10-7話 恋していれば大丈夫(1)夏村沙羅の場合
恋していれば大丈夫
森川美穂 20thシングルより 1994年
「もっと、もっと、かずやとこの夏は一緒に過ごすんだ」
「勉強では一緒でしたけど。いいですよ」
かずやのやさしい言葉が私の心を暖かくしてくれた。
実は自分の心の中でいくつか卒業までにやうべきことが三つあると思っていた。
まずは、かずやに頼らず、自分で問題を解決出来るようにすること。
この点についてはこの前の古谷君の一件で達成出来たと思った。
強いて言えば、教室内の調整もかずやに任せず自分でやりたかった。
でも、その時以前かずやが言っていたことを思いだした。
『人には得手不得手がある。それを判断し任せることが効率的にかつ安心して物事を任せられる』と。
だから今回はかずやに任せた。
次に一番大きな目的だが、第一志望に入ることだ。
これは、かずやと一緒に一年性から歩んできた結果だ。
これを落とすことはかずやとの共同の目標から外れることになってしまう。
そのためにも、明日からの勉強会は継続して一緒にがんばろうとかずやは言ってくれた。
慶応の場合、受験科目に小論文がある。
実はかずやも二次で小論文があるため、一緒に夏休みの勉強会に組み込んで行こうと言われた。
考えてみると、かずやと同じ立場で一緒に勉強というのは初めてだった。
いつも、わたしより前をかずやが走り、わたしがそれを追っていく関係だった。
それが小論文の勉強も一緒、かずやのよくやる基礎特訓も終わり、私もかずやも一緒に志望校の過去問に取りかかることにした。
そこでやっと、同じ立場になれたのだなと嬉しかった。
実は最近、かずやが横を一緒に歩いてくれることが多くなった。
以前は私の後を追いかけるのが普通であったのに、気がつくと横に立ってくれていた。
多分、かずやは自覚のないまま、隣を歩いてくれているのだろう。
慣れていないのか、時々隣にかずやがいることに気づき、私がびくついてしまうことがある。
無自覚の内に私を評価してくれているのだなと、私は嬉しくなったりもした。
最後にもう一つ……。
かずやとの恋のケリ。
高校へ入ってから私が強引にかずやを拉致して、勉強を教えてくれる代わりに交際していることにしようから始まり、かずやから告白はあった。
私自身もかずやのことは好きだし、何度も言葉にしている。
でもきっかけが自分でも強引すぎると思う。
普通は井上や、小倉さん、那奈みたいにお互いの関係が構築されその中で自然と好きだという意識が芽生え、告白し交際に移行する。
だけど、私の場合、かずやを外部から隔離して私という餌を目の前に置き、好きといういう気持ちを生じさせただけではないか?
小学校時代の約束については今となっては期限切れであろう。
だから私はかずやには女性との交際はある意味自由にさせた。
それは私の負い目から来るものだとは理解している。
最終的にはかずやが誰かを決め、その人と結ばれればそれでいいと思う。
仮に第一志望にお互いが合格し、かずやが筑波に住むことに、私が慶応に受かって世田谷に住むことになった場合、どうだろう。
単純に私が世田谷に移り住んだだけなら、休みにかずやのところに行けばいいだけだ。
ただ、私の移住の本当の目的は、祖父母の面倒だ。
祖父母はさすが一代で新日本化学を立ち上げ、グループ会社にするほどの人だ。
同じ80代の老人に比べるとシャキッとはしている。
ただ、体の衰えには勝てず、二人とも足腰の痛みを抱え、白内障は治療したが、耳は確実に遠くなっている。
そんな祖父母を放っておいて、土日にかずやの家に頻繁に行くことなどできない。
そんな環境にかずやを置くわけにいかない。
かずやには夢を追いかけて欲しいんだ。
それと私の体のこと。
かずやのご両親は高松家を継いでくれる孫の顔を見たいだろう。
例えかずやが医者となって、別の地域に異動となった時でも、かずやは存在する。
存在する限り、子孫を当てにはするのは当然だろう。
そこに私のような子が産めない可能性が大きい嫁が来たら、どう思うだろう。
昔の日本は、結婚して子供が出来ないと、男性側に問題があっても、女性側の責任として離縁されたと聞いた。
かずやの両親がそこまでするとは微塵も思っていないが、やはり心の奥底には私のことが引っかかってしまうのだろう。
かずやは私の病気のことを大の仲良しの晏菜ちゃんには話していた。
そのことには別に不満はなかった。
案の定、晏菜ちゃんは自分のことのように心配してくれたからだ。
晏菜ちゃんもかずやを好きである身、結婚できないのは理解しているが納得がいかないのは理解している。
