悪役令嬢と言われていたらしい
グリム討伐を知らされた国民の熱狂は、一ヶ月経過しても続いていた。
セドリックが予告した通り、私は聖女として名前が知られ、静かな生活ができなくなっている。教会は私を聖女として迎え入れたいみたいだけど、歴代の聖女としての仕事は無くなったから、という理由で断っている。
利用されるのがわかりきっているところへ行く気はないわ。そもそも、大勢から注目されるのは苦手なのよ。私の行動全てを見られて、あることないこと騒ぎ立てられるから。そんな人生、一周目で嫌というほど経験したもの。
私の処遇については、先代の聖女様とレナルドが防波堤になってくれている。レナルドは王家の都合もあるでしょうけど。利害が一致しているから、いいのよ。私は自分が権力を持つことに興味はないから。何かあれば、すぐ矢面に立たされる立場は辛いもの。
そうそう、私とレナルドを結婚させる案が出ていたらしいけれど、セドリックが完膚なきまでに潰したらしいわ。提案した人は、今ではセドリックの姿を見るだけで動悸と息切れが酷くなるんですって。
何したのよセドリック。
私のことを「セーヴルの女神」って呼ぶ人が増えたんだけど。
グリムを討伐して地上へ戻ってから、私は引き続きサン・ベルレアン家で生活していた。
私の実家に、聖女に会いたい人達が押し寄せたのが原因よ。迂闊に姿を見せようものなら、彼らがどんな行動に出るのか分からない。サン・ベルレアン家の屋敷なら警備が行き届いているし、私に会うために侵入してくる者はいない――ってセドリックに説得されて、今に至るわ。
セドリックに丸め込まれて引き続き監禁されているような気がするわ。でもね、押し寄せた群衆の相手なんてできないから、早かれ遅かれこうなっていた気がする。
ともかく一連の騒動が片付いて、ようやく私はセドリックから死に戻りの真相を教えてもらった。
まさか私が覚えている一周目と現在の間に、試行錯誤のループがあったなんて。セドリックはその全てを記憶しているらしい。ループした回数は忘れたって言っているけれど、その気になれば正確な数を出せるでしょうね。
ときどき私が見ていた夢は、繰り返した過去の断片かもしれないわ。
「――これが、セドリックが使った指輪?」
私はテーブルの上に無造作に置かれた指輪を見た。銀色の表面には、隙間なく模様が刻まれている。魔術的な効果がある模様ね。細かすぎて見ていると目眩がしそうだわ。
この指輪は魔力を流した程度では扱えないらしいわ。まずサン・ベルレアン家の血族でなければ反応しない。さらに正しい魔術理論を知っていないと、ただの装飾が綺麗な指輪でしかないわ。
それでも使えるかどうかは、本人の資質による。ループする前のセドリックは、剣よりも魔術に比重を置いて鍛錬していたから扱えたのね。
「レティが死なず、グリムを消滅させたことでループは抜け出せたよ。もう一度、過去へ戻る魔術を使えって言われても無理だろうな。あの時は必死だったし、細かい発動条件までは覚えていないんだ」
「なおさら、セドリックがやろうとしたことを教えてほしかったわ。たった一人で頑張っていたなんて」
「レティに教えた過去もあったよ。結果は、まあ、散々だったね。レティが覚えている一周目なんて、可愛いものだよ」
セドリックだけが知っている過去の私は、かなり悲惨な最期だったようね。覚えていなくて良かったわ。お腹を刺された記憶だけでも恐ろしいのに。
私はもうセドリックに対して、殺された過去を思い出して震えるようなことはなくなった。彼が一周目ですれ違ってしまった原因を話してくれたから。一周目の素っ気ない態度が、今では過保護に変わった理由も判明した。
使用人に手紙を隠されていたなんて考えたことなかったわ。どうりで返ってきた手紙が当たり障りのない内容になるわけよ。
事情が分かれば恐怖心も薄れるわ。
セドリックはしばらく私と話したあと、名残惜しそうに職場へ出勤していった。
さあ、問題はここからよ。
グリムの脅威が去った今、私には聖女の肩書きが残ってしまった。でも顔は知られていないおかげで、目立つことをしなければ聖女に会いたい人達に囲まれることはないでしょうね。例えばメルシェローズ家の屋敷から堂々と出入りするような、迂闊なことよ。
久しぶりに領地でのんびり過ごしたい。王都見物だって、まだほとんどやっていない。つまり私は屋敷の外へ出たいのよ。
「ジーナ、外出しましょう」
私はジーナを呼んで、計画を実行に移すことにした。
