第六幸 Q-1 「殺したくないけど、殺さないといけないので、人任せにした英雄」
緑昇を名乗る少年だった男は、強欲だった。傲慢だった。現実に納得することが出来なかった。
彼は善人悪人、全てを救おうとしたし、その自己満足の裏で多くの善人が死んだ。
彼はその贖罪に、まず助けた半分を皆殺しにすることを誓った。
だが彼は己のことを何も理解していない。
出来ないのだ。
したくないのだ。
人が死んでいるにも関わらず、己の良心を優先する偽善者であった。
ので。
勇者は己の肉体を。
己の殺意を。
己の正義を。
都合の良い詐欺師に委託したとか。
(スキエル平原・現在)
二色の英雄の死合いは未だに続いていた。
金属の走り鳴らしと吹き荒れる豪風の間に、妖精の語りと何度も訪れる少年の死期が、交わされては躱される。
二刀流のグロ・ゴイルが、両方同時に黄金騎士へ振り下ろされようとする。
横から待ち構えるように敵に正面に回り込まれたエンディックは、魔の言葉を槍の傘に宿した。
「魔言『HEAT!』アルケーフレアぁ!」
苦し紛れな咄嗟の迎撃。
あまりにもデタラメなその魔力の組み立ては、敵に向かって行かず、ただ槍の表面をボアッと燃えるだけだ。
だが慎重な敵はその不信な技名を見逃さず、強引に地を蹴り、右斜め方向に身を飛ばす。
踏み込みの勢いを地面にぶつけたグロ・ゴイルで消しながら、くるりと空中で一回転して着地する。
モレクはまたも危機を通り抜けた少年を、素直に賞賛した。
「ワタクシ達の制御サポートも無しによくやりますわね。機力を燃やすことで、その灰や熱した空気に触れた対象すら、遠隔的に錬金術の素材とする……。
マモンはこれに気付かぬまま、装甲材質を崩され、金球とのアクセスを遮断されましたわ。しかし風使いのワタクシ相手に、そんな弱火……」
振り返ったモレクは右腕のグロ・ゴイルを宙に一閃する。
すると勇者から強風が流れ、離れた距離を走る黄金騎士の炎を容赦無く吹き消してしまった。
「空中に機力を漂わせると言っても、長時間坊やの支配下に置けませんでしょう? それに近距離では火の粉が付着する危険が有りますが、遠くから吹き飛ばせば無害ですわ。
さぁ、次はどんな手品を見せてくれるんですの? その手品はあと何度まで、ワタクシの攻撃を拒否出来るのかしら?」
だがそんなモレクの言葉は、対戦者に届いていない。
エンディックは勇者と大きく距離を取りながら、ずっと先ほど語られた緑昇の過去を彼なりに考えていたのだ。
そして頭に蘇るのは、少年に掛けられた、いくつかの『同類』の言葉。
「救える他人の命は、家族達が君を失った際に背負う悲しみよりも尊いと? 家族の為にも諦めてやれ」
「君が何を語ろうと俺は善良な者を救いたい。ゆえに……俺に実力を示せ」
「エンディック、分を弁えないヒーローごっこはもう止めろ」
これらはモレクの言葉だったのだろうか?
それとも緑昇本人の経験からの助言なのか?
