第11話「冒険者ランク昇格試験」
二層での「水没回廊」攻略から数日。
俺たちの配信は、順調そのものだった。
視聴者数はアベレージで150人前後。調子が良いときは200人に届くこともある。
だが、数字が伸びれば、必ず湧いてくるものがある。
「アンチ」と「やっかみ」だ。
「――けっ。気に入らねえな」
ギルド併設の酒場。
俺たちが打ち合わせをしているテーブルのすぐ近くで、わざとらしい大声が上がった。
「見たかよ、昨日の配信。Fランクの小娘が中ボス倒しただと? あんなのどうせ『演出』だろ」
「だよな。魔物を弱らせておいて、最後だけイイとこ取りしたに決まってる」
「落ちぶれた『炎上聖歌術士』と、万年Eランクの『木偶の坊』が組んでるんだぜ? まともな攻略なんてできるわけねえって」
下卑た笑い声が、酒場の空気を濁らせる。
フィリアが悔しそうに唇を噛み、膝の上で拳を握りしめた。ガルドは無表情を装っているが、ジョッキを持つ手に血管が浮いている。
そして――一番沸点の低い女が、黙っているはずがなかった。
「……あぁ? 聞こえてんのよ、さっきから」
セラフィーナが、ガタンと音を立てて椅子を蹴った。
清楚な白ローブから放たれる、氷点下の殺気。
「ちょっと表出なさいよ。アンタたちのその腐った根性、私の光魔法で浄化してあげるわ」
「よ、よせセラフィーナ!」
ガルドが慌てて止めるが、彼女の怒りは収まらない。
「離しなさいガルド! 悔しくないの!? アンタたちがナメられてるってことは、私まで『三流』扱いされてるってことなのよ! 私のブランドに泥を塗る奴は許さないわ!」
彼女は自分のプライドにかけて、仲間の不当な評価が許せないのだ。
その剣幕に、野次を飛ばしていた男たちも少し怯むが、すぐにニヤニヤと笑い返してくる。
「へえ、口だけは達者だな。なら証明してみろよ。『ランク』でな」
男の一人が、自分の首から下げた『Dランク』のプレートを見せびらかした。
「配信のお遊びじゃなくて、ギルド公式のランクだよ。FランクとEランクが何を言っても、負け犬の遠吠えにしか聞こえねえんだよ」
Dランク。一人前の冒険者として認められるラインだ。
今の俺たちのランクは、フィリアはF、ガルドはE。
実力がどうあれ、客観的な「格」は彼らの方が上だ。
「……ッ」
セラフィーナが言葉に詰まる。
「……分かりました」
俺は静かに立ち上がった。
「証明しましょう。ぐうの音も出ない形で」
俺はフィリアとガルドを見た。
「受けに行きますよ。昇格試験を」
◇
冒険者ギルドの受付カウンター。
俺たちが意気込んで試験の申し込みをすると、ベルナさんは困ったように眼鏡の位置を直した。
「昇格試験、ですか……。お二人の最近の活躍なら、受ける資格は十分にあります。ただ……」
「ただ?」
「タイミングが悪いです。今日の試験担当官は……『鉄槌のボルツ』教官なんです」
ベルナさんが視線を向けた先。
訓練場の入り口に、岩のような厳つい男が腕組みをして立っていた。
眼光は鋭く、全身から「軟弱者は許さん」というオーラが出ている。
「ボルツ教官?」
俺が聞き返すと、ベルナさんは声を潜めた。
「ギルドいちの石頭にして、極度の『アンチ配信者』です。彼は公言しています。『冒険は遊びじゃない。カメラの前でヘラヘラしている連中に、上のランクをやるつもりはない』と」
「……なるほど。完全アウェイってわけですか」
俺は苦笑した。
試験官が最初からこちらを落とすつもりなら、普通のやり方では通じない。
だが、フィリアが一歩前に出た。
「受けます。……私、逃げたくありません」
その瞳は、いつもの怯えた色ではなく、澄んだ青色をしていた。
「私たちがちゃんと強いってこと……信じてくれる人たちのためにも、証明したいです」
「……俺もだ」
ガルドも、無骨な黒盾を背負い直す。
「『木偶の坊』って呼ばれるのは慣れてるが、今のパーティを馬鹿にされるのは我慢ならねぇ」
