13ー3話 Who’s the real one?(2)
戦略は以下のように決まり、作戦は実行された。
――いや、決まったというより、決めた。
「決めた」と言うと格好がつくが、実際は決めないと不安で潰れそうだったから、手元にあるものを順番に並べただけだ。
俺は昔からそうだ。混乱すると、まず“形”を作る。
形を作ると、落ち着いた気になれる。
1.公式問題集を解いて分からなかった単語や熟語を単語カードに書き溜め、問題集の表現と入試で出る表現を並べて整理した。
新学期が始まったばかりの電車やバスは、まだ空気が落ち着かない。
座席の取り合いのような小さな摩擦があって、誰かの溜息が妙に大きく聞こえて、イヤホンから漏れる音が喧嘩腰に感じる。四月は、みんな「自分の場所」を探している。場所を探している人間は、無自覚に他人の場所を奪う。
俺は通学の混雑を避けるようにバスの窓際に座り、単語カードを片手に反復暗記を繰り返した。
窓から見える景色は毎日同じはずなのに、四月の光は少しだけ違って見える。桜は散りきって、路肩の並木は若葉を芽吹かせ始めている。
その青が、やけに鮮やかで、俺の焦りだけが置いていかれているようだった。
カードをめくる。
めくる。
めくる。
指先だけがせわしなく動く。
頭の中は、単語の意味よりも先に「これで伸びるのか」という疑問でいっぱいだった。
“やってる”という実感が欲しい。
やっていないと、置いていかれる。
置いていかれると、またあのときみたいになる――中学の進路指導で、誰かの都合で未来を決められたような、あの屈辱。
だから俺はカードを作る。整える。並べる。分類する。
TOEICで出る表現と、入試英語で出る表現を並べて「同じもの」と「違うもの」を線引きする。
線引きをすると、世界が理解できた気になる。
理解できた気になるだけで、まだ点数は一ミリも動いていないのに。
2.公式問題集の頻出文例をノートに何度も書き、声に出して読み上げ、暗唱するまで繰り返した。
朝の部屋の空気はまだ冷たい。
窓を少し開けて声を出すと、自分の声がやけに頼りなく響く。英語の音が、部屋の壁に跳ね返って、自分に戻ってくる。
「発音が綺麗かどうか」なんて、今はどうでもいい。
欲しいのは、反射速度だ。聞いた瞬間に意味に変える速度。意味にした瞬間にマークに繋げる速度。
それなのに、口から出る音は遅い。
俺の中の英語は、まだ“日本語を経由している”。
書いて、読んで、暗唱する。
その繰り返しで、英語が身体に染みていくような感覚は確かにあった。
ただ、その感覚が「点数」に繋がる確信は、まだ持てない。
3.Listeningは繰り返し聞くうちに耳が慣れ、徐々に聞き取れるようになってきた。
これは、少しずつ効いている手応えがあった。
最初は、イギリス英語とオーストラリア英語が“別の言語”に聞こえていた。
同じ単語のはずなのに、音の輪郭が違う。母音が違う。リズムが違う。
頭では「慣れだ」とわかっているのに、耳が拒否する。
繰り返し聞いて、繰り返し聞いて、繰り返し聞いて。
気づくと、聞こえる瞬間が増えた。
「全部わかる」には程遠いが、「何を言っているかの予測」はできるようになってきた。
同じ文章ばかりを聴き込んでも他の問題に対応できないんじゃないか……そんな不安もあった。
だが、公式問題集を古い順に繰り返すと、不思議と新しい問題集のスピードにも耳が追いつくようになった。
“耳が慣れる”という言葉が、ようやく実感になる。
その実感は嬉しい。
嬉しいのに――嬉しいだけでは済まない。
俺が欲しいのは、実感じゃない。
数字だ。
スコアだ。
それがなければ、岡田先生の条件も、十月末の締め切りも、全部ただの恐怖でしかない。
この戦略はもちろん夏村さんとも共有済みだった。
夏村さんは、単語や文例の暗記は俺より早く仕上げていた。
だがListeningではどうにも苦戦しているようだった。
「耳が慣れるまで待つ」というのは、簡単に言える。
でも、待つには時間がいる。時間は有限だ。
慶應を目指す彼女の時間を、俺は奪っていないか――その思いが、ふとした瞬間に胸を刺す。
もっとも、俺の部屋のように部屋が散らかり、音楽が誘惑してくる環境とは違って、テレビすらない夏村さんの部屋は集中力の要塞みたいな空間だ。
