第8話「毒舌の価値と、ビジネス契約」
冒険者ギルド近くの庶民的な酒場。
その一番奥の席で、俺はセラフィーナと対峙していた。
フィリアとガルドは、少し離れた席で待機してもらっている。
これは「ビジネス」の話だ。まずは条件を詰めなければならない。
セラフィーナは、出された果実水に口もつけず、疑り深い目で俺を見ていた。
ローブのフードを深く被っているが、その隙間から覗く金髪と白い肌は、薄暗い酒場の中で異様に浮いている。
「……で? どういうことよ」
彼女は低い声で切り出した。
「私の『毒舌』が欲しいって。アンタ、頭がおかしいんじゃないの? 普通は『聖女スマイル』とか『慈愛の言葉』を求めるものでしょ」
「普通ならそうでしょうね。だからこそ、以前所属していた教会はあなたにそれを強要した」
俺の言葉に、彼女の眉がピクリと動く。
「でも、俺が求めているのは違います。作られた笑顔も、無理な愛想もいりません。思ったことをそのまま、口にしてください」
「……は?」
「あなたはさっき、ギルドで男たちを怒鳴りつけましたよね。『前衛が棒立ちで被弾するな』と。……あれは、あなたが戦況を誰よりも冷静に見ていた証拠だ」
俺は身を乗り出した。
「俺たちが求めているのは、お飾りの聖女じゃありません。ダメな動きをしたときに『ヘタクソ!』と罵ってでも修正してくれる、本気の司令塔です」
「……」
セラフィーナは呆気にとられたように瞬きをした。
毒舌を「価値がある」と言われたことなど、今までの彼女の人生で一度もなかったのだろう。
「視聴者はバカじゃありません。作られた『聖女』の嘘くささにはもう飽きている。今の時代、求められているのは――本気で仕事をしている人間の『生の言葉』です」
俺は、彼女の目をまっすぐに見た。
「あなたのその毒舌は、本気で誰かを生かそうとしているから出る言葉だ。……俺には、それが一番『信頼できる』と感じました」
セラフィーナの瞳が揺れた。
しばらくの沈黙の後、彼女はふいっと顔を背け、果実水を一気に煽った。
「……口が上手いのね、プロデューサーさん」
グラスをドンと置く。
「いいわよ。そこまで言うなら、お手並み拝見させてもらうわね」
彼女は不敵な笑みを浮かべた。
それは聖女の微笑みではなく、獲物を前にした肉食獣のような、好戦的な笑みだった。
「ただし、私の基準についてこれなかったら即抜けるわよ。Fランクの実力、見せてもらうわ」
◇
場所を移して、訓練場。
夜の訓練場は人もまばらで、集中するには丁度いい。
俺たちは装備を預けているため、木剣と丸太を使った基礎訓練を見てもらうことにした。
「あ、あの……! セラフィーナさん!」
準備中、フィリアがもじもじとセラフィーナに近づいた。
「なによ」
「その……王都時代の配信、ずっと見てました! ファンなんです! あ、あの時の『光の旋律』とか、すっごく好きで……!」
目をキラキラさせるフィリアに対し、セラフィーナは冷ややかに言い放った。
「ファンとかどうでもいいから。アンタ前衛でしょ? 私の方なんて見てないで、前だけ見てなさい」
「は、はいっ! すいません!」
フィリアは直立不動で敬礼し、慌てて定位置につく。
塩対応だ。だが、その瞳の奥には、少しだけ照れくさそうな色が混じっていたのを俺は見逃さなかった。
「じゃあ、始めましょうか。ガルドさん、フィリアさん、いつもの型稽古を」
「おう」
ガルドが丸太を盾に見立てて構え、フィリアが木剣を持って対峙する。
実戦形式の打ち込み稽古だ。
「……ふん。装備もないのに、何ができるって言うのよ」
セラフィーナは腕を組み、値踏みするように二人を見つめた。
そして、小さく息を吸い込む。
「聖歌【守護のコーラス】」
歌声が、夜気に溶けた。
――美しい。
思わず、俺は息を呑んだ。
透き通るような高音。魔力が乗った歌声は、耳ではなく魂に直接響いてくるようだ。
淡い光の粒子が舞い降り、ガルドとフィリアの体を包み込む。
「……なんだこれ。体が軽い」
ガルドが驚いたように自分の手を見る。
「魔力の巡りが……全然違います! 力が、奥から湧いてくるみたい……!」
フィリアも目を見開く。
これが、本物のプロの支援魔法か。
Fランクの俺たちが今まで使っていた安物のポーションや護符とは、次元が違う。
「さあ、動きなさいよ! 私の歌を無駄にしたら承知しないわよ!」
歌の合間に、鋭い檄が飛ぶ。
それに弾かれるように、二人が動いた。
フィリアが踏み込む。
バフによって身体能力が底上げされた彼女の速度は、いつもより数段速い。
木剣が風を切り、ガルドの持つ丸太に叩き込まれる。
――ドォン!
