第3話「憧れの背中」
世界樹迷宮の入口は、想像していたよりもずっと「観光地」っぽかった。
「……すごい人ですね」
石畳を抜けた先。世界樹の根元へと続く巨大な洞窟の前には、屋台や露店がずらりと並んでいる。
干し肉や携帯食、安物のポーション。「初心者向けセット」と書かれた粗末な装備の山。
これから命がけの場所へ向かうというのに、空気は妙に明るく、お祭りのような熱気に満ちていた。
「ここは迷宮都市の心臓部ですから。冒険者だけじゃなくて、観光客も見物に来るんです」
隣を歩くフィリアが、少し緊張した面持ちで教えてくれる。
彼女は今日、しっかりと磨かれた革の胸当てと、腰の剣を身につけている。
昨日のリハーサルを経て、その立ち姿にはほんの少しだけ自信が宿っている――ように見えた。
だが、その自信はすぐに揺らぐことになる。
広場の中央に、ひときわ大きな人だかりができていたからだ。
「わーっ、今日も見てくれてありがとー! “炎のルルシア”ちゃんだよー! 高評価と支援、忘れないでねー!」
弾けるような明るい声が響き渡る。
人垣の向こうに見えたのは、鮮やかな赤髪をポニーテールにした女性冒険者だった。
赤と黒を基調にした派手な軽鎧。背中には身の丈ほどの大剣。
彼女が動くたびに、炎の意匠が入ったマントが揺らめき、周囲にキラキラとした熱気の粒子が舞う。
彼女の目の前には、俺が持っているような手持ちタイプではなく、宙に浮く高級な自律型魔晶球が三つも展開されていた。
「あれが……Bランク冒険者、“炎のルルシア”さんです」
フィリアが、憧れとため息が半分ずつ混じった声で呟く。
「迷宮都市でもトップクラスの人気配信者で……街のポスターにもなってるんです」
「うわ、完全に“看板タレント”じゃん……」
プロデューサー目線で見ても、彼女は完成されていた。
キャラ作り、衣装の統一感、自己紹介のテンポ。
そして何より、あの場の空気を一瞬で自分のものにするオーラ。
「炎」というモチーフをとことん押し出し、視聴者を熱狂させる術を熟知している。
「はぁ……やっぱり、すごいなぁ。私なんかが配信して、いいんでしょうか……」
フィリアが、ぎゅっと自分の剣の柄を握りしめる。
さっきまであった小さな自信が、太陽の前の蝋燭のように溶けかけていた。
俺は、そっと彼女の背中に手を添えた。
「フィリアさん」
「は、はい」
「彼女は『完成形』です。武道館を満員にするトップスターです」
「ぶどう……?」
「でも、彼女にも『最初』はあったはずです。最初からあんなに輝いていたわけじゃない」
俺は、ルルシアの完璧な笑顔から視線を外し、フィリアの瞳をまっすぐ見た。
「俺たちは、俺たちの『現在地』を見せましょう。FランクにはFランクの、泥臭い輝き方があります」
「Fランクの、輝き方……」
「ええ。昨日のリハーサルを思い出してください。あのオッサン一人を、あなたは足止めした。今日はその続きをやるだけです」
フィリアは一度深く息を吸い込み、こくりと頷いた。
「……はい。行きます、ユウマさん」
◇
人混みを避け、迷宮入口の少し手前、岩陰のスペース。
俺たちはそこで最終準備を整えていた。
俺は魔晶球を胸元に固定する専用の革製ハーネスを締め直す。
これで両手が空き、自分視点の映像を安定して撮れる。
「じゃあ、始めますよ。今日の目標は『数字』じゃありません。『完走』して、無事に戻ることです」
「はいっ!」
フィリアが頬をパンと叩く。
俺は魔晶球に魔力を流し込んだ。
胸元が温かくなり、視界の端に薄い文字が浮かぶ。
『配信開始』
『視聴者数:1』
(お、早いな。たぶんブランさんか、ありがたいな)
同時に、迷宮都市のどこかにある石板にも、俺たちの姿が映っているはずだ。
俺が合図を送ると、フィリアは昨日の練習通り、カメラの少し上を見据えた。
体を斜めに。剣を見せる。
『……迷宮都市エルヴァの、風の片隅からこんにちは!』
少し緊張で声が上ずったが、ハキハキとした挨拶。
