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第1話「勇者が生まれた日」

本職もあるため、更新遅めです……。

ご了承くださいませ<(_ _)>

 この世界――アルスヴェリアには、とある勇者の伽噺話(おとぎばなし)がある。

 それは遥か昔から伝えられてきた古いものだ。


 辺境のリオネルディアの村に住む青年のセリュオスは、その御伽話が子どもの頃から大好きだった。

 勇者になった者が共に戦う仲間を集めて、人間たちを苦しめる魔王を倒すどこにでもあるような伝承。


 でも、その勇者には普通と違う点が一つだけあった。

 それは時を越えて魔王と戦い続ける勇者だったのだ。


 いつか自分も勇者になって魔王を倒すことができたら――。

 だが、そんなことは決してあり得ない。


 自分はただのしがない鍛冶師の息子なのだから。

 将来、自分も同じように金槌(かなづち)を振るって、村の者たちの役に立つ道具を作り続けるのだ。


 その日の夜は、不思議な静けさに包まれていた。

 昼間まで子供たちの笑い声が響いていた小道も、家畜の鳴き声で賑やかだった厩舎(きゅうしゃ)も、息を潜めるように黙り込んでいる。

 冷えた風が木立をざわめかせ、まるで森そのものが何かを警告しているかのようだった。


「どうも胸騒ぎがする……」

 村長が広場に立ち、そう(つぶや)いた時だった。


 闇の中から、かすかな(うめ)き声のようなものが聞こえてきた。

 血の匂いが風に混じり、やがて大地を震わせる重い足音が忍び寄ってくる。

 村人たちは一斉に身を寄せ合い、灯火を掲げて森の入り口を見つめた。


 やがて木々を押しのけるように現れたのは、黒き巨狼――ルゥン・ヴォルフ。

 月明かりに照らされたその毛並みは墨のように黒く、身体を走る赤い紋様が脈打つたびに瘴気(しょうき)のようなものが(あふ)れ出していた。

 目は血のように赤く光り、口から滴る(よだれ)は地面を()がす。


「……で、出た…! 魔王軍の尖兵(せんぺい)だ!」

 誰かが叫んだ瞬間、村に戦慄が走った。

 老人は膝をつき、女たちは我が子を抱きしめ、若者たちでさえ足を(すく)ませて動けないでいる。


 ルゥン・ヴォルフ――かつて戦乱の時代に幾つもの村々を滅ぼした災厄の獣。

 その背に刻まれた黒い印は、まさに魔王軍の使いである証だと言われている。


 すると、セリュオスの義父であるオルフェンが果敢に前へ進み出た。

「義父さん……?」

 オルフェンは大きな鉄槌を肩に担ぎ、息子のように育ててきたセリュオスを守ろうとしたのだ。


「戦えない者は下がってろ! 村のみんなで逃げるための準備をしてくれ! オレが時間を稼ぐ!」

 しかし、村人たちは(おび)えた様子のまま動き出そうとしなかった。

 知っているのだ、この怪物を討てるはずがないということを。

 たとえ、どれだけ力自慢のオルフェンであっても、その事実に抗うことはできないだろうと。


「なんで、みんな逃げないんだよッ! 義父さんが戦っている間に早く逃げろ!」

 セリュオスが村人たちを避難させようと大声を出すが、彼らはまるで山のように動かなかった。


「はぁ……!」

 そんな中、オルフェンは恐れを飲み込み、家族と村を守るために足を止めなかった。

 ルゥン・ヴォルフの低い(うな)り声が夜の空気を震わせる。


 その時、セリュオスは嫌な予感がした。

 このまま見ていたら、父親が無惨に殺されてしまいそうな胸騒ぎだった。


 根拠なんて一つもない。

 だが、絶対に後悔することになると思ったのだ。


 次の瞬間、巨狼はオルフェンに向かって稲妻のように飛びかかった。

 その爪はオルフェンの首を狙い()ましている。


「やぁああああめろぉぉぉッ!」

 セリュオスは考えるよりも先に、自身の身体を投げ出していた。

 その勢いのままにオルフェンを突き飛ばし、自らがその爪を受け止める。


「セリュオスッ!?」

 その凶悪な力は、今にもセリュオスを押し潰しそうだった。

 武器も何も持たず、自身を支えているのはほんの僅かな魔力だった。


 自分が先だってしまったら、オルフェンは悲しんでしまうかもしれない。

 義母のセリナは三日三晩寝込んでしまうかもしれない。

 それでも、セリュオスの力でこの村を守ることができれば……。


「俺は……俺はぁぁぁぁああ!!! この村を――!!」

 巨狼の力は魔力すらも貫通し、セリュオスの骨を(きし)ませ、意識すらも闇に飲まれそうになったその刹那――。


