第9話「素顔の歌姫」
俺たちは、約束の朝に『風鳴工房』の扉を叩いた。
「へい、お待ちどう。……最高傑作ができたよ」
目の下に酷い隈を作りながらも、店主のカレンさんは不敵に笑って、二つの包みをカウンターに置いた。
更衣室に入ったフィリアとガルドが出てきた瞬間、工房の空気が一変した。
「……すごいです。これ、本当に私……?」
フィリアが、鏡の前でくるりと回る。
新しい軽装は、白を基調に、水色と銀糸が織り込まれた美しいデザインだった。
腰回りの布地は花弁のように重なり、彼女が動くたびにふわりと広がる。
肩と胸元にあしらわれた特殊な素材が窓からの光を反射し、彼女の顔を「レフ板」のように明るく照らし出していた。
まさに、物語のヒロイン。
風の妖精がそのまま実体化したような輝きだ。
対して、ガルド。
彼は全身を、艶消しの黒鉄で覆っていた。
傷だらけだった大盾は、表面を黒く焼き付けられ、鋼鉄の延べ板で補強されている。
光を吸い込むような重厚な黒。
フィリアの「白」を引き立てる、圧倒的な「黒」の背景。
「……重いな。だが、守れる重さだ」
ガルドが盾を構える。その威圧感は、以前とは比べ物にならない。
「どうだい、元・聖女様。アンタの目から見て」
カレンさんが、付き添いで来ていたセラフィーナに水を向ける。
セラフィーナは腕を組み、二人をじろじろと眺めてから、フンと鼻を鳴らした。
「……ま、悪くないんじゃない? 少なくとも、貧乏臭さは消えたわね」
憎まれ口を叩いているが、その目は「すご……」と少し驚いているのがバレバレだ。
「よし。これなら行けます」
俺は確信を持って頷いた。
装備は整った。仲間も揃った。
あとは、この「新しい俺たち」を世界にお披露目するだけだ。
◇
夕刻。
いつもの酒場前。
俺たちは配信の準備を整えていた。
この一週間、毎日投稿していた「訓練動画」のおかげか、開始前から待機している視聴者が結構いる。
「じゃあ、行きますよ。今日は『新装備』と『新メンバー』のお披露目です」
俺の合図で、魔晶球が起動する。
『配信開始』
『視聴者数:42』
『――迷宮都市エルヴァの、風の片隅からこんにちは! フィリア・ノアールです!』
フィリアが元気に挨拶し、カメラの前でステップを踏む。
新しい衣装の裾が、風を孕んでひらりと舞った。銀髪と銀糸がキラキラと輝く。
『うおおおおお!』
『新衣装きたあああ!』
『え、めっちゃ可愛くなってない?』
『アイドルかよ』
コメント欄が一気に加速する。
続いて、カメラを引いてガルドを映す。
『そして、盾のガルドさんです!』
「……ガルドだ。前で殴られる準備はできてる」
黒鉄の要塞と化したガルドが、無骨に親指を立てる。
『盾のおっさんカッコよくなりすぎて草』
『魔王軍の将軍かな?』
『白と黒の対比がいいな』
視聴者数はぐんぐん伸び、あっという間に『70』を超えた。
ここまでは完璧だ。
そして、ここからが今日の本題。
「そして今日は、二層攻略のために強力な助っ人をスカウトしてきました」
俺はカメラを横に振った。
そこに立っているのは、純白のローブを纏った金髪の美少女――セラフィーナだ。
だが。
「……は、はじめまして。セラフィーナです。よ、よろしくお願いします……」
カメラを向けられた瞬間、彼女の表情が凍りついた。
視線は下を向き、声は蚊の鳴くように小さい。両手を前で組み、借りてきた猫のように縮こまっている。
『あれ?』
『この人、もしかしてレヴィアの?』
『うわ、炎上聖女じゃん』
『性格キツイって噂だけど、なんか猫かぶってない?』
視聴者数は有名人の登場で『90』近くまで跳ね上がったが、コメント欄の空気は冷ややかだった。
