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第六幸 P-2 「つまり一人の命より、己の手の綺麗さの方が、大事だったわけだ?」

 一年後、緑の勇者はサイラと再会する。


 それは銀獣の会傘下の、人身売買組織を調査したとき。


 緑昇は檻の奴隷達の中に、虚ろな目で妊婦となっていたサイラを見つけてしまった。






 あの後、緑昇が逃した者達は敗れた腹いせに、勇者が去った村で略奪を行なった。


 女子供は売られ、何の罪もない村と人は焼かれ、プチェン村は廃墟となったのだ。




 村で別れてから二年間、彼女がどんな人生経験を強要されてきたかは、身に染み付いた悪臭から察せられた。






 これはおかしい。




 なぜ何の罪もない彼女が地獄に堕ち、



罪を犯した悪人達が今も幸せに生きているのか?



 なぜ神はこんな非条理を許した?


 この世に神はいないのか?












 何を寝ぼけている?




 神は居たではないか。











 神は、貴様だ。






 神が悪人の罪を許した。


 その後の幸福を許可した。


 周囲の罪なき人々を、再び傷付ける可能性を、正義を謳う善神は、良しとしたのだ。








 余所者の己の受け入れてくれた村の人達。


 勇者よりもか弱き身でありながら、戦う自分を案じてくれた目の前の少女。



 彼らの幸せは、勇者の慈愛によって破壊されたのだ。









「あ……あぁ……が……ぅうァァァァ!」

 もう無理だった。必死に守ってきた自らの善性を、勇者は手放してしまった。


認めたくない現実を、檻ごとグロゴイルで両断した。







 神は居た。




 生き地獄の足枷を嵌められていた彼女達を、天へ救い上げたのだ。





 めでたし、めでたしである。







 犯罪組織のアジトにいた人間を皆殺しにした勇者は、建物から屋外に出て立ち尽くす。


天候は曇り。雨でも降ってきそうだ。




「りょ、緑昇? そこまで気に病んでも仕方ありませんわ? 貴方様は勇者なのでしょう? これから人を救おうと旅をして行けば、自ずとこういった失敗は、一度や二度必ず有りますわ」




 モレクは緑昇のあまりの豹変に驚き、鎧を解除して人の姿を映しながら、フラつく彼を支える。




「亡くなった少数の命を悔やむより、次に救う大多数の命のことを考えた方が有益です。貴方様は勇者でもあっても、完璧ではないのですから……」



「……何だって……? 完璧では……ない? 失敗しても仕方ないだって?


 亡くなった命より、生きてる命の方が大切だって?」



 関係ないのだ。


 善良な勇者が救って改心した罪人が、百人居ようとも。



 目の前の一人の少女が、何の罪もない人間の人生が、地獄に変えられた事象が一つでも有れば。



 良い可能性がどれだけ高かろうと、無辜の命が1%でも犠牲に『なってしまった』時点で。




 この世の悪と、その悪人を恥ずかしくも救おうとしたこの無能で醜悪で屑で偽善を悦に浸っていた悪神が。







「許されて『良い』わけが……

ないだろぉおおおおおおおおおおおおおおおおお!」








 緑昇は英雄である。



 龍を撃退し、マシニクルの侵略からスレイプーン王国の民を救い、今は慈善活動で魔物を討ち、分け隔てなく命を守ってきた。


 きっと緑昇が大きな罪悪感に苛まれようと、彼に救われた善人達が、彼に許された悪人達が、きっと英雄を慰めるだろう。


 勇者が例え少数を救えなくても、救えた人数の方が遥かに多いのだから。



 だがこの『少年だった男』は許さない。



「ならあの女の子は! あの村の人達は! 犠牲になっても良いって言うのか?


 救われなかった少数は、救われた多くの人々より! 価値が無いって言うのか?



 そんなわけないだろぉぉおおお!



 人の命は……サイラの人生は! 

たった一つだけだったんだぞ!

 代わりになる……わけがない……」




 彼にとっては逆だった。


 一人でも不幸になる者が有るのなら、残りがどれだけ幸福になろうと、その栄華に何の価値も無い。


 だから緑昇の博愛があった。彼は誰の不幸も見たくなかったのである。


 しかし全てを救うなど不可能であることは、『大人』なら誰でも解る。








 男の子達は誰もが英雄の夢を描く。


 しかし全員が成れないのではない。

 自身の才覚と理想と釣り合わず、諦めていくのだ。諦めるという学び。仕方ないという絶望。


 それが大人に『退化』するという恭順である。


 彼が他の男の子達と異なる点は、それを『許さない』ことだった。


 この少年が低知能なのは、自分が『無能』であることを、世の中に不可能があることを、許さなかった所なのだから。







 まだだ。勇者とて完璧ではない。最強の力得たはずの己でもなお、救えぬ命が有る。

 男にとってそれは言い訳だった。


 助けられなかった命に、そんなことが言えるのか、と。



「僕は勇者だから助けられた……サイラ達の命を……。勇者ならば出来るはずだ……全てを救うことが……。


 勇者という超常の力が有れば、世の不条理を覆せる……フィクションの存在である緑昇に成れる……そのはずなのに!」






 完全でないなら、守る対象を減らせば良い。悪に良心が有るなら、そもそも誰にも害さないのだ。


 なぜそんな単純な論理が理解出来なかったのだろう?




「僕は……悪だ……」



 それは自分自身が、とてつもなく醜悪な人間だからだ、と彼は考えた。



 緑昇は逃げてきたのだ。

 相手を傷付けることから。己だけは綺麗な存在で在りたいと。



 知っていたのだ。

 正義の為だと『言い訳』をしても、他者を害する行いが、『悪』であると。


 誰かの命を守るということは、その誰かに刃物を向ける悪に、より強い刃物で滅多刺しにする帰結だと。



 だから逃避してきたのだ。

 全ての命を平等に扱い、全ての味方になろうとする姿勢とは、誰も守らず、誰も傷付けずに済む。

 己だけが争いの螺旋から抜け出せると。




 所詮、人はどちらか一方にとっての、自分達勝手な『正義の』味方にしかなれないのだ。


 善悪とは見方一つで簡単に反転し、『倒すべき悪』とは誰かにとって『都合の悪い側』でしかないのだと。




 現に誰の味方でもあり、守れなかった緑昇は、善であったのに不幸になった、村の生き残りの奴隷達も。



 悪であるはずなのに今まで幸福に生きてきた、奴隷商人達も。


 等しく殺害し、平等にグロ・ゴイルの刃に混ぜ、善悪関係なく今やモレクの腹の中である。




「英雄である『緑昇』は……悪を滅ぼさなくては、ならない……」



 緑昇は決定した。

 悪に人権無し。存在するだけで、罪無き人を蝕む病原菌だと。悪は根絶すべきだと。



「例え百人の生存者が僕を許したとしても……。


 正義の味方である『緑昇』が、僕を許さない。


 僕は緑昇として……僕を許そうとした百人を斬り殺してでも!


 僕を含む『悪』を断罪する……!」



 勇者の宣言と涙に呼応するかのごとく、雨が降ってきた。雨音は強まり、天上の雷の光が男と女悪魔を照らす。




「モレク……僕の全てを、貰ってくれないか?」

「貴方様? 何を言って」



「邪魔なんだ……世界を救う緑昇にとって、僕という『邪悪』は。きっと僕は躇ってしまう。情けを掛けようとしてしまう。

 躊躇する時間が有れば、もっと多くの人を救えたはずなのに……! 僕は……望んだ自分に、最適化しなければならない!」




 彼は悪魔と取引した。

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