第2話「俺は無能。でも、プロデューサーなら戦える」
翌朝。
安宿の硬いベッドで目を覚ました俺は、全身の筋肉痛と戦いながら、フィリアと共に大通りを歩いていた。
昨日のゴブリン襲撃のダメージと、慣れない異世界の環境。
体は鉛のように重いが、頭だけは妙に冴えている。
「あの、ユウマさん。体、大丈夫ですか? 歩くの辛かったら肩貸しますけど……」
隣を歩くフィリアが、心配そうに俺の顔を覗き込む。
彼女は今日も、丁寧に手入れされた革の胸当てと、腰の細身の剣を身につけている。
朝日を浴びた銀髪が眩しい。
「気持ちはありがたいですけど、そこまで落ちぶれてないつもりですよ」
俺は苦笑いして肩をすくめた。
昨日の転移直後、ゴブリンに追い回された時の身体感覚。あれは完全に「運動不足の一般人」のそれだったが、プライドだけでなんとか足を動かす。
「それより、まずは現状把握です。俺のステータス確認と、今後の活動方針の決定。まずはそこからでしょう」
「はい! 冒険者ギルドに行けば、正式な登録と測定ができます!」
フィリアが案内した先には、石造りの重厚な建物が鎮座していた。
看板には剣と盾、そして杖の紋章。
――冒険者ギルド。
昨日は緊急の身元引受だけで裏口のような場所を通されたが、正面から入るのはこれが初めてだ。ファンタジーの定番施設だが、俺にとってはここが最初の「営業所」になる。
重い扉を開けると、朝の喧騒が熱気となって押し寄せてきた。
依頼掲示板に群がる冒険者たち。昨夜の配信の反省会をしているパーティ。装備の自慢話で盛り上がる戦士たち。
(……なるほど。雰囲気は悪くない)
俺たちはその人波を抜けて、奥にある受付カウンターへと向かった。
「――はい、次の方どうぞ」
カウンターの中にいたのは、茶色の髪をポニーテールにまとめた女性だった。
縁の細い眼鏡の奥にある琥珀色の瞳が、手元の書類からこちらへと向けられる。
パリッとした制服を着こなし、背筋がすっと伸びている。
一目で「仕事ができる」と分かるオーラ。このギルドを取り仕切っている人の一人だろうか。
「おはようございます。新規登録と、ステータス確認をお願いしたいんですが」
俺が声をかけると、彼女は眼鏡の奥で少しだけ目を細めた。
「見ない顔ですね。……服装からして『異郷落ち』の方ですか?」
「ええ、まあ。昨日着いたばかりで」
「なるほど。フィリアちゃんの紹介ってことは、悪い人じゃなさそうね」
彼女は事務的ながらも、どこか親しげな口調でフィリアに微笑みかけた。
フィリアが慌てて「あ、はい、ベルナさん!ユウマさんは良い方だと思います……たぶん」と頭を下げる。
ベルナさんは、手慣れた動作でカウンターの上に測定用の魔道具を置いた。
「この上に手を。あなたの『魂の盤石』の情報を読み取ります。これであなたの能力値が丸わかりになりますから、覚悟してくださいね?」
「お手柔らかにお願いします」
俺は深呼吸をして、石板に右手を乗せた。
じん、と熱いものが掌から流れ込んでくる感覚。
数秒後。
空中にホログラムのような光の文字が浮かび上がった。
『名前:ユウマ(片城悠真)
種族:人族
年齢:28
職業:なし
体力:F
筋力:F
魔力:F
敏捷:F
耐久:F
スキル:なし』
「…………」
俺と、フィリアと、ベルナさんの三人の間に、完璧な沈黙が落ちた。
「……ある意味、芸術的ですね」
最初に口を開いたのはベルナさんだった。
眼鏡のブリッジをくいっと上げながら、呆れたような、それでいて面白がるような声で言う。
「ここまで見事に『オールF』が並ぶのも珍しいですよ。そこの農家の子供でも、もう少し得意分野があるものですけど」
「やかましいわ」
俺は思わずツッコミを入れた。
予想はしていたが、視覚化されるとダメージがでかい。
「ユ、ユウマさん! だ、大丈夫です! Fは『フレッシュ』のFですから! これから伸びしろが……!」
フィリアが必死にフォローしてくれるが、その視線が泳いでいる。
「無理しなくていいですよフィリアさん。自覚はありましたから」
俺はため息交じりに自分のステータスを見上げた。
戦闘力皆無。魔法適性ゼロ。
要するに、この世界で一人で生きていく力は「ない」ということだ。
「で、どうします? このステータスで迷宮に入るのは、自殺志願者として処理してもいいレベルですけど」
ベルナさんが、手元の書類をトントンと整えながら聞いてくる。
その目は笑っているようで、底の部分で真剣にこちらの覚悟を問うていた。
「入りますよ。ただし、戦うためじゃありません」