だから、時間をかければ必ず耳が慣れると俺は信じていた。
信じたい、の方が正しい。
信じないと、申し訳なさと不安で、俺のほうが先に折れる。
◇◇ 四月二十日 ◇◇
朝、目が覚めた瞬間から胸が重かった。
重いというより、胸の内側に小さな石が入っている感じだ。深呼吸をしても、その石は動かない。
試験当日。
四月二十日。
まだ春なのに、締め切りみたいな日付。
「かずや、今日ひとりで大丈夫か?」
電話越しの声は少し硬かった。
俺は窓を開け、春風に混ざる花の匂いを吸い込みながら受話器を握った。匂いは柔らかいのに、心臓の音は硬い。
「子供じゃないんで大丈夫っすよ」
強がりが自動で出る。
強がりは、心の防寒具みたいなものだ。脱いだら寒い。
「会場は東大宮駅から歩いて十数分の芝浦工業大学大宮校舎。受験するのも理工系が多いでしょうし、どんな雰囲気かちょっと楽しみです」
「で、Listeningの調子はどうだ?」
その問いが来た瞬間、胃のあたりがきゅっと縮む。
質問が怖いんじゃない。自分の答えが怖い。
「聞き取れるところまでは行くんですけど……答えを選ぶ時間が足りないんですよね」
言いながら、言葉が自分の胸に戻ってくる。
聞き取れても処理が追いつかない。
TOEIC受験者なら誰もがぶつかる壁だと、頭ではわかっている。
でも、口にした瞬間、その壁が目の前に現実の壁として立ち上がる。
「やっぱりお前もか……。試験終わったら感想、詳しく教えてくれよ」
「了解です。夏村さんも不安、ありますよね?」
「当たり前だろ!」
声が少し大きくなる。
それが、彼女なりの不安の証拠だった。
「音声聞いて、頭で考えて、解答用紙にマーク……これがバラバラなんだよ。三拍子をリンクさせないとダメだろ!」
苛立ち半分、本気半分。
その強がりの奥に、彼女の「怖さ」が透けて見える。
あの夏村沙羅が、怖いと言う世界。
その世界に、俺はもう足を踏み入れてしまっている。
「あとReadingの時間配分っすね。普段はPartごとに練習してるけど、本番は一気に全部解かなきゃいけない。長文で時間を食うと、文法や語法を切り捨てる羽目になりますからね」
「だな。今回は初受験だ。点数だけじゃなく、雰囲気を掴むのが大事だぞ」
「大学受験なら一発勝負なんで、そんな悠長なこと言えないですけどね」
「でもな、空気を読むのも立派な戦術だ。かずや、頑張れよ!」
「……はい、ありがとうございます! 気合い入れてきます!」
電話を切ると、胸の奥に彼女の声が残った。
緊張の塊が、少しだけ形を変える。
完全に消えない。消えないけれど、握れる大きさになる。
会場までは自宅からJR東北線に乗り、東大宮で降りる。
電車内の広告がやけに明るい。笑顔が多い。四月だからだ。
笑顔が多いぶん、自分の無表情が目立つ気がする。
改札を出ると、新入生らしい大学生たちがざわついていた。
春の光に白いシャツがやけに眩しい。
俺はその眩しさを、羨ましいとは思わなかった。ただ、遠いと思った。
大学生の眩しさは、未来の眩しさだ。
俺の未来は、まだ数字に縛られている。
スタッフの誘導に従い、十分ほど歩けば、芝浦工業大学大宮校舎に着いた。
新築らしく、校舎はコンクリートの灰色がまぶしく光り、どこにも汚れがない。植え込みのツツジが咲き始めていて、春らしい空気に少し緊張が解けた。
「広いキャンパスもいいけど……やっぱ校舎は新しくないとな」
誰にともなくつぶやき、受付へ向かった。
冗談めかした言葉で、自分の心を落ち着かせようとしているのがわかる。
わかるから、少しだけ情けない。
受付を済ませ、教室に入る。
机。椅子。受験票。鉛筆。時計。
大学受験と同じはずの景色なのに、空気が違う。
ここには「人生がかかっている」顔が少ない。代わりに「点数がかかっている」顔が多い。
それが逆に怖い。
点数は、努力の言い訳を許してくれないからだ。
開始のアナウンス。
注意事項。
試験官の声がやけに乾いて聞こえる。
Listeningが始まる。
音が流れる。
聞こえる。
聞こえるのに――マークが追いつかない。
頭の中で英語が意味になるより先に、次の音が来る。
わかった、と思った瞬間にはもう遅い。
“理解”と“処理”の間に、ほんの少しの隙間がある。
その隙間が、致命的だ。
