12 これはビジネス、そう、ビジネス
ヒースの作った夕食は、今日も相変わらずおいしかった。
食事の前に「今日、これだけ使ったんだけど……」とおずおずしながら生活費の用途を教えてもらったけれど、よくもまあこれだけのお金で買った食材でこれほどの料理を作れたものだと感心してしまった。彼は金遣いに関しても信頼できそうだ。
「話がある」
食後のデザートであるマフィンもおいしくいただいた後で私が切り出すと、向かいの席で同じくマフィンを食べていたヒースがぴくっと身を震わせ、緊張した面持ちで姿勢を正した。
「……分かった。どうぞ、カティア」
「今日一日、あなたは私が期待していた以上に仕事をしてくれた。料理はおいしいし、洗濯物には皺一つないし、浴槽まできれいになっているし買い物まで完璧だし……いろいろ疑ってごめん。あなたの本気が分かったし、今日一日だけでも私はあなたに助けられた」
ありがとう、と礼を言うと、ヒースの白い頬がふわりと色づいた。
「どういたしまして。……最初に言ったけど、俺がやりたくてやっただけなんだから、そんなにかしこまらなくていいんだよ」
「そうはいかない。これだけやってくれているのに対価を払わないのはおかしいくらいだと思った。……というわけで」
私は立ち上がり、いったんリビングに戻る。そして部屋の隅に据えられていたクローゼットの上段にある隠し扉を開け、そこから平たい木箱を取り出してキッチンに戻った。
「どれくらいか必要か分からないけれど……一月でこれくらいで、どう?」
そう言って私は箱を開け、中に入っていた紐で束ねた札束から数枚引き抜き、ヒースに差し出した。
これはいわゆる、私のへそくり――という名の個人的な預金だ。生活費とは別にしていて、突然な出費に備えるため、そして老後の蓄えとして貯めていた。脳筋でもこれくらいはできるぞ。
まあだいたいこれくらいが妥当だろうと思って札を差し出した私だけど、それまで不可解そうな眼差しをしていたヒースはとたんに険しい顔つきになり、ゆっくり首を横に振った。
「……もらえないよ」
「そう? じゃあ一枚減らして――」
「一枚たりと受け取れないよ。俺は、お金がほしくて家事をしたわけじゃない」
これまでのおっとりふんわりした話し方から一転、ぴしゃりと撥ねつけるような口調に私は一瞬怯んでしまう。彼の性格からして遠慮はされるだろうな……とは思っていたけれど、完全受け取り拒否されるとは。
「いや……でもこうでもしないと、あなたの働きに報えないと思うんだけど」
「君が健康で幸せそうでいるなら、それが報酬になる。それだけで、俺は十分だよ」
えー……なにその歯の浮くような台詞。
でもヒースは至って真面目な様子で、腕を組んで少し据わった目で私を見据えてきていた。
「そもそも俺に個人的はお金は必要ない。俺が自分の我が儘でカティアの家に押しかけているのにお金までもらえば、君にとって負担にしかならないだろう」
「いやいや、私だってそこまでお金に執着しているわけじゃないし、ヒースだって服を買ったり個人的に外食したりしたいでしょ? というか、するもんだと思うよ?」
ひょっとして元魔王様にはこの辺の感覚が疎いのかもしれない、と思い、私は彼を説得することにした。
「それにさ……あなたには生活費を渡しているけれど、あくまでもそれは二人分の食費、必要経費だからね。自分だけが使う服を買うとなったら、自由に使えるお金から出した方が自分でもやりやすいと思わない?」
「それは……確かにそうだけれど」
「あとね、昨夜はリビングで寝てもらったけれどヒースにも一部屋使ってもらおうと思うんだ。二階の私の隣の部屋で……物置にしていたからちょっと埃っぽいけど、掃除すれば十分使える広さだから」
「君の隣の部屋って……君はもうちょっと俺に警戒心を抱いた方がいいよ?」
ヒースは呆れたように言った。人間として生きている年月は私の方が圧倒的に長いはずなのに、なんでこんな「こいつ常識ないなぁ」と言いたげな目で見られなきゃならないんだ。
「と、とにかく! 私はあなたを住み込み家政夫として雇うことに決めた! 雇う、っていうからには給金が必要! せっかくだからこのお金で家具や雑貨を買えばいいから!」
立ち上がってテーブルに身を乗り出しながらまくし立て、ほら! と彼の胸に札を押しつける。札、三枚。これだけあれば服を買ったり買い食いしたり家具を買ったりできるはずだ。
ヒースはなおも渋い顔をしていたけれど、私が引かないと分かったからかため息をつくと、札を受け取った。
「……これでカティアが満足するなら、そうするよ」
「うん、満足。それじゃ、改めてこれからよろしく頼むよ、家政夫君!」
わざとらしく大声を上げ、笑ってやる。
これはビジネス。私が雇う側で、ヒースが働き手。渡した札束は、私たちの関係を明確なものにさせるための媒体だ。
……人間生活の浅いヒースがいずれ人間界に難なくとけ込めるようになるためにも、彼には自分で使えるお金が必要なんだ。
翌日の仕事は昼過ぎに終わったので、私はリビングで洗濯物を畳んでいたヒースに呼びかける。
「今日はいい天気だし、一緒に散策に行こう」
「散策……?」
カーペットに正座して洗濯物を手にしていたヒースは私を見上げ、小首を傾げる。ちなみに彼は洗濯でも持ち前の魔力を存分に活用させているらしく、彼に任せた洗濯物はいつも汚れが完璧に落ちていて、乾燥させた後も皺が見当たらない。なかなか言うことを聞かない魔法洗濯機に放り込んで適当に干しているだけの私とは大違いだ、本当に!
「そう。ヒースはもう買い物にも行っているみたいだけど、一度挨拶はしたいってエイリーに言われてね。エイリーのお父さんは町長だから、挨拶だけはしておいた方がいいんだよ」
「なるほど。そういうことなら断るわけにはいかないね。……それに」
「うん?」
「……カティアと一緒に出かけられるんだから、それだけで俺は嬉しいよ」
洗濯物――見たところ、テーブルクロスだ――を片手に、そう言ってはにかむ優男。
……今、私の胸がきゅんっとした。なぜだ?
……まさかこれがボセーホンノーとやらか? 私にもボセーホンノーがあったのか?
……まあ、いいや。
その後、さっさと出かけようということで、洗濯物畳みを私も手伝った――のだけど、どれもこれも例外なくぐしゃぐしゃになってしまい、「俺がやるから、カティアは待っていてね。すぐ終わらせるよ」と優しく洗濯物を取り上げられてしまった。
さようなら私のプライド。




