脳筋姉兄は、異父弟を当主にしたくない。絶対に
「姉上! 次の仕事に遅れるよ!」
「わかってるって! 次は公爵家の秘書だっけ?」
「そう。僕が副業のついでに補佐をする予定だから、秘書として頑張って。まぁ大丈夫だと思うけど」
「はぁい!」
馬車に乗らず、馬車を担いで馬と共に走る人影を見たと街で噂になったのは、その夜のことだった。
乗るより走ったほうが早いと馬車を担いだ二人は、仕事場である夜会会場の近くで馬車に乗り込んで、人混みに紛れたのだった。
シャンデリア煌めく中、煌びやかなアクセサリーと色とりどりのドレスが踊る。
髪をしっかりと固め、生地をふんだんに使った服を着た男性が、グラスを片手に会場に入ると、注目が集まる。
「公爵。おそらく最初にご挨拶に来るのは、シュナイゼン伯爵家のご令嬢、ヒナシュア様です」
「ごきげんよう。ヒナシュア嬢」
公爵の耳元で秘書らしき女性が囁くと、軽く頷いた公爵が挨拶に来た令嬢へと朗らかに声をかけた。
「ご趣味は刺繍で、先日王妃殿下がお気に召していらっしゃいました」
笑顔を浮かべて、口元を少しも動かさずにそう説明する秘書の言葉を受け、公爵は会話をつなぐ。
「ヒナシュア嬢の刺繍の腕前は、王妃殿下もお気に召すほどと伺っておりますよ。シュナイゼン伯爵もご自慢ですな。ははははは」
秘書は、空になった公爵のグラスを手早く回収し、くるりとターンしたと思ったら、後ろを歩いていた給仕の手元のワイングラスと飲み終わったグラスを目にまとまらぬ速さで交換し、公爵の手元に新しいグラスを差し出す。その合間に、毒味まで済ませているようだった。
「……失礼」
秘書はそう言って、ヒナシュア嬢の少し乱れていた髪を整えて笑みを浮かべる。あまりのスマートさに、ヒナシュア嬢は頬を染めてお礼を言った。
「あ、ありがとう」
笑みを浮かべた秘書は、視線の端に入ったドレスの裾が捲れかけている令嬢の足元に向かって、ワインのコルク栓を投げた。コルク栓は捲れ上がりかけていたドレスの裾をすっと直し、地面に落ちた。それを通りかかった給仕に扮した弟が拾う。そして、コルク栓の中から目にも止まらぬ速さで、紙に包まれた何かを取り出した。自然な動作でそれを胸元にしまう。その時、ワイングラスの上を手が通ったが、誰も気にも留めることのない所作だった。
「公爵。お次は公爵の進めている治水事業に反対の声をあげている、バーグダッド侯爵です。侯爵の好みは、赤ワインに肉、そしてチーズです。趣味は公式には読書と言っていますが、賭博と売春です。追い詰めるための横領の証拠等は、公爵の控え室に準備してあります」
「……準備がいいな」
少し驚いた表情を浮かべた公爵は、バーグダッド侯爵が近づいてくるのを見て、襟を整え、笑顔を浮かべた。
「バーグダッド侯爵。久しいですな!」
「公爵もお元気そうで、何よりで」
笑顔でそう語り合う二人の間を、給仕が通る。
「おや? バーグダッド侯爵は、赤ワインがお好きと存じておりましたが、本日はまだ飲まれていないのですか? 今日のワインは格別に美味いですよ」
「ほほう、そうですか。では、儂にもひとつもらおうか」
公爵が手に持ったワイングラスを掲げると、バーグダッド侯爵は、隣を通りかかった給仕からワイングラスを受け取る。なんの変哲もないそのグラスをバーグダッド侯爵も飲み、笑みを浮かべる。
「これはこれは。本当だ。公爵の言う通り、香りがいい」
「そうでしょう。私も味に驚いてね。よほどいいワインを使っている」
そう言って二人はワインを飲み、歓談して別れた。
「君は本当にいい仕事をするな。また、頼む」
「ありがとうございます。またのご利用お待ちしております」
丁重に頭を下げた秘書をしていた女性は、公爵と別れ、夜会の会場を後にする。夜道を歩き出すと後ろからいつのまにか弟が合流していた。
「手筈は?」
「予定通りだ、姉上」
その返事を聞いた二人は、闇夜に駆け出すのだった。
その夜、バーグダッド侯爵は心臓発作で死に、バーグダッド侯爵家の不正が明らかになった。そして、治水事業に反対する派閥は急速に勢力を落としたのだった。
「姉上、次の依頼だけど」
姉弟がそう相談しながら街を歩いていると、髪を一つにまとめた美しい女性が二人に向かって駆けてきた。
「探したわよ! リリーシャ! ミハエル!」
「うわ、母上だ」
「お母様!?」
驚いた二人が逃げ出すよりも早く、美しい女性は二人の腕を掴んで引きずっていく。どこにそんな力があるのか謎な細腕で。
「もう! 突然家からいなくなって! お父様もお母様も心配したんですからね!」
「ごめんなさい」
「ごめんってば」
「それで、どこで何していたの? うちの寄親の公爵家の事業は全部上手くいくし、うちの領地もいつの間にか経営されてるし、やり口が体力に任せた暴挙なのよ! 領地の工事は馬鹿みたいなスピードで進むし、あなたたちの仕業でしょう!?」
腕を腰に当ててそう怒る母親に、二人はしゅんと座り込んで返答した。
「いろんな仕事をして」
「領地経営をできるように勉強してきた」
「弟たちの代わりに」
「あなたたちはそんな心配しなくていいの! 好きな相手と結婚して、好きに暮らしなさい!」
「そうだ。お父様とお母様みたいに恋をするといい」
再婚相手だが、姉弟のことを可愛がっている父にまでそう言われて、二人はしゅんとしたまま両親を見上げた。
「だって!」
「エイリッシュとリカルドには、領主なんて無理だよ!」
「そうよ! あんな純粋無垢な子たちに伯爵なんて無理だわ! 押し付けられない!」
「二人を守るために、僕たちが走り回っているんだから!」
二人はそう言って、両親を見上げる。
「おにいたま! おねえたま!」
「おかえりなたい!」
そう言って姉兄に駆け寄ってくる弟たちに破顔しながら、抱き止める。
「エイリッシュ。また大きくなって」
「リカルドも。話には聞いていたが、また一段と格好よくなったじゃないか」
よしよしと撫で回されて、高い高いと放り出され、弟たちが喜ぶ。ぐちゃぐちゃの髪になった弟たちの後ろから、一人少女が顔を出した。
「お帰りなさい。お兄様お姉様。どうです? 首尾は順調ですか?」
「ミーフィア!?」
メガネをくいっと上げて、書類の束を手にしてそう言った少女に、母親の目が吊り上がる。
「貴女! もしかして、またお兄様とお姉様をけしかけたの!?」
「ミーフィアは悪くないの! お母様!」
「そうだよ! 母上! ミーフィアがいなきゃ、僕らじゃ上手く動けないんだから! ミーフィアのおかげで弟たちを守れるんだ!」
姉兄が両親に向かってそう主張する。かわいい弟たちはジュースを飲みながら休憩中だ。ミーフィアはメガネをまたくいっと上げて、両親に反論した。
「お兄様もお姉様も、放っておくと無駄な筋肉のために走り回っているだけじゃありませんか。体力の無駄。これ以上の筋肉も無駄。無駄をわたくしが有効活用しているだけですよ」
この両親の間に生まれた妹ミーフィアは、姉兄と違って頭脳派だ。とりあえず思ったままに動いてしまう姉兄を、遠隔で声と映像を届ける魔術具を使って動かして、寄り家の政敵を倒してしまうほどに優秀だ。
「リリーシャもミハエルも、そんなに弟二人のことを心配するのなら、ミーフィアを当主としてもいいのよ? 知っての通り優秀で、純真無垢とは程遠いでしょう?」
母がそう首を傾げると、姉兄は揃って首を振るのだった。
「「ミーフィアは賢い自慢の妹だけど、当主にするには性格が悪すぎる!」」
「まだ私のほうがマシよ!」
「姉上の方がマシだ!」
「わたくしがそんな面倒くさいこと、やりたがると思うの? 本気で? 人を操作する方が百倍楽しいじゃない」
困ったわ、と、ため息をつく母の肩に手を乗せた父も、そんな子供たちをみてため息をつくのだった。