Readingは、もっと露骨だった。
Part5で一度迷うと、その迷いが雪だるまになる。
Part6で文章が長く感じる。
Part7は、長文が長文であるだけで精神を削る。
時計を見る。
残り時間が、落ちていく。
――間に合わない。
その言葉が頭の中で鳴り始めると、文章の意味が入ってこなくなる。
焦りが意味を奪う。
意味が奪われると、焦りが増える。
その循環が、俺の中で回り続ける。
試験終了。
鉛筆を置いた瞬間、肩が落ちた。
落ちたというより、肩から何かが剥がれ落ちた。
その何かが、床に落ちた音まで聞こえた気がした。
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帰り道、肩は鉛のように重く、全身から力が抜けていた。
駅前のコンビニのガラスに映る自分の顔は、どこか放心したようで、情けなくもあった。
思ったより、顔色が悪い。
自分の顔色が悪いことに驚くくらい、俺は自分のことを見ていなかった。
帰宅して、夏村さんに電話をかける。
指先が少し震えている。
震えを止めるために、親指でスマホを強く押さえた。
「かずや、テストどうだった?」
「……ここ三年で受けた試験の中で一番手こずりましたね」
声が、少しだけ掠れる。
悔しさをごまかすために、淡々と話そうとしたのに、喉が言うことを聞かない。
「Listeningは何とか全問答えられたけど、Readingは完全に時間切れでした」
言い終えた瞬間、胸の奥がじくりと痛んだ。
時間切れ。
それは、努力不足よりも、無力感が強い言葉だ。
「かずやがそうなら……俺はどうなるんだよ」
夏村さんの声が、いつもより低い。
「もう途中から、英文が全部同じに見えて、頭の中ぐちゃぐちゃだった。なぁ、正直言って……怖かったぞ」
夏村さんは珍しく弱音を吐いた。
“怖い”。
あの人がその言葉を使うのは、たぶん俺にだけだ。
その事実が、嬉しいわけじゃない。
むしろ、責任のように胸に乗る。
「俺もですよ。正直、あんなに焦ったの初めてです」
言葉を選ぶ余裕がない。
余裕がないとき、俺は正直になる。
「でも、公式問題集の勉強は効きましたよ。カードに書いた単語がいくつかそのまま出てきて……あれがなかったら、完全に終わってました」
そう言うと、夏村さんは小さく鼻で笑いながらも、肩を落として深く息を吐いた。
電話越しなのに、息の重さが伝わる。
「……なるほどな。やっぱ公式問題集か。俺もやったけど、解答スピードが全然追いつかない」
「わかります。マークする手、震えましたよね」
「震えた。試験を勝手に想像して余計に焦ってた」
その言葉に、俺は思わず苦笑した。
笑うしかない。
同じだ。俺も同じだった。
「『やばい、次! 次!』って焦ってたら、頭の中が真っ白になって……。でも基礎力があれば、もっと落ち着いて解けるんでしょうね」
「基礎力……ネイティブみたいに即座に反応できなきゃダメってことか」
「はい。……でもあと半年しかないんですよね」
半年。
数字にすると短い。
短いのに、やることは多い。
そのギャップが、吐き気みたいに胸を押す。
「正直、今のままじゃ厳しい。新しい戦術を考えないと」
口に出した瞬間、心の奥が冷たくなる。
これは弱音じゃない。現実だ。
現実は、言葉にすると余計に現実になる。
「……でもな、かずや」
夏村さんの声が、少しだけ柔らかくなる。
「今回、同じように悩んで、同じところで焦って……なんかそれだけで救われた気がするんだよ」
「俺一人だったら、たぶん途中で心折れてた」
その言葉が胸に刺さる。
俺も同じだ。
ひとりなら、もっと早く投げていたかもしれない。投げないにしても、歪んだ方向に走っていた。
「……俺もです。夏村さんがいたから、最後まで踏ん張れた」
言いながら、声が少しだけ優しくなる。
自分でも驚くくらい、素直だった。
「きっと次はもっとやれますよ」
励ましというより、祈りに近い。
自分に言い聞かせている。
「……ばかやろう」
夏村さんの声はどこか嬉しそうで、俺の肩の重さはほんの少し軽くなった気がした。
電話を切り、ベッドに腰を下ろした瞬間、全身からふぁーっと力が抜けた。
緊張が、どっと落ちる。
落ちたのに、安心は来ない。
来るのは、遅れてくる不安だ。
――これで、どれくらい取れる?