「炎上」「性格悪い」「嘘くさい」。そんな単語が並ぶ。
セラフィーナの肩が震える。
トラウマだ。
かつて「理想の聖女」を演じさせられ、それが崩れた瞬間に掌を返された恐怖。
彼女は今、無意識に「叩かれないためのいい子」を演じようとして、それが逆効果になっている。
(……やっぱり、そうなりますよね)
俺は冷静に魔晶球を操作した。
想定内だ。
だからこそ、俺はこの瞬間のために「準備」をしてきた。
「彼女は少し緊張しているようなので……代わりに、こちらの映像をご覧ください」
俺は配信画面の端に、ワイプ(小窓)を表示させた。
流したのは、この一週間、俺がこっそり撮り溜めていた「訓練中の切り抜き動画」だ。
◇
『――遅い! 前衛がビビってどうすんの!』
映像の中のセラフィーナが、鬼のような形相で叫んでいる。
『アンタたち、私のバフを無駄にしたら承知しないわよ!』
『ガルド! もっと腰落としなさい! 私の視界を確保して!』
『フィリア! 迷うな! 背中は私が支えるから、死ぬ気で踏ん張りなさい!』
汗を流し、髪を振り乱し、声を枯らして指示を飛ばす姿。
口は悪い。態度はデカい。
でも、その目は真剣そのもので、誰よりも必死に「仲間を生かそう」としていた。
そして、休憩中にこっそりとフィリアに水を手渡すシーン。
ガルドの盾の傷を気にするシーン。
それらが、BGMと共にダイジェストで流れる。
◇
「ちょ、ちょっと……!?」
映像を見たセラフィーナが、顔を真っ赤にして俺に詰め寄った。
「何流してんのよバカ!! 恥ずかしいじゃない! 消しなさいよ!」
カメラの前だということも忘れて、彼女は素で怒鳴った。
いつもの、気の強い彼女の顔だ。
だが、コメント欄の反応は劇的だった。
『え、めっちゃ仕事してるやん』
『口悪いけどガチ勢だこれ』
『猫かぶってるより、こっちの方が100倍いいわ』
『指示が的確すぎる』
『頼もしすぎて草』
否定的な言葉が消え、称賛と驚きの声が埋め尽くしていく。
視聴者数は、ついに『100』を超えた。
『視聴者数:132』
「……え?」
セラフィーナが、流れるコメントを見て呆然とする。
「炎上聖女」ではなく、「ガチの聖歌術士」として受け入れられている現実。
「言ったでしょう。今の視聴者は、本気の言葉を求めてるって」
俺は彼女にだけ聞こえる声で囁いた。
「あなたは、そのままでいいんです」
セラフィーナは瞳を潤ませ、唇を噛んだ。
そして、ふいっと顔を上げ、カメラを睨みつけた。
「……ふん。そうよ、私はこういう女よ。口は悪いし性格もキツイわよ。文句ある?」
開き直った彼女は、圧倒的に美しかった。
その堂々とした態度に、画面がエフェクトで埋め尽くされる。
『いいぞもっと言え』
『文句ないですついていきます』
『姐さん……!』
そして、その流れに乗るように、見慣れた名前が一つ流れた。
『◆lulu:自分の仕事を愛している人の顔だね。……この4人なら、何かを起こしてくれる気がするよ』
そのコメントが決定打となり、場は完全に温まった。
「あがり症のセンター。無口な盾。そして、口の悪い聖歌術士」
俺は3人を画角に収め、宣言した。
「凸凹で、問題だらけですが……これが、俺たちのパーティです。明日、このメンバーで二層を攻略します」
「ちょ、『口の悪い』は余計よ!」
「俺は『無口』じゃなくて『余計なことを言わない』だけだ」
「ふふっ、みんなバラバラですね……」
騒がしい3人の姿。
でも、そのバランスは奇跡的に保たれている。
装備も、仲間も、視聴者の熱気も。
全ての準備は整った。




