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第5話「不器用な盾と、風の舞踏」

 翌日。

 俺たちは、再び世界樹迷宮の入口に立っていた。


 昨日の酒場での「新メンバーお披露目」から一夜明け、今日がいよいよ、三人体制での初実戦となる。

 空は突き抜けるような青。絶好の冒険日和だ。


 だが、パーティの空気は少しだけ重かった。主に、一番デカい男のせいで。


「……なぁ、ユウマ。今からでも遅くないんじゃないか?」


 ガルドが、胃のあたりを押さえながら弱々しく呟く。

 身長二メートルの巨漢が小さくなっている姿は、哀愁を通り越して少し可愛げすらある。


「俺が抜けりゃ、元の『Fランク美少女』って形に戻るだろ。俺みたいなオッサンが混ざったら、フィリアのファンが減るだけだ」


「三十路前でオッサンを名乗るには早すぎますよ」


 俺は苦笑しながら、魔晶球のハーネスを調整した。


「それに、昨日のコメント欄を見ましたよね? 『強そう』『渋い』って意見、結構ありましたよ」


「『ただの木偶の坊』とか『画面が狭苦しい』ってのもあっただろうが」


「アンチコメは無視してください」


 俺はきっぱりと言い切る。

 ネガティブな意見を気にして縮こまるのは、一番もったいない。


「ガルドさん。今日のあなたの仕事は、愛想を振りまくことじゃありません。ただ『守ること』です」


「……守るるだけ?」


「ええ。敵が来ても、無理にカッコつけようとしないでください。派手なスキルもいらない。ただ、フィリアさんの前に立って、一歩も下がらないでくれればいい」


 俺は、隣でストレッチをしているフィリアに向き直った。

 彼女もまた、緊張した面持ちで剣の柄を確かめている。


「フィリアさん」


「は、はいっ!」


「今日のオーダーは一つだけです。『逃げるな』」


「えっ……?」


 フィリアが目を丸くする。

 これまでの彼女の戦い方は、ヒット・アンド・アウェイが基本だった。一撃入れては距離を取り、攻撃を躱しては魔法を撃つ。それは「守ってくれる人がいない」からこその、生き残るための戦法だ。


「今日は、背中を気にする必要はありません。回避に使う意識を、全部『攻撃』に回してください。一番得意な距離で、一番得意な剣を振るうことだけを考えて」


「攻めることだけを……」


 フィリアはチラリとガルドを見る。

 ガルドはバツが悪そうに鼻を鳴らし、それでも無骨な大盾をドン、と地面に置いた。


「……まあ、後ろには通さねぇよ。俺が立ってるうちはな」


「はい! お願いします、ガルドさん!」


 フィリアの表情に、少しだけ色が戻る。


「よし。じゃあ、行きますか」


 俺は魔晶球に魔力を流し込む。

 昨日の予告効果もあり、開始直後から視聴者数は『10』を超えていた。


          ◇


 迷宮一層。

 相変わらず薄暗く、湿った空気が漂う回廊。

 だが、カメラに映る景色は、前回までとは明らかに違っていた。


 画面の左端。そこに、圧倒的な質量を持つ「鉄の壁」が存在しているからだ。


『配信開始』

『お、始まった』

『盾の人マジでデカいなw』

『フィリアちゃん今日もかわいい』

『3人パーティか、実質2人だけど』


 コメントの流れは、まだ半信半疑といったところだ。

 ガルドの「地味で画にならない」という噂を知っている視聴者もいるのだろう。


「……来ます」


 フィリアが鋭く反応する。

 通路の奥から、バサバサという羽音と共に、黒い影が三つ飛び出してきた。

 洞窟コウモリだ。一層の雑魚だが、動きが不規則で素早く、魔法を当てにくい相手だ。


 以前のフィリアなら、ここで足を止めて迎撃態勢に入り、同時にバックステップの準備をしていただろう。

 だが、今日は違う。


「ガルドさん!」


「おう!」


 俺の指示より早く、ガルドが一歩前に出た。

 大盾を構える。それだけの動作。

 だが、狭い通路において、その巨体と大盾は「通行止め」の標識に等しい。


 先頭のコウモリが、ガルドの頭上を越えようと急上昇する。

 ガルドは視線だけを上げ、盾を少しだけ斜め上に傾けた。


 ――ガィン!


