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第一話Bー1「罪悪感に従わぬ男達」

エンディックは養父の死に深く悲しむ。そこへ追い討ちのように幼少期の因縁が鎌首をもたげる。

終わっていないのだ。友情よりも、愛情よりも、エンディックとシナリーを深く結び付ける、黄金の悪魔の記憶が。

これは金の呪縛を解く物語。

(アリギエ・教会前)



「来て……しまった」

 神を求める信徒が一人、聖なる建物の前で右往左往していた。


「どうしようかなぁ。やっぱり止めようかな。でも……」

 そう言う迷える子羊の体は大きく肥えており、彫りの深い(いか)つい顔には眼帯をしている。

桃色の下地に銀色の(わに)の刺繍が入った眼帯を、左目にした男の名はポンティコス。


 以前のポンティコスは、仕事終わりの次の日には、必ず教会に来ていた。

彼は信仰深い性格で、仕事先でも成功を祈る為に、(こうべ)を教会の方向へ向けているのだ。


 だが、今まで彼に良くしてくれた神父様が死んで以来、なんだか行き辛いのだ。

その神父以外とはあまり話したこともないし、ちょうど仕事も忙しかったので、葬儀にも気付けなかった。


 あのライデッカー神父はポンティコスにとっての恩人である。

 その死も悼めない自分は、墓に会わす顔もない。そんな心境なのだ。


「お墓に花でも買ってこようかな。でもそこを誰かに見られたりしたら……」

「あ、ポンティコスさん。おはようございます」

 ポンティコスは声を掛けられたことに驚き、相手を見る。

 杖を持った紫髪の修道女が後ろにいる。彼女は微笑と共に話しかけてきた。


「お義父さ、ライデッカー神父から伝言を聞いています。『イカす眼帯男が訊ねて来たら、中に入れてやるように!』って」


「え……? 神父様が俺のことを?」

 彼が自分のことを気にしてくれていた事実に、思わず涙ぐむポンティコス。

それに自分のような怖い顔の人間に話しかけてくる、少女の気さくさにも感心した。

 他のシスターは眼帯を付けたこの物々しい男に、気後れしているからだ。


「ほら遠慮せずに! 入って下さーい」

「じゃ、じゃあ……」

 かくして神の信徒に導かれ、悪人は扉をくぐった。




「ラーメン」

「何ですの……それ?」

「俺の世界では祈る際に、麺類の名を唱える風習があってな。……言ってみただけだ」


 緑昇(りょくしょう)とモレクが教会の端の席に座っていた。

 二人はイカリャックを出た後、教会に立ち寄ったのである。

そこに彼らが探す物と人の、何かしらの情報を持っているかもしれない人物がいると聞いたからである。


 皆が聖なる歌を聞き、聖なる書物を朗読する教会。周囲の目から外れた席の男女は、ヒソヒソと呟き合っている。


「まさかライデッカーという男が……もう死んでいたとはな。

彼は19年前に王都の魔言師団にいたと聞く。第一期・遠征部隊……『勇者』がこの世界に来たときに……だ」


「前国王の魔の手から逃亡し、行方不明となっている強欲の(マモングリーズ)と勇者。

その方達の噂が有るこの地方に、ライデッカーなる神父が居るのは変じゃありませんこと? もしかして逃亡の共犯者なのでは?」


「仲間割れで死んだ可能性か。それも含め調査を……ん? おいモレク、二席前の男……デニクじゃないか?」


 緑昇の言った席に、他の信者よりも熱心に聖歌を歌う男が居た。デニクという若い商人だ。

 金髪で浅黒い肌のその男は、三年前に二人と別の街で会ったことがある。

緑昇達にとっての彼は軽薄で、常に他人に媚びる子悪党という印象だ。

 だから目の前の熱が入った信徒ぶりを、二人は信じられないと驚いているのだ。


「不思議なことも有るものですわ。そういえば緑昇、デニクは『銀獣の(シルバービースト)』の一員でしてよ? 覚えていまして?」


 銀獣の会とは、仕事の稼ぎが少ない者や無職者に、『副職』を斡旋する非公認団体だ。

 弱者救済をしているように聞こえるが、実態は犯罪ギルド。

紹介する仕事は、怪しい取引の用心棒や盗賊の頭数増やしなどで、はては殺しの捨て駒などを押し付ける。

 悪名は知れ渡っているのだが、飯を食う為に手段を選べない者は、彼らを頼るしかない。

さらに娯楽に飽きた貴族の子供が、殺人をしてみたいが為に、強盗に参加してみるなんてこともあるのだ。


「モレク……怪しい鹿に乗る変態と、市民を犯罪に誘う悪の組織の下っ端、俺が『勇者』としてどちらを優先すべきだ?」


「後者でしょうに? いつも国王の依頼より、ワタクシ達の『日課』の方をやりますでしょう。

うふふ……一体何人召し上がれるのかしら?」



 (教会裏の墓地)



