第15話「紫電の猛攻と、コメント欄の軍師たち」
紫色の雷光が、森の闇を裂いた。
《紫電の魔狼ヴァイオレット・ヴォルグ》が身を沈めた瞬間、空気そのものが「襲って」きた気がした。
音が消えた森。俺たちの呼吸だけがやけに大きい。
「……来るぞッ!」
俺の叫びより速く、魔狼は消える。
いや、消えたように見えただけだ。
次の瞬間――
ガギィィン!!
「ぐぅ、おおおおぉッ!!」
ガルドの黒鉄の大盾に、紫の爪撃が叩きつけられた。
ただの斬撃じゃない。爪が触れた瞬間、雷が爆ぜる。盾の表面に紫の稲妻が走り、ガルドの腕にまで噛みついてくる。
「っ……! 熱……っ!」
黒鉄の盾が、熱で唸りを上げた。
焦げた匂い。鎧の隙間から白煙が立ち上る。
『うわああああ』
『爪で雷って何だよ』
『盾が燃えてるんだが!?』
俺は魔晶球を落とさないよう、両手に力を込めた。
画面の端で、視聴者数がじわじわと増えていく。
『視聴者数:268』
……増え方が、いつもと違う。
「フィリアさん! 離れて!」
「は、はいっ!」
フィリアが踏み込もうとした瞬間、魔狼の毛並みが紫に明滅した。
――バチバチバチッ!!
放電。
毛皮そのものが鎧になっていて、近づくだけで雷が噛みつく。
「くっ……《風裂》!」
銀の刃が走る。
だが、魔狼の身体に触れた瞬間――弾かれた。まるで見えない壁に叩き返される。
「嘘……!? 通らない……!」
「雷の鎧だね」
リンが落ち着いた声で言いながら、矢をつがえる。
狙いは完璧。風精霊が矢の軌道を導く。
ヒュン――ッ!
矢は当たった。確かに毛並みに食い込んだ。
だが、次の瞬間。
――ジュッ。
矢が焼け落ちた。
「……弾かれる、というより……殺されてる」
リンが珍しく眉を寄せる。
あの余裕が、もうない。
「ガルド! 下がらないで! 足を止めなさい!」
セラフィーナが杖を構え、息を吸い込む。
「聖歌【堅牢なる守り】――!」
透き通る歌声が、森の湿気を切り裂く。
淡い光がガルドの鎧に絡みつき、雷の熱を押し返すように守りを固めた。
ガルドの呻きが、わずかに楽になる。
「……助かる、セラ……!」
「当たり前でしょ、壁が崩れたら全員死ぬのよ!」
言葉はキツい。
でも、声が――ほんの少し震えていた。
魔狼が低く唸る。
「グルゥゥゥ……」
次の攻撃は、爪じゃない。
身体をひねり、尾を振る。尾先から紫電が鞭みたいに伸び――空間を叩く。
ズァンッ!!
真空刃みたいな衝撃が走り、木々の幹がまた両断された。
「ッ……!」
フィリアが反射で避ける。だが足元がぬかるむ。
新装備の軽さがあっても、森の根と泥が、彼女のリズムを奪う。
「フィリア、無理に近づくな! 今は――」
俺が言い終える前に、魔狼が顔をこちらへ向けた。
目が合った。
金色の瞳。
感情がない。俺たちを「獲物」として見ているだけだ。
背筋が凍る。
『やばい…カメラ目線来た』
『こっち見んなwww』
『笑えねえって』
次の瞬間――魔狼が消えた。
……違う。俺の視界から外れただけだ。
「ユウマ!」
リンの声で、俺は反射的に体をひねる。
――バチィィッ!!
紫の爪が、俺のすぐ横の空間を裂いた。
もしリンが叫ばなかったら、俺の胸は今、開いていた。
「う、わ……っ!」
足がすくむ。
カメラが震える。
「ユウマさん!」
フィリアが伸ばした手を、セラフィーナが叩き落とす。
「前見なさい! 今その子が倒れたら、歌が止まる!」
「でも……!」
「今は、私が守る!」
セラフィーナの声がまた高くなる。
喉が限界に近い証拠だ。
彼女は知っている。
今の歌を止めたら、ガルドが焼ける。
ガルドが崩れたら、フィリアが斬れない。
リンの矢も、狙いを作る時間がない。
そして――俺が死ぬ。
だから歌を止められない。
でも。
(このままだと、ジリ貧……)
セラフィーナの目が、ほんの一瞬だけ歪んだ。
攻撃歌――《戦神の咆哮》に切り替えれば、突破できる可能性がある。
フィリアの一撃で鎧を貫けるかもしれない。
だが、歌を変えるには“空白”が出る。
数秒のブランク。
その数秒で、ガルドは――。
「……切り替えられない……!」
セラフィーナが噛みしめるように吐いた。
普段の尊大さが消え、ただの必死な少女になる。
ガルドは、雷を受けながら笑った。
「……いい。今は守りでいい……ッ!」
「黙って耐えなさいよ! 死んだら許さないんだから!」
「ははっ……理不尽だな……ッ!」
笑い声は、すぐに咳に変わった。
血が混じった唾が、盾の内側に飛ぶ。
やばい。
このままじゃ本当に――。
その時、魔晶球の数字が跳ねた。
『視聴者数:412』
コメント欄が、異常な速度で流れ始める。
『拡散されて来た』
『ネームドってマジ?』
『これ今リアルタイム?』
『ギルド酒場で全員見てるw』
『死ぬぞ! 逃げろ!』
……拡散された。
「Dランク配信者がネームド遭遇、ガチで死にそう」――それが街中に広がってる。
視聴者が増える。
怖い。
でも――今の俺たちにとって、それは「刃」になり得る。
(情報が来る……!)
俺は歯を食いしばり、叫んだ。
「みんな! 画面を見るな! 俺の声だけ聞け!!」
フィリアがハッと俺を見る。
ガルドは盾の奥で頷いた。
リンも、セラフィーナも、視線を“俺の声”に寄せた。
俺は魔晶球のコメント欄を凝視する。
流れる文字の洪水。
その中から、必要なものだけを掴む。
『視聴者数:589』
『◆lulu:バカ!! 右!! 右に飛べ!!!』
「右だッ!!」
俺が叫ぶと同時に、リンが俺の襟を引っ掴んで右へ引き倒した。
――ズァン!!
さっき俺が立っていた場所の木が、真空刃で切断されて倒れた。
間一髪。
「……助かった」
「礼は後で。今は、生きる」
リンの声が低い。
王子様の余裕が消えている。
『◆lulu:紫電の魔狼は雷を纏ってる間、物理はほぼ無効! 風裂が弾かれたのは障壁よ!!』
『◆lulu:大きく息を吸ったら全方位放電が来る! 絶対に固まるな!!』
「雷の鎧がある! 今は削れない!」
俺は叫ぶ。
「セラフィーナさん、守り継続! ガルドさん、雷を受け流して耐える! フィリアさんとリンさん、当てない! “待つ”!」
「待つ!? この状況で!?」
フィリアが悲鳴みたいな声を出す。
「待つしかない! 今殴っても無駄だ!」
コメントがさらに流れる。
『ブラン(広場のおっさん):盾の兄ちゃん! 足元見ろ! 泥だ! 雷は地面に逃がせる! スパイク刺せ!』
『盾のアース取れ! 接地だ接地!』
『右足引きずってる! 古傷あるぞ!』
『口の中光ったらブレス来る!!!』
俺の頭が高速回転する。
(雷を地面に逃がす……盾のスパイク……カレンさんが言ってた、盾の下部の“杭”……!)
「ガルドさん! 盾のスパイク、地面に刺して! アース取れ!!」
「……っ、分かった!!」
ガルドが膝をつき、盾の下部を腐葉土へ叩きつける。
ズブッと深く刺さる感触。
その瞬間――盾を走っていた紫電の一部が、地面へ逃げた。
ビリビリが、少しマシになる。
「……効く! 痺れが、減った……!」
「当たり前でしょ! 早く気づきなさいよ!」
セラフィーナが毒づきながら、歌を続ける。
声が掠れている。
喉が裂けそうでも、止めない。
視聴者数がまた跳ねた。
『視聴者数:817』
もう街全体が見てる。
怖いくらいの人数。
でも――今、俺たちは“ひとりじゃない”。
『◆lulu:障壁が消える瞬間がある! 最大放電の直後、再チャージまで「3秒」だけ毛並みが死ぬ! そこが勝機!!』
『◆lulu:その3秒で叩き込め! それ以外は無駄死に!!』
俺の背中に、鳥肌が立った。
「聞こえましたね!!」
俺は仲間に向けて、声を張り上げる。
「勝機は、放電の直後――“3秒”!! そこだけ、通る!!」
「……3秒……」
セラフィーナの目が、揺れる。
守りを続けるか。
攻めに切り替えるか。
答えは一つしかない。
でも問題がある。
歌を切り替えると、空白ができる。
その空白で、ガルドが死ぬ。
「……ユウマ」
セラフィーナが、震える声で言った。
「私が歌を止めたら……」
「分かってます」
俺は即答した。
「だから、“止めるタイミング”を作ります」
魔狼が、低く唸った。
身体の紫電が強くなる。明滅が速い。
これは――溜めだ。
『口光った!』
『吸うぞ! 吸うぞ!』
『ブレス来る!!!』
魔狼が、大きく息を吸い込んだ。
口元に紫の光が収束し、森の闇が染まっていく。
空気が焼ける匂い。毛が逆立つ。
「……来る!」
俺は叫ぶ。
「全員! これが最大放電だ!! ガルドさん、受ける!!」
「正気か!? 死ぬぞ!」
セラフィーナが叫ぶ。
声が割れる。
俺はガルドを見る。
ガルドの顔は、焼け焦げて汚れている。
鎧の隙間から血が滲み、呼吸は荒い。
それでも――笑った。
「上等だ」
血を吐きながら、ニヤリと。
「後ろの連中に指一本触れさせねぇのが、俺の仕事だろ」
「ガルドさん……!」
フィリアの声が震える。
セラフィーナは、歯を食いしばって――歌を止めた。
ピタリ、と守りの旋律が途切れる。
一瞬の静寂。
その“空白”が、恐ろしく重い。
「死んだら許さないから……!」
セラフィーナが涙目で叫び、次の歌のために息を吸い込む。
攻撃歌へ切り替える準備。
ガルドは盾のスパイクを地面にさらに深く叩き込み、咆哮した。
「来いよ、化け物!! 俺は――壁だぁぁぁぁッ!!」
魔狼の口が開く。
紫色の世界が、俺たちを飲み込む。
――――――――。
眩い閃光で画面が塗り潰される、その瞬間。
『◆lulu:――今!!』
コメントが真っ赤に燃えた。