そんな立場だからこそ、晏菜ちゃんは私の知人にこの話をしたと仮定した場合より、私の心情を深く理解してくれているのだ。
『大丈夫だよ。もし沙羅ちゃんが産むことができなくても、おにいの精子と沙羅ちゃんの卵子を人工授精させて、私が人工受胎して産めば、赤ちゃんは沙羅ちゃんの子供だし、私の子供でもある。一挙両得じゃない』ととんでもない発想もしてきた。
でも、そんなことを考えてくれる晏菜ちゃんが大好きだし、かずやが晏菜ちゃんだけに教えてくれたこともラッキーであったと思った。
あまりにもおおきくて深い事柄がドンと私の中に残存していることに軽くため息をつく。
「どうしたの、夏村さん。さっきまで楽しい夏休みの予定を話していたのに何かひっかかることでもあるの」
といい、かずやは私の顔をのぞき込んできた。
そんなところだよ、君の優しさは。
ジャストタイミングでいつも声をかけてくれるよね。
「いやな、夏休みって勉強のがんばりどころなのにそんなにかずやを連れ回していいのかなって」
すると君はこう言って笑うのだ。
「そうね、俺は2月、6月の模試で合格圏内だったけど、誰かさんはもうひとがんばりだものね」
「てめぇ、お前なあ、ちょっと成績が良いからって……。そうだよな、俺ががんばらないとな。ていうか、蛍雪時代って雑誌を読んだけど、筑波の医学部って浦高(県立浦和高校)でも3名しか合格できないんだぞ。どんだけお前頭良いんだよ」
「基礎の詰め重ね。ぶっちゃけ、夏村さんと高一の時に始めた中学校のまとめの勉強、高校の勉強の基礎を間違えないトレーニング、そして基礎を組み立てての応用問題への挑戦。それだけ。夏村さんもまだ基礎の間違えがあるけど、この夏はその対策も含めて応用問題への挑戦にも取りかかるから、アクセルがかかると思うよ」
「そうか……、そこまできているのか……。ありがとうな、かずや」
「でもそこまでがんばったで賞のデートはしますよ。だって学校や勉強会での夏村さんとデートの時の夏村さん、別人だもの」
「バカヤロウ! 人の前でベタベタできるかって! でもそういてくれると、嬉しい」
畜生、本当にかずやは俺を調子に乗らせるのが上手い奴だ。
◇◇ 七月十九日 ◇◇
「おばさん、おじさん、すみません。夏休みの間、毎日の様に来ますがよろしくお願いします」
「大丈夫だよ。沙羅ちゃんがいるから、他の女の子が来てもあいつ沙羅ちゃんの監視で手が出せないからね、こっちもかえって安心だよ」
「おじさん、まだ私が番長のつもりでお話されてます?」
「ないよ。沙羅ちゃんを信じているからね」
その言葉に動揺を隠せなかった。
たぶん、かずやは私が卒業後引っ越すこと、私の病気のことをおじさんたちには伝えていないからだ。
私の家での大出血事件は覚えているかもしれないが、その原因までは話していないと思う。
逆に私の女性的な病気(このときは大出血だが)を晏菜ちゃんではなく、かずやに相談したことで、二人の仲はそこまでしっかりしたものなのだろうと思ったに違いない。
おじさんたちは私が高一時代の行動や言動でかずやの家に入ることを今も信じているんだ。
「任せてください。何かあったら、叩きのめしますので」
私はこう返すしか無かった。
私がかずやの部屋に入ると部屋にはかずやと晏菜ちゃんがいた。
「沙羅ちゃん、さすが一番乗りだね。その前におにぃはいただいちゃいましたが」
そう言っている晏菜ちゃんはかずやのベッドの上におり、かずやは押し入れに何かを片付けていた。
「相変わらず、変な兄弟愛が溢れているなあ、お前たちは」
「残念、今日はおにぃから頼まれごとがあってその話にのっていただけ」
「たのまれごと? 沙羅ちゃん、バカ兄貴に生着替えを見せてとかしてないよな」
「おっと、そんなこと考えて無かった。こんどやってみよ。おにぃ、おっぱい大好きだもんね。あの写真集の女の子も巨乳だったし」
「なんか高一のプールを思い出すな。てか、かずや、そんなことお願いするつもりじゃないよな」
「しませんよ」
「そうか、おにぃは沙羅ちゃんのおっぱいで満足しているんだ……。ところで沙羅ちゃん、おにぃに生のおっぱい見せた?」
「おっ、おう見せたぞ!」(これは間違っていない、鏡越しだった気もするけど)
「おっぱい触らせた?」
「おっ、もちろんだ!」(これはウソだ。てか揉ませるほどの胸がない……手が余るほどだもんな)
「エッチは?」
「晏菜! それはないから。良い加減にしろよ」
「はいはい。沙羅ちゃん、顔真っ赤」
やっぱ、彼女なんだからおっぱい触らせたりしておいた方が優位に立てるかもしれない。
だけど、『三つ目の目標』が私の肩を引っ張る。
かずやに対しそんなに期待させるべきではないよと。
