エピローグ:赤い星の下で(前編)
――あれから、どれほどの季節が巡ったのだろうか。
大陸を焼き尽くした帝国との大戦も、天を裂いた『成れの果て』との死闘も、もはや古びた羊皮紙に記されたお伽噺の一節に過ぎない。
『禄寿応穏の盟約』は、今やこの大陸全土を覆う、空気のように当たり前で、盤石な統治機構の礎となっていた。
人々は、肌の色も、耳の形も、信じる神さえも違う隣人と、当たり前のように食卓を囲み、子供たちは同じ学び舎で、同じ言葉を学ぶ。
戦乱は遠い過去の記憶となり、人々はその平和が永遠に続くと信じていた。
建国の神話は、こう伝えている。
遥か昔、世界が『嘆きの時代』と呼ばれる混沌と絶望に覆われていた頃。太陽の国から現れたという、稲穂と鋼を携えた獅子の一族が、この地に降り立った、と。
彼らは、それまでの王侯貴族とは全く違う、不思議な理で国を治めた。飢える者には等しく粥を分け与え、異なる種族の者たちに、同じ法の下で生きる道を説いた。
その一族を率いた、偉大なる指導者の真の名は、幾度もの大災害による記録の断絶によって、とうに失われてしまった。
人々はただ、畏敬の念を込めて彼をこう呼ぶ。
――『サガミノカミ』、と。
そして彼を支えた仲間と、その一族たち。
彼らは人ではなく、この大地そのものが民を救うために遣わした、神であったのかもしれない、と。
【番組開始】
【オープニング映像】
大陸全土を滑るように飛ぶ、流線形の飛空船からの空撮映像。
眼下には、幾何学的に整備された広大な田畑がモザイク画のように広がり、水晶のように輝く魔導都市が点在している。
人間、エルフ、ドワーフ、オーク、様々な種族が街路で穏やかに笑い合い、共に歩く姿がモンタージュされる。
BGMは、壮大で希望に満ちたオーケストラ。
ナレーター(穏やかで、重厚な声):
「――我らが祖先が、血と涙の果てに築き上げた、この平和。だが、その平和の礎となった『建国の神話』そのものが、今、大きく揺らいでいます。我らが知る歴史は、真実だったのでしょうか。それとも、壮大なお伽噺に過ぎなかったのでしょうか。全ての始まりは、大陸の片隅、忘れられた地の、深い、深い土の下から始まりました」
【スタジオ】
洗練されたデザインのニューススタジオ。知的な雰囲気の女性キャスター、セリナがカメラを見据える。
背景の巨大スクリーンには、「特報:建国神話、覆るか? オダワラ地底遺跡に眠る衝撃の真実」というテロップと共に、発掘現場の映像が映し出されている。
セリナ:
「こんばんは。『クロノス・ジャーナル』です。今夜は番組の予定を大幅に変更し、大陸史を根底から揺るがしかねない、一つの発見について特集でお伝えします」
「大陸東方の辺境、地方名『オダワラ』。その深い森に覆われた丘陵地帯で、数ヶ月前から続けられていた大規模な発掘調査。地中深くから発見されたのは、我々の歴史のどのページにも記されていない、謎の巨大建造物の遺跡でした」
「そして本日。調査チームはついに、遺跡の中心部から、建国の神話そのものの信憑性を問う、一つの『遺言』を発見したと発表しました。私たちを創り、この平和な時代を築いたとされるあの神話の英雄たちは、一体、何と戦っていたのか。そして、その戦いは、本当に終わっているのでしょうか。……まず、現地からの中継です。ダイドウジ記者?」
【中継映像:オダワラ発掘現場】
画面が切り替わる。そこは巨大なクレーターのような発掘現場だった。最新鋭の魔導重機が駆動音を立てて土砂を運び出し、サーチライトが交錯する。
その穴の底に、巨大な石垣の先端部分だけが、夕闇の中で黒々と、圧倒的な存在感を持って姿を現していた。
ダイドウジ記者:
「はい、こちらオダワラ地底遺跡の発掘キャンプです。私の後ろに見えるのが、今回発見された巨大城郭の、ほんの一部です。地質調査によりますと、この建造物は数千年という気の遠くなるような時間をかけて、完全に土の中に埋没していたと見られています」
「一体誰が、何のためにこれほどの巨大な城を……。その謎が、今、大陸中の注目を集めています」
【VTR映像】
CGで再現された神話のイメージ映像。黄金の稲穂が波打ち、鋼が鍛えられ、獅子の紋章が旗めく。
ナレーター:
「『嘆きの時代』。混沌と絶望に覆われた世界に、太陽の国から現れたという獅子の一族。彼らは飢える者には等しく粥を分け与え、異なる種族に共存の道を説いた。その指導者『サガミノカミ』。あるいは彼は、人ではなく神であったのかもしれない……」
【中継映像:再び発掘現場】
ダイドウジ記者が、発掘チームを率いる白髪の老教授にマイクを向ける。彼は興奮で頬を紅潮させている。
ダイドウジ記者:
「アリステア教授。この遺跡は、やはりその神話と関係が?」
アリステア教授:
「ついに発見したと考えていいでしょう。この遺跡こそが神話の舞台、サガミノカミが築いた伝説の都の跡地であろう、と。ですが、調査が進むにつれ、我々の常識を遥かに超える事実が次々と明らかになってきたのです」