二人の覚悟は決まっていた。
俺にできることは、彼らを信じて送り出すことだけだ。
「行ってらっしゃい。……今のあなたたちなら、何も心配いりません」
俺は二人に告げた。
「カメラがない分、あなたたちはもっと強いはずですから」
◇
訓練場には、噂を聞きつけた野次馬たちが集まっていた。
さっき酒場で絡んできたDランクの男たちもいる。
「配信者パーティが恥をかきに来たぞ」「ボルツ教官に絞られるのが見ものだな」という意地の悪い視線が刺さる。
試験官のボルツが、蔑むような目で二人を見下ろした。
「Fランクのフィリアに、Eランクのガルドか。……配信で小銭を稼いでいるそうだな」
ボルツは、足元の砂を靴底でグリグリと踏みにじった。
「ここは神聖な訓練場だ。お遊びの撮影会なら、森へ帰れ」
「遊びじゃありません」
フィリアが、凛とした声で返した。
「試験をお願いします」
「……フン。口だけは一人前か。なら、まずは貴様からだ、小娘」
ボルツが木剣を構える。
殺気が膨れ上がる。歴戦の冒険者が放つ、本物の圧力。
試験開始。
ボルツの踏み込みは速かった。
一瞬で間合いを詰め、強烈な突きを放つ。
「くっ……!」
フィリアが下がる。
野次馬から「ほら見ろ」「逃げてばっかじゃねえか」と失笑が漏れる。
だが、俺は観客席で、ただ黙って見守った。
(見せてやれ、フィリアさん)
ボルツの剣技は鋭い。教科書通りにして最高峰の、無駄のない剣術だ。
フィリアは防戦一方に見える。
だが、その瞳は死んでいない。
フィリアは無意識に思考していた。
『今、右に逃げたらカメラに背を向けることになる』
『ここで下がったら、画角から外れる』
『一番美しく見える位置は――ここだ』
彼女の中で、「生存本能」と「プロデュースされた美学」が融合する。
「――《風》!」
フィリアの足元に風が巻く。
ボルツの突きが、彼女の鼻先をかすめる。
普通なら、後ろに飛んで避ける場面。
だが、彼女は「前」に出た。
「なにっ!?」
ボルツが目を見開く。
逃げると思っていたひ弱そうな少女が、肉食獣のような鋭さで、最短距離を駆け抜けてきたからだ。
フィリアの視界には、ボルツの動きがスローモーションに見えていた。
――違う。
『カメラ越しに見る自分』を客観視し続けてきた彼女は、今、自分と敵の位置関係を、まるで上空から俯瞰するように把握しているのだ。
「そこですッ!」
フィリアの剣が閃く。
刃ではなく、剣の「腹」で、ボルツの木剣を横から叩く。
カィン! と甲高い音が響き、教官の剣が跳ね上がった。
ガラ空きになった胴。
フィリアは剣を振るわず、流れるような動作で体ごとぶつかっていく。
風の加速を乗せた、渾身の体当たり(ショルダータックル)。
華奢な少女の一撃と侮るなかれ。
それは、ダンジョンを駆け抜けてきた脚力が生み出す衝撃だ。
「ぐぅっ……!?」
ボルツがたたらを踏む。
その喉元に、いつの間にかフィリアの剣先が突きつけられていた。
「……勝負あり!」
審判の声が響く。
静まり返る訓練場。
誰もが言葉を失っていた。Fランクの動きではない。それは、戦場を「舞台」に変えてしまうほどの、鮮烈な一撃だった。
「……次、ガルド!」
ボルツが顔を紅潮させ、吠えた。
まだ終わっていない。彼はプライドを傷つけられ、本気になっていた。
ガルドがゆっくりと前に出る。
手には、愛用の黒鉄の大盾。
「盾役か。……貴様もどうせ、後ろから援護してもらうだけの腰抜けだろう!」
ボルツが猛攻を仕掛ける。
嵐のような連撃。ただの試験官としての手加減を超えた、感情的な攻撃だ。
だが、ガルドは動かない。
表情一つ変えず、最小限の盾の動きで、すべてを弾き、逸らし、無効化していく。
――ガィン、ドォン、ガッ。
重い音が響くたび、ボルツの手が痺れ、呼吸が乱れていく。