 鋭い金属音が響く。

 体当たりしてきたコウモリが、盾の表面に弾かれてよろめいた。

 ガルドの足は、ピクリとも動いていない。まるで岩に小石が当たった程度のことのように、彼は無表情のままだ。


「《風刃ふうじん》!」


 その隙を、フィリアが見逃すはずがなかった。

 ガルドの脇から滑り出るように踏み込み、短い詠唱と共に剣を振るう。


 風の刃が、体勢を崩したコウモリを真っ二つに切り裂いた。


『おおっ』

『反応はや』

『今の、盾が視界塞いでなかった? よく見えたな』


「ナイスです!」


 俺はカメラを振り、残りの二体のコウモリをフレームに収める。

 仲間がやられたことに気づいた残りのコウモリが、左右に散って襲いかかってくる。


「右、行きます!」


「左は任せろ」


 短い掛け合い。

 ガルドは左側のコウモリに対し、盾ではなく、分厚い肩当てを突き出した。

 噛みつこうとしたコウモリの牙が、硬い金属に弾かれる。


 その間に、フィリアは右のコウモリを剣で突き刺し、反転して左のコウモリに風魔法を叩き込んだ。


 戦闘終了。

 所要時間、わずか十数秒。


「……ふぅ」


 フィリアが剣を納め、少し驚いたように自分の手を見つめた。


「すごい……。私、一回も下がりませんでした」


「おう。雑魚相手なら、俺の後ろにいりゃあ安全だ」


 ガルドは事も無げに言って、盾の表面についた汚れを払い落とす。


「ユウマさん、今の撮れてました?」


「バッチリです」


 俺は魔晶球のログを確認しながら頷いた。


 画面には、ガルドという「不動の基準点」があるおかげで、フィリアの素早い動きが対比として際立って映っていた。

 これまではフィリア自身が動き回っていたため、どうしても画面がブレたり、構図が安定しなかったのだ。


 だが今は、ガルドが「定点」になってくれている。

 彼を中心にフィリアが回る。まるで惑星と衛星のように。


『なんか今日、画面見やすいな』

『盾のおっさん、マジで動かねぇw』

『フィリアちゃんの剣技、あんなに綺麗だったっけ?』


 視聴者も、その変化に気づき始めている。


「いいペースです。このまま奥へ進みましょう」


          ◇


 一層の中腹あたりまで進んだ頃だった。

 広めの空間に出た俺たちの前に、そいつは現れた。


「……ホブゴブリン」


 ガルドが低く唸る。

 通常のゴブリンより二回りは大きい、筋肉質の巨体。手には丸太のような棍棒が握られている。


「硬そうですね……」


 フィリアが杖を構える手が、わずかに汗ばんでいるのが見える。

 彼女の風魔法は「斬撃」属性だ。柔らかい敵には滅法強いが、分厚い筋肉や脂肪を持つ相手には決定打になりにくい。

 しかも、あの一撃をもらえば、軽装のフィリアなら一発で戦闘不能になりかねない。


 かつての彼女なら、ここで迷わず「撤退」を選んでいただろう。


 だが。


「ガルドさん。正面、いけますか?」


 俺が問いかけると、ガルドはニヤリと笑った。

 それは、今までの卑屈な笑いではなく、獲物を前にした戦士の笑みだった。


「当たり前だ。俺を誰だと思ってやがる」


 彼は大盾を構え、ホブゴブリンの正面に立ちはだかった。

 ホブゴブリンが咆哮を上げ、地面を揺らしながら突進してくる。

 丸太のような棍棒が、風を切る音を立てて振り上げられた。


「フィリアさん、詠唱開始!」


「はいっ!」


 俺の指示と同時に、フィリアが詠唱に入る。

 ホブゴブリンの棍棒が、ガルドの頭上から振り下ろされた。


 ――ドォォォォォン!!