銀髪がふわりと揺れる。
『Fランク冒険者、魔法剣士のフィリア・ノアールです! 今日は初めて、迷宮の中から配信をしてみたいと思います』
視聴者数が『1 → 3』に増えた。
(よし、掴みはOKだ)
俺は小さく頷き、カメラのアングルを調整しながら、迷宮の口の中へと足を踏み入れた。
◇
迷宮一層・苔むした回廊。
外の喧騒が嘘のように、ひんやりとした冷気が肌を刺す。
天井は低く、壁には淡く光る苔がびっしりと生えている。
湿度は高く、遠くで水滴の落ちる音が響いていた。
俺の胸元の魔晶球が、前を歩くフィリアの背中を映し出す。
「フィリアさん、もう少し右へ。壁の苔が光源になるので、顔が明るく映ります」
「こ、こうですか?」
「そうです。剣に手を添えて、警戒しているポーズで」
小声で指示を出しながら進む。
視聴者数は『5』前後を行ったり来たりしている。
コメントもちらほら流れてくる。
『お、新人か?』
『魔法剣士?可愛いな! 装備は地味だけど』
『画質悪い』
その時、通路の先から青い塊が飛び出してきた。
スライムだ。一層の定番モンスター。
「……来ます!」
フィリアが反応する。
これまでの彼女なら、ここで無言のまま剣を振るって終わっていただろう。
でも、今は違う。
「フィリアさん、技名!」
「は、はいっ!」
彼女は一歩踏み込み、腰の剣を抜き放ちながら、はっきりと叫んだ。
「《風裂》!」
剣閃に風が纏う。
銀色の軌跡が、飛びかかってきたスライムを空中で両断した。
パンッ、と水風船が割れるような音と共に、スライムが霧散する。
俺はすかさず一歩前に出て、残心を取るフィリアの横顔をフレームに収めた。
凛とした表情。少し乱れた銀髪。
『おお』
『今の剣速けっこう速かったぞ』
『ちゃんと技名言うの映える』
「ふぅ……」
フィリアが息を吐き、カメラを見て少し照れくさそうに笑う。
キリッとした戦闘モードから、いつもの「素」に戻る瞬間。
(よし、いいギャップだ)
この「落差」こそが、彼女の武器になる。
順調に進む中、コメント欄に一つ、異質な文章が流れた。
『◆lulu:初見。風魔法と剣のスイッチがスムーズだね。Fランクにしては所作が良い』
落ち着いたトーンのコメント。
他の「おー」とか「すげー」といった短い感想とは違い、明らかに技術的な視点が含まれている。
(……なんだこの人?)
ハンドルネームは『◆lulu』。アイコンはシンプルな炎のマーク。
俺がコメントに目を留めていると、フィリアもそれに気づいたらしい。
「あ、褒められちゃいました……えへへ」
戦闘中だというのに、フィリアの顔が緩む。
「顔! 締めて! まだ迷宮の中ですよ!」
「は、はいっ! すいません!」
慌ててキリッとした顔を作ろうとするが、口元がにやけている。
コメント欄に『にやけてるの草』『かわいい』と流れる。まあ、これはこれでアリか。
そんな少し緩んだ空気が流れた、その直後だった。
――ギャ、ギャギャッ。
通路の奥から、耳障りな笑い声が響いた。
俺の足が、反射的に止まる。
背筋に冷たいものが走る。この声は、忘れもしない。
「……ゴブリン」
フィリアが剣を構え直す。
暗がりから現れたのは、三体のゴブリン。
二体は錆びたナイフや棍棒を持っている。
だが、問題は最後尾にいる一体だ。
そいつの手には、粗末な弓が握られていた。
(……弓兵!?)
弓兵なら距離があっても、俺を仕留めることができる。
撮影中に攻撃をされたら、最悪、死だ。
心臓がドクンと嫌な音を立てる。
泥の臭い。迫る刃。死の恐怖がフラッシュバックして、足がすくむ。
フィリアも気づいたようだ。
「ユウマさん、下がってください! 私が前に出ますから、物陰に――!」
彼女が俺を庇うように立ち位置を変えようとする。
それは正しい判断だ。非戦闘員を守るのは冒険者の鉄則だ。
だが――プロデューサーとしては、最悪の判断だ。
(今俺が隠れたら、カメラはどうなる?)