「例えば、これです」
【資料映像】
教授が持つタブレット端末の画面がアップになる。そこに映し出されているのは、一枚の美しい風景画。島のような巨大な亀が、光り輝く川で眠っている。
アリステア教授(声のみ):
「これは古代の天才絵師が描いたとされる、伝説の画集『異世界百景』。古代から様々な画家が模写し、奇跡的に現代まで伝えられてきたこの画集ですが、この絵に描かれたあり得ない生物や風景……これまで我々は、これを画家の詩的な『想像の産物』であると結論付けてきました。ですが……」
「この遺跡から、絵に描かれたものと全く同じ生物の化石が発見されたのです。……それも、多数」
【スタジオ】
キャスターのセリナが、驚きを隠せない表情で画面を見つめる。
ダイドウジ記者:
「教授、それはつまり……神話は、ただのお伽噺ではなかった、と?」
アリステア教授(中継映像):
「その可能性が極めて高い。そして問題はそれだけではありません。この画集のタイトルにある『異世界』という言葉。我々はこれを『新しい世界』という比喩だと考えてきた。だが、もしこれが文字通りの意味であったとしたら……? サガミノカミと彼が率いた獅子の一族は、我々とは全く違う、別の『世界』から来たという可能性さえ浮上してくるのです」
【中継映像】
カメラが移動する。ダイドウジ記者が、遺跡の最も深い場所、発掘された主郭の土台へと足を踏み入れる。そこは屋根も壁も存在せず、ただ風が吹き抜ける石の空間だけが残っている。
ダイドウジ記者:
「そして今、私がいるこの場所こそ、今回の最大の発見があった場所です。サガミノカミがその晩年を過ごしたと言われる、神聖な場所だと考えられています。ここで、一枚の巨大な石碑が発見されました」
アリステア教授:
「石碑には、サガミノカミが遺したとされる、かの有名な『禄寿応穏』の四文字が刻まれていました。ですが、そのさらに下。これまで誰も知らなかった、もう一つの『遺言』が、かろうじて読み取れる形で残されていたのです」
ダイドウジ記者:
「教授……その『遺言』とは、一体?」
アリステア教授:
「ええ。あまりに風化が激しく、これまで誰も読み解くことができなかったのですが、最新の魔導スキャン技術によって、ついにその全文を復元することに成功しました。……今から私が、それを読み上げます」
【中継映像】
アリステア教授がタブレット端末を手に、厳粛な面持ちで立つ。風が彼の白髪を揺らす。彼の背後には、夕闇に沈む巨大な発掘穴のシルエットが広がっている。
アリステア教授(ゆっくりと、一言一句を噛みしめるように):
「――豊穣は、星の飢えを呼ぶ。」
「……備えよ、次の収穫に」
【スタジオ】
セリナが息を呑む。スタジオの巨大な天球モニターにも、そのあまりに不吉な言葉が、古代文字と共に映し出されていた。
ダイドウジ記者:
「教授……! 『豊穣は、星の飢えを呼ぶ。備えよ、次の収穫に』? ですが、建国神話では、サガミノカミは全ての戦いを終わらせ、この地に永遠の平和をもたらしたとされています。これは、一体……?」
アリステア教授(モニター画面、厳粛な声で):
「それこそが、我々歴史を学ぶ者たちに突きつけられた最大の謎となりました。我々が享受してきたこの平和が、永遠のものではないとでも言うのか。我らが誇る『豊穣』が、災厄の引き金になるというのか。そして、『次の収穫』とは、一体何を意味するのか……」
「我々にはまだ、何もわかっていません。ですが、一つだけ確かなことがあります」
【エンディング映像】
カメラは、スタジオのアリステア教授の真摯な瞳をアップで捉える。
アリステア教授(視聴者に、そして未来に語りかけるように):
「我らが祖先は、我々にただ平和な世界を遺したのではない。彼らは我々に、一つのあまりにも重い『問い』と『宿題』を遺していったのです。……我々の世代の務めは、この問いの本当の意味を解き明かし、そして次なる世代へとその答えを繋いでいくことなのでしょう。我々の研究は、まだ始まったばかりなのです」
ダイドウジ記者:
「なるほど。建国の神話が本当の歴史であったかもしれない、衝撃的な事実を教授からお伺いすることができました。では、スタジオへお返しします」
【カメラは、ゆっくりと石碑に刻まれた古代の文字『豊穣は、星の飢えを呼ぶ。備えよ、次の収穫に』を映し出し、フェードアウトしていく】
セリナ:
「アリステア教授、ダイドウジ記者、ありがとうございました。CMの後は、この建国神話についてさらに掘り下げていきます」
【CMに入る直前、番組のテーマ曲が流れ始め、セリナのマイクがオフになる寸前に、ふと我に返ったような、彼女の素の声がわずかに聞こえる】
セリナ(小声で):
「……ところで、サガミノカミの『サガミノ』って、どういう意味……?」
【音声が完全に切れ、CM映像に切り替わる】
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