俺は即答した。
「俺の役割は『記録係』兼『マネージャー』です。魔物とは戦いません。戦うのは――」
俺は隣のフィリアを見た。
「彼女です」
フィリアが、ビクッと肩を震わせた。
「フィリアさんの後ろで、配信の管理と指示出しをする。それが俺の仕事です。そういう登録はできますか?」
ベルナさんは琥珀色の瞳を細め、俺とフィリアを交互に見た。
そして、ふっと小さく笑う。
「……なるほど。『サポーター』枠での登録ですね。可能です。ただし、サポーターだからといって魔物が手加減してくれるわけじゃありませんよ?」
「分かってます。逃げ足だけは鍛えておきます」
「ふふ、いい心がけね」
ベルナさんは手早く書類を作成し、俺に渡した。
堅物そうに見えて、こういうノリは嫌いじゃないらしい。
「手続き完了です。――フィリアちゃん、大変そうだけど、頑張りなさいよ? 荷物が増えたぶん」
「あ、はいっ! が、がんばります……!」
フィリアは直立不動で敬礼した。
◇
ギルドを出た俺たちは、街の喧騒から少し離れた路地裏にある、古びた酒場の前に来ていた。
ここはまだ開店前で、人通りも少ない。
店先には、配信視聴用の石板と、配信者用の小さな台座が置かれている。
練習にはうってつけの場所だ。
「さて、フィリアさん」
「は、はい!」
俺が声をかけると、フィリアは反射的に背筋を伸ばした。
その手は、無意識に腰の剣の柄を握りしめている。緊張している時の癖らしい。
「まずは現状の確認です。なぜ、フィリアさんの配信は人が来ないのか」
「うっ……」
フィリアが呻き声を上げて縮こまる。
「そ、それは……私が地味で、トークも下手で、見てて眠くなるからで……」
「違います」
俺はきっぱりと否定した。
「え?」
「素材は最高です。剣の腕もいい。問題は、『視聴者があなたをどう見ていいか分からない』ことなんです」
昨日の自己紹介を思い出す。
自信なさげに俯き、ボソボソと喋り、目が泳ぐ。
これでは、視聴者は「応援したい」と思う前に「見ていて不安」になってしまう。
「いいですか。人は、自信のない人間に時間は使いません。でも、完璧な人間を見たいわけでもない」
「ど、どういうことですか……?」
「『頑張ってる途中』が見たいんです。だから、弱さを隠す必要はない。でも、卑屈になっちゃダメです」
俺は、店先の台座を指差した。
「とりあえず、リハーサルをしましょう。まずは挨拶からです」
「あ、挨拶……」
「昨日の自己紹介、もう一度やってみてください」
フィリアはおずおずと台座の前に立ち、手にした魔晶球に向かって口を開いた。
「え、えっと……Fランク冒険者のフィリアです……。今日は、その……よろしくお願いします……」
視線は足元。声は蚊の鳴くよう。剣の柄を握る手が白くなっている。
これだ。この「申し訳なさそうなオーラ」が、彼女の輝きを消している。
「ストップ」
俺は手を叩いた。
「まず、視線。下を見ない。カメラ――魔晶球の少し上を見てください」
「こ、こうですか?」
フィリアが顔を上げる。
透き通った青い瞳が露わになる。それだけで画面の輝度が上がった気がする。
「そうです。次に姿勢。剣の柄を握りしめない。それじゃあ今から人斬りに行くみたいです」
「あ……」
フィリアが慌てて手を離す。
「手は前で組むか、軽く胸に当てる。そして、ここが重要です」
俺は一歩近づき、彼女の立ち位置を修正した。
「真正面すぎます。少し体を斜めにして、腰の剣が見えるようにしてください。あなたは『魔法剣士』なんだから、武器はあなたの体の一部です」
「は、はい……」
体を斜めにすることで、腰のラインと剣のシルエットが綺麗に出る。
銀髪が肩にかかり、光を反射する。
(よし。画角は完璧だ)
「で、セリフです。『えっと』『その』は禁止。
第一声は、場所と名前をはっきり言いましょう」
「え、ええと……『ここはエルヴァの裏通りです、フィリアです』?」
「硬いですね。もう少しフックが欲しい……」
俺は少し考え、昨日の彼女との出会いを思い出した。
風のような一撃。凛とした佇まい。
「……こうしましょう。
『迷宮都市エルヴァの、風の片隅からこんにちは』」
「か、風の片隅……?」
「意味なんてなんとなくでいいんです。大事なのは、あなたが『風』の魔法剣士だって印象付けること。そして、ちょっと詩的な響きで耳に残ること」
アイドルプロデュースの鉄則。キャッチコピーは雰囲気重視。
「やってみましょう。視線は上。剣を見せる。笑顔は無理に作らなくていいので、口角だけ3ミリ上げてください」
「さ、3ミリ……!?」
フィリアは困惑しながらも、言われた通りに構えた。
深呼吸を一つ。
「め、迷宮都市エルヴァの、風の片隅からこんにちは。……Fランク冒険者の、フィリア・ノアールです」
声が震えている。でも、顔は上がっている。
銀髪が風に揺れ、青い瞳がまっすぐ前を見ている。
「……悪くない」
その時だった。
「――ほう?」
背後から、低いしわがれた声がした。
振り返ると、酒場の軒先のベンチに、一人の男が座っていた。
使い古された革のジャケット。無精髭。
足元には空になった安酒の瓶が転がっている。
ただの酔っ払い――にしては、目が妙に鋭い。
まるで、こちらの力量を値踏みするような視線だ。
「あ、ブランさん……」
フィリアが萎縮して肩をすくめる。
どうやら顔見知りらしい。
「練習か? いつものボソボソ喋りはやめたのか」
ブランはニヤリと笑い、あごでしゃくった。
「悪くねえ挨拶だ。少なくとも、いつもの葬式みたいな配信よりはな」
「うぐっ……」
「でもよ、カメラ回ってねぇところでいくらカッコつけても意味ねぇぞ」
ブランは瓶に残った最後の一滴を飲み干すと、ふん、と鼻を鳴らした。
「目の前にいる客一人も満足させられねぇで、画面の向こうの何千人を相手にできるかよ」
「……っ」
フィリアが息を呑む。
痛いところを突かれた顔だ。
俺は、小さく口角を上げた。
いいことを言う。このオッサン、ただの酔っ払いじゃない。
「ユウマさん……」
フィリアが不安げに俺を見る。
「チャンスです」
俺は小さく頷いた。
「最初の一人がここにいます。しかも、かなり辛口の。彼を納得させられたら、第一歩は成功です」
「……はいっ」
フィリアは覚悟を決めたように、俺の持つ魔晶球に向き直った。
ブランが腕を組んでこちらを見ている。
配信も、魔力も通っていない。
ただの「生身のパフォーマンス」だ。だからこそ、誤魔化しが効かない。
「いきましょう、フィリアさん」
俺はカメラの死角から合図を送った。
フィリアが息を吸い込む。
剣の柄を握りそうになる手を、ぐっとこらえて胸の前へ。
体を斜めに。顔を上げて。
ブランの鋭い視線が突き刺さる。
いつもなら、ここで萎縮して俯いていただろう。
でも、今は――。
「――迷宮都市エルヴァの、風の片隅からこんにちは!」
声が、路地に響いた。
昨日よりワントーン高く、通る声。
「Fランク冒険者、魔法剣士のフィリア・ノアールです」
青い瞳が、魔晶球のレンズ越しに、その向こうにいるブランを見据える。
それは、昨日の「怯えた少女」の目ではなく、獲物を前にした「剣士」の目に近かった。
数秒の沈黙。
路地の風が、フィリアの銀髪を揺らす。
「……これから迷宮に潜ります。今日は、ユウマさんと一緒に」
フィリアが、画面外の俺にちらりと視線を送る。
俺は親指を立ててみせた。
「Fランクの私ですけど、強くなるところ、見ててくれたら嬉しいです!」
言い切った。
フィリアは肩で息をしながら、ポーズを崩さない。
「……ふん」
ブランが、組んでいた腕を解いた。
ゆっくりと立ち上がり、空の瓶を放り投げてゴミ箱に入れる。
「ま、いつもの『あー……えっと……』よりはマシだったな」
ぶっきらぼうに言い捨てて、店の中へと消えていく。
その背中は、ほんの少しだけ機嫌が良さそうに見えた。
「……はぁぁぁぁ」
ブランの姿が見えなくなった瞬間、フィリアはその場にへたり込んだ。
「し、死ぬかと思いました……心臓が口から出るかと……」
「よくやりました」
俺は彼女に手を差し伸べた。
「あのオッサン、文句言わずに最後まで見てましたよ。合格ってことです」
「ほ、本当ですか……?」
「ええ。目の前の辛口な客を逃がさなかったんです。自信持っていい」
フィリアが俺の手を借りて立ち上がる。
その手はまだ小刻みに震えていたが、握り返す力は強かった。
「……最後まで見ててくれたのが、なんかすごく……嬉しいです」
「それが『手応え』ってやつです」
俺は笑った。
「さあ、行きましょうか。プロデュースはまだ始まったばかりです」
「はい!」
俺たちは並んで歩き出した。
目指すは街の中央。天を突く巨木、世界樹迷宮。
ステータスはオールF。
タレントはあがり症のFランク。
手持ちは、たった一人の観客からの無言の合格点と、折れない覚悟だけ。
上等だ。
ここから全部、ひっくり返してやる。
読んでいただきありがとうございます!!
ブクマや、評価をいただけると、とても励みになります。
皆さんに物語を楽しんでいただけるよう頑張ります!