いずれにせよ『弱者としても同類』だった男と、それを許した女に対し、黄金騎士の胸中に生じたのは。
「ふっざけんじゃねぇぞ緑しょォォオォおおおおっ!」
唐突に叫び吠えるエンディックに、思わず女妖精は疑問の声を上げる。
「な……何ですの……?」
「おい緑昇! 聞こえねぇのか?おい!」
「もうこの人は」
「知ったこっちゃねーよ! テメーには言ってねーんだよアマ! もう緑昇の意識が無いっていうなら、死んでも聞きやがれ!」
少年は女の言葉に耳を貸さず、怒気に声を張り上げる。エンディックは二人を、勇者と妖精のことを理解してしまったのだ。
モレクが一体何を考えているのかを。自分に何をさせようとしているのかを。
湧き上がるのは緑昇の不出来さへの共感と、ヒーローの仮面を手に入れながら、本人にその素養が無いことへの同情と。
にも関わらずたどり着いた二人の答えへの、『怒り』だった。
「緑昇! 出来ねーなら……やるなよ。誰も傷付けたくないなら、殺すなよ。
弁えてねーのはテメーの方じゃねーか!」
「……坊やだって無謀な活動を」
「俺は……この黄金騎士って『酔狂』を、簡単だからやってるんだ。
人助けも、悪党をブチのめすのも、魔物を狩るのも、勇者を殺すのも、容易いからやってるんだよ。
なのにアンタはどうだ? 殺したくないのに悪人と、己を殺す。世界を救えないのに、救おうとする。
それで悩んで戦えなくなるなら、モレクに丸投げして自分は体だけ世の中に提供して……そんなのおかしいだろ!」
「ふ……他人の為に余計なお世話を焼くこと」
「そうだよ……余計なんだよ、俺もアンタも。
俺はアンタのやり方を否定しない。確かに殺した方がいい糞野郎は、ワンサカいるだろうよ。
世の理不尽に苦しむ奴らは、俺達を望むだろうよ。
でもそれは! 自分達の命を犠牲にって言われて、助ける相手が『私を助ける為に死んで下さい』なんて言うわけねーだろ! それこそ助ける気にならねーよ。
緑昇の仲間達や助けて貰えた奴らは、アンタが死んだらどうなる? 悲しくねーわけないだろが!
多くの誰かが死ぬかもしれないから、誰か一人を生贄にする……俺さ、気に入ねーんだわ。そういう自己犠牲野郎は!」
エンディックはそういった人間をとてもよく知っている。
彼女は周りが不幸になるからと、自己の殺生を望んでいた。
好きになった女性を殺した原因の己に、復讐すると誓った。
だがそれらは、自分が周りの不幸を見たくないだけで、彼女の家族が彼女を失ってもまた、深い悲しみがもたらされるだけである。
「それに計算合わねーよな? 人の命が一つしかねーなら、大切だって言うなら、なんでその命を救おうとする英雄一人の命は、軽いって話になるんだ?
俺はこんなの笑えねぇ……誰かを生贄にして、知り合いが犠牲になって命が救われたとしても、ヘラヘラその後生きていけねぇんだよ!」
そう一気にまくし立てた黄金騎士は右曲がりに走っていき、またモレクの左側面を正面に捉える。
怒りと集中を乗せた槍は加速し、妖精の封じられた金十字の手甲へ襲い掛かった。
(と……思わせて)
エンディックは槍から逃れようと反応する右手を無視し、武器の狙いをチューブで守られた腹部へ。
緑昇本人へと突きを繰り出した。
「……! ……この!」
少年の『察した通り』モレクは引き気味だった腕を咄嗟に前に出し、グロ・ゴイルの板で槍を防ぐ。
(突きの勢いが……? 弱いですって……!)
ぶつけた反動ですぐに槍を引き戻した黄金騎士は、改めて無防備に晒された右手甲に狙いを定める。
「やっぱ緑昇を庇いやがった……なぁ!」
だがフェイント含んだせいか、少し遅い。
交差から走り離れる直前の刺突は、金十字の封印の桃色の宝石を掠る程度の失敗に終わってしまった。
(ち……)
安全主義のエンディックは深追いせず、マントから吐き出された舌の追撃を避けながら、敵後方から左へ抜けていく。
そして再び緑昇へ吠えかける。
「緑昇、アンタもいい大人だろうが。なら理解しろよ? アンタも、俺も、空想のヒーローに憧れるだけの『現実の俺達』は、本物になっちゃいけねーんだよ……。
黄金騎士にも緑の勇者も、世の中を救う『責任』は有ったことがねー。己の命を犠牲にして、他人に奉仕していい『言い訳』にはならねー。
俺と緑昇のやってることは、他の英雄に憧れて成りきってる奴らと何も変わらない。ただの『ヒーローごっこ』に過ぎないんだからよ……」
異世界に英雄が現れ、世に奉仕する。
その他大勢はさも当たり前のように、ヒーローに正義を、完璧性を、悪を滅ぼす力を、救世を願う。
例え命を犠牲にしても、真っ当な人生を捨てても、そこに尊さを見出し、伝説として語る。
英雄もまた『命が一つしか無い人間』であるのに。
エンディックはその当たり前を、歪だと思った。
「それによ、人殺しで悩むような善人には、正義のヒーローは務まらないって皮肉だぜ。
俺『達』はアンタと違って、目的や夢の為なら平気で他人の命を奪えるんだからなぁ」
少年の脳裏に浮かんだのは、同類達の顔。
勇者という夢に他人を巻き込んで、都合の良いお話を見続けたジャスティンという男。
勇者という言葉に憧れ、本物への憎悪を燃やしたニアダ。
そして家族のことを放ってヒーローごっこに耽溺し、己の酌量で犯罪者の生き死を決めていた黄金騎士。
彼らは皆、等しく悪と戦う正義の戦士である。
戦うからには、悪を大なり小なり殺している。
殺しは殺人である。
戦士とは皆等しく殺人者である。
エンディック達は世の為人の為と信じ、敵を殺して『良い』と思った。
正義の為に、殺人という間違いを平気でやる彼らは、何者なのか?
