
わたしは今までの彼とのやり取りを思い出し、唇を噛んだ。
だが、真一はわたしの予想に反して笑顔を浮かべていた。
「今まで分からなかったことが分かった気がしたよ。教えてくれてありがとう」
「ありがとうって、だってわたしは」
真一は悪戯っぽく笑った。
「責められるかと思った?」
真一の言葉にわたしは頷く。
「ほのかが悪いわけじゃない。ややこしくしたのは親たちだ。正確には僕の母親なのだろうけど。僕の家はずっとおかしかった。母親は情緒不安定だし、父親は僕たちを可愛がってくれるが、母親に感心はないみたいだった。まあ、由紀は気がついていないだろうけど」
わたしはその言葉に驚き、彼を見つめていた。
彼は目を細めた。
「お墓に案内してもらった日、父親に会わなかった?」
わたしは真一の言葉に頷いた。
「でもあなたのお父さんはわたしのこと知らないから」
「だろうね。あの日、家に帰ってくるなり酒を飲んでいた。母親が何を言っても無視で。あんな父親を初めて見たよ。もともとお酒はあまり飲まない人だったから」
わたしはその状況を想像し、胸が痛くなってきた。
「ごめんなさい」
「だから謝るなよ」
真一はわたしの頭を軽く叩いた。
「ほのかのせいじゃない。絶対自分を責めたりするなよ。もともと父さんにその話をしたのは俺だったんだ。藤田さんの家の娘さんの子供がここに帰ってきて、仲良くなったと。ただの世間話のつもりだったんだけどね」
真一はそこで息を吐いた。
「そのとき父親の表情が強張るのが分かった。ずっと気になっていて、誰もいないのを見計らって父親の部屋に入り込んだんだ。そしたら、ほのかに良く似た女性の写真を見つけた」
「わたしのお母さんの写真?」
真一は笑みを浮かべる。
「多分、そうだと思う。だからほのかにお墓参りをさせてほしいと頼んだんだ。その時に、君のお父さんについて聞こうと思ったけど、聞けなかったんだ」
わたしは唇を噛み締めた。わたしの存在が自分の知らないうちに真一を傷つけていたのかもしれない。
「気にしないでね。父親はほのかが自分の子供だと知らないけど、もしほのかが望むなら仲を取り持つよ」
わたしは真一の言葉に首を横に振る。
「誰にも言わないでほしい。わたしはいつかこの町を出て行くと思う」
彼は驚きのまなざしでわたしを見た。
「このまま何もなかったことにしてこの町を出たい」
「それでいいの?」
真一は眉間にしわを寄せ、わたしの顔をじっと見ていた。
わたしはその言葉に頷いた。
「ほのかがそう望むなら誰にも言わないよ。約束」
真一はそう言うと、わたしに小指を差し出した。わたしはその小指に自分の指を絡める。真一の手はとても暖かかった。
「そうだ。何か飲み物を持ってくるね」
「いいよ。おかまいなく」
「そんなわけにはいかないよ。待っていて」
わたしはそう言い残すと台所に戻った。そして、コーヒーを作り、客間に戻った。わたしはそれを真一の前に置いた。
真一はわたしの運んできたコーヒーに口を付け、一口飲むと、カップをテーブルの上に置いた。
「ほのかは僕の姉になるわけか。複雑だよな」
「わたしも初めて知ったときは確かに戸惑ったもの。真一も由紀さんもいい人だから余計にね」
「いい人か」
真一はそう言うと少しだけ寂しそうに笑っていた。




