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13 元勇者の必殺技

「いい? ギルドの人はヒースのことを婿って呼んでいるけれど、それは間違い!」

「ああ、うん。俺も買い物に行っているとき、おばさまに『カティアちゃんの恋人?』って聞かれたよ」

「そこ、思い出して照れないっ! 私たちの関係はあくまでもビジネス! 雇う側と雇われる側! はい復唱!」

「俺たちの関係は、雇う側と雇われる側」

「そういうことだからよろしく!」

「了解」


 ヒースにしっかり言い聞かせた上で、私たちは家を出た。

 私が老夫婦から譲ってもらった家は、ほぼ円形のファブルの東の端っこにある。ギルドはやや南寄りの中央付近にあり、町全体が低めの塀で囲まれている。その気になればよじ登れなくもないし私の「脚力強化」を使えばひとっ飛びで飛び越えることも可能なくらいの高さだけれど、塀全体に魔物除けの文様が刻まれている。魔物の侵入を防ぐための塀だから、ちゃんと文様さえ描かれていれば高さは関係ないそうだ。


 町の出入り口は東西南北の四カ所あるけれど、門の大きさが違う。王都に繋がる北の門は立派だけど、他の門は小振りで見張りの数も少ない。主要な商店街や町長の屋敷も町の北寄りにあって、夜でも営業している店もあるから一日中にぎやかだ。そういうわけで、夜は静かにしてほしい住宅街は東と南に固まっていることが多い。


「おー! 夫婦で買い物か!? いいなぁ、いいなぁ!」


 商店街を突っ切って町長の屋敷に行こうとしたら……ああ、早速ギルドの仲間に見つかった! 彼らは仕事帰りらしく、砂埃の付いた防具を身につけているし髪もぼさぼさだ。これからギルドに行って任務達成の報告をして、酒でも飲むんだろう。


 幅広の剣を担いだ彼らはあっという間に私たちを囲むけれど、ヒースは何も言わず私の前に立ちはだかるように位置をずらした。……ギルドの仲間だから警戒することはないんだけど、紳士なんだろうな。


「お疲れ。でもこの人は婿じゃなくて家政夫だから」

「およ? そうだったか?」

「何度も言ってるっての」


 やれやれと肩を落とす。彼らは大酒を呑んでいようと仲間と騒いでいようと、他人の話を聞き零したりはしない。それなのにしつこく「婿か?」と問うてくるのはすなわち、私たちをからかいたいから。はた迷惑な。


 ヒースの袖をちょいちょいと引っ張って撤退を指示しようとしたけれど、ヒースは動かなかった。代わりに彼は私たちを取り囲んでにやにや笑っている冒険者たちを見渡すと、きれいな仕草でお辞儀をした。


「ご挨拶が遅れました。俺はヒースと言います。魔法使いの端くれで、昨日からカティアに雇われることになりました。ファブルの町に来て日が浅いので、なにとぞよろしくお願いします」

「えっ? あの、ヒース……」


 すらすらと丁寧な言葉で挨拶をするヒースにあっけにとられていると、ガハハ、と仲間たちが大口を開けて笑い出した。


「はっはっは! 嫁と違って旦那はおっとりしてるんだな!」

「旦那じゃないって言ってんだろうがコラ地中に沈めるぞ」

「まーまーそう怖い顔するなって! ヒースだったか? カティアちゃんはツンツンしてるけれど本当は甘え下手な可愛い女の子だからな、大切にするんだぞ?」

「もがれたいのか貴様ら」

「いいよ、カティア。……ご忠告痛み入ります。それでは、俺たちはここで」


 いきり立つ私をやんわりとなだめて野郎どもにも丁寧に挨拶をし、ヒースは私の手を引っ張った。それまで私たちを包囲していた連中はすんなりと道を空け、「おう!」「今度呑もうな、ヒース!」と陽気に笑いかけてきた。


 ……私は連中の手のひらでころころ転がされているのに、ヒースはからかいもあっさりいなしてしまって……なんか悔しい。

 ある程度歩くと、ヒースは手を離してくれた。


「……ヒース」

「ごめん」


 いきなり謝られたから、何事かと私は立ち止まる。

 ヒースも立ち止まるとすぐ近くに人がいないのを確認し、眉を垂らした。


「いきなり手を掴んでしまって、申し訳ない。女性に対してすることじゃなかったと、今気づいた」

「へ?」


 心底申し訳なさそうな顔をしてヒースは謝るけれど……え? それ、謝るほどのことなの?