重い音が響く。
ガルドは一歩も引かず、その衝撃を受け流した。
「……っ!?」
セラフィーナの歌が一瞬、途切れそうになる。
驚きの表情が、その美しい顔に浮かんでいた。
(……なによ、今の動き)
彼女の目は、ガルドではなく、フィリアに釘付けになっていた。
――速い。
ただ速いだけじゃない。踏み込みの深さ、重心の移動、剣を振るう軌道。
全てに無駄がない。
フィリアは流れるように連撃を繰り出す。
右、左、下段。
ガルドがそれら全てを「点」で捉えて防ぐ。
まるで舞踏だ。
示し合わせたような、完璧なリズム。
(Fランク……? 冗談でしょ)
セラフィーナは、数多のパーティを見てきた。
口先だけの自称実力者も、装備だけ立派な貴族のボンボンも。
だからこそ、分かる。
この子は、逸材だ。
経験不足ゆえの粗さはある。だが、その芯にあるセンスと身体能力は、Cランク――いや、育て方次第ではそれ以上でも通用するレベルだ。
「……へぇ」
セラフィーナの口元が、自然と弧を描いた。
面白い。
私のバフを受けて、振り回されるどころか、乗りこなしている。
そして、あの盾。
ガルドと呼ばれた大男。
あんな重い丸太を持って、フィリアの鋭い連撃を涼しい顔で捌いている。
一歩も動かない。まるで根を張った大樹のように。
(私が逃げ回る必要、ないじゃない)
これまでのパーティでは、彼女は歌いながら常に敵の位置を気にし、逃げ回るのが常だった。
「自分で身を守れ」と言われ続けてきた。
だが、この盾なら。
この男の後ろなら、私は歌うことだけに集中できる。
自然と、歌声に熱がこもる。
光が強くなる。
フィリアの速度がさらに上がり、ガルドの防御がさらに堅固になる。
三つの才能が、音を立てて噛み合っていく。
◇
「……終了!」
俺の合図で、模擬戦が終わった。
汗だくの二人が、肩で息をしながら笑い合う。
「すっげぇ……! 体が羽になったみたいでした!」
「ああ。盾が紙みてぇに軽く感じたぞ。……口は悪いが、歌は本物だな」
二人の称賛に、セラフィーナはふん、と鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
だが、その頬はわずかに紅潮している。
全力を出し切って、それを受け止められた高揚感が、隠しきれていない。
「……ま、Fランクにしてはマシな動きだったわね」
彼女は俺の方へと歩いてきた。
「どうでしたか?」
俺が聞くと、彼女は呆れたようにため息をつき、それからニヤリと笑った。
「合格よ。……あの銀髪の子、悪くないわね。今はまだ荒削りだけど、Dランク中位くらいの実力はあるんじゃない?」
プロの目線での評価。
俺の見立てが間違っていなかったことの、何よりの証明だ。
「それに、あの盾。……私の背中を預けるに値するわね。少なくとも、私が歌ってる間に敵を通すようなマヌケじゃなさそう」
「じゃあ」
「ええ。契約してあげる」
セラフィーナは腕を組み、尊大に宣言した。
「勘違いしないでよね。アンタたちの盾が使いやすそうだったから、しばらく利用してあげるだけよ。私の名声を取り戻すための踏み台になってもらうわ」
「ええ、望むところです。ビジネスパートナーとして、よろしくお願いします」
俺が手を差し出すと、彼女は一瞬ためらってから、パチンと俺の手を叩くように握手した。
「……よろしく。せいぜい私を飽きさせないでよね、プロデューサーさん」
こうして、最強のトラブルメーカーが仲間に加わった。
口の悪い聖歌術士、セラフィーナ。
役者は揃った。
装備の完成まで、あと数日。
新生パーティによる「二層攻略」へのカウントダウンが、今始まった。