「あれ、夏村さん、来てたんですね。ごめんなさい。今日からの勉強会、大所帯になりそうだし、土日だけではなく平日もあるので、ちょっと部屋の中を片付けた方がいいかと思ったんです」
「ところでなぜ晏菜ちゃんがいないとダメなの?」
「いや、女性って男性が気づかないところ気づくじゃないですか。だから晏菜には総チェックしてもらっていたんですよ」
「お前、俺がいないとき部屋でどんなことしてんだ?」
「絶対に夏村さんを怒らすことはしていませんので」
「いや~、あれ見たら沙羅ちゃん怒ると思うよ」
「晏菜! 勝手にありもしないことで煽るな。ほらほら、夏村さんの表情が……」
「ん? 何のことだ? 俺は何も怒っちゃいないぞ」
そうなんだ。
『三つ目の目標』が有る限り、かずやの判断に、まかせるしかないと。
「さて、夏村さんには最初に来ていただいたんでプレゼントを考えました」
「突然なんだ? 課題をボンとかやめろよ」
「そんなことないですよ。はい」
かずやは小さな縦長の小箱を私に手渡した。
「開けていいのか」
「他の人が来るといけないのですぐ開けてください」
包装紙をきれいにはがし、ちょっと立派目な箱を開けると中には本体が透明なペンが入っていた。
『TWSBI』と説明書には書いてあった、日本製じゃないな。
「これは……?」
「TWSBIって台湾の万年筆のなんですが、とても書き味がいいんです。だから夏村さんにも使ってもらえたらなと思って」
「これって万年筆なんだ。インクはどうやって入れるんだ」
「ボディの後ろを取るとこの色がついたつまみが回るんですよ」
といい、かずやはインクと自分のペンを持ってきて説明し始めた。
「ペン先をインク瓶の中に入れ、数回つまみを左右に回すとインクが入ってきます。これを回して回転が止まるまで回して吸い上げて、再度本体を付け、ペン先をティッシュで拭うと使えるようになります」
「俺もやってみてもいいか?」
私はかずやがやっていたことを繰り返しながらインクを充填し、無事成功した。
「あとは書いてみてください」
言われたとおり書きが始まると、インクが出がスムーズで、ペン先に抵抗なく書くことができた。
「すごく気持ちいいなあ。いろいろとかいてみたくなったよ」
「そうでしょ。だから、どんどんそのペンを使って勉強してください。インクが無くなって補充するとき自分はインクが無くなるまで書いて勉強したと思えば達成感もひとしおでしょ」
「かずや……、そこまで考えて……、さてはお前、俺のこと大好きだな。ベタ惚れだな」
「ベタ惚れですが何か」
「はいはい、お二人様のお熱い仲を壊すのもいけないので……」
あきれた顔をしながら晏菜ちゃんは自分の部屋に勉強道具を取りに部屋を出ていった。
晏菜ちゃんが戻ってきたタイミングで、
『こんにちは、今日からまたお世話になります』
と一階からさよりの声が聞こえてきた。
「さて、そろそろ勉強の準備でも始めますか……」
「じゃあ、夏休みも頼むな」
「わかりました。ところで少々お話が」
「どうした。嫌な感じの頼み方だな」
「勉強会に参加者が増えまして……」
「そんなことだろうと思ったよ。さっき『大所帯』って言葉で引っかかっていたんだ。ところで誰が来るの?」
「多江ちゃんと井上さん」
「俺は良いけど、お隣さんをみてごらん」
かずやは、隣に座っていた晏菜ちゃんの表情を見て少々困った顔をしていた。
晏菜ちゃんは、かずやの中学時代の一件で真っ先に仲間から外れていった小倉さんのこと、前々から自分の恋敵だと思い込んでいる井上さんの参加を納得がいっていない様子だった。
「沙羅ちゃん、これで本当にいいの?」
「私は修学旅行のメンバーがほとんど揃ったのでそんなには気にしていないかな」
とは言いながらも、誰でも困っていれば相談にのるかずやの人の良さにも困った物だと思った。
多分、『三つ目の目標』が無ければ、私だって納得いっていないかもしれない。
だって、かずやは私のかずやなんだから。
さよりを向かえに行ったかずやの部屋にポツンと残された私。
昔は、壁に好きなロックバンドのポスターを貼っていたが、今はいつの間にか那奈とは別のアイドル(でもちょっと年が上そう)のポスターが貼ってあるだけだった。
丸顔にスラッとした格好。
うちのメンバーにはいないタイプだ。
そこには『森川美穂』と書いてあった。
これがこの人の芸名なんだろう。
そして曲名は『恋していれば大丈夫』とあった。
すごい今の私の心情を考えると意味深だなと思った。
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