「よろしいのですか?」
「大丈夫よ。頼りになる護衛を呼んでいるから」
ずっと屋敷に引きこもっているなんて不健康だわ。グリムがいなくなって敷地内なら自由に歩けるようになったけれど、変わり映えしない生活は暇でしょうがないの。
護衛はもちろんフルールにお願いしたわ。男性の護衛を連れて行って、誤解されたら嫌だもの。もし悪意を持った人が目撃したら、浮気したって噂を流されるかもしれないから。あの人達は、服装で護衛だと判別できても事実と逆のことを流布するのよ。重要なのは職業じゃなくて性別だから。
この手の悪意は、一周目で経験したから間違いないわ。
外出着に着替えた私は、フルールと待ち合わせをしている裏口へ向かった。グリムの討伐後、フルールは何度か私を訪ねてこの屋敷を訪れている。半分は話し相手として、もう半分は魔術のことを教えてもらっているの。グリムの鱗はもう飛散していないけれど、身を守る魔術は知っていても損はないから。
使用人達もフルールとは顔馴染みになっている。だから彼女が屋敷へ来ても、誰も不審に思わない。外出することは話していないけれど、魔術の練習で外出するかもしれないとは言ってある。
屋敷の裏口は、いつもフルールが出入りする時に使っている場所よ。本人が正面玄関から出入りする身分ではないからと言って、ここを使っているのよね。彼女の魔術塔での地位を考慮すれば、正面から出入りしてもおかしくないのに。でもそのおかげで裏口を使えるのは良かったわ。
建物の中を通り抜けて裏口が見えてきた。あそこを通って裏門から出れば、久しぶりの外よ。
まず何をしようかしら。町の様子を眺めるだけでも楽しめるけれど、やっぱり買い物ね。フルールに素敵なお菓子の店へ案内してもらう予定よ。でもその前に、どうしても買いたいものがあるの。絶対にセドリックに知られたくないわ。
「やあ、レティ」
「ひっ……」
出たわ。
私が外への期待を膨らませていたら、裏口からセドリックが入ってきた。隣には蒼白な顔をして震えているフルールもいるわ。運悪く見つかってしまったのね。セドリックに聞こえないよう、口だけ動かしてごめんなさいと謝ってくる。
「き、奇遇ね。仕事へ行ったんじゃなかったの?」
「レティの行動は全て予測済みだよ。そろそろ脱走する頃合いだと思っていたんだ」
「脱走だなんて、人聞きが悪いわ。町を散歩したくなったのよ」
ごめんなさい。脱走しようとしていたわ。
セドリックの怖さは克服したはずなのに、また悪寒を感じる。人を萎縮させる笑顔は厄介だわ。
「どうして俺に言ってくれないのかな?」
「セドリックは忙しそうだったから。フルールを私の護衛に推薦してくれたのはセドリックよ」
「フルールはグリムの鱗から身を守るために派遣したんだよ。暴漢対策はおまけ」
「でも魔術師を襲う人はいないじゃない。一緒にいる私も安全だわ。それに同性だし。セドリックだって、男性の護衛よりも安心でしょう?」
「町はまだグリム消滅の朗報で浮かれているんだよ。レティに何かあってからじゃ遅いんだ」
セドリックはあろうことか一緒に行くと言い出した。私を正面玄関から連れ出すつもりか、私の手を取って裏口から離れる。
「レティの絵姿は出回っていないけれど、特徴は知られているんだ。伝え聞く特徴と同じ貴族の令嬢らしい女性がうろついていたら、声をかけられるに決まっているじゃないか」
「用事を済ませたら、すぐに帰るわ」
「その用事は、どこで何をするつもりなの? 俺には言えないこと?」
「だって……」
私が嘘の予定を伝えても、セドリックならすぐに見破ってしまうわね。
諦めるわ。
「セドリックの誕生日に何を贈るか悩んでいるの。思いつかないから店へ行けば見つかると思って。だからセドリックがいない時に外へ出たかったのよ」
セドリックが立ち止まった。私から顔を背けて黙っている。
「ねえ、セドリック」
「どうして、君は俺が離れられなくなるようなことばかり言うの」
困ったわ。セドリックの何かを刺激してしまったみたい。
「レティがそう言うなら、俺は同行しない。でも護衛の数は増やすからね」
しばらくして、頬をうっすら赤くしたセドリックが言った。私を抱きしめて、幸せそうね。こっちまで顔が赤くなるじゃない。
護衛を増やしたら目立つと思うわ。私はそう反論したかったんだけど、外出禁止になりそうだったから我慢するわね。
それよりも、この甘酸っぱくなった空気はどうすればいいの。フルールは空気を読んで、振り向かずに玄関ホールへ行っちゃったわ。