――目標に届く?
――届かなかったら?
点数が出るまでの時間が、妙に長い。
待つだけなのに、待つことが一番苦しい。
気分を落ち着けようとTwitterを開くと、『本日のTOEICの感想』というYouTube配信の通知が目に飛び込んできた。
中山さくら先生……?
オックスフォードで会計学を学び、帰国後はTOEIC専門塾を主宰。しかも受験したTOEICはすべて満点。
プロフィールを読んだ瞬間、喉がごくりと鳴った。
――満点?
――全部?
最初は「また塾の宣伝か」と身構えた。
宣伝は、受験生の不安に付け込む。
付け込まれる側になるのが、嫌だ。
でも、受験したばかりの試験をどう評価するのか。
その一点が妙に気になった。
俺は“情報”が欲しい。
ただし、情報は俺を疲れさせる。
多すぎるからだ。
正しいものがわからないからだ。
なのに、今の俺は情報を求めてしまう。
求めずにいられない。
点数が出る前の空白を、何かで埋めたかった。
「配信まであと十分か……見てみるか」
胸の奥でざわざわとした期待が膨らむ。
期待というより、藁だ。
俺は藁にすがっている自覚がある。
配信が始まると、先生は開始早々、各Partの難易度をズバッと斬った。
ListeningのPart2は例年より難。
Part5の文法は標準。
ReadingのPart7は長文多め。
胃がキリキリするほどの現実。
それなのに、俺は目を離せなかった。
怖い映像ほど見てしまうのと同じだ。現実から目を逸らすと、現実に勝てなくなる気がする。
語り口は歯切れがよく、受験生がつまずきやすい点を的確に刺す。
まるで試験問題を丸ごと記憶しているみたいで、引き込まれるしかなかった。
でも、その“引き込まれ”が怖い。
人は、自分より強い言葉に弱い。
強い言葉は、判断を奪う。
判断を奪われた瞬間、俺はまた誰かの都合の中に入ってしまう。
最後はこう締めくくった。
「TOEIC対策は公式問題集と、私の『全力ノックシリーズ』だけで十分。受験生のみなさん、頑張ってください!」
配信が終わり、俺は深いため息を吐いた。
吐いた息が、変に熱い。
公式問題集だけでいい――それは、たいしょうさんも言っていた。
同じ結論。
なら、正しいのか。
でも、『全力ノックシリーズ』だけで十分、という断言。
断言は強い。
強すぎる言葉は、胡散臭い。
俺はスマホを握り直し、たいしょうさんにDMを打ち込んだ。
俺:「たいしょうさん、TOEICの中山先生って知ってます?」
すぐに既読がついた。
既読がついた瞬間、胸がざわつく。
返事が来ない。
数秒しか経っていないのに、妙に長く感じる。
――変なこと聞いた?
――地雷踏んだ?
指先にじんわり汗がにじむ。
「入力中……」が点滅する。点滅が、妙に落ち着かない。
たいしょう:「もちろん。俺の師匠だよ。 半年で350点から750点まで上げてくれた」
半年で倍。
喉がひゅっと鳴った。
俺:「マジっすか!? 半年で倍はやばいっす」
俺:「でも……配信見たら、ちょっと詐欺っぽい雰囲気もあるっていうか……」
既読。
また返事が止まる。
今度は、止まる時間がさらに長い気がした。
十秒? 二十秒?