俺が物陰に隠れれば、画面には「岩の裏」しか映らない。
その間、フィリアは一人で戦うことになる。
視聴者は「何が起きているか分からない」まま、ただ悲鳴と戦闘音だけを聞かされる。
それは「放送事故」だ。
(俺は戦えない。魔法も使えない。ステータスはオールFだ)
震える膝を、無理やり掌で叩く。
(でも、カメラを回すことだけはできる!)
「下がるな!」
俺は叫んだ。
フィリアが驚いて振り返る。
「前を見ろ!フィリアさん!」
「で、でも、弓が……!」
「関係ない! 君なら弾ける! 俺はここから一番いい画を撮る。だから君は、目の前の敵を斬ることだけに集中しろ!」
俺は逃げるどころか、あえて一歩踏み込んだ。
敵とフィリアが一直線になるライン。矢が飛んでくるかもしれない、一番危険な射線。
そこが、彼女の戦いを一番美しく撮れる特等席だ。
俺の覚悟が伝わったのか、フィリアの迷いが消えた。
「……はい!」
彼女は正面に向き直る。
ゴブリンの弓兵が、汚い笑みを浮かべて弦を引き絞った。
ヒュッ、と乾いた音。
矢が放たれる。俺の顔のすぐ横を狙う軌道。
怖い。でも、カメラは逸らさない。
「――はぁっ!」
フィリアが踏み込んだ。
風を纏った剣が、下から上へと跳ね上げられる。
カィンッ!
火花と共に、矢が弾き飛ばされた。
完璧なパリィ。
そのままの勢いで、フィリアは前衛のゴブリン二体の間を風のようにすり抜ける。
「《風裂》・連!」
横薙ぎの一閃。
風の刃が、弓兵ごと三体のゴブリンをまとめて薙ぎ払った。
ズバァン、と音が重なり、ゴブリンたちが吹き飛ぶ。
俺は、その一連の動きを――矢を弾き、踏み込み、斬り伏せるまでの数秒間を――完璧なフレームで捉えていた。
ゴブリンが光の粒子となって消えていく中、フィリアがザッ、と音を立てて着地し、振り返る。
「……か、勝ちました……!」
へなへなと座り込みそうになりながら、カメラに向かってぎこちないピースサイン。
緊張の糸が切れた、とびきりの笑顔。
俺は大きく息を吐き出し、画面のログを確認した。
『うおおおおお』
『今のパリィ見た!?』
『カメラマン命知らずかよw』
『矢が画面突き破るかと思った』
『この魔法剣士、ガチだ』
視聴者数が跳ね上がっている。
『3』だった数字が、一気に『15』を超えていた。
興奮するコメント欄の中に、再びあの名前が静かに現れた。
『◆lulu:最近、一層に弓兵が出る確率が上がってるね……何か、変化が起こっているのかも』
まるで現場を知っているかのような、意味深な呟き。
そして次の瞬間、画面を鮮やかな金色のエフェクトが横切った。
『支援コイン:+1(from ◆lulu)』
「あ……!」
フィリアが声を上げる。
「コイン……! ユウマさん、コインもらえました!」
「ええ、見ましたよ」
俺は頷き、震える手で魔晶球を支え直した。
たった一枚。でも、これは命がけで撮った一枚だ。
「ありがとうございます。……ユウマさんが、逃げないでいてくれたから」
フィリアが、少し潤んだ瞳でこちらを見る。
「言ったでしょう。俺はあなたのプロデューサーですから」
俺は平静を装って笑ってみせたが、背中は冷や汗でびっしょりだった。
◇
配信を終え、迷宮の外に出ると、日はすでに傾きかけていた。
広場はまだ冒険者たちで賑わっている。
その片隅で、撮影を終えたらしい「炎のルルシア」が、スタッフらしき人たちと談笑しているのが見えた。
彼女はふと、視線を感じたのかこちらを振り向いた。
目が合った――気がした。
彼女はフィリアのボロボロの姿と、俺の胸元の魔晶球を見て、ほんの少しだけ口元を緩めたように見えた。
すぐにプイと顔を背け、赤髪を翻して去っていく。
「……いつか、あんなふうになれるでしょうか」
遠ざかる背中を見つめながら、フィリアが呟く。
「なれますよ。フィリアさん。そのためにも、今日のログを見ながら、反省会です」
「ええーっ!? 勝ったのに反省会ですか!?」
「勝ったからこそ、ですよ。もっと良くできるポイント、山ほどありましたから」
「うぅ……お手柔らかにお願いします……」
俺たちは並んで、夕暮れの迷宮都市へと歩き出した。
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