一通り午前中の集会が終わり、ポンティコスは墓地へ向かう。ライデッカーの墓に行っておこうと思ったからだ。


 知り合ったシスターのシナリーという少女の導きで、墓前にたどり着くことが出来た。

 彼女はポンティコスと神父の関係を聞いてきた。

シナリーの話し上手のおかげで、恩人のことを話したかったポンティコスも話が弾む。

「本当に神父様はおかしな人でしたよねー! ひたすら肉体派っていうか単純っていうか」

「ええ、でもそこが良い所だったんです。俺も仕事で悩みが有るときは、相談に乗ってもらいました。

『仕事はな、嫌なことするから金が貰えるんじゃい! だが、どうしても無理なときはワシに言えぃ! ここの仕事を紹介してやるッ!』って言われたりして。

神父様の励ましや助言がなかったら俺は……」


 ポンティコスにとって彼と出会えたのは幸運であり、神への祈りという『贖罪』の手段を見つけられたのは、運命と言ってもいい。

 神を信じることで心の安定が得られた。だから今の仕事も続けられる。


「でもポンティコスさん、神父様のお誘いは受けなかったんですよね? どうしてですかぁ?」


 シナリーの何気ない疑問に答えるのに、ポンティコスは少し時間を置いてしまう。

 それは彼にとって、告白に近い吐露になるからだ。


「俺は……悪人なんです」


「――何でです?」

「俺は汚い男なんですよ。悪い人間なんです。そんな男が、良い人達の仲間になっちゃいけない。

聖職者になって神様の加護を受けたり、あまつさえそれで幸せになろうだなんて、有ってはならない」


「じゃあ貴方が神様に祈ってるのって、自分を罰してくれーって頼んでるからですかー?」

「……神頼みなのは解ってますよ」

 少女の発言は、ポンティコスの心情を言い当てていた。


 彼の本当の望みは、一時の救済や神の守護を受けることではなく、暴きと裁きなのだ。

 宗教による心の平穏を求める一方で、神罰での身の破滅を願う。

矛盾しつつも、そうでなければ不条理だと、ポンティコスは考えていた。


「俺は不条理な世界が嫌なんです。真面目に生きて幸せになれない人も居るのに、悪行を成す者が幸せになるなんて……変だ」


 話し過ぎたなと思いながら、ポンティコスは立ち去ろうとした。自分はやはりここに相応しくないと実感しながら。

 何歩か進んだ所で、後ろのシスターが彼を呼び止めた。


 不定の意思を込めて。


「ポンティコスさんが悪人なのは解りました。でも……変ですよね」

振り向いた先には、先程と変わらぬ姿のシナリーという少女が居た。


 だが何か違う。

笑っていた目は、心を見透かすように。楽しげに喋っていた声は、耳に重く圧し掛かるように。

「嫌ならどうして辞めないんですか?」


 ポンティコスはまるで、別の人間と対峙しているかのような錯覚に(おちい)る。


「明日の朝食を食べたら、悪いことをするんですか? 

今日の夕食を食べたら、 悪行を成すんですか? 

昼食を食べたら、悪事を企てるんですか? 

それとも今、私を殺しますか?」


「き、君を殺すなんてそんな」


「そう、貴方は選べるんです。選択する理性と、拒む良心がある。

汚い経歴があるなら、悪事をする仲間がいるのなら、そんなモノとは手を切ればいいじゃないですか? 

貴方は悪いことを嫌々やっているように聞こえます。でも神父様の誘いは受けたくない。

だからこれからも悪事を働きつつ、裁きを待つ。変です。

どうして『悪事を辞めて、幸せにもならない』という言葉が出てこないんですか?」


 未来論。

彼女の問いはこうだ。


 明日の自分はどんな姿でいたいか? 己が間違ってると理解しているのなら、なぜ正さないのか? 本当はどんな未来を望みたいのか?


「それに私を育ててくれた神父様がよくおっしゃっていました。

『幸せにというのは、誰にでも許された願いだ』と。どんな悪事をしたのか存じませんが、ポンティコスさんが幸せになれないという極論はおかしいです」


 幸せになってもいい。


 ライデッカーに声を掛けられたように、そんな言葉に困惑する眼帯の男。

「そう……だった。あのときも」


 ポンティコスは自分がなぜライデッカー神父のこと慕っているのか、思い出した。


 ライデッカーは他の者達とは違い、ポンティコスの悪を知った上で、その幸福を許可してくれた人間だったからだ。

さらに仕事の仲間になれとまで言ってくれた。


 だが、そのとき自分はなんと言ったのだろうか?


「俺は……!」

 不出来。

あまりにも不出来な自分。


 諸々の感情が抑えきれなくなり、それはポンティコスの残った右目から溢れ出てきた。

「……ッ! もう、行きます」

 大きな手で顔を隠したポンティコスは、少女から逃げるように墓場を去る。


 急ぎ足で行く男に、シナリーは元の口調に戻して、こう言った。

「ポンティコスさぁんっ! 当教会はどんな人も拒みません! 世界中の人の幸福を願ってるんですー! また来てくださいねぇっ!」


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