 衝撃音が、広間に轟いた。

 俺の持つ魔晶球がビリビリと震えるほどの威力。

 土煙が舞い上がり、ガルドの姿が見えなくなる。


『うわっ』

『今の音やば』

『潰れたか!?』


 コメント欄が悲鳴を上げる。

 だが、土煙が晴れた先には――。


「……重いが、通しはしねえ!」


 ガルドが、立っていた。

 膝を深く曲げ、盾を斜めに構え、棍棒の威力を受け流している。

 地面には彼の足跡が深く刻み込まれていたが、その体勢は崩れていない。


 ホブゴブリンが驚愕に目を見開く。

 全力の一撃を止められた魔物が、無防備に硬直したその瞬間。


「《風裂》・双連そうれん!」


 ガルドの背後から、銀色の影が飛び出した。

 フィリアだ。

 彼女はガルドの体を踏み台にするようにして高く跳躍し、ホブゴブリンの頭上から斬撃を叩き込んだ。


 一撃目が、分厚い肩の筋肉を切り裂く。

 魔物が悲鳴を上げてのけぞる。


 着地と同時に、フィリアは流れるような動作で二撃目を放つ。

 今度は足元。体勢を崩したホブゴブリンの膝を、風の刃が薙ぎ払う。


 ドスン、と巨体が崩れ落ちた。


「ガルドさん、トドメを!」


「おうらぁッ!!」


 ガルドが吼える。

 防御に使っていた大盾を、今度は鈍器として叩きつけた。

 シールドバッシュ。

 全体重を乗せたその一撃が、ホブゴブリンの頭蓋を砕く。


 光の粒子となって消えていく魔物。

 その場には、荒い息を吐く二人と、それを映す俺だけが残された。


「……勝ち、ました」


 フィリアが、剣を下ろして振り返る。

 汗で額に張り付いた前髪を払いながら、彼女は満面の笑みを浮かべた。


「ガルドさん、凄いです! あんな攻撃、私だったらひとたまりもありませんでした!」


「……ふん、あんなもん、訓練場の教官に比べりゃマッサージみたいなもんだ」


 ガルドはぶっきらぼうに言いながら、盾を背負い直す。

 だが、その耳が真っ赤になっているのを、俺のカメラは見逃さなかった。


「お前が動き回ってくれたおかげで、敵の目が散ったんだ。……助かったよ」


「えへへ……」


 二人が互いに労い合う姿。

 それをフレームに収めながら、俺は手元のログを確認した。


『視聴者数:28』


 いつの間にか、視聴者数が倍近くに増えている。


『なんだ今の連携』

『盾のおっさん、マジで一歩も下がらなかったぞ』

『フィリアちゃんの動きキレッキレだな』

『安心して見てられるわこれ』

『地味だけど、なんか熱いな』


 コメント欄の空気が変わった。

 これまでは「危なっかしい新人を見る目」だったのが、「実力あるパーティを見る目」に変わっている。


「これが、化学反応ってやつですね」


 俺は小さくガッツポーズをした。


 ガルドという絶対的な「静」があるからこそ、フィリアという「動」が最大限に映える。

 フィリアが自由に舞うからこそ、ガルドの「不動」の凄みが伝わる。


 その時、ふわりと金色のエフェクトが飛んできた。


『支援コイン:+5(from ◆lulu)』


 まただ。あの謎のアカウント。

 しかも今回は、5枚も。


『◆lulu:いいパーティだ。盾が“壁”になることで、剣が“翼”を得たね。……この安定感なら、二層も夢じゃないよ』


 まるで、こちらの成長を心から喜んでいるようなコメント。

 俺は画面越しに、その見えない支援者に向かって小さく会釈した。


          ◇


 配信を終え、迷宮を出る頃には、空は茜色に染まっていた。

 心地よい疲労感が体を包む。


「……まあ、悪くねぇな」


 帰り道、ガルドがぽつりと呟いた。


「ん?」


「配信だよ。前のパーティじゃ、終わった後はいつも『もっと目立つことやれ』って説教だったからな。……今日は、ただ普通に戦っただけなのに、なんか気分がいい」


 彼は自分の大きな掌を見つめ、握りしめた。


「俺の背中も、まだ捨てたもんじゃねぇってことか」


「捨てたもんじゃないどころか、最高でしたよ」


 俺は言った。


「あなたの背中があったから、フィリアさんは飛べたんです。そして、俺も安心してカメラを回せました」


「ユウマさんの言う通りです!」


 フィリアが横から顔を出す。


「私、今日初めて、迷宮の中で『楽しい』って思えました。ガルドさんがいてくれるなら、私、もっと強くなれる気がします!」


「……調子に乗るなよ、小娘」


 ガルドはそっぽを向いたが、その口元が緩んでいるのは隠せていなかった。


 夕焼けの中、並んで歩く三つの影。

 凸凹で、不器用で、でも確かな信頼で結ばれた影が、石畳の上に長く伸びている。


 俺は確信した。

 この3人なら行ける。

 一層のぬるま湯を抜け出して、もっと深く、もっと危険で、もっと輝ける場所へ。


「次は二層ですね」


 俺の言葉に、二人が同時に頷く。


「はい!」

「おう」


 Fランクの魔法剣士と、売れない盾役と、無能力のプロデューサー。

 寄せ集めの俺たちの冒険は、まだ始まったばかりだ。

読んでいただきありがとうございます!!

ブクマや、評価をいただけると、とても励みになります。

皆さんに物語を楽しんでいただけるよう頑張ります!

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