聖女の野心
ホルシュタイン王国との交渉を纏め上げたユリウスは、エーデルラント王国王都サンクトシグルブルクに凱旋した。
先代国王によって巨額の資産を投じられて築き上げられた文化都市は、白亜の建物や立派な銅像が並び立つ美しい景観を生んでいる。
エーデルラント王立鉄道が建設したサンクトシグルブルク中央駅から宮殿までを結ぶ道路は、凱旋したユリウス達を迎え入れる歓喜の声で埋め尽くされていた。
その声援のトンネルの中を、ユリウスは馬で通り抜けて王宮へと入る。
王宮に入ってまずユリウスが向かった先は、国王カールのいる玉座の間。
玉座に座しているカール・フォン・エーデルラントは、黒を基調としてこそに金色の豪華かつ繊細な装飾を施した装束を着て、背には赤いマントを纏いながら、玉座に頬杖を突いていた。
そんなカールの前で跪き、ユリウスは戦勝の報告を行なった。
「国王陛下、我が軍はホルシュタイン王国との戦争に見事勝利し、キール運河とアルス島を手に入れて参りました」
「ご苦労であった、ルーデンドルフ公爵」
「ははッ!」
「だが、些か解せんな」
己を導く賢者たるユリウスに対して、尊大な態度で相対し、冷徹な視線を向けて見下ろすカール。
「何がでしょうか、陛下?」
「ホルシュタイン王国を屈服させて、強引に不平等条約まで締結して、これからどうする? これでハプスブルク王国を完全に敵に回したのだぞ。ゲルマニア屈指の大国。それを相手に勝てるのか?」
「勿論です。今回の一件で、ハプスブルクの権威には大きな傷が付きました。対してこちらはキール運河を手に入れました」
「運河の富を得たくらいで戦争に勝てるのか?」
「運河から手に入るのは、富だけではありませんよ」
「というと?」
「ハプスブルクに勝利したという事実です。ハプスブルクの独裁体制に不満を抱く勢力はこのゲルマニアには大勢います。それ等を味方に引き込む好機を我等はキール運河より得たのです」
「なるほどな。お前が欲しかったのは、富ではなく好機を掴むきっかけだったというわけか」
「その通りです」
「良かろう。子細はお前に任せる」
「仰せのままに、陛下」
ユリウスは一礼して、玉座の間から退出する。
その途端、カールはふぅ、と息を漏らす。緊張の糸が着れたように。
国を導くという役目はユリウスが全て担う。その代わりカールはそれ以外の王の務めを全力で果たす。
それ故にカールは人前では常に王としての振る舞いを心掛けていた。
どれだけ心細さにその小さな身体が押し潰されそうになっても。
◆◇◆◇◆
夜遅く。
ユリウスは王宮の廊下を歩いていた。
薄暗く、柱と柱の間から差し込む月明かりと等間隔に立てられた小さな灯りだけが頼りの中をしばらく進む。
そしてある部屋の前で足を止めると、ノックもせずにその中へと入って行く。
「お待たせしてしまいましたかな、シスター・カミーラ」
「いいえ。時間ぴったりですね、ルーデンドルフ公爵」
宮殿の一室というだけあって豪華な装飾に彩られたその部屋には、一人の修道服姿の女性の姿があった。
元々その部屋にあったのであろう、部屋の装飾によく似合う高級そうな椅子に腰かけている女性は、年頃はユリウスとさほど変わらない金髪碧眼の美人。
絵画に描かれた神話の女神を彷彿とさせる神秘的な美貌の持ち主で、ベールから零れる金髪は身の丈にも匹敵する長さでまるで絹のように輝いている。
彼女の名はカミーラ・マルガレーテ・フォン・ホーエプリスタリン。
見ての通り、修道女である。
王都郊外の修道院で厳しい修行を日々積んでおり、ロッテ亡き今は次期聖女候補筆頭となっていた人物だ。
「それで私をこのような場所に呼んだのは、一体どういうわけかしら?」
貞淑さを旨とする修道女とは裏腹に、どこか尊大でただならぬ威圧感を放つカミーラ。
しかし、ユリウスはそれに臆する様子は無い。
「先日の件です。あなたに、この王国の聖女となって頂きたい。現在の聖女様は既にお年もお年。既に辞職願も出ているのです。民心を安定させるには、若く才能豊かなお方に聖女となって頂く必要があるのです」
「ふふふ。私は全てを神に捧げた身です。そのような者を政略のために利用しようとは、あなたもお人が悪いですねぇ」
「……利用とはまた、たちの悪いご冗談を」
「ふふ。これは失礼を」
王国宰相として優れた政治手腕を発揮してカールを支えるユリウスだが、カミーラの話術はユリウスよりも一枚上手だった。
常に会話の主導権をユリウスには握らせない。その巧みなやり口はまるで、童話に出てくるようなズル賢い老大臣のようである。
「それで私の申し出を引き受けて頂けるのでしょうか?」
「……先日、あなたからこの話を聞いたその時から、ずっと考えていました。この申し出を受けるかどうかを。そして私は一つの条件を思いつきました」
「伺いましょう」
「私を教皇にして下さい」
“教皇”
それは全ての聖職者の頂点に立つ神の僕の第一人者を指す言葉。
神聖ゲルマニア皇帝に帝冠を授ける存在であり、諸国の王にも絶大な影響力を誇る。謂わば大陸の影の支配者とも言える存在だ。
本来、片田舎でしかないエーデルラント王国の聖女候補が狙えるような地位ではない。
しかし、彼女には確証があった。
今、目の前にいる黒衣の宰相はいずれ自分を教皇にまで押し上げられる存在になる、と。
「……良いでしょう。今すぐに、という事でもなければいずれあなたを教皇の座につける事をお約束します」
「ふふ。交渉成立ですね」