「あの……別に、気にしていないよ?」

「でも、俺にいろいろ常識を教えてくれた神官――アーチボルトだったかな。彼は、許可もなしに女性の体に触れてはならないと言っていた」


 アーチボルトは私の兄代わりのような神官だ。子どもの頃はよく遊んでくれたし、訓練で怪我をしたときには治癒魔法で治してくれたりもした。彼は気さくでよく気の利く人だから、ヒースにも私に会いに行く上で覚えておくべきことをいろいろ教えてあげたんだろう。


「それはそうなんだけど……そこまで神経質にならなくていいよ? ヒースだって、いやらしい気持ちがあって私の手を引っ張ったわけじゃないんでしょう? 腕を取るとか背中や肩に触るとか、それくらい私は平気だよ」


 誓いを立てているというのもあるけれど、彼はきっと根がかなり誠実なんだ。大きくて節くれ立った手に掴まれても特に嫌だとは思わなかったし、冒険者の連中の包囲網から逃れるための手段だったと分かっている。

 私の言葉にヒースは一瞬目を見開き、つと視線を逸らした。


「いやらしい気持ちって……確かにそうだけれど」

「うん、だから気にしなくていいよ、本当に。これからどうしてもあなたの手を借りないといけないことがあるかもしれないし……ね?」


 ヒースを納得させるために、私は「必殺・うるうるの目でじっと見つめる」作戦を決行することにした。


 これは以前、町の娼館のお姉さんに教えてもらった技だ。ちょうどエイリーと一緒に出かけているときに知り合ったお姉さんに、「聞き分けの悪い男を手なずけるための方法」ということで教えてもらった。どうしてそういう流れになったのかは、まあいいとして。

 ギルドに戻って早速冒険者たちを実験台に実戦してみたのだけれど、エイリーの時は大成功だったのに、私の時は「おい、あんまり睨むな」「喧嘩するつもりはない」と逃げられてしまった。いや、動物の威嚇じゃないから!


 そういうわけでそれっきり封印していた技だけど、ヒースには効くかもしれない。なんていったって元魔王だし、人間歴浅いし!


 ヒースの顔を見上げ、なるべく瞬きしないようじっと彼の目を見つめてみる。……間近で見て分かったけれど、ヒースの目ってきれいな色だな。灰色けど透き通っているし、まつげが長い。男にそんな長いまつげは必要ないだろうちょっと寄越せ。


 まあ、これで大人しくなってくれればいいんだけどなぁ、という安易な気持ちで見つめてみたのだけれど、彼の白い頬がじわじわと赤く染まっていった。すぐに両耳まで真っ赤になり、ヒースは口元に手を当ててふいっと視線を逸らしてしまった。おっ、私の勝ち……って、そういうゲームじゃなかった。


「……君って、そういうの分かってやってる?」

「もちろん。これで聞き分けの悪い男を黙らせられるんだって教わったからね」

「確かに黙るかもしれないけれど、いろいろやばくなりそう……いや、何でもないよ」


 彼は柔らかい髪をくしゃくしゃと掻きむしると、やがてふふっと気の抜けたように笑った。


「……君と一緒にいると飽きないな。でも、誓いを立ててよかったと思うよ」

「いや、心臓発作で死なれたら困るんだけど――」

「もちろん俺だってほいほいとは死にたくないよ。ただ……なんというか、人間の体って結構面倒だなぁ」

「そう?」

「そう。……それじゃあ、俺もそろそろ聞き分けのいい男になって、目的地に行かないとね」


 ヒースはそう言って当初の目的を思い出させてくれた。そうだそうだ、町長に挨拶に行くんだった。

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