体感時間が伸びるのは、心が焦っている証拠だ。
――やばい。
――言い方、悪かった。
「入力中……」が再び点滅する。
たいしょう:「わかるw 口調クセあるよな」
たいしょう:「でも大丈夫。あれは注目集めるために磨いた話し方らしい」
力が抜ける。
スルーされなかっただけで、こんなに安心する自分が情けない。
俺:「なるほど……実績ある人なんすか?」
たいしょう:「十数年、TOEIC一筋。進学塾の教師が宣伝で出す本とは別格だよ」
たいしょう:「俺が保証する」
俺が保証する。
文字だけなのに、妙に重い。
重いからこそ怖い。
保証は、責任とセットだ。
責任を負ってくれるわけじゃないのに、保証と言う。
俺の中で、疑念と希望がぶつかり合う。
希望が勝ちそうになる。
勝ちそうになる自分が怖い。
たいしょう:「どうする? さくら先生の教室、行ってみるか?」
たいしょう:「俺、元受講生だから紹介割引き効くぞ。4万が3万5千円」
途端に現実的な金額が出てきて、俺は少しだけ冷静になる。
そうだ。塾だ。
商売だ。
受験生は客だ。
それでも――
俺は思った。
独学で、ここまでやって、ここまで苦しんで、それでも点数が伸びる確信が持てない。
情報を集めても、情報に溺れる。
誰かの断言に頼りたくなる。
でも頼った瞬間、自分の意思が薄れる気がする。
なのに、もう時間がない。
このままじゃ駄目だ。
それは怖がりの結論じゃなくて、現実の結論だ。
俺:「えっマジですか? 友達と二人で受講したいんすけど、二人とも割引OKです?」
既読。
返事が止まる。
心がざわつく。
――これはダメか。
――条件があるか。
たいしょう:「問題ない」
たいしょう:「申込フォームに『紹介者:斎藤信二』って書けばいい」
おいおい……本名出すんかい!
と、思った。
でも、その雑さが、逆に信じられる気もした。
本名を出す人間は、少なくとも逃げにくい。逃げにくいというのは、それだけで誠実に見える。
俺はホームページを開き、申し込み欄を眺めた。
費用、回数、場所、目標点数。
そこにあるのは、商品としての講習会だ。
それがわかるほどに、俺の心は揺れる。
それでも、「初の高校生受講だから学割で一人3万でいい」と即レスが返ってきた。
試験結果を持参すれば個別対策もしてくれる、とも。
――早い。
――商売っ気がある。
――でも、対応が具体的だ。
具体的、というのが今の俺に一番刺さる。
俺が欲しいのは、具体性だ。
断言じゃない。煽りじゃない。具体的な道筋だ。
早速、夏村さんに連絡して一緒に受講を勧めた。
電話の向こうで、夏村さんは即答した。
「かずやと二人で勉強できるなら最高だろ!」
その返事に胸が熱くなった。
熱くなって、同時に怖くなった。
俺はまた、彼女の時間を奪うかもしれない。
それでも、彼女は「最高」と言った。
その言葉に甘えてしまう自分が、少しだけ嫌だ。
でも、甘えなければ進めないときがある。
進めないまま沈むより、甘えてでも進む方がいい。
俺は即座に二人分を振り込んだ。
振り込むボタンを押す指が、わずかに震えた。
これで戻れない。
戻れないことが、少しだけ安心でもあった。
テキストは公式問題集8~11の4冊。
「TOEICは公式問題集だけでOK」という言葉とブレがない。
俺の信頼は、一気に加速した。
ただ――信頼が加速するのと同じ速度で、不安もまた、形を変えて加速していた。
ここまでして、伸びなかったらどうする。
ここまで頼って、裏切られたらどうする。
それでも、俺は思う。
このままじゃ駄目だ。
駄目だと気づけたことが、今日一番の収穫かもしれない。
点数が伸びない怖さ。
情報を疑う疲れ。
それらを抱えたままでも、前に進むしかない。
十月末は、待ってくれない。
当作品をここまで読んで頂き、ありがとうございます。
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編集記録
2025/09/10、2026/01/03 校正・改稿




