人物紹介⑤:北条氏政
Ⅰ. 大陸史データベース『テラ・ペディア』
項目:ウジマサ(推定名)
分類: 歴史上の人物(推定) / 黎明の時代 / 継承者
【概要】
『黎明の時代』に活躍したとされる、謎の指導者。
建国の祖「サガミノカミ」は、その超人的な寿命と功績から、長らく単独の神、あるいは一つの王朝を指す象徴名であると考えられてきた。しかし、近年の『オダワラ地底遺跡』の発掘調査により、サガミノカミの跡を継ぎ、その理念を制度として定着させた「第二の指導者」が存在した可能性が高まっている。
【発見の経緯と史実の考察】
彼の存在が初めて推測されたのは、遺跡の最深部、「三本の刀」が発見された石室のさらに奥深くから、一枚の保存状態の良い木簡が発見されたことによる。
その木簡には、サガミノカミから「ウジマサ」と記された人物へ、家督と全権を譲る旨を記した文書の草案が残されていた。
この発見は、「サガミノカミ=不老不死の神」説を覆す決定的な証拠となった。現在では、カリスマ的な初代の死後、この「ウジマサ」なる人物が、偉大な理念を現実的な法やシステムへと落とし込み、『禄寿応穏の盟約』による長期安定の時代を築き上げた実務的な君主であったとする説が有力視されている。
偉大すぎる先代の光の陰に隠れ、その名は神話として語り継がれることはなかったが、現代に続く社会制度の基礎は彼の手によって完成されたと考えられている。
【後世への影響】
「歴史とは一人の英雄の物語ではなく、その意志を受け継ぎ、守り抜いた者たちの営みの総体である」という視点をもたらした重要人物。彼と、その妻とされる「豊穣の女神」の夫婦像は、現代における理想的なパートナーシップの原型とされている。
Ⅱ. 風魔一族秘伝データベース『事実録』
項目コード: 005
対象: 四代目 北条氏政
【基本情報】
本名: 北条 氏政
生没年: 天文七年 〜 盟約暦四十五年
享年: 69歳(満年齢)
称号: 左京大夫、相模守(継承後)
神話上の呼称: (なし。功績は「サガミノカミ」の伝説に統合されている)
【概要】
後北条家四代目当主。偉大すぎる父・氏康の跡を継ぎ、その理念『禄寿応穏』をただ守るだけでなく、大陸全土を覆う巨大で盤石な統治システムへと発展させた、我らが二代目主君。
【人物】
父・氏康のような天賦の才気や、人を惹きつける圧倒的なカリスマ性には恵まれなかった。そのことを彼自身が生涯誰よりも深く自覚し、常に父と比較される重圧と葛藤の中にあった。
だが、彼には父が持たなかった類稀なる才能があった。それは「誠実さ」である。
彼は父が示した道を一歩一歩、決して踏み外すことなく実直に歩み続けた。民の声に誰よりも真摯に耳を傾け、家臣の言葉を軽んじることがなかった。そのあまりに実直な人柄は、やがて各種族の長たち(特にドワーフ王やオーク族長)からも、父とはまた違う質の、深い信頼を勝ち得ることとなった。
【主な功績】
『禄寿応穏』の制度化: 氏康が結んだ盟約を、具体的な法制度として大陸全土に定着させた。街道の整備、度量衡の統一、共通通貨「小田原貫」の普及など、その功績は多岐にわたる。氏康が「理念」の創始者であるならば、氏政は「文明」の構築者であった。
異文化の融和: 妻である黄梅院様の助力を得て、各種族間の文化交流を積極的に推進。小田原に設立された「総合学問所」は、彼が最も心血を注いだ事業の一つである。
次代の育成: 弟である氏照、氏邦、氏規らを適材適所で要職に就け、権限を委譲した。これにより北条家は、一人の天才に頼る統治から、組織による強固な統治へと変貌を遂げた。
【風魔特記事項】
父・氏康とは対照的に、我ら風魔衆の報告を鵜呑みにすることはなかった。常に裏を取り、自らの頭で真偽を判断する慎重さを持っていた。当初はその姿勢に緊張感もあったが、それこそが彼の為政者としての強みであると、五代目小太郎は後に述懐している。
父の死後、彼が息子・氏直に語った言葉が記録されている。
「父上は偉大すぎた。わしは生涯、父のようにはなれなかった。だがな、氏直。それでよいのだ。我らは英雄になる必要はない。ただ、父が遺してくれたこの道を、一歩ずつ誠実に踏み固めていけ。それこそが、我ら北条の当主の務めである」
【最期】
盟約暦四十五年、父と同じく穏やかな大往生を遂げる。
息子・氏直に安定した大陸を譲り渡すと、その亡骸は小田原の丘、父・氏康の墓の隣に寄り添うように静かに葬られた。その三年後、妻・黄梅院もまた彼の元へと旅立った。