 突然、光が走った。

 セリュオスの左手の甲に灼熱(しゃくねつ)の痛みが走り、(まばゆ)い輝きが夜の闇を裂く。


 そこには、見たこともない文字が連なっており、太陽を模したような紋章が浮かび上がっていた。

 光は巨狼の爪を弾き返し、まるで瘴気を浄化するように燃え広がっていく。


「な……紋章……!? あれは、勇者の……!」

「あの伝承は、本当だったのか……」


 村人たちが驚愕(きょうがく)と歓喜に声を上げている。

 老いた村長は震える手を合わせ、涙をこぼしていた。


「痛く、ない……」

 セリュオスは息を荒げながら、自分の左手を見つめる。

 確かに刻まれた紋章は熱を放ち、心臓の鼓動と同調するように輝いていた。


 それはまるで御伽話で聞いて憧れていた存在にそっくりだった。

 光輝く紋章が意味することを、セリュオスはすぐに理解した。


 ――自分が、勇者に選ばれたのだと。


 しかし、巨狼は(ひる)むどころか、怒り狂ったように咆哮(ほうこう)を上げた。

 瘴気が渦を巻き、村人たちはさらに後ずさる。


「俺なら、勇者なら、やれるのか……!?」

 だが、セリュオスは義父の落とした鉄槌(てっつい)を掴み、震える手で構えた。

 光に導かれるように、一歩、また一歩と巨狼に近づいていく。


 恐怖でその膝は震えていた。

 それでも、背後には家族と村人たちがいる以上、セリュオスが退くことは許されなかった。


 巨狼の爪と鉄槌が激突し、轟音(ごうおん)が夜空に響く。

 その衝撃は凄まじく、普通の人間なら即座に吹き飛ばされるほどだっただろう。

 しかし、手の甲の紋章が輝きを放ち、セリュオスを支えていた。


「うぉぉおおおッ!」

 セリュオスが叫びと共に振り下ろした鉄槌は巨狼の顎を砕き、火花を散らして大地さえも揺るがした。

 ルゥン・ヴォルフは苦悶(くもん)の声を上げると、赤い光を散らしながらよろめく。


 そして、セリュオスに向かって一歩踏み出したと思いきや、その場に倒れ伏したのだった。

 その場に残されたのは、焦げた土の匂いと震える村人たちの吐息だけだった。


「……勝った……のか?」

「弱虫セリュオスが……?」


 誰もが目の前で起こった光景を信じられずにいた。

 今まではただの村人でしかなかった青年が魔王軍の尖兵を倒してしまったのだ。


「あなたは、何てことを……」

 駆けつけて来たセリナは涙をこぼし、セリュオスの背に(すが)りついてきた。

 オルフェンは無言で肩を(たた)いている。

 その力強さは血の繋がらない息子を誇りに思っているかのようだった。


「間違いない……。その紋章は伝承にて語られし勇者の証。セリュオス……お(ぬし)こそ、魔王に抗うことのできる唯一の希望なのじゃ」

 村長は深く息を吸い、重々しい声で告げる。


 すると、村人たちの目が恐怖から希望へと変わっていく。

 とはいえ、彼らの胸には言い知れぬ不安も残っていた。


 魔王軍の尖兵が現れ、勇者が誕生したということは、魔王軍の侵攻が本格化するということに他ならないからだ。

 それと同時に、勇者の存在は絶望の(ふち)に光を(もたら)した。


「俺……本当に、勇者になったんだ……」

 セリュオスは唇を()みしめ、左手の紋章を見つめた。

 自分が勇者として選ばれた意味は何だろうか。


 それは――守ること。

 義母であるセリナを、義父であるオルフェンを、このリオネルディアの村を、そしてこのアルスヴェリアの世界を。


「……俺、行きます。みんなが平和に暮らせる世界になるように、魔王軍と戦います……!」

 それは(かす)れた声だったが、確固たる決意が込められていた。

 村人たちの視線が一斉にセリュオスへと注がれる。


 彼らはただ沈黙し、そして静かに(うなず)いた。

 セリュオスに命運を託したのだ。

 光を宿した左手の紋章、村を守るように立つ姿――彼が「勇者」であることは疑いようがなかった。


「セリュオス……お前が、勇者になっちまうなんてな……」

 オルフェンが言葉を詰まらせる。

 その表情は喜ばしい感情と同時に哀愁を帯びていた。


「どうして、あなたなの……」

 セリナは震える手で息子の頬をそっと優しく()で、静かに涙をこぼした。

 両親を見つめながら、セリュオスは拳をグッと握り締める。


 その夜、リオネルディアの村に勇者セリュオスが誕生した。

 この時から、セリュオスの長き戦いの日々が始まったのだった――。

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