攻撃しているはずのボルツが、なぜか追い詰められていくように見える。
「攻撃してこい! 反撃もしないで、勝てると思っているのか!」
ボルツが挑発する。
EランクからDランクへの昇格要件には、「ソロでの討伐能力」も含まれることが多い。攻撃手段を持たない盾役は、ここで落とされるのが常だ。
しかし、ガルドは静かに言った。
「俺は盾だ。攻撃はしねぇ」
「なにっ!?」
「だが――勝つことはできる」
ガルドが、一歩踏み出した。
攻撃ではない。「前進」だ。
巨大な質量が、壁となって迫ってくる威圧感。
「ぐっ……!?」
ボルツが思わずたじろぐ。
その一瞬の隙を見逃さず、ガルドは盾を構えたまま、さらに距離を詰めた。
盾の裏から放たれる、強烈なプレッシャー。
攻撃しようと振り上げた剣が、盾の圧に押されて振り下ろせない。
「俺の仕事は、後ろに誰も通さないことだ。……攻撃なら、俺の最高の『矛』たちがやってくれる」
ガルドは、観客席にいる俺とセラフィーナ、そしてフィリアを一瞥した。
「一人で勝つ必要はねぇ。俺が立っていれば、俺のパーティは負けない。……それが俺の強さだ」
ボルツは、振り上げた剣を下ろすことができなかった。
完全に「気圧された」のだ。
攻撃を一度もしていないのに、勝負は決していた。
◇
「……合格だ」
ボルツは、苦虫を噛み潰したような顔で宣言した。
「配信者風情と侮っていたが……芯は腐っていないようだな」
野次馬たちも、もう誰も笑っていなかった。
さっきまで俺たちを馬鹿にしていたDランク冒険者たちは、顔を青くしてそそくさと立ち去っていく。
圧倒的な実力差を見せつけられ、何も言えなくなったのだ。
ギルドのカウンターに戻ると、ベルナさんが満面の笑みで迎えてくれた。
「おめでとうございます! あんなに静かになったボルツさん、初めて見ましたよ」
手渡された新しいプレート。
ガルドの手には『D』。
そしてフィリアの手にも――『D』の文字が刻まれていた。
「えっ……私、Dですか!?」
フィリアが目を丸くする。Eランクへの昇格のはずが、飛び級している。
「特例ですよ。あれだけの剣技と魔法の連携、ボルツ教官からも『FやEの器ではない』と強い推薦がありました」
ベルナさんがウィンクする。
「ガルドさんも文句なしのDランク昇格です。防御技術だけで相手を制圧するなんて、ベテランの領域ですから」
「やったぁ……!」
フィリアがプレートを抱きしめて跳ねる。
ガルドも、無骨な指でプレートの文字をなぞり、照れくさそうに鼻をこすった。
「ま、当然の結果ね」
セラフィーナが腕を組んで、ふんぞり返る。
「私の相方が、いつまでも下っ端じゃ困るもの。……よくやったわ、二人とも」
素直じゃない賞賛。でも、その顔は誰よりも誇らしげだ。
「よし! 今日は祝勝会ですよ! プロデューサーの奢りで!」
「えっ、やっぱり俺!?」
「当たり前でしょ。アンタが一番働いてないんだから」
理不尽なことを言われつつ、俺たちは笑いながら酒場へと向かった。
最高の気分だ。
アンチを黙らせ、実力を証明し、チームの絆も深まった。
これ以上のハッピーエンドはない。
――そう、思っていた。
酒場の扉を開けた、その瞬間までは。
バーンッ!!
けたたましい音と共に扉が開き、俺たちの目の前で、とんでもない修羅場が展開されていた。
「待ちなさいよリン!」
「私とあの子、どっちが大事なの!?」
「ボクを選んでくれるって言ったじゃない!」
三人の女性冒険者が、一人の人物を囲んで詰め寄っている。
その中心にいたのは、目を見張るような美女――いや、エルフだった。
淡いブロンドのショートヘア。中性的で整った顔立ち。
彼女は困ったように眉を下げ、しかしどこか優雅に微笑んでいた。
「えぇ……? ボクはただ、みんなの素敵なところを口にしただけで、そういう(恋愛的な)つもりじゃ……」
新たなトラブルの種が、そこに立っていた。