間違いなく狂人である。
目の前のお人好しの子供と違って、冷血な大人になれる子供なのだ。
「黄金騎士は周りの奴らにとっては、英雄なんだろうよ。だから正しくねー。
これはライデッカーのオヤジの受け売りなんだがよ……。
『正しくないからって、正しいことをしない理由にはならない』よな? 俺達は人間は手が血で汚れていても、人を救えるなら敵を殺す……。無理なようなら諦める。
だって現実に生きてる人間なんだから。勇者に憧れる奴が、本物になっちゃいけないんだよ」
酷く気に入らない。
エンディックは……この男を勇者ではなく、人として終わらせてやりたいと、強く思った。
「そしてモレク! もう一度言う。俺はテメーの挑戦を受けるぜ!
そして勝って敗者に言うこと聞かせる……アンタ『達の犠牲』が間違ってるってな!」
黄金騎士の少年は改めて、愚かな結論に達した二者を槍で指し示した。
そして何度折れても、より強く直る決意を持って、宣言する。
「俺は……アンタらの『勇者』を殺すぜ……!」
少年の望み。緑の勇者と同じく『善人の犠牲』を許さないこと。
異なるのは、その中に英雄の人としての生も入れていることである。
「自分を幸せにする方が、ずっと簡単なんだぜ……。なのに天秤に乗せた世界の重さに、自分の幸福を諦めるような奴は、きっと他人の幸せも救えねーんだよ!」
黄金騎士は気合と共に攻め掛かる。
敵の狙いを逸らすようジグザグに進み、速度を更に上げてモレクの左側へ。狙うは右掌。
手ごとモレクの封印を貫かんとする。
「……御高説は結構ですが」
しかしモレクに迎撃の気はなく、早めにこれを飛び越え逃げた。
下を走り抜けたエンディックは、モレクが空高く舞い、遠くの平原に着地したのを後ろ手に確認し、反転しようと。
「たった今、ワタクシの戦いは終わりましたわよ? 坊やを『その位置まで誘導する』という戦闘が、ねぇ」
ヴァユンⅢが走るその先に、草に隠れて巨大な魔力円が伏せられていた。
それが今、『これまで溜められていた大量の魔力』を空間の技術に与える。
「ブルー・S・スピナー……ですわ」
風と水の合成魔言により呼び出された、浮遊する青い逆三角形。
五階建ての高さほどの、石のような質感の独楽だ。その螺旋状の溝から黄緑色の光が輝き漏れているそれが、黄金騎士の進路状に現出した。
「な……これは前の……いや、近過ぎる!」
以前の緑昇は遠くから、己の近くから、この独楽に隠れる為に使った。
だが今回はスピードを出して走った先の、すぐ前。
まだ距離は有るものの、ヴァユンの足と独楽の質量を鑑みて、もう横に避けられない近距離である。
今すぐ反転しても、竜巻に追いつかれて終わりの豪風の壁。
「あら? 最初に使わなかったから、無いと思いまして? せっかく待ち伏せてるんですもの。敵を圧殺可能な罠を伏せるのは当然。
今回のワタクシの戦いは、敵を煽り、適度になぶり、敵が忘れた、油断した頃合いに、あらかじめ用意した罠に敵を向かわせることに帰結しますの」
青の独楽が回転を始め、溝から海水を地に降り注ぎながら竜巻を纏い、真下と目の前の大地を侵し砕きながら進む。
見上げるほどの大竜巻に比べてちっぽけな、蟻をすり潰す為に。
黄金騎士は無謀にも巨大独楽へと走るしかない。
強烈な雨風にさらされながら、更にスピードを上げて、特攻するしかない。
このモレクの用意した一手が、この戦いの勝者を決めることとなった。
人は、嵐には